恋愛相談と夜会4
低い、妖艶な声が辺りを支配する。
誰の声、と声のした方を振り返ると、そこには顔を歪めて笑う凪さまの姿があった。
凪さまを支えていた子息の方はそんな彼女を呆然と見つめていた。
「…凪?」
彼女を呼ぶ子息の一人を凪さまは無視し、ただ桐彦さまを見つめる。
「ねぇ、桐彦さま。貴方は私が好きなのでしょう?私から離れては、だめですわ」
凪さまは子息の方の存在なんてまるでないかのように、彼らの手を払いゆっくりと桐彦さまに近づく。
桐彦さまは顔を押えながら、近づいてくる凪さまを睨みつけるように見た。
「私を愛している、と仰ったでしょう?それも嘘でしたの?」
「ねぇ、桐彦さま」と凪さまは桐彦さまの正面に立ち、桐彦さまの瞳を見つめた。
「私を愛して」
そう凪さまが桐彦さまに囁いた時、凪さまの瞳が紅く光ったように見えた。
その瞬間、桐彦さまが呻き、桐彦さまを支えていた雪乃さまを突き飛ばす。
雪乃さまは小さく悲鳴をあげ、床に倒れ込んだ。
私は床に倒れ込んでしまった雪乃さまの傍に駆け寄る。
「大丈夫ですか?お怪我は?」
「…大丈夫ですわ。なんともありません」
雪乃さまは私を安心させるように微笑み、桐彦さまを見つめた。
桐彦さまは未だに苦しそうにしながらも、桐彦さまに寄り添う凪さまを追い払うことはせず、そのままにさせている。
「桐彦さま?私を愛してくださいますか?」
「…ああ」
「まぁ!嬉しい…」
「いけません、桐彦さま。惑わされてはなりません」
私が声を張り上げて桐彦さまに訴える。
桐彦さまと雪乃さまを繋ぐ赤い糸は、先ほどよりもか細くなっているように見えた。このままではいけない、と私の直感が告げている。
しかし、桐彦さまはぼんやりと私を見つめるだけで、何も反応を示さない。
「桐彦さま…?」
「…あなた、邪魔だわ」
桐彦さまに掛けた声音とはうって変わって、氷のように冷たい声音で凪さまは私を見つめ、言った。
私は怯みそうになるも、ここで怯んではいけない、と自分を叱咤し、凪さまを見つめ返す。
「あなたね?あなたが、邪魔をしたのね?私の邪魔をしないで」
「邪魔をしたつもりはありませんが」
「ああ、小賢しい小娘ね。おまえさえいなければ、すべて上手くいったのに…」
凪さまがギロリと私を睨む。
気のせいだろうか?
凪さまの背後に黒い靄がゆらゆらと揺らめいている気がする。
私が呆然と凪さまを見ていると、凪さまは桐彦さまを連れて私に近づく。
豹変した凪さまの様子を、周りの人たちは固唾を飲んで見守る。
「…あら。おまえ、良い匂いがするわね。こちらから食べてしまおうかしら」
凪さまは自身の紅い唇を、血のように紅い舌で舐める。
それはまるで異形の者の姿のようで、私は恐怖に震えた。
「怯えているのね?可愛らしいところもあるじゃない。決めたわ。先に皇太子を食べてしまおうと思っていたけれど、おまえから先に食べることにするわ」
ちろり、と紅い舌を出し、まるで美味しそうな料理を目にしたかのような笑みを浮かべ、凪さまが私に手を伸ばす。
私は恐怖で震える体を無理やり動かし、凪さまの手から逃れる。だが、バランスを崩し床に座り込んでしまう。
急いで起き上がり逃げようとするが、動きにくい振袖を着ているせいで思うように動けない。
「―――捕まえた」
獲物を捕らえた動物のような顔をして凪さまは私を見て嗤い、手を伸ばす。
私は恐怖のあまりに目をつむった。
そして次の瞬間、ギャッと低い悲鳴が起こる。
いつまで経ってもやってこない痛みや衝撃を不思議に思い、私が恐る恐る目を開けると、目の前に白い軍服を着た人が私を庇うように立っていた。ちらりと私の方を見た彼は、切れ長の目元がとても涼しげで、だがまだ幼さの残る顔立ちをしていた。
その手には、とても綺麗な日本刀が握られている。
「やっと化けの皮が剥がれたな、この女狐め」
「き、貴様ぁ…!」
少し掠れているが、しかしよく通る声で彼は凪さまに言った。そんな彼を凪さまは鬼のような形相で睨んでいる。
最初に見た、可愛らしく守りたくなるような凪さまの姿は、もうどこにもない。
そこにいたのは、明らかな異形の者だった。
吊り上がった目は紅く、先ほどまで艶やかな黒髪だったものが金色になり狐のような耳が出て、そしてなにより、9本ものしっぽが生えている。
この姿は昔、本で見たことがある。
「これは…九尾?」
「そうだ。あれは紺野男爵令嬢に化けた妖怪、九尾」
思ったことを思わず口に出してしまった私に、彼は律儀に返事をする。しかし返って来た回答に、私は息を飲む。
妖怪なんて、本の中にしか存在しないものだと思っていた。
彼は凪さま――九尾を見据えたまま、私に「立てるか?」と問いかける。私は返事をし、立ち上がる。
立ち上がった私たちを見つめ、九尾は可笑しそうに嗤う。
「ふ…ふふ。まさか妾の正体を見破られる日が来るとは…妾の変化の腕が落ちたか。それとも、その小娘の力故か」
そう言って、九尾が目を細め私を見つめる。
正体を現した九尾の姿を見た者たちが叫び声をあげ、慌てて会場の外へ逃げ出す。
雪乃さまは恐怖のあまりに気を失ってしまう。私は雪乃さまに駆け寄りたいが、下手に動くことも躊躇われて動けない。
豹変した凪さまの姿をただ呆然と見つめている子息たちに私は「雪乃さまを!」と声を掛け、彼らは慌てて雪乃さまを介抱するべく駆け寄る。
九尾はそんな様子でさえ愉しそうに見つめ、なにも手を出してこない。
余裕があるのか、それともまた別の目的があるのか。私には判断がつかない。
白い軍服の彼が私に「下がっていろ」と言うので、私はじりじりと壁際まで下がる。
そこで雪乃さまや子息たちの近くに寄ることができ、私は雪乃さまの状態を確認する。
すると子息の一人が「大丈夫。気を失っているだけみたいだよ」と私に言ってきたので、私はほっと胸を撫で下ろした。
「皇太子を、返してもらおうか」
「はいどうぞ、と返すとでも?こんな上玉、手放せるわけがない。もっとも、そちらの小娘と引き換えに、と言うのなら考えなくもないけれど?」
九尾の言葉に、子息たちが一斉に私を見つめる。私は肩をびくり、と震わせた。
大事なお世継ぎとただの公爵令嬢である私。
比べるまでもなく、桐彦さまの方が大事だ。
私が犠牲になって桐彦さまが助かるのなら、私はこの身を犠牲にするべきだ。そう思い、私は九尾のもとへ行こうと歩き出す。
子息たちは私を止めようとしたが、私は構わず進んだ。そして軍服の彼の隣にまで進むと、彼にジロリと睨まれた。
「私…―――」
「君は黙っていろ。そしてここから動くな。
―――九尾、おまえのその手には乗らないぞ。おまえは皇太子も彼女もどちらも手に入れるつもりだろう。皇太子は今やおまえの操り人形。おまえの呪術を解かない限り、皇太子はおまえの言うことを聞く」
私は彼の言葉に息をのむ。
九尾はそんな彼を見つめ、可笑しそうに嗤った。
「ふふ…少しは頭が回るようだ」
「今すぐ皇太子の呪術を解け」
「嫌だと言ったら?」
「無理やりにでも解かせる!」
彼は九尾に向かい、刀を振り上げる。
九尾はそれを綺麗に避けるが、彼はすぐさま追撃をする。
彼の刀が九尾を掠めた。
「なかなかやるな、小僧…この妾を傷つけるとは」
先ほどまで余裕の笑みを浮かべていた九尾も、彼の猛攻に余裕をなくしていく。
そして追い詰められた九尾は、桐彦さまを引き寄せ、人質にとった。
「動くな!おまえたちの大切な世継ぎに傷がついても良いのか」
「…チッ」
彼は舌打ちをし、攻撃の手を止めた。
しかし、いつでも九尾の隙をつけるように、刀を握り構えている。
「ふふ、形勢逆転のようね?」
「小賢しい真似を…」
九尾は余裕を取り戻し、笑みを浮かべた。
桐彦さまを人質に取られては、どう考えても彼が不利だ。しかし、ただの公爵令嬢である私にできることなんてなにもない。どうしたら、と私は必死に頭を回し、考え込む。
すると、視界の隅に九尾から出ている赤黒い糸が写った。
私はなんとなく、その赤黒い糸を辿ると、その赤黒い糸のうち、1本は桐彦さまに繋がっていることに気づく。
桐彦さまと話をしている時から気になっていた糸。初めて視る色の糸。
「…あの糸はなにかしら」
私がぽつりとつぶやくと、彼が私の言葉に反応する。
「君は、あの糸が視えるのか?」
「え、ええ…」
「そうか、君はあの時の…。なるほど…君が西園寺公爵の娘か。通りで九尾が君を欲しがるわけだ」
「…どういうことですか?」
「詳しいことはあとだ。君の能力を見込んで頼みがある。ほんの一瞬でいい、九尾の気を惹いてくれ。その隙に僕があの糸を断ち切る。しかし、あの糸はすぐに繋がってしまう。その前に、皇太子に結ばれたあの糸をほどいてほしい。頼む、もうこれしか皇太子を助ける手立てがない」
なぜ彼は私の力の事を知っているのだろう。この力のことは、家族にしか話していないのに。
疑問に思いつつも、私もそれが最善の策だと思ったので、しっかりと頷く。
「…わかりました。やってみます」
「…すまない。恩に着る」
「がんばりますわ」
私と彼がこそこそ話を終えると、私は九尾に近づく。
「お願い、九尾。私が人質になります。だから桐彦さまを解放して差し上げて」
「…ふん、いいだろう。ただし、おまえがこちらに来るのが先だよ。さあ、こちらへおいで」
私は頷き、ゆっくりと九尾のもとへ行く。
九尾は私を見て満足そうに微笑んだ。
九尾がほんの少し油断した、その一瞬だった。彼が踏み込み、九尾を攻撃すると見せかけて赤黒い糸を断ち切った。
私は糸が断ち切れたのを視界の端に捉えると、桐彦さまに絡まっている赤黒い糸をほどく。
しかし中々思うようにいかず、ただ焦りばかりが生まれる。
はやく、はやく!
私はもどかしい気持ちを堪えて、丁寧に糸をほどいていく。
しかし、その僅かな間でも、糸は繋がろうと伸びていく。
そして糸が繋がってしまう、と思ったその時、また彼が糸を断ち切った。
「焦るな!繋がりそうになったら僕が何回でも断ち切る!」
「は、はい!」
「まさか。この小娘…糸を?させぬ!!」
「そうはいかない!」
九尾が私に攻撃を仕掛けようとするのを、彼が防ぐ。
「本当に、邪魔な小僧だ…!妾の邪魔をするでない!」
九尾が9本の尾を使い、彼に攻撃を仕掛ける。
9本の尾は鞭のようにしなり、四方八方から彼を襲う。
しかし彼は丁寧に1本ずつ尾を防ぎ、私たちを庇う。
彼が凌いでくれている間に、ほどかなくては。
私は指先に集中する。
しっかり集中すると、中々ほどけなかった先ほどとは違い、今度はするするとほどいていくことができる。
そして最後の輪をほどき終わると、赤黒い糸は消え去った。
それと共に桐彦さまが立ち崩れたので私が慌てて支えようとするが、私の力では支えるのは難しく、よろよろとよろけそうになったところを子息たちに支えられる。
子息たちによって支えられた桐彦さまの顔は青ざめてはいたが、ただ気を失っているだけのようだった。子息たちによって近くに置いてあった椅子へと桐彦さまは運ばれた。
「ぐぅっ……よくも、よくも妾の呪術を破ったな、小娘……!」
「ひっ」
赤黒い糸をほどいたことによって、何らかの損傷を受けたらしい九尾が私を睨む。
あまりの迫力に私は情けない悲鳴をあげて尻餅をつく。
今にも攻撃をしようとする九尾に、白い軍服の彼がすかさず攻撃をする。
「おまえの相手は僕だ!呪術が解けた以上、手加減はしな…」
「ふ…ふははは!呪術が解けただと?嗤わせるな、小僧!妾の呪術はまだ完全に解けてはおらんわ!」
「…なに?」
軍服の彼が訝しげに九尾を見つめた時、私の首になにかが触れた。
私がはっと横を見ると、そこには生気のない顔をした子息たちが、食事をするために用意されたナイフを私の首に押し付けていた。
すっと首に痛みが走り首に一筋の赤い線が引かれ、そこから血がぽたりと一滴だけ零れ落ちた。
彼らの指に赤黒い糸が絡んでいることを視界の端に捉えた私は、気づく。呪術にかかっていたのは、桐彦さまだけではなかったのだと。
彼は私たちの様子を見て、目を見開きすぐ九尾を睨む。
九尾はとても妖しい笑みを浮かべ、彼に問う。
「さあ、小僧。皇太子も小娘も妾の手の中にあるこの状況で、どう動く?」