恋愛相談と恋文8
帷さまは春日さんを睨みながら、私に下がるように言う。
私は大人しく後ろに下がり、成り行きを見守ることにした。
「おまえ…何者?」
「おまえに名乗る名などない。それより、早くその体から離れろ」
「ふ…離れろと言われて大人しく離れると思うか?」
「…まあ、そうだろうな」
帷さまは刀を構え直し、春日さんと相対する。
しかし、帷さまから攻撃を仕掛ける様子はない。
普通に考えて、今が攻撃をする良い機会なのに、帷さまは動こうとしない。
(もしかして、春日さんから妖怪が離れなければ、攻撃できないの?)
考えてみれば、そうだ。妖怪だけ斬れるなどという都合の良い刀なんて存在するはずがない。
それこそ、もし存在するとしたら物語の中だけだろう。
でも、だとしたらどうやって帷さまは春日さんから妖怪を引き離すつもりなのだろう。
春日さんはそんな帷さまに構うことなく攻撃を仕掛ける。
長く伸びた爪で帷さまに襲いかかる。それを帷さまは刀で受け止め、流す。
そんな攻防を何回か繰り返し、春日さんは帷さまから距離を置いて帷さまを見つめた。
「どうして攻撃をしてこない?この体を傷つけないため?」
「答える義理はない」
淡々と答える帷さまに春日さんは目を細め、嗤う。
「…なるほど。ならば、今が好機ということか」
「……」
黙って睨む帷さまに、春日さんは猛攻撃を仕掛ける。
帷さまは冷静に攻撃を避けるが、春日さんの勢いは止まらず、攻撃することが出来ない帷さまは防戦の一方だ。
このままでは明らかに帷さまが不利。
帷さまはなんとか今は春日さんの攻撃を防いでいるが、春日さんの攻撃はどんどん激しくなっていく。
帷さまは後ろに大きく宙返りをしながら下がり、春日さんの攻撃を避けたあと「チッ」と舌打ちをした。
避けたはずの攻撃は帷さまの右腕を掠めていたようで、帷さまの左腕が裂け赤い血が垂れる。
「帷さま!」
思わず私は帷さまの名を叫び、帷さまに駆け寄ろうとするが、すかさず帷さまが私を制止した。
「来るな!これくらい、大した怪我ではない」
「ですが…!」
「大丈夫だと言っている!君は大人しくそこにいろ!」
帷さまの言葉に、私は駆けだそうとしていた体を止める。
私に気を取られていた帷さまを春日さんは逃さず、攻撃を繰り出す。
帷さまはなんとかその攻撃を止め、春日さんから距離を取った。
しかし、帷さまの表情は冴えない。
(きっとさっきの怪我が響いているのだわ。一体、どうしたら…。私に何ができる…?)
私は祈るように胸の前で手を組み、じっと春日さんを見つめた。
そして春日さんの小指に結ばれている赤い糸を視て、思い出す。
(彼女の赤い糸は黒く染まったはず…なのにどうして元の赤い色に戻っているの?)
一時的なものだったのだろうか。一時的に何らかの力が働き、彼女の糸が黒く染められた?
だとしたら、なにが彼女の赤い糸を黒く染めたのだろう。
私は彼女の糸が黒く染まった時のことを思い出そうと、記憶を手繰り寄せる。
(確かあの時、私は彼女に南条さまの話をした…そして突然、彼女の赤い糸が黒く染まった。……そうだわ。あの時、私は赤い糸に黒い髪の毛のようなものが絡みついているのを視た…!)
私は慌てて彼女の左小指を集中して見つめた。
そして、見つけた。彼女の赤い糸に絡む、黒いものを。
しかし、見つけてもその黒いものをほどくことが出来なければ仕方ない。それに、黒いものをほどいたことによって彼女に憑いている妖怪が離れる保証もない。
黒いものをほどいても、なにも変わらないかもしれない。けれど、変わるかもしれない。
イチかバチかの大博打にはなるけれど、やる価値はあるはず。
そう思い、私がそのことを帷さまに伝えようと、帷さまを見て、息を飲む。
帷さまが、春日さんに追い詰められていた。
「くっ…しまった…!」
「ふふ…もうおしまい?他愛ない」
春日さんは余裕の笑みを浮かべ、帷さまにゆっくりと近づく。
帷さまの背後には太い木々があり、帷さまに逃げ場はない。
まさに絶体絶命の危機。
「帷さま…!」
帷さまの危機を、私はただ見ることしかできない。
助けてくれた帷さまに、私はなにもすることができない。そんな自分が情けなくて、目がじんわりと潤む。
(―――お願い、誰か…!誰か帷さまを助けて…!)
