恋愛相談と夜会1
『環、運命の赤い糸の話をしてあげる。こちらへいらっしゃい』
『おばあちゃま!』
私は笑顔でおばあ様のもとへ駆け寄る。
顔は覚えていない。けれど、おばあ様の優しい声だけは、いまでも鮮明に思い出せる。
『おばあちゃま、うんめいのあかいいとのおはなし、きかせて?』
『ええ。では、こんなお話はどうかしら。昔、ある男の子には婚約者がいました……』
おばあ様の優しい声音と、私の頭を撫でる温かい手。
私は、おばあ様にお話を聞かせて貰える、この時間が大好きだった。
***
私には赤い糸が視える。
俗にいう、運命の赤い糸、というやつだと思う。
私が赤い糸の存在に気づいたのは、ほんの数年前のことだった。
初めは気のせいかしら、と思っていたけれど、私付きの侍女である青葉の左手の小指に結ばれた赤い糸を見つけ、赤い糸が結ばれていることを青葉に告げると、彼女は左手の小指を見つめたあと、困惑した顔をして私を見て言った。「赤い糸なんてどこにもありませんわ」と。
それで私は漸くこの赤い糸が自分だけにしか視えないものなのだと認識した。
行き交う人々を観察し、赤い糸で結ばれた人同士のことを調べた結果、どうやらこの赤い糸は必ず左手の小指に結ばれていて、その人の恋人や配偶者に繋がれている場合が多いことが判明した。
しかしこの赤い糸は恋人や配偶者以外の人に繋がっている場合もあり、私が視える赤い糸は、“今”のその人にとっての運命であって、一度結ばれたら千切れることがない、というものではないらしい。“今”恋人に結ばれていても、“未来”では違う人に結ばれる可能性もある。
つまり、この赤い糸は、“今”両想いかどうかを知るためのものだと私は考えている。
そんな私には、恋愛相談が絶えない。
「あの人と私は、上手くいきますか?教えてください、環さま」
私が通う学園の、誰もない教室で私は彼女と向かい合っていた。
真剣なまなざしで私を見つめる彼女に私は微笑む。
「ええ、大丈夫よ。貴女と彼は赤い糸で結ばれているもの。きっと上手くいくわ」
「まあ!本当ですか?嬉しい…!ありがとうございます、環さま」
「お役に立てたようで嬉しいわ。またいつでも相談しにいらしてね」
「はい!」
彼女は満面の笑みを浮かべて、私にお礼を言って去っていく。
私はそんな彼女を微笑んだまま見送った。
少し前に見かけた彼女と、彼女の想い人の間にはしっかりとした赤い糸が結ばれていた。
きっと彼女は幸せな恋愛をするだろう。
どうか彼女のその恋が末永く続きますように。
私はそう祈った。
私が恋愛相談をされるようになったきっかけは、仲の良い友人たちとのお茶会での雑談だった。
友人たちにはもうすでに婚約者が決まっている子も多く、その婚約者についての話でお茶会は盛り上がっていた。しかし、私にはまだ婚約者がいないため、話にはあまり加われず、ただ微笑みながら彼女たちの話を聞き、時には相槌を打っていた。
「彼と上手くやっていけるかしら…?」
「大丈夫よ。なんとかなるものだって、お母様も、先に嫁いだお姉様も仰っていたもの」
「そうかしら…実は私、彼が見知らぬ女性と一緒にいるのを見てしまったの…」
「あら…」
「まあ…」
友人たちの間に気まずい空気が流れる。
私は少し前の夜会の記憶を思い出し、それから彼女の左手の小指をじっと見つめて、赤い糸がきちんと結ばれていることを確認してから口を開く。
「なにか、事情があったのではないかしら」
私の発言に、友人たちは顔を見合わせる。
「どうしてそう思われますの?」
「いえ…特に理由はないの。これはただの私の勘なのだけど…貴女とその婚約者の方は運命の赤い糸で結ばれている気がするの…。確かめることは勇気のいることだとは思うけれど、勇気を出して確かめてみてはいかが?」
「運命の、赤い糸…ですか」
「素敵ねぇ…」
「……わかりましたわ。彼に確認をしてみます」
浪漫だわ、とうっとりとした目をする友人たちとは対照的に、彼女は決意をした目をしてそう言った。私は彼女に「頑張ってね」と微笑んだ。
その数日後、婚約者に確認をとった彼女が興奮した面持ちで私に報告をしてきた。
「環さまの仰る通りでしたわ!あの日彼と一緒にいたのは、彼の妹さんでしたの」
「まあ、そうだったの」
「ええ!彼の妹さんは病弱で、私はまだ一回も会ったことがなかったので、誤解をしてしまいましたの…」
彼女は嬉しそうに頬を染めて、私に礼を言った。
それを聞いていた友人たちが、「実は…」と私に恋愛相談をするようになり、その指摘や助言が的確だと評判で、友人の友人、そのまた友人の…といった具合に、私への恋愛相談が増え、最近では令嬢たちだけではなく、ご婦人方からも相談されるようになった。
