恋愛相談と運命3
通常通りの生活に戻り、私はここしばらく休んでいた恋愛相談を再開させた。
再開の知らせを出すと、すぐさま返事が返ってきて、いつ恋愛相談に乗ってくれるのか、という問い合わせが殺到した。
その問い合わせと共に私を気遣う文も添えられていて、私は自分が思っていた以上に心配をされていたことを知り、心が温かくなった。
学校が休みの日はひっきりなしに恋愛相談をしに私を訪ねて来る方が殺到し、私はご令嬢やご婦人方の対応に忙殺された。
「お嬢様、お疲れではありませんか?」
五人目のご令嬢の相談に乗ったあと、私を気遣って青葉がお茶を持ってきてくれた。
微笑んで青葉に「ありがとう」とお礼を言って、温かいお茶を受け取る。
お茶をひとくち口に含み、ほっと息を吐く。温かいお茶が体に沁みた。
「いつも恋愛相談をされたあと、疲れていらっしゃるでしょう?今日はそんなに顔色も悪くありませんし、疲れている様子もないようですけれど…」
控えめに私を見つめて言った青葉の台詞に、そういえばそうだわ、と思った。
いつもは二人の相談に乗っただけで疲れてしまっていた。けれど、今日はまったく疲れを感じていなかった。
そのことに、青葉に指摘されて初めて気付いた。
「気遣ってくれてありがとう。でも今日はあまり疲れていないみたい」
「そうですか。それを聞いて安心しました」
ほっとしたように青葉は顔を綻ばせた。
そして次の相談相手の案内をするために部屋を出ていく。
それを見送りながら、司さんとの特訓の成果が出ているのかしら、と密かに首を傾げた。
「お嬢様、お次のお客様がお見えになられました」
「ありがとう、青葉。どうぞ、お入りになって」
私が戸越しに青葉とお客様に声を掛けると、少し緊張した声音の可愛らしい声で「失礼いたします」と返事が来て、戸がそっと開けられた。
そこにいたのは、何回か相談をしにやって来られたご令嬢で、休んでいる間にも手紙を頂いていた人だった。
少しふっくらとした頬の、控えめで、けれど好奇心の強い方。葛葉あやめさんは私と同じ学校に通うご令嬢で、この恋愛相談を通じて仲良くなった方だ。
「いらっしゃい、あやめさん」
「お忙しいところ、申し訳ありません、環さま」
「まあ。そんな風に仰らないで。お友達が家に来てくれて、私はとても嬉しいわ。それに、最近あやめさんとお話できていなかったものだから、気になっていたところだったの」
「ありがとうございます、環さま。最近体調を崩されていると伺っていましたけれど、お元気そうで安心致しましたわ」
「ええ、もうすっかり良くなったの。心配をおかけしてしまってごめんなさいね。そしてありがとう。お礼というほどではないけれど…今日はあやめさんのお話をじっくりと聞かせて欲しいわ」
にっこりと笑って私は彼女の話を聞く態勢に入った。
すると彼女は最初はぼそぼそと呟いていたけれど、段々とその話に熱が入って来て、最終的には彼女の婚約者に対する不満を言い始めた。
「いつもいつもあの人は、私の欠点ばかり指摘してくるんですの。もっと痩せろ、とか、煩い、とか。欠点を指摘してくれること事態はいいのです。けれど、悪いところを言うばかりではなくて、少しくらい褒めてくれても良いと思いませんか!?」
身振り手振りに加えて、婚約者の方の物真似までして彼女は言った。
あやめさんの頬はほんのりと赤く染まっていて、彼女の怒りがどれほどのものかを物語っていた。
「確かに、あやめさんの言う通りだと思うわ。好きな方に褒めて欲しいと思うのが乙女心というものですもの」
「そうですよね!……あっ。い、いえ!私はあの人のことが好きなわけでは…」
最初の勢いはどこへやら、あやめさんの口調は段々と小さくなっていった。
それに私は小さな笑い声を零し、悪戯な顔をして彼女を見た。
「好きでもないけれど、嫌いでもないのでしょう?」
「そ、それは……その…そう、ですけれど…」
歯切れ悪く返事をするあやめさんの小指をそっと見つめる。
彼女の小指には赤い糸がしっかりと結ばれていた。その糸をそっと撫でると浮かんだのは彼女の婚約者の方の顔だった。
