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ホームレスと少年

作者: 森中 隼人

エピローグ     

ボロボロの布を纏ったそのホームレスは、少年の背中に突き刺したナイフを抜き取り、そのまま自らの首へと持っていった。

***

高田晃という名の少年は、文字通りの豪邸に住んでいた。小さい頃から塾に通い英才教育を受けていたので、周りの子どもたちよりずば抜けて優秀であった。そればかりか、運動神経も抜群であったため、学校中の人気者であった。頭も良くて、運動神経も良い、ましてや家も豪邸である。人々が彼をうらやまないはずがなかった。

だが家の事情というものは部外者には分からないものである。彼は実をいうとある悩みを抱えていたのである。小学生というものはとりわけ、自分の外見に対して悩みを抱えているものである。もし仮に他の子達よりも太っていると、まず確実にその子はいじめられる。身長が低いとチビと馬鹿にされ、太っているとデブと馬鹿にされる。小学校を無事に卒業するのはなかなか難しいものなのである。

では、この少年高田晃も太っていたり、背が低いなどの悩みを抱えていたのだろうかというと、彼はその真逆であった。先程も述べたように彼はクラスの人気者。運動、頭脳だけでなく、外見も美男子とよべるくらい整った顔をしていた。彼の悩みはそのたぐいのものではなかった。両親に愛されていないんじゃないだろうか、と彼は悩んでいたのであった。

外に出るときは、いかにも優しそうな「お母さん」「お父さん」を演じているが、家の中だとまるで別人になる。もちろん彼の父親は立派な会社で働いているし、母親は洗濯など家の事を全部やってくれるから何一つ不自由をしていない。それでも、彼のその不安は二年前ほどに芽生え、今や年中頭から離れないものにまでなったのである。

今日も彼はクラスの友人の家に誘われたが断った。優しそうなお母さんを見るのが辛かったからである。愛されたい。父さんや母さんから愛されたい。彼はこのごろ切実にそう感じていた。でもどうすればいいんだろうか。

そんなふうに感じていたある時、誘拐事件が起こったという内容のニュースを彼は目にした。子どもを誘拐し、身代金を要求するという、よくあるあれであった。犯人もすぐに捕まり、その子どもも無事解放されたので、その時、彼は特に何とも思わなかった。だが、その日の夜、ふかふかのベッドで床につこうとした時、彼はふとある事を思いついた。

もし僕が誘拐されれば、お父さんとお母さんは僕を心配してくれるのだろうか。やってみよう・・・。

でも誰に僕を誘拐してもらおうか。まさか友だちに頼むわけにもいかないし。大人の知り合いは全然いないし。そうだ。この計画にうってつけの人がすぐ目の前にいるじゃないか。

その一晩布団の中で彼は誘拐のプランをじくりと考えた。もともと頭がいい方だったので、こんなことをすぐ思いついたのかもしれない。彼は家の前の公園に住むホームレスに狂言誘拐を頼むことにしたのであった。たしかに、そのホームレスはいつも同じところにいるので、彼との接触は容易であった。

翌日、彼は授業が終わり次第すぐに帰宅し、公園の中を覗いた。そのホームレスはすぐ見つかった。あまり広い公園でないため、ここには彼一人しか住んでいない。彼はおそるおそるそのホームレスに近づき、例の計画を話してみた。最初、彼は半信半疑という感じであったが、理由を話したらすぐに乗ってくれた。

相棒を見つけたので、あとはこの男に計画を話すだけだ。別に僕はお父さんお母さんを苦しませたいからこんなことをやるんじゃない。本当に僕が愛されているのか、ただそれだけが知りたいだけなんだ。いたずらにしては度が過ぎてるとは思うけど、ごめんね、父さん、母さん・・・。

出会ったその日に、彼らは狂言誘拐の計画を練った。計画といってもごく簡単なもので、ホームレスに自分を誘拐させ、両親に身代金を要求させるだけである。

それから三日後の土曜日に作戦を実行した。

お昼を過ぎた頃、少年の家の電話が鳴った。

「はい、もしもし高田ですが。」

「・・・」

「あの、どちら様でしょうか?」

電話を取ったのはお母さんであった。父さんがでるよりもお母さんが出た方がいいと思ったので、わざわざ母さんが家にいる土曜日にしたのである。

「・・・晃くんを預かった。無事に返して欲しければ一億円を明日までに用意しろ。また連絡する。あと、もしこのことを警察に話したらどうなるか分かるよな。」

 ホームレスはそういい終えると電話を切った。

「今のでいいんだよな?」

「完璧だよ、ありがとう。また五時ごろ電話をしよう。その頃にはお父さんと連絡をとっているはずだろうし。」

 何度も言うけど、僕は父さん母さんを困らせるためにこんな馬鹿げたことをやっているんじゃないんだ。確かめたいんだよ、本当に僕のことを大切に思ってくれているのかを。

 少年は必死に自分を正当化した。もし、きちんと僕が望むように、心配してくれてる様子をみせてくれたら、すぐに本当のことを話そう。もちろん、一億円もらったとしてもすぐに返すよ。このホームレスも一億円をもらい受ける勇気はないみたいだし。お母さんとお父さんは僕のために一億円を用意し、約束どおり僕はすぐに解放される。彼はこうなると信じていた。しかし、再び五時頃電話をホームレスにさせた時、その返答はおもってもみないものだった。

