恋愛相談と夜会3
この国は数十年前まで鎖国をしていた。
しかし、時人たちによって開国したこの国はあっと言う間に西洋の文化を取り入れ、文明開化を遂げた。
その結果、元来より着ていた着物の他にドレスやスーツと言った西洋の衣装が取り入れられ、華やかになった。
中でも令嬢たちを虜にしてやまないもの、それはレースと呼ばれる繊細な布である。
このレースをさり気なく取り入れるのがお洒落なのだ。
レースの他にもリボンも令嬢たちを虜にしてやまない。
そんな私も、レースやリボンは大好きだ。
「お嬢様、素敵ですわ、その振袖」
「ありがとう、青葉」
我が公爵家では、お父様の「元来の伝統を受け継ぐべし」という思想のもと、服装は洋装ではなく和装だ。
そのため、私はドレスを1着も持っていない。
だけど、レースやリボンへの憧れを捨てることはできず、振袖にレースを縫い付けてもらったり、リボンを付けたりしている。
完全な洋装でなければいいのだ。ちょっとしたあれんじにはお父様はなにも言わない。
私は山吹色の振袖に身を包んでいる。
菊の花が大きく刺繍された振袖は、公爵令嬢が着るに相応しい装いだと思う。
さり気なく袖口からのぞいた繊細な白いレースがお洒落だ。
普段は小袖に袴という女学生の服装をしているため、たまに着る振袖の帯の窮屈さが居心地悪く感じる。
髪は丁寧にまとめられ簪をさし、薄く化粧をすればどこからどうみても、大和撫子に見えるだろう。
私はお父様と共に公爵家所有の馬車に乗り込み、夜会の会場へ向かう。
皇家所有の館で夜会は開かれるそうだ。
「環。緊張している?」
「いいえ、お父様。お父様が一緒なのだもの、緊張なんてしませんわ」
「そうか。それは、良かった。今日は頼んだよ、環」
「はい、お父様。精一杯頑張ります」
「くれぐれも無理だけはしないように。おまえは私たちの宝なのだから」
「はい、お父様」
私がお父様の言葉に頷いた時、馭者が目的地に着いたことを知らせる。
お父様が鷹揚に頷き、馬車から降り、私が馬車から降りるのを手伝ってくれた。
「環、会場に入ったら少しの間別行動だ。その間に、わかっているね?」
「はい、お父様。承知しております」
「では、行くとしようか。まだ桐彦様はいらっしゃっていないようだ。桐彦様たちがいらっしゃるまでは、夜会を楽しむといい」
「はい」
歩き出したお父様の後に従い、私は歩く。
振袖は歩きにくい。普段の袴に慣れてしまった私には歩くことが大変だ。
だけど、そんなことは表情にはおくびにも出さず、優雅に見えるように歩く。
「環さま、ご機嫌よう。とても素敵な振袖ですわ」
「その簪も素敵だわ。さすが、環さまですわ」
「まあ、ありがとう、皆さん。皆さんも、とても素敵よ」
私は微笑んで、友人たちの賛辞を受ける。いつもの事なので、賛辞には慣れている。今更照れたりはしない。
私たちは暫く友人たちと談笑をしていると、辺りがざわざわとしだす。
何事か、と思い辺りを見渡すと、皇太子であらせられる桐彦さまがいらしたようだ。
桐彦さまは甘い顔立ちの美青年である。桐彦さまに微笑まれた令嬢は失神することもあるくらい、整った顔立ちをしている。
そんな桐彦さまの隣にいるのは、婚約者である雪乃さまではなく、見知らぬ令嬢だった。
その令嬢はとても可愛らしい顔立ちをしていて、庇護欲をそそるような容姿をしている。
桐彦さまが大礼服を着ているのに合わせたのか、彼女は薄い桃色のドレスを身に纏っていた。
「まあ…またあのお方を…」
「皆さん、彼女をご存知なの?」
「ええ、環さま。彼女、有名でしてよ。紺野男爵のご令嬢、凪さま。凪さまは桐彦さま以外にも、有能とされた貴族のご子息たちを侍らせ、骨抜きにしているそうですわ」
彼女――凪さまのことを語る友人たちの口調は刺々しい。
私はまあ、と口元に扇子を当て、驚いた風を装いつつ、彼女を観察する。しかし、遠すぎてよくわからない。
近くによらなければ、と私が考えていたところで、桐彦さまや凪さまの周りに有能として名の知れた貴公子たちが集まってきた。誰も彼もが凪さまにうっとりとした視線を送り、遠目から見ても彼らが凪さまに執着している様子がわかる。
これでは他の貴族のご令嬢や婚約者の方は気分が悪く思うのも無理はないだろう。凪さまはにこにこと嬉しそうに笑いながら彼らと談笑している。
私がどうやって彼らに近づこうか、と友人たちと話をしながら考えていると、桐彦さまの婚約者であられる雪乃さまがいらっしゃった。