こんな時に誰かを頼ることしかできないなんて。
だけど、そう祈るしか私にはできなかった。
春日さんが帷さまの目の前に立ち、にんまりと嗤い爪を構える。
帷さまは春日さんを睨みつけ、刀を持ち直す。
「これで終わり…!」
春日さんがそう叫び、帷さまに爪を突き出す。
私はその光景を見ていられず「いやあ!」と叫び両手で顔を覆う。
「させるか!」
その時、聞き覚えのある声がして、ダンっと何かが落ちる音が聞こえた。
ザッと何かを斬るような音と共に「ぐっ」とくぐもった春日さんの声を聞き、私は恐る恐る両手を下ろし、帷さまのいる方を見つめる。
そこには、帷さまを庇うように立つ睦月さんの姿があった。
いつもはにこにこと笑っている彼が、その表情を一切消し去り、ただただ冷たい目で春日さんを見ていた。
「睦月…」
「帷様、遅れました」
「ぐぅ…おまえ…なにを…」
「別に何も?ただ、この刀で斬りつけただけだ。オレは帷さまとは違って、人を斬るのに躊躇いはないからな」
「この小娘の体がどうなってもいいのか!?」
春日さんは右手を押さえ、カッと目を見開き睦月さんを睨みつける春日さんに、睦月さんはいつもの笑みではなく、背筋の凍るような笑みを浮かべて答えた。
「オレの知ったことじゃないね。オレの第一優先は帷様。その次が帷様の婚約者である環様。それ以外の人間がどうなろうと、どうでもいい」
「なっ…」
春日さんは目を見開き言葉を失う。
私も睦月さんの台詞に目を見開いた。
いつもにこにこと笑い、誰にでも愛想が良く明るい睦月さん。
しかし今ここにいるのは、私が知っている睦月さんではなかった。同じ顔をしているのに、全く別人のように感じた。
「睦月」
そんな睦月さんを、帷さまは咎めるように呼ぶ。
睦月さんはちらりと背後の帷さまを振り向き、またすぐに春日さんに目線を戻す。
「はいはい、わかってますよ。被害はできるだけ最小限に、ですよね。ですが、オレの優先事項はあくまでもあなたの命を護ることというのはお忘れなく」
「…わかっている。しばらく彼女の相手を頼んだ」
「お任せください。さあ、しばらくはオレが相手だ。帷様とは違い、オレは遠慮しない。―――かかって来い」
にやりと笑い、睦月さんは春日さんを挑発する。
春日さんはギロリと睦月さんを睨み、そのまま動かない。
「どうした?来ないならこっちから行くぜ?」
そう言うや否や、睦月さんは素早い動きで春日さんに近づき、思いっきり拳を振るう。
「なっ…!素手、だと…!?」
春日さんは辛うじて睦月さんの攻撃を避け、目を見開く。
睦月さんは拳を構え、小馬鹿にしたようにフッと笑った。
「誰も得物が刀だとは言ってないだろ?オレの得物はこの拳と脚。刀も使うには使うが、あまり使うことはない」
彼女は唖然としたように睦月さんを見つめ、すぐに憤怒の形相を浮かべた。
私も最初に刀で攻撃をしていたので、てっきり刀で攻撃をするものだと思っていた。まさかの素手での攻撃に目を丸くする。
そして良く睦月さんの手を見つめれば、篭手を付けていた。
春日さんは素早く睦月さんに攻撃を仕掛ける。睦月さんは楽々とそれを避け、逆に攻撃を仕返す。
しばらく呆然と睦月さんと春日さんの攻防を眺めていた私は、ハッとして帷さまに駆け寄る。
帷さまは座り込み、深呼吸を繰り返していた。少しでも体力を戻そうとしているのだろう。
「帷さま、大丈夫ですか?」
「…環か。大丈夫だと言っただろう。これくらい、たいしたことでは…」
「でも、こんなに血が…!止血をしないと…」
私は懐からハンカチを取り出し、帷さまの腕にきつく巻き付ける。
帷さまは少し顔を歪めた。
「…これで大丈夫なはずです。ですがあとできちんと手当てを受けてくださいね」
「ああ。ありがとう」
帷さまは少しだけ表情を和らげて私を見つめ、すぐに真顔に戻す。
「環、ここは危険だ。今のうちにどこか安全な場所へ避難を」
「いいえ。私にはまだやらなくてはならないことがあります」
「…やらなくてはならないこと?」
私はしっかりと帷さまの顔を見つめて頷き、春日さんの赤い糸に絡まっている黒いもののことを話した。
帷さまは私の話に真剣に耳を傾け、考え込む。
「赤い糸に黒いものが絡んでいる…だと?」
「私の直感なのですが、この黒いものをほどけば春日さんから妖怪が離れるような気がするのです。ですから帷さま。どうか私にあの黒いものをほどかせてください」
「…危険すぎる。承認できないな」
「やってみる価値はあると思うのです。それとも、他に春日さんから妖怪を引き離す方法があるのですか?」
「…あるには、あるが…」
「その方法が、もし帷さまが思い止まってしまうような方法ならば、私にあの黒いものをほどかせてください。私も帷さまの力になりたいのです」
帷さまは考えあぐねているような表情を浮かべる。
最後のひと押しをしようと私が口を開こうとした時、焦ったような声が耳に入る。
私と帷さまは声のした方を振り向き、私は目を見開き、帷さまは眉間に皺を寄せた。
「春日!」
「なっ…!?なんでここに…!?」
春日さんとの攻防を繰り広げていた睦月さんが、その人物を見て驚いた表情をする。
その隙に春日さんが攻撃を睦月さんに仕掛けるが、睦月さんはギリギリで避けた。
「南条さま…?どうして南条さまがここに…」
「チッ…厄介な…!睦月め、きちんと撒かなかったな」
「どういうことですか?」
帷さまに説明を乞い、帷さまが口を開こうとした時、その人物が春日さんに向かって走っていく。
「危ない!お下がりください、冬弥様」
「離せ!彼女は俺の婚約者だ!」
睦月さんが彼を止め、春日さんに近づかせないようにする。
しかし南条さまは暴れ、春日さんに近づこうと手を伸ばす。
「春日!」
「……と…うや……さま……?」
春日さんの瞳の色が元の茶色に戻る。
それを驚いた表情で見つめ、睦月さんの気が少し緩んだ隙に、南条さまは春日さんに近づき肩を抱き寄せた。
「春日、無事か?」
「冬弥さま…どうして、ここに…?」
「君から貰った手紙を読んだら、いてもたってもいられなくなって…君の家の者に聞いたら君は環嬢の家を訪ねていると言われたんだ」
「手紙…読んでくださったのですか?」
「ああ。その前に書いた手紙は俺の所に届いていないが、君が今日出した手紙は先ほどあそこの彼が届けてくれてね」
「そう…だったのですか……手紙、返事をくれなかったわけでは、なかったのですね…?」
「あ、ああ。届いていないものに返事は出せないだろう?」
「…そう、だったの……なら、なら私…私は……」
「春日…?」
突然がくがくと震えだした春日さんを南条さまは訝しそうに見た。
私は帷さまの制止を振り切り、春日さんに近づく。
そして春日さんの両手を取り、左の小指をそっと撫でた。
「春日さん」
「環さま…私、酷い事を…」
「いいえ。これは春日さんが望んでやったことではないと、私にはわかるわ。だから、少し休んだ方がいいわ。ゆっくり眠って」
「あ……」
私がそういうと、春日さんはかたりと崩れ、南条さまに支えられる。
私はその隙に春日さんの赤い糸に絡んだ黒いものをほどく。
触ってみると、それはやはり髪の毛のような質感だった。とても不気味で、なんともいえない嫌悪感がする。
そしてほどき終わると、春日さんを支え、戸惑った表情をしている南条さまに、私は微笑みかける。
「春日さんはお疲れみたい。このまま家に連れ帰ってさしあげて」
「え、ええ…わかりました。それでは、失礼します」
南条さまは綺麗に一礼をし、春日さんを抱えて立ち去る。
それを見送り、私は近づいてくる帷さまと睦月さんに向き合う。
「…なにをした?」
「黒いものをほどきましたの。これですわ」
そう言って帷さまと睦月さんに黒いものを見せる。
睦月さんは変な顔をして私の手を見つめ、帷さまはすぐに怖い表情をした。
「環、それを今すぐ捨てろ!」
「え?」
私が戸惑っていると、帷さまが私の手を叩き、その衝撃で黒いものが宙に浮く。
宙に浮いた黒いものは消え失せた。そしてふと帷さまを見ると帷さまは酷く焦った顔をして私を見ていた。
なんだろう、と思った時、背後にゴッと何かが現れた気配がし、私が振り向くとそこには見たことがない女の人が立っていて、私を見るとニタァと笑った。
袿袴に身を包み、足元には大きな文箱を置いていた。どことなく、嫌な気配を感じ、ぞわりと鳥肌が立つ。
「捕まえた」
彼女は私に手を伸ばす。私は体が硬直して動けない。
帷さまと睦月さんが慌てた様子で私に手を伸ばす。
だが、それよりも彼女の手が私に届く方が早かった。
「おまえ、本当に美味しそう…とても、甘そうね」
そう言ってうっとりと私を見つめ、私の頬を彼女は撫ぜる。
私が「ひっ」と悲鳴を上げるとそれを満足そうに彼女は見つめ、その白い顔が私に近づく。
嫌だ、と私が目をつむったその時。
「破っ!」
ひゅん、と何かが私のすぐ横を掠める音がした。
そして私のすぐ近くで「がぁっ」とくぐもった声が聞こえ、気づいた時には私は帷さまに抱きかかえられていた。
何が起こったのかわからず、私は帷さまの顔を見た。
帷さまはどこかを驚いたように見つめていた。私も帷さまの視線を追い、帷さまが見つめている方を見る。
「―――間に合ったようですね」
落ち着いた、そして清らかな聞きていて心地の良い声が響く。
その声の持ち主は、帷さまや私とあまり年齢が変わらないくらいの、綺麗な子だった。
白い狩衣に身を包み、長い髪をゆったりとひとつに束ね肩にかけ、白い手には綺麗な弓矢が握られていた。
少年のようにも、少女のようにも見える中性的な顔立ち。
穏やかな微笑みを浮かべ私たちを見つめたその人を、帷さまは呆然と見つめて名を呼んだ。
「夕鶴…」
夕鶴と呼ばれたその人は、帷さまを見つめ、笑みを深めた。