恋愛経験なんて全くない私が相談相手でいいのだろうか、と些か不安になるが、それでも最後は皆スッキリとした顔をして私に礼を言ってくれるので、役に立っているのならばいいか、と思うことにした。
やがて私の評判がお母様とお父様の耳にも入ったようで、夕餉の時にお父様に聞かれた。
「環、最近おまえの評判をよく聞くようになったよ」
「評判…ですか?」
「そう。おまえに恋愛相談をすると願いが叶う、とね」
「私の娘がいつの間にか恋愛経験が豊富になっていたようで、私は驚いたよ」と少し嘆くようにお父様が仰るので私が慌てて否定すると、お父様は爽やかな笑みを浮かべて「冗談だよ」と言う。
からかうのもほどほどにしてほしい。いくら自由恋愛が主流になってきているとはいえ、いまだに家に縛られている子も多いのだ。そういうでりけぇとな話を冗談でするお父様は乙女心というものを全くわかっていない。
私が半眼でお父様を睨み、お父様の隣に座っていたお母様まで冷たい目でお父様を見つめ、お父様は降参、というように肩を竦めた。
そして気を取り直すように咳払いをし、話をもとに戻した。
「とても的確な指摘や助言をしているようだね。まるで人に視えないものが視えているように」
「…それは」
「環、正直に話してちょうだい。お父様もお母様も、貴女を心配しているのよ」
今まで黙っていたお母様が口を開く。
私は俯き、考える。
お父様もお母様も私を愛してくれている。だけど、人には視えないものが視えてしまう娘を不気味に思わないだろうか?
私が悩んでいると、お父様が「少し昔話をしようか」と呟く。
お父様の言葉に私は顔を上げると、お父様は優しく微笑んでいた。
「私の母…おまえのおばあ様の話だ。おまえはもう覚えていないのだろうけど、おばあ様はおまえをとても可愛がっていらした。おまえのその容姿、若い頃のおばあ様に瓜二つだよ」
「まあ…おばあ様と?」
「ああ。おばあ様には不思議な力があった。まだ私が幼い頃、私と安曇さんが出会う前の話だ。私と安曇さんは家同士の取り決められた婚約者だった。幼い私はおばあ様に、安曇さんと仲良くできるだろうか、と不安を口にした事があった」
安曇、とはお母様の名前だ。
お父様とお母様は家同士で決められた婚約者だったけれど、二人ともお互いを深く愛し合っている。それはもう、見ているこちらが目のやり場に困るくらい、仲良しだ。
そんな二人の左手の小指には、太いしっかりとした赤い糸が結ばれている。
しかし、なぜだろうか。私はこの話をどこかで聞いたことがある気がする。
「おばあ様はそんな私に、優しく微笑んでこう言った。『大丈夫よ、貴方と安曇さんは赤い糸で結ばれた運命の相手なのですもの』と」
お父様の言葉に私は目を見開く。
おばあ様が幼いお父様に言った台詞。それはまるで私と同じく、赤い糸が視えているかのようだ。
そう気づいた時、私の頭の中におばあ様の優しい声が再生された。そして思い出す。
―――ああ、この話は昔、おばあ様に聞いた“運命の赤い糸”のお話だ。
「実際、私は安曇さんと出会い、一目で恋に落ちた。おばあ様の仰ったことは正しかった」
「………」
「おまえはよく、相談者の方に言っているそうだね?運命の赤い糸で結ばれた二人だと」
「そ、れは…」
「おばあ様はよく仰っていた。『わたくしには運命の赤い糸が視えるのよ』と」
お父様は微笑みながらも、その瞳は嘘を許さない、と言うように私を射抜く。
私はお父様から視線を逸らすことができずに、固まる。
「―――環。おまえは、おばあ様と同じように、運命の赤い糸が視えているのではないか?」
「お父様…」
ふるり、と体を震わせた私に、お母様が優しく肩を抱いてくれた。
そして優しく私の背中を撫ぜる。
「環。お父様は貴女を責めているわけではないのよ。だからそんなに怯えなくても大丈夫。斎さんも、環を怯えさせてないでくださいまし」
「…怯えさせるつもりはなかったのだが…。環、もしおまえがおばあ様と同じように赤い糸が視えているのだとしたら、少し手伝って貰いたいことがあるんだよ」
「…手伝い、ですか?」
苦笑したお父様を見つめ、私は首を傾げる。
ただ赤い糸が視えるだけなのに、私にお父様を手伝うことがあるのだろうか?
「ああ。でも、大したことではないんだ。ある人物の赤い糸が誰に繋がっているか、確かめてほしいんだよ」
「それくらいでしたら…」
「助かるよ、環。詳しいことはまた追って話す。それまでは今までと同じように、ご令嬢やご婦人方の相談に乗ってあげるといい」
「はい、お父様」
私が頷くと、お父様は満足そうに微笑んだ。