桐彦さまと、桐彦さまに寄り添う凪さまを見て、一瞬悲しそうな顔をするも、雪乃さまは気丈な顔をし、そのまま雪乃さまは桐彦さまたちの脇を通り過ぎようとしたとき、事は起こった。
「雪乃」
桐彦さまが雪乃さまを呼び止めた。凪さまや、彼女を囲っていた周りの子息たちも雪乃さまを注視する。凪さまは少し怯えたように、周りの子息たちはそんな凪さまを守るように動く。
雪乃さまはさも今気づいたかのように、桐彦さまを見つめた。
「桐彦さま…ご挨拶が遅れて、申し訳ございません。桐彦さまにおかれましては本日もご機嫌麗しく…」
「そんなわけないだろう」
桐彦さまは冷たく雪乃さまを見据えた。
そんな桐彦さまの様子に雪乃さまは一瞬びくり、とするも、すぐに微笑む。
「まあ、そうですか。それはご無礼を…」
「雪乃。いや、綾小路公爵令嬢。貴様は、彼女、紺野男爵令嬢に数々の嫌がらせをしてきたそうだな?」
「嫌がらせ…ですか?」
「とぼけるな。証拠は挙がっているんだぞ」
「わたくしにはなんのことなのか、さっぱりわかりませんわ」
そうだ、と口々に桐彦さまを援護する子息たち。
一触即発な雰囲気に、私はまずい、と思った。とにかく早く桐彦さまに近づき、彼の赤い糸が誰に繋がっているのかだけでも見極めなくては。
私はそう考え、心配そうに成り行きを見守る友人たちからそっと離れ、桐彦さまたちに近づく。
「まずは、先日の夜会で凪のドレスに飲み物をこぼし、あげくに階段から突き落とそうとし、そして彼女に数々の暴言や彼女の名誉に傷がつくような誹謗中傷をした。間違いないな?」
「わたくしには身に覚えがありません」
「まだとぼけるつもりか!」
「桐彦さまっ…いいのです…!私が、悪いのです…桐彦さまを独り占めしてしまったから…婚約者である雪乃さまがお怒りになるのも無理はないですもの…」
「凪…」
瞳を潤ませてそう言う凪さまを、桐彦さまはとても愛おしそうに見つめる。その周りの子息たちも桐彦さまと同じ様子であった。
そんな桐彦さまたちの様子に雪乃さまは一瞬顔を歪ませたが、すぐに扇子で顔を隠して気丈にも桐彦さまと向かい合う。
「桐彦さま、わたくしが彼女に嫌がらせをした証拠を見せてくださいまし。証拠があるのでしょう?」
「…ああ、もちろんだ。これを」
そう言って桐彦さまは紙を雪乃さまに見せつけるように突き出す。
私の位置からは何が書かれているのかまではわからない。
「これが、証拠だ」
「…まあ、こんなものが、証拠?」
「こんなもの、だと…?」
「ええ、そうですわ。全部、状況証拠ではありませんか。飲み物を持って彼女の近くを歩いていたわたくしを見た、階段の近くにわたくしがいたのを見かけた、などと…どれもわたくしがやった、という決定的なものではありません」
「だが!凪は貴様がやったと…!」
「彼女だけの言葉を信じ、わたくしの言葉は信じられないと?そう、仰るのですか?」
「ああ、そうだ」
しっかり頷いた桐彦さまに、雪乃さまはとても悲しそうな顔をした。見ているこちらの胸が痛くなるような顔だ。
「…見損ないましたわ、桐彦さま」
「見損なったのはこちらの方だ!綾小路雪乃!今ここで貴様との婚約…―――」
「お待ちくださいませ、桐彦さま」
私は雪乃さまと桐彦さまの間にするり、と割って入る。
二人とも突然現れた私に目を丸くしている。桐彦さまの背後に目を向ければ、凪さまや子息たちも同様に目を見開き私を見つめていた。私はそんな彼らに優雅に見えると教わった微笑みを向ける。
「…なんだ、貴様は」
「申し遅れました。お初にお目にかかります。私、西園寺公爵の娘、環でございます」
「西園寺公爵の…。環、と言ったか。何用だ。こちらは見ての通り、取り込み中だ」
「ええ、存じておりますわ。その上でお待ちください、と申し上げたのです」
「…なに?」
桐彦さまが怪訝そうな顔をして私を見つめる。私はそんな桐彦さまを無視し、桐彦さまの左小指を見つめる。
そこにはきちんと赤い糸が結ばれていて、結ばれた先にいるのは桐彦さまの隣にいる彼女ではなく、雪乃さまであることを確認した。前にお二人の姿を見た時に、お二人が赤い糸で結ばれていることを私は確認していた。だけど私の視える赤い糸は絶対的なものではない。
もしかしたら変わっているのかもしれない、とも思ったがそれも杞憂だったようだ。
―――では、なぜ桐彦さまは雪乃さまではなく、凪さまを選んだの?
