恋愛相談と恋文3
お披露目の日から数日後、雪乃さまと春日さんが我が家を訪ねてきた。私は二人を出迎え、客間に案内する。
客間に入り、少し落ち着いたところで私たちは改めて自己紹介をした。
「ご機嫌よう、環さま。突然お邪魔してしまってごめんなさいね」
「ご機嫌よう、雪乃さま。いいえ、訪ねてきてくださって嬉しいですわ」
「ふふ、ありがとうございます。環さま、こちらが望月春日さんですわ」
「初めまして、春日さん。環と申します。仲良くしてくださいね?」
私は柔らかく見えるように微笑み、雪乃さまの隣で緊張した面持ちをしている春日さんを見つめた。
春日さんは子うさぎのように可愛らしい方だ。私と同い年のはずなのだけれど、小柄で華奢な体型とそれに反してふっくらとした頬のせいなのか実年齢よりも幼く見える。
「は、はい…よろしくお願い致します、環さま」
緊張のためか、それとも元からなのかはわからないけれど、春日さんは消え入りそうな声で答えた。
私は笑みを保ちながら、不躾にならない程度に春日さんの小指を見つめる。
春日さんの小指には確かに赤い糸がしっかりと結ばれていた。だけどその色はやはり他の、雪乃さまに結ばれているものとは色が違う。この間視た南条さまの色とも違っていた。
南条さまの色は中紅色だった。だけど、春日さまの色は朝蘇芳色。中紅色よりも暗い色だ。私が少し眉間に皺を寄せた時、春日さんの糸の一部がきらりと光ったように視えた。
「環さまに恋愛相談をするととてもためになる助言を頂けるそうよ。折角環さまにお会いできたのだもの、春日さんも相談してみたらいかがかしら?」
春日さんの糸に目を凝らそうとしていた私は雪乃さまのその一言で、意識を糸から春日さんに移す。その時に少しくらりとしたけれど、私は表情を変えずに春日さんを見つめた。
春日さんは雪乃さまの言葉に戸惑っているようだ。
「そんなに期待されても大したことは言えないのだけれど…でも私でよろしければ是非お話を聞かせて欲しいですわ」
にっこりと笑ってそう言えば、春日さんも少し心動かされたように視線を彷徨わせる。そして少しの逡巡をしたあと、意を決したように私を見つめた。
「…私には婚約者がおりますの」
「ええ。確か、南条冬弥さまでしたわね」
「はい。その冬弥さまのことなのですけれど…実は冬弥さまはほんの少し前まで、別のご令嬢に好意を寄せていて、私のことを…」
そこまで言うと、春日さんの瞳が潤み、涙を堪えるように俯く。その春日さんの肩に雪乃さまが優しく手を置く。それに励まされたように、春日さまは再び顔を上げて私を見つめた。
「…私のことを煩わしいと…そう、仰られた時があったのです」
「…まあ、そんなことを…なんてひどい…」
「…いえ、私も悪いのです。私と冬弥さまはまだ年端もいかない子供の頃からお付き合いなのですが、私は自然と冬弥さまを慕うようになりました。冬弥さまが私の婚約者になるとお父様からお聞きした時はとても喜びましたわ。だって、大好きな方と婚約することができたのですもの…けれど、その気持ちのせいで、私は冬弥さまが好意を寄せておられた方に酷いことを言ってしまったのです…」
「酷いこと?」
「…はい。『たかが男爵令嬢の身分で冬弥さまに近づかないで』と。身分なんて生まれながらに決められているものでどうしようもないことですのに…嫉妬に狂った私は、あの方にそう言ってしまったのです」
「…まあ、そうでしたの」
とんでもないことを言ってしまった、と悔やむ春日さんを複雑な想いで見つめる。雪乃さまは「わかるわ、その気持ち」と春日さんに同情されている。
春日さんが男爵令嬢だと思い込んでいる凪さまは実は男爵令嬢ではなく、それどころか人外な存在だったことを知り、命の危機に晒された私の身としては、それくらい可愛いものなのではないかしら、と思ってしまう。
「その事を知った冬弥さまは、私を酷く責めて…そして冷たい目で私を見るようになったのです。私、辛くて…消えてしまいたいと思いました。ですが最近、冬弥さまはよく私を訪ねて来てくださるようになって、その時のことを謝ってくださるのです。冬弥さまが真剣に謝ってくださっているとわかっているのに、私はどうしても冬弥さまのその言葉を疑ってしまうのです…環さま、私はどうしたら良いのでしょう…?」