つまり、あやめさんもその婚約者の方も両思いで、ただお互いに素直になれていないだけということだ。
素直になれない二人をとても微笑ましく思うけれど、お互いに素直になれないからこそ、不安になってしまうのだろうということもわかる。素直に口に出さないから、お互いの気持ちがわからないのだ。
そんな二人がうまくいくように助言をするのが私の役目だ。
私はにっこりと笑ってあやめさんに話しかける。
「ねぇ、あやめさん。まずはあやめさんから婚約者の方を褒めてみたらどうかしら?」
「私から…?」
「ええ。あやめさんがことあるごとに彼を褒めれば、彼だってあやめさんを褒めてくれるかもしれないわ。まずは相手を褒めて、それでもだめだったら、その時はその気持ちを思いっきり彼にぶつけるといいと思うわ」
「……まずは、私から…。…確かに、私も彼を褒めるということをしていませんでした…心で思っても口にするのは恥ずかしくて…」
「ふふ、気持ちはわかるわ。きっと彼もあやめさんと同じ気持ちのはずよ」
「…そうだといいのですけれど…。でも、環さまの言う通りにやってみますわ。私、不満を言うばかりで、自分から何かしていませんでしたもの。求めるばかりではいけないのですよね」
「善い事をすればその分だけきっと返ってくるわ。私はそう信じているの」
「なら、私もそう信じます。私、環さまを信じていますもの」
あやめさんは幾らか肩の力を抜いて微笑んだ。
どうやら彼女の気を楽にすることができたらしいと、私もほっとする。
そこからはただの雑談となった。彼女のあとの相談者はいないため、時間を気にせずあやめさんとのお喋りを楽しめた。
あやめさんとのお喋りの内容は、近頃の流行りの甘味処の話から、可愛いと話題の雑貨屋さんまで、ころころと話題が変わっていく。
そんな中で、一番盛り上がったのは学校のことだった。あやめさんとは教室こそ違うけれど、通っている学校は同じだったので、共有の話題も多い。
「聞きましたわ。転入生が来られたと」
「ええ、鬼灯銀之助さんと仰るの」
「その鬼灯さん、とても格好良い方だと噂になっていますわ。それにとても紳士だと」
「そうね…確かに、紳士な方だわ。女性にとても優しいの。もちろん、男性にも優しいわ」
「まぁ!噂によりますと、彼を後見している方はとても有名な資産家だと伺いましたけれど、それは本当なんですの?」
「そうみたいね。私は直接聞いたわけではないけれど…そういう風にいっているのを聞いたことはあるわ」
「まぁ、まぁ!すてき。格好良くて、紳士で、お金持ち…とっても素敵ね!」
「まあ、いやだ。あやめさんったら…婚約者の方につけ口をしようかしら」
「あらあら、いやですわ、環さま。それはそれ、これはこれ、ですわ。格好いい殿方がいたら憧れてしまうのが乙女心というもの…環さまもそうではなくって?」
「私にはよくわからないわ」
正直な自分の気持ちを告げた。
それに、私はなんとなく彼が苦手だと感じていた。
「まあ」
あやめさんは目をぱちぱちと瞬きさせて私を見つめた。
そして不意にくすっと笑った。
あやめさんのその笑いの意味がよくわからず、私がきょとんとしていると、あやめさんは悪戯に顔を輝かせて私に言った。
「環さまは本当に、婚約者の方がお好きなのね」
「……え?」
不意打ちの台詞に私は言葉を失った。
そして意味を理解すると、かっと顔が熱くなった。
「ふふっ。環さま、とても可愛らしいですわ。こんなに可愛らしい方に好かれて、ご婚約者さまは幸せ者ですわね。羨ましいですわ」
「そ、そんなこと…」
私はあやめさんの何気ない言葉に、ちくりと胸が痛んだ。
あやめさんは私に好かれて、私の婚約者――帷さまは幸せ者だという。
だけど知っている。私のこの気持ちはきっと、帷さまにとっては重荷でしかないだろうということを。
帷さまはお優しいから、私の気持ちを知ったら、私を傷つけないようにするにはどうしたらいいのかを考えて、答えに困ってしまうだろう。
それがわかっているから、私は帷さまの力を知った日以降、自分の気持ちを帷さまに伝えようとは思わなかった。