私がじっと桐彦さまの小指を見ていると、桐彦さまの小指に赤い糸だけではなく、赤黒い糸が絡みついているのに気づいた。
これは、なんだろう。
私は赤黒い糸にそっと触れてみた。すると、ゾワリ、と悪寒が走った。
これは良くないものだ、と私は直感的に感じた。よく見れば、他の子息の方からも赤い糸と赤黒い糸が視える。だけど、私に糸を断ち切る力はない。どうしたらいいのだろう。
私が考えていると、桐彦さまが痺れを切らしたように「おい」と私を呼ぶ。
「黙っていないで、さっさと要件を言え」
「…大変失礼致しました。では、私の質問に答えてくださいますか?」
「質問?」
「まずは、雪乃さま」
「…わたくし?」
「ええ、貴女です。貴女は、桐彦さまを愛していらっしゃいますか?」
「え…なにを…」
「重要なことなのです、どうかお答えください」
いきなりとんでもない質問をした私に雪乃さまも動揺を隠せないようだ。
そして暫く目を閉じたのち、観念したように目を開いて言う。
「…そんなこと…当の昔からわたくしが愛しているのはただひとり。桐彦さまだけですわ…」
「そうですか。ありがとうございます。お次に、桐彦さま」
「な、なんだ…」
「貴方は、凪さまを愛していらっしゃいますか?」
「そんなもの決まっ…」
「本当に?貴方は心の底から、凪さまを愛おしいと思っておりますの?」
私は不敬に値するとわかりながらも、まっすぐに桐彦さまの目を見て問いかけた。
「もちろん、俺は…俺は…」
「桐彦さま…?」
最初こそ勢いよく言った桐彦さまだが、次第にその勢いがなくなり、戸惑ったように俺は、と繰り返す。
そんな様子の桐彦さまを凪さまは訝しげに見つめる。他の子息の方も、戸惑ったように桐彦さまの様子を見ていた。
しかし雪乃さまはただ諦めたように桐彦さまを見ていた。
「煩い…違う。違うんだ…俺は…俺が、愛しているのは…」
桐彦さまはまるで視えない何かと戦うように、頭を抱えだした。
そんな桐彦さまを私は冷静に見つめた。
そして、思う。
―――お願い、負けないで。
「俺が、本当に愛しているのは…凪じゃない…雪乃だ」
「桐彦さま…!?」
「桐彦さま…?」
凪さまが驚いたように隣にいる桐彦さまを見るのと同じように、雪乃さまや子息の方も目を見開いて驚いたように桐彦さまを見つめた。
驚きを隠せない雪乃さまを、桐彦さまが苦しそうに見つめ、呟く。
「雪乃…すまない。俺は、なにか変なものに……っ!?」
「桐彦さま!?」
凪さまが絶望して後ろにじりじり下がるのと入れ違いに、桐彦さまが苦しみだす。
そんな凪さまを周りにいた子息たちが支え、困惑した顔を桐彦さまに向ける。
苦しんでいる桐彦さまを雪乃さまがとても心配そうな顔をしてそっと支えた。
「雪乃…俺から…離れるんだ…早く!」
「桐彦さま?」
突然離れろ、と言い出した桐彦さまを雪乃さまは訝しげに見る。
「…桐彦さま。私を裏切るのですか」
何処からか、低い、妖艶な声がした。