そう言って潤んだ瞳で私を縋るように見つめる春日さんの顔は、恋する乙女そのものだった。
(こんなに愛らしい方を裏切るなんて…信じられないわ)
それだけ九尾の呪術が強力だったのだろうけれど、それでもこんなに自分を慕ってくれる人を裏切るなんて信じられない。つくづく呪術というものの恐ろしさを感じる。
「そうね…なにもしなくてもいいのではないかしら」
「……え?」
「今はまだ南条さまを許せないのでしょう。だから、無理に許そうと自分を追い詰めない方が良いと思いますわ。そうやって自分を追い込むと今度は南条さまを許せないのではなく、自分を許せなくなってしまうわ。だから、無理に許そうとしなくていいのです」
私は柔らかく春日さんに語り掛ける。
「いつか自然に許せる日が来ますわ。だから許そうだなんて考えないで、ただ南条さまと他愛のない話をしてみて。そして南条さまの好きなところを確認していくの。それを繰り返すうちに許せるようになりますわ。だって、お二人は運命の赤い糸で結ばれているのだから」
「冬弥さまの好きなところを確認…」
春日さんは噛みしめるように呟く。その隣で感心したように雪乃さまが私を見つめてくるのが少し照れくさい。少し偉そうだったかしら…と不安になる。
「…ありがとうございます、環さま。私、これからは冬弥さまと少しずつお話をしていきますわ。そこから、始めてみます」
決意を固めた目で私に言う春日さんに、私は笑みを浮かべて頷く。これで少しでも二人の関係が改善されれば良い、と思う。
その時、春日さんの赤い糸が突然黒く染まった。
私は驚き、思わず春日さんを見ると彼女は先ほどまでの弱々しく守ってあげたくなるような雰囲気を消し去り、傲慢そうな表情をしていた。
「…なんて言うと思いまして?いつか自然に許せる日が来る?笑わせないでくださいな、環さま。私は裏切られたのですよ?なのに、なぜ私が許さないとならないの?」
「…春日さん?」
雪乃さまは豹変した春日さんの態度に戸惑ったように私と春日さんを交互に見る。
私はじっと春日さんを見つめたあと、彼女の赤い糸を見つめる。先ほどまで朝蘇芳色だった糸は、今は黒檀色となっている。その糸に、何か黒いものが絡みついているのが辛うじて視えた。糸の色とは微妙に違う黒。見た目だけだからなんとも言えないのだけれど、それは髪の毛のように視えた。
「…あんなに毎日手紙を書いたのに…一通も返さないような、そんな人をどう許せと仰るの?」
「手紙?」
「…申し訳ありませんが、気分が優れないので私は帰らせて頂きますわ。それでは失礼致します」
春日さんはそう言うなり立ち上がり、部屋から出て行ってしまう。私は慌てて彼女を追いかけようとして、やめた。玄関への道筋も覚えているようだし、何より私が追いかけることによって彼女の神経を逆なでするような気がしたからだ。
私は客間に戻り、雪乃さまと向かい合う。雪乃さまは困ったような顔をして春日さんが出ていった方を少し見つめたあと、私に申し訳なさそうな顔をして謝った。
「…ごめんなさい、環さま。せっかくお時間を作って頂いたのにこのようなことになってしまって…」
「いいえ、私の力不足ですのでお気になさらず。…それにしても、驚きましたわ。どちらが本当の春日さんなのかしら…」
「…最初の方の春日さんが本来の彼女です。本当はとても心優しい方なのですけれど…最近、南条さまの話をするとああなるのですわ」
「そうなのですか…きっと色々あって混乱なさっているのでしょう。今は見守って差し上げましょう?」
「…ええ、そうですわね」
雪乃さまは微笑んで頷く。私も頷き返すと、雪乃さまはふと何かに気づいたように「そういえば」と言った。
「帷さまはどちらに?ご挨拶をするのを忘れていましたわ。確か、帷さまもこちらに住んでいらっしゃるのでしたよね?」
「ええ、そうですけれど…今、帷さまは出掛けておりますの」
「まあ、そうでしたの。では、挨拶は諦めますわ」
「申し訳ありません」
「ふふ。環さまのせいではないでしょう?」
私と雪乃さまはしばらく談笑をした。そして、雪乃さまは悪戯を仕掛ける子どものような顔をして私に言う。
「環さま、こんな噂をご存じ?『恋文を書いて、満月の夜に月光をたっぷりと浴びせたあとその恋文を出すと恋が叶う』というものなのですけれど」
「…知りませんでした。そんな噂が?」
「ええ。何人かは本当に恋が叶ったそうですわ。ふふ…わたくしも月光を浴びせるまではしませんけれど、たまには手紙を桐彦さまに書くのも良いかと思いまして、今度手紙を書くつもりなのです」
「まあ。素敵ですわね。桐彦さまからお返事が来たら、是非ご感想をお教えくださいな」
「わかりましたわ。環さまも、帷さまに手紙を書いてみたらいかがですか?」
「私も、ですか?」
「一緒に住んでいらっしゃるのでしょう。なら尚更、普段伝えられないことを手紙で伝えるのも良いのではないでしょうか?」
「…そうですわね。考えておきますわ」
「ふふ、そうしてくださいまし」
雪乃さまは柔らかく微笑む。その後も少し雑談をして雪乃さまは帰られた。
雪乃さまを見送りに外に出て、去っていく雪乃さまの家の馬車が見えなくなった頃、雪乃さまと入れ替わるように帷さまが帰って来られた。
「お帰りなさいませ、帷さま」
「…ただいま。どうして一人で外にいる?」
「雪乃さまを見送るためですわ」
「…そうか。少し顔色が悪いような気がするが、なにかあったのか?」
「なにかあったといえばあったような…。ちょうど帷さまにお話したいことがありましたの。聞いてくださいますか?」
「…いいだろう」
帷さまは頷き、私たちは家の中に向かい歩き出す。すると私の視界が急に歪みふらりと体が傾く。傾いた体を帷さまが優しく支えてくださった。
「…大丈夫か?」
「ええ、平気です。ありがとうございます。…先ほど少し糸を良く視すぎたのかもしれません」
私がそう言うと帷さまは顔をしかめ、「力を使うのもほどほどにしておけ」と苦言を仰った。
私は苦笑して「善処致しますわ」と答えた。
帷さまの優しさが、とても嬉しく感じた。
帷さまはそのまま部屋に向かうようなので、後で部屋に伺います、と言うと帷さまは変な顔をして私を見つめた。
「なぜだ?」
「なぜと言われましても…帷さまは今からお着替えになるのでしょう?なら私が居ない方が良いのではありませんか?」
「別に君が居ても僕は一向に構わないぞ。仕事も溜まっているし、着替えながら話を聞いた方が効率的だ。時間は無駄にできないからな」
「で、ですが…」
「いいから来い」
戸惑う私を帷さまは引っ張り、どんどん進む。そして部屋の中に入る。そして帷さまはおもむろに軍服を脱ぎだした。
「と、帷さま!?」
「…なんだ」
「なんだ、ではありませんわ!淑女の前で着替えないでくださいまし!」
「……ああ」
帷さまは怪訝そうに私を少し見つめたあと、思い出したように呟く。
「そうか。君は女だったな」
うんうん、と納得したように頷く帷さまに、私は唖然として咄嗟に言葉が出てこなかった。だけれど、手は動いた。
すぐ近くにあった座布団を帷さまに投げつけた。
ぼふっと音がして帷さまの顔に当たった、と思ったのに、帷さまは当たる直前で座布団を受け止めた。
「…なにをする」
「それはこちらの台詞です!私はれっきとした乙女ですわ」
「…そうだな、すまない」
面倒くさい、と顔にありありと浮かべたまま帷さまは謝る。そんな心の籠っていない謝罪なんて、謝っていないのと同じだと思う。
私はぷりぷりと怒りながら、近くにあった衝立を私と帷さまの間に置く。そして衝立に背中を向けて座る。
「…早く着替えてくださいませ」
「ああ。それで、あの令嬢たちとなにがあったんだ?」
するするという衣擦れの音を背後に聞きながら、私は今日あった出来事を出来るだけ丁寧に帷さまに伝えた。
「…糸が黒くなった、だと?」
「ええ。そのあと急に春日さんの態度が変わって、驚いてしまいましたわ」
「…成る程」
帷さまはそう呟き、衝立の奥から出てくる。首を捻り後ろを向けば、和服に着替えた帷さまが難しい顔をしていた。そして座っている私を見下ろし、静かな声で告げた。
「君の話を聞いて、確信した。―――春日嬢に妖怪が取り憑いている、と」
追記。
活動報告にて、くだらない小話を載せてます。
ご興味のある方は10/9の日付の活動報告をお読みください。
本編とはあまり関係のない話です。