あの日、私が自分の気持ちを帷さまに告げたのは、帷さまに会うのが最後になるかもしれないと思ったからだ。そうでなければ、きっと私は自分の気持ちを帷さまに打ち明けることはしなかっただろう。
結果として、帷さまは私の想いを違う方に捉えてしまって、私の本当の気持ちは伝わらなかったのだけれど。
あやめさんを見送り、自分の部屋に戻って、自分の左手の小指を見つめた。
一時は赤くなった糸が相変わらず、白いまま結ばれていた。
白い糸をそうっと撫でて、帷さまのことを思う。
(帷さまが、好き。帷さまが私のことを何とも想ってくれなくてもいい。ただ、ずっと帷さまの傍にいたい…)
そう思って脳裏に浮かんだのは、最近よく見る夢のことだった。
帷さまが見知らぬ男性に痛めつけられる夢。何度も何度も繰り返し見るこの夢がただの夢ではないと、ようやく認識した。
(あれはきっと予知夢。おばあ様が得意だった、未来予知の夢。だからきっと、あれは未来で起こる出来事なのだわ。本当は帷さまに言った方がいいのだろうけれど…)
夢のことを言ったら、帷さまに心配をかけてしまう。そして、自分は大丈夫だからと私に言って、きっと一人で無理をしてしまうだろう。
そんなのはいやだ。
(なにか、あの未来を回避する方法があるはずだわ。おばあ様だって、予知した未来を幾つも覆してきたのだもの…私だってできるはず)
どうすればいいのかはわからない。だけど、繰り返し見る夢は少しずつ詳細がわかるようになってきた。だから、もっと夢の状況を知ることが出来れば、夢で見た出来事を回避することができるのではないだろうか。
最近は寝るのが怖く感じていた。なぜなら、眠れば必ず帷さまが痛めつけられる夢を見るからだ。
だけど、怖いからと逃げているだけではだめだ。
私は軽く両手で頬を叩き、気合を入れる。そして、あの夢の出来事を未来で起こさせないために、頑張ろうと決意をした。
そしてふと、もう一度小指の糸を見つめた。
糸に触れれば、なんとなくだけれど帷さまを感じることが出来る。だから私は時々、小指に結ばれている糸に触れていた。
いつもするように糸に触れようとして、違和感を覚えた。
すっと空を切る感覚。まるで、糸がなくなってしまったかのような…。
「……うそ」
思わず零れてしまった私の声は、消え入りそうな声をしていた。
まじまじと小指を見ると、先ほどまで結ばれていたはずの糸が忽然と消えていた。
いつかも見た光景に、目の前が真っ暗になりそうになった。
けれど真っ暗になっている場合ではないと自分を叱咤し、私は部屋を出て、青葉を探す。
青葉はすぐに見つかり、「どうされましたか?」と不思議そうに私を見つめた。
私は青葉の問いに答えず、青葉の左手の小指を見つめた。
そこには確かに赤い糸がしっかりと結ばれていた。赤い糸が視えることにほっとしつつ、私は他の人の赤い糸も視て回る。
全員、赤い糸が結ばれていた。赤い糸以外もちゃんと視ることが出来た。
だけど、私に結ばれているはずの糸は何一つ視えない。
(いったい、どうして…?)
私が困惑していると、「環?」と聞きなれた声が背後から掛けられた。
「帷さま…お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま。君はここでなにを?」
帷さまの質問に、なんと答えればいいのかわからず口ごもる。
そして何気なく視た帷さまの手からは確かに糸が数本伸びていた。けれど、私に結ばれている糸はどうしてか、視えない。
「…環?なにかあったのか?」
「……いいえ、なんでもありません。ちょっと気分転換に歩いていただけですわ」
「そうか。ならばいいんだが…」
帷さまがほっとしたように表情を緩めた。
私はなんとか微笑みを保ちながら、そっと手を後ろにやった。
帷さまに、知られたくなかった。帷さまが知ったら心配をしてしまうだろう。今は仕事の方が忙しいのに、私のことで帷さまを煩わせたくなかった。
それに、自分の糸以外は視えるのだ。だから、なにも問題はない。
そう自分に言い聞かせて、ぶるぶると手が震えていることを帷さまに気付かれないように、私は 手を隠した。
何度指を撫でても、糸の感触はしなかった。