「もしもし、晃の父親ですが。家内と話し合った結果なんですが、ぜひ晃を煮るなり焼くなり好きにして下さい。正直な話、私たちはあの子のことをどこかに捨てたいと思っていたところだったんですよ。嫌いじゃないんだけど、なんていうかあの子に飽きちゃったっていうか。誘拐して下さったあなたには本当に感謝しております。謝礼金を渡したいぐらいですよ。あ、もちろん一億円は渡せませんが。まあ、それでは晃のことよろしくお願い致します。」

少年の父親はそう言うと、電話を切った。

「どうだった?」

少年は明らかにホームレスが戸惑っているので、不安げに尋ねた。そのホームレスは一瞬返答に困ったが、今の電話での出来事をありのままに彼に伝えた。

え・・・。父さん母さんは僕をいらないって・・・。捨てられた?何で?僕の何がいけなかったの?きちんと言われた通り勉強もしたし、習い事も通ってたじゃん。友だちとけんかだってしたことないし。何で・・・何でなんだよ・・・。

彼には目の前のホームレスに泣きながら訴えることしかできなかった。ホームレスは黙って彼のことをじっと見つめていた。まさかこんな結末になるなんて思ってもみなかった。どうしよ。家もない、ご飯もない、お風呂もない、当然ふかふかの布団だってない。一体どうすればいいんだよ・・・。

「お前、俺と一緒に暮らすか?」

「え?」

彼がその言葉を聞いた時、この人が何をいったのか最初分からなかった。一生分の涙を流し相当疲れていたためと男の声が小さかったからかもしれない。

「お前住むところないだろ?そりゃ今までみたいな生活はもちろんできないけど、人間なんだかんだ家がなくたって生きていけるぜ。この世の中にどれだけ俺みたいなホームレスがいると思っているんだ。大丈夫だ。なんとかなる。だからもう泣くな。大丈夫だから。」

何が大丈夫なんだよ、お前には僕の気持ちなんかわかる訳がない、と少年は思ったものの、気付いたら男の腕の中で静かに泣いていた。

それから八年が過ぎた。豪邸暮らしのお坊ちゃんからホームレスになる、恐らくこんな経験をしたのは俺だけかもしれない。始めの数ヵ月は本当に文字通り地獄だった。ゴミ箱に捨てられた残飯を貪り、少しでも使えそうな物は、ゴミ捨て場から拾い集める。それを一日中し続けるのである。まさに生きるために生きていた。

だがそれでも俺は一切悪いことはしなかった。というのもあのおっちゃんがいてくれたからである。おっちゃんはいつも犯罪だけはするなと口うるさく言っていた。おっちゃんは俺が風を引いた時も、寒くて死にそうな時も、お腹がすいて動けなかった時も、不良達に絡まれた時も必ず俺の面倒を見てくれた。おっちゃんは俺の本当の意味での父さんだった。おっちゃんさえいてくれれば俺はこの生活を死ぬまで続けることができると心から思っていた。そう、心から。

だがおっちゃんは半年前に死んだ。朝起きたらとなりで眠る様に死んでいたのであった。恐らく病気だったのだろう。命が尽きるぎりぎりまで俺の面倒を見続けてくれたのであった。悲しみのあまり、おっちゃんが死んだ数日はそれこそ死に場所だけを探して俺は彷徨っていた。それでも思い直し、おっちゃんのためにも生きていかなければならない。それがおっちゃんへのせめてもの恩返しになる。

そう思っていた矢先のことであった。ただでさえすり切れる寸前であった感情の糸がプツリと音を立てて切れた。信じられないものを目にしたからである。目の前を三人の家族が通り過ぎていった。その家族の父親と母親の顔を見た時すぐに分かった。忘れるはずがなかった。俺の父さんと母さんなんだから・・・。

その三人は本当に幸せそうに歩いていた。当然俺のことなんて全く意識していなかっただろう。汚らしいホームレスがいるとさえ思わなかったかもしれない。子どもの方は恐らく小学生に違いない。ランドセルを背負っていたからだ。

小学生ということは、まさかあいつらは俺のことを捨てた直後に彼を生んだのか。三人は彼の視線から消えかかっていた。許せない。許せない俺は三人の後を追った。

家までつけてみると俺が昔住んでいたのと同じぐらいの豪邸であった。昔は俺もこんな家に住んでいたのに・・・。

その時、彼は頭にある考えが浮かんだ。当然といえば当然のことではあるが、彼はその時まで気がつかなかった。いきなりのことだったため頭が混乱していたためであろう。あの少年は俺の弟にあたるのか・・・。

あの少年、いやあいつは俺の弟なのか。兄貴がこんなにも惨めな生活をしているのに、弟はあんなにも優雅な暮らしをしているのか。ふざけんなよ。あいつをどうにかしないことには俺の腹の虫が収まらない。だが待てよ、もしかして・・・。

彼の頭に浮かんだのはある事だった。あの子も俺と同じように疎まられているんじゃないだろうか。父さんも母さんも外では別人だったからな。もしかしたら、俺の弟も家の中では寂しい思いをしているのかもしれない。もし仮にそうだとしたら、弟を許してやろう。いやそればかりか俺が弟を家から救い出してあげた方がいいんじゃないだろうか。おっちゃんが昔俺にしてくれたように、俺が弟の世話をしてあげるべきなんだ。その前に彼が本当に俺と同じような境遇にいるのかどうか確かめなくてはならない。

さっそくその翌日、彼は作戦を実行した。学校が終わった後の帰宅途中を狙い、彼は少年に話しかけた。

「あのさ、いきなりこんな事いっても信じてくれないとは思うけど、俺は君の兄なんだよ。」

少年はきょとんとしていた。

「本当なんだ。まあいい。すぐには理解できないよな。それより、君お父さんとお母さんのことどう思ってる?」

数秒後、少年は答えた。

「どうって・・・。もちろんパパとママのこと大好きだよ。おじちゃんは何なの?早く帰らせてよ。パパにいいつけるよ。」

「本当なのか?本当に君のパパとママは君のことを大事にしてくれているのか?」

「当たり前だよ!」

少年ははっきりとこう答えた。明らかにいらだっているのが分かった。

「そうか・・・。なら確かめてみよう。」

彼は少年の腕を摑み、口をふさいだ。それから少し道を進み、ひと目のつかないところまで彼を連れて行った。

「怖い思いをさせてしまい、本当に申し訳ない。ある実験をしたいんだ。もしこの実験が終了すれば君は無事に家に帰れるよ。もちろん、もう二度と君の前に現れることはないから。」

「本当だね?二度とだよ。早く家に帰って塾の予習をしたいのに・・・。実験って何?」

「簡単なことさ。家に電話して大きな声で助けてって叫ぶんだ。そうだな、気持ちの悪いホームレスに誘拐されたとでも叫んでもらおうか。真剣に取り組んでね。実験が成功するかしないかは君にかかっているからさ。」

少年はわかったと小さく返事をすると、ランドセルから携帯電話を取りだし、電話をかけた。

「もしもし、ママ!僕だよ!助けて!気持ちの悪いホームレスに誘拐された。怖いよ、ママ・・・。怖いよ・・・。」

彼は少年に合図をし、携帯電話を受けとった。

「もしもしお母さんですか?気持ちの悪いホームレスです。誘拐させて頂きました。この子を無事に返して欲しければ、そうですね・・一億円頂けますか?期限は明日までで。」

彼はそう言い終えると電話を切ろうとしたその時、電話口から金切り声が聞こえてきた。

「待ってください!お願いします、一億円払わせて頂きますのでどうかその子を傷つけないでください。お願いします。徹は、その子は私たちにとって命より大事な一人息子なんです。」

「そうですか。徹君は大事な一人息子ですか・・・。ところで今お父さんはいらっしゃいますか。もしいるなら代わって頂きたいのですが。」

保留音が数秒鳴りひびいた後、彼は懐かしい声を耳にした。

「もしもし、徹の父です。お金は明日ではなく、今から払いに行きます。一億円じゃなくてもけっこうです。もっと多くお支払い致します。ですので、どうか、その子だけは助けてやって下さい!」

「そうですか、分かりましたよ、お父さん。ちなみにおいくらまで払って下さるのですか?」

「一億五千、いや二億円払わせて頂きます!ですので、どうかどうか」

最後まで言い終える前に途中で遮った。

「ですがお父さん、いいんですか。一億円ですよ一億円。この子のために本当にそんな大金を支払ってもいいんですね?」

「もちろんです!徹の命に比べたら一億円なんてゴミも同然です。ですので」

彼はまた遮り、最後にこう言った。

「そうか分かりましたよ、お父さん。徹君のお父さんとお母さんは本当に自分の子どものことを愛されているのですね。うらやましい限りです。いや、本当にうらやましい。僕も父さんと母さんに愛されたかったよ・・・。それじゃあ、元気でね。」

高田晃は電話を切った。

「徹君、実験は終わったよ。徹君の演技力のおかげだよ。それより、徹君は本当にパパとママから愛されているんだね。うらやましいよ。ごめんね、こんなに時間とらせちゃって。もう帰って良いよ。パパとママの言うことをきちんと聞くんだよ。じゃあね。」

少年は狐に包まれたような顔をして男に背を向けた。

徹、お前がうらやましいよ・・・。一言そう呟くと、高田晃は片手をポケットにいれ、高田徹の背中目がけて突っ込んでいった。


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