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子供部屋の物の怪  作者: 紫乃田 薫
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育児室の亡霊 ghosts in the nursery ~和義の場合~

 育児室の亡霊とは、児童虐待の経験を持つ子供が親になったとき、我が子に自分がいじめられていた頃の記憶を重ね合わせ、投影し、子供を虐待してしまいそうになることをさす。

 虐待の連鎖の原因ともいわれている。

「ただいまぁ」

 娘の元気な声が玄関から響いてくる。

「おかえり。外は寒かったでしょう」

 愛子を出迎えた妻の声がそれに続く。

 風邪で会社を休んだ日、寒さが厳しく初雪が降った。

 まもなく、妻にバスタオルで包まれた娘がリビングに入ってきた。

「おう。お帰り」

 俺が声をかけると、娘は嬉しそうに笑う。

「ただいま、お父さん」

 母親に髪の毛をふいてもらいながら、こちらにむかって小さく手を振ってきた。

 頷いてやると、嬉しそうに目を細める。

 普通の家族の風景、というやつなんだろう。

 雪が降れば母親が迎えに出て、冷えた子供をあたためてやるというのは、ごく普通の、当たり前の。


 ならば、どうして。


「和義さん、ホットミルク作ってくるから、愛子の髪を拭いてあげてくれる?」

 妻に渡されたタオルを片手に、娘を手招きすると、膝の上に飛び乗ってきた。髪を拭いてやると、心地よさそうに目を閉じる。娘の髪は毎日シャンプーリンスをしているのでサラサラだ。

 俺に似た柔らかい黒髪の間から見える、細い首。

力加減を間違えたらポキリと折れそうで、いつも緊張する。

 娘が妻からホットミルクを受け取って、にっこりと笑った。


 それを「いいなぁ」と思ってしまう。


 雪が降って、親に構われているのが羨ましい。

 自分が子供の頃、雪の中を家から閉め出されたことがある。

 父が単身赴任で海外出張に行ってからは、新しい服を買ってもらえなくなった。髪も洗ってもらえないし、お風呂どころか、ついには食事さえ抜かされた。

 なのに、娘は当たり前のように親に手をかけられている。

娘が着ているのは、この冬に買ったシャツと真っ白なセーター。寒くないように、みっともなくないように、そんな服を親に選んでもらって。

 いいなぁ、と羨ましくなってしまう。

 だが、手を掛けている親の半分は自分だ。

駅ナカでかわいらしい髪飾りが売っていれば即座に購入し、病気になれば寒くないように服を着込ませて車で医者までつれていき、食欲のない娘が唯一好むリンゴを買い込む。外出や外食は、娘が喜びそうな物といのが選択基準になっている。

 娘は可愛い。間違いなく、可愛い。自分で喜んでしていることなのに。

 あの頃の自分が「いいなぁ」と羨ましそうに見ている。やせっぽちのガキが、母親に抱きしめられている娘を卑屈に見上げている。

 いいなぁ、いいなぁと、現れる過去の亡霊にまとわりつかれている気がした。






「夢路千里を走るって言ってね、夢なら時も場所も関係なく会えることがあるのよ」

 夕食後のひととき、ソファーで妻と娘がおしゃべりをしているのをBGMに雑誌のパズルを解く。

 妻よ。夢路千里を走るって、それは夢路ゆめじじゃなく悪事あくじだろう。

 妻は娘が出した難問に、珍回答で答えている。そして、そのまま押し切った。

 朔旦冬至まで使って、夢でなら会えない人に自分が持つお菓子を食べてもらえるって、どんな理屈だ。

 妻は自信たっぷり、どや顔で、娘をだまくらかしている。

 無茶を言っているなぁ。奇跡は起こらないから、奇跡なんだ。

 もし奇跡が起こるなら、子供の頃にネグレクトで死にかけることはなかっただろうと、妻になる前の彼女に語ったことがある。彼女は、奇跡が起きたから生き残ったんじゃないのと、強い目で断言した。

 妻は俺と同じ事実を見て、違う真実を見つけ出す。

 そこが俺とは異なり、それゆえにひかれた。

 妻の言葉で、明るい路を見つけ出す。

それは娘に対しても同じだった。

この数日、なにやら落ち込んでいたようだが、妻の言葉で目に光が戻る。

 俺の奥さんは、明るい未来を見つけるのが上手だ。

 虐待の連鎖。虐待されて育った子供の二割は自分の子を虐待してしまうと言えば、八割はしないのなら勝率は高いから安心ねとうなずく。

 朔旦冬至。一年で最も昼が短く、月の無い夜だというのに、明日から日が延び、月が成長する日だから、縁起がいいわと、彼女は明るい方向に目を向ける。

 おもしろい奥さんだなぁと、本を読みながら小声でつぶやく。

 



 夜中に目が覚め、水を飲むためにベッドを出る。今日が朔旦冬至だと思い出して、台所の窓から夜空を見上げる。

 一年で一番長い夜に月はなく、星だけが空にある。

 少しだけテンションが上がった。

 俺は月の光よりも星の方が好きだ。とても気に入っているのだが、その理由は分からない。理由が元から無いのか、その理由を忘れてしまったのか。

 娘が産まれてから気づいたのだが、俺の記憶にはいくつかの抜けがある。特に虐待されていた頃が酷く、読書家の嫁曰く、それは自己防衛のためだそうだ。

 その忘れてしまいたかった思い出が、娘の存在に刺激され、徐々に這い出してくる。あの亡霊も這い出してきたモノの一つだろうか。

 そんなことをつらつらとと考えながら、夜空を見上げていたら、子供部屋から泣き声が響いてきた。

「愛子っ!」

 悪い夢でも見ているのか、目を閉じたまま、誰か助けてと叫んでいる。

 何かに怯え、お父さんと、俺を呼んだ。

「大丈夫だ。お父さんはここにいるから」

 条件反射で娘を抱きしめると、腕の中で彼女はゆっくり目を開けた。

 悪夢に暴れたのか、布団が酷い有様になっていた。上掛は落ちているのは分かるが、潰れたおにぎりや、お煎餅、散乱したきらきらした包みのチョコレートとは、どういうことだ。夕飯はしっかり食べていただろうに。

 娘は父親だと確認すると、俺にすがって、泣き出した。

「どうした、怖い夢でも見たのか?」

 寝乱れた髪を手櫛で整えてやる。

「あの子にチョコをあげたかったのに」

 話が通じない。

 まだ半分寝ぼけているのