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運命の赤い糸を、繋ぐ。  作者: 増田みりん
第二章 赤い糸と恋文
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恋愛相談と恋文1

 あれは、いつの頃だっただろう?

 私はお父様に連れられて、とあるお屋敷を訪ねていた。

 どうして一人でその屋敷の庭に出たのかは覚えていないけれど、私は一人で庭を散策して遊んでいた。

 その時、私はなにか不可解なものを見つけた。なんだろう、とじっと見つめると、それは狼のような狸のような獣の姿をとって、ぐるる、と啼いて私を威嚇してきた。

 驚いた私がその獣に背を向けて逃げ出すと、その獣が追いかけてきた。私は泣きながら必死にその獣から逃げた。

 だけど、途中で小石に躓き転んでしまった。

 転んだ時に擦りむいた膝の痛みと、今にも私に襲いかかろうとする獣への恐怖で、私は思わず泣き叫んだ。


『だれかたすけて!!』


 それと同時に獣が私に襲い掛かり、私は頭を腕で覆った。その時、「危ない!」と知らない声が聞こえ、ぎゃん!と獣が啼く。

 私が恐る恐る腕を下げると、小さな体に不釣り合いな大きな刀を持った、私と同じくらいの年頃の男の子が、その獣に立ち向かっていた。

 重いはずの刀を軽々と振り回し、その男の子は獣を叩き斬った。断末魔をあげた獣がすうっと消える。男の子は鞘に肩を収めて、私を振り返る。

 とても綺麗な子だった。濡れ羽色の髪は短く切られ、黒真珠のような光沢のある瞳がとてもきれいな男の子だった。


『だいじょうぶか?』


 差し出された手は赤黒い血で塗られていて、私は思わず、「ひっ」と叫んだ。

 男の子はそんな私の様子にびくり、とし、血塗られた自分の手を見つめて悲しそうに俯いて、手を引っ込めた。

 私はそんな男の子の様子を見て、ちがう、ちがうの、と叫ぶ。

 男の子が私を助けるために怪我をしたのではないかと思ったのだ。ただひたすら、ちがうちがう、と泣く私を、男の子は困ったように見つめる。慰めたいけれど、私に触れるのは躊躇う。そんな様子だった。


『あら、あら。どうしたのかしら?』


 そこに現れたのは、いつもにこにこと笑っている、私の大好きな人だった。


『おばあちゃま!』


 私はその人に抱き付き、その人の胸に顔を埋める。あらあら、と言いながらその人は私の頭を優しく撫ぜた。


『あのね、おばあちゃま…へんなどうぶつがいたのよ…そのどうぶつがたまきに…ひっく』

『まあ、そうだったの。怖かったわねえ…よしよし』


 再び嗚咽を漏らす私に、その人は私が泣き止むまで頭を撫ぜてくれた。


『珠緒…ぼく』


 男の子がとても悲しそうな顔をして、その人に呼び掛けた。

 私は涙を浮かべながらその男の子を見つめる。どうしたらいいのかわからず、所在なさげに佇む男の子は儚げで、放っておけば消えていなくなってしまうのではないか、と思えた。

 私はおばあ様から離れ、その男の子に近づく。私が近づくと、男の子は怯えるように一歩後ずさる。だけど、私はそれよりも多く彼に歩み寄り、血塗られた彼の手を握った。

 彼はぎょっとしたように私を見つめた。


『ごめんね…きずつけて、ごめんね。それと、たすけてくれてありがとう』

『……あ』


 彼の黒い真珠のような瞳から、ぽろり、と涙が零れた。ただ涙を零す彼をとても綺麗だと思った。


『環、こちらへいらっしゃい』


 男の子が乱暴に涙を拭っていると、おばあ様が私の名を呼ぶ。私は素直におばあ様のもとに行くと、おばあ様は少し悲しそうな顔をした。


『本当は、こんなことしたくないのだけれど…でも、今はまだだめ。ここであったことは忘れなさい(、、、、、)

『え?』


 おばあ様がそう言って、私の小指に触れると私は急に眠くなった。

 私はどんどん下がっていく瞼を必死に堪えて、男の子を見つめた。男の子は、驚いた顔をして私とおばあ様を見つめていた。私はおばあ様に縋り付く。


『いやっ…いやよ。やめて…わすれたくない(、、、、、、、)…!』

『…ごめんなさいね、環』


 そう言って私の頭を優しくおばあ様が撫ぜ、私は意識を失った。




 ***




 はっと目を覚ますと、私は泣いていた。零れ落ちる涙を手で拭いながら、私は首を傾げる。

 なんの夢を見ていたのだろうか?とても温かくて哀しい夢…だったような気がする。

 ゆっくりと起き上がり、外を見ればまだ薄暗い。少し早く起き過ぎたようだ。

 まあ、たまにはこういう日があってもいいか、と思い、私は身支度を整えるために布団から出た。




 最近、女学生の間で流行っていること。意中の相手に恋文を出すこと。

 そして、学校の帰りに甘味処に寄ることだ。


「…なぜ僕が」

「あら、なにか不満がありまして?」


 不満そうに私の真向かいに座る帷さまに私はにっこりと微笑む。

 私の目の前に置かれているのは、外国から入って来た甘味である、アイスクリンと呼ばれる冷たい氷菓子、のようなものだ。

 冷たくて甘くて、美味しい。アイスクリンは美味しいと友人たちから聞いていたが、今日まで中々食べる機会が得られずにいたのだ。今日は無理を言って帷さまに付き合ってもらっている。

 甘味処の中は女学生で溢れていて、黒い詰襟姿の帷さまはとても目立つ。見目が良いだけに余計に目立つ。あちこちから帷さまに向けられる視線を感じ、たまに私を羨むように見つめる視線も感じるが私は気にせずアイスクリンを食べる。


「…君がどうしても行きたいというから付き合ったが、こんなに居心地の悪い場所だとは思わなかった…」

「そうですか?私は気になりませんけれど。…あ、帷さまもどうですか、アイスクリン」


 私の答えに、帷さまは一瞬奇妙なものを見るような目をして、すぐに「いや、いい」と言って温かいお茶を飲む。

 コーヒーや紅茶には目もくれず帷さまは緑茶を頼んだのだ。どちらも美味しいのに、と私は言ってみたのだけれど、帷さまは頑なだった。

 私はアイスクリンを食べ終わり、「ご馳走様でした」と手を合わせる。それを見終わるや否や、帷さまはさっと席を立ち、「帰るぞ」と歩き出す。

 私は慌てて帷さまを追い、お会計を済ませたあと、店の前に立って私を待っていた帷さまの隣に立つ。すると、帷さまはとても嫌そうな顔をした。どうやら私の方が自分よりも背丈が高いのが不満なようだ。

 そして家に向かい歩き出した時、「―――環嬢」と誰かが私を呼び止めた。

 私と帷さまが同時に後ろを振り返ると、そこにいたのは帷さまと同じ黒い詰襟を着た線の細いが賢そうな顔立ちをした青年が立っていた。私はその人物を知っていた。


「あら。あなたは確か…南条(なんじょう)冬弥(とうや)さま、だったかしら?」

「俺の名を、ご存知でしたか」

「ええ、だってあなた、有名ですもの。南条総理大臣の息子で、次期総理大臣と言われている方。もっとも、最近はそれも危ういという噂もあったけれど」

「…その通りです」


 彼は表情を変えずに頷く。だがしかし、その拳はきつく握られていた。


「そんなお方が私になんのご用かしら?」

「その…ここでは言いにくいので、時間が許すなら少し俺にお付き合い頂けませんか」


 私は隣の帷さまをちらりと見つめる。帷さまは腕を組み、じっと南条さまを見つめたあと、「好きにしろ」と仰った。私は南条さまを見て、にっこりと笑い、「よろしくてよ」と言うと、彼は律儀に頭を下げ「ありがとうございます」と言った。




 私は南条さまを我が家に招くことにした。どうやらあまり聞かれたくない話のようだし、恋愛相談として突然家に誰かを招くことが少なくないので、家の人もいきなり客人を招いても驚くことはないからだ。

 彼を客間に案内し、座るように促す。家の人がお茶とお茶菓子を持ってきて、部屋の戸を閉めたのを確認したのち、私は改めて彼と向かい合った。


「まずは、帷様、環嬢。この度はご婚約おめでとうございます」

「まあ、ありがとう」

「…ありがとう」


 私の隣に座る帷さまがむっつりと答える。


「それで。私にご用とはなにかしら?」

「はい…」


 彼はちらりと帷さまを見つめた。帷さまは彼を訝しげに見つめ、口を開く。


「なんだ。僕が居たらまずいことなのか?」

「いえ、そういうわけでは…」

「なら僕がここに居てもいいだろう。未婚の男女が二人きりで部屋にいるのは外聞がよくないからな、我慢しろ」

「…そうですね。申し訳ありません」


 頭を下げる彼から帷さまは気まずそうに視線を逸らす。私はそんな帷さまの様子に苦笑しながら、補足するように言う。


「帷さまはあなたを気遣ってくださっているのよ。あなたの将来に関わることだもの」

「ええ、わかっています。ご配慮痛み入ります」

「気にするな」


 ぶっきらぼうに帷さまは答えた。そんな帷さまに、彼も少し緊張を解いたように少しだけ口角を上げた。


「そろそろ用件を話してくれるかしら?」

「はい。環嬢は恋愛相談に乗ってくれると伺いました。なんでも指摘や助言が的確だとか」

「恋愛相談に乗っているのは本当だけれど…それがどうかして?」

「その…俺の恋愛相談に乗ってほしいんです」

「まあ」


 ぱちぱち、と私は忙しなく瞬きをする。これまで多くの令嬢やご婦人たちの恋愛相談に乗って来たが、子息の恋愛相談を受けるのは初めてだ。

 それに、気にかかることもある。


「そのお相手は、どなた?まさか、凪さまとは仰いませんよね?」

「いえ、違います。彼女のことはその…一時の気の迷いといいますか…」


 もごもごと言う彼に、私は内心ほっとする。

 南条さまはかつて凪さまの取り巻きの一人だった。彼女の呪術は解けたはずだが、今でも彼女が忘れられないなどと言われたらどうしようかと思ったのだ。

 ちなみに、あの取り巻きの中で婚約者のいた子息は全員、婚約者に頭を下げ――中には土下座をした子息もいたようだ――許して貰えたと聞いている。


「では、どなたのことかしら?」

「俺の婚約者である春日(かすが)のことです」

「春日さん…望月(もちづき)伯爵家の春日さんのことね」


 はい、と頷く彼に、私は記憶を手繰り寄せる。

 春日さんは確か、雪乃さまとも交流のあるご令嬢だったはずだ。残念ながら私は話したことはないけれど、おっとりとしたお淑やかな方だと記憶している。


「その春日さんが、どうかして?」

「それが…最近、春日の様子がおかしいのです」

「おかしい?」

「はい。何か思い詰めているというか…俺が話しかけても上の空のことが多くて…今までそんなことはなかったのですが」

「そう……少し、左手の小指を見せて頂いてもよろしいかしら?」


 南条さまは頷き、左手の小指を私に差し出す。私は顎に手を当て、まじまじと左手の小指を見つめた。

 そこにはしっかりとした赤い糸が結ばれていた。しっかりと結ばれているのだが、なんとなくいつも視る赤い糸とは違う気がした。その違和感の原因を探るべくしっかりと赤い糸を視ると、色が違うことに気づいた。

 普段、私が視る赤い糸は紅色をしているが、南条さまに結ばれている赤い糸は中紅色をしている。こんな色の赤い糸は視たことがなかった。

 私は戸惑い、思わず帷さまを見ると、彼は難しい顔をして糸を視ていた。帷さまから視線を逸らし、「ありがとう」と言って南条さまと向き合う。


「…春日には誰か別の好きな相手が出来たのではないか、と不安で…。俺は一度、春日を裏切っているのでこんなことを言える立場ではないとはわかっているんですが、だけど俺は春日を愛しているんです…」

「南条さま…いいえ。誰しも自分の意中の相手が自分以外の誰かに気持ちを向けているのではないかと思えば不安になるのも当然の事。ですが、わかっていて?春日さんも同じ気持ちを味わったのよ」

「…わかっています。だからこそ、今こうして自分が同じ立場になったからこそ、俺は俺の手で春日を幸せにしたいと強く思うのです」

「…もしも、春日さんが別の誰かに気持ちを寄せていたとしたら。あなた、どうなさるの?」

「この婚約は家同士で決められた事。俺たちがどうこう言っても覆ることはありません。なら、もう一度春日を振り向かせてみせます。何年かかっても、必ず」


 力強い目で私を見つめ、そう言い切った南条さまはとても格好良い。そこまで彼に想ってもらえる春日さんを少し羨ましく思った。


「……そう。あなた、もう答えが出ているのではなくて?」

「え?」

「春日さんが誰かに気持ちを向けていたとしても、もう一度振り返させてみせるのでしょう?それが答えではなくて?」

「あ…」


 呆気にとられたように私を見つめる南条さまに私は柔らかく微笑む。


「大丈夫よ、あなたと春日さんは赤い糸で結ばれているのですもの。春日さんの心が誰に向こうとも、あなたが努力をすれば必ず春日さんはあなたに振り向くわ。すべてはあなたの頑張り次第よ」

「…俺の頑張り次第…。わかりました。環嬢に話を聞いて頂けて、やるべきことが見えてきました。ありがとうございます」

「いいえ。私はただ思ったことを言っただけ。頑張って良い報告を私にしてほしいわ」

「ええ、必ず」


 そう言って彼は初めて笑顔を見せて、帰っていった。

 彼を見送った私と帷さまは自然と顔を合わせる。


「…帷さま。あれは、あの赤い糸の色は、一体どういうことですか?」

「わからない。ただ、普通ではない(・・・・・・)ということだけはわかる」

「…普通ではない…ですか」

「ああ。調べてみる必要があるな」


 そう言って私を見つめた帷さまを見て、私は何かとんでもないことが起こっているような、そんな胸騒ぎを覚えた。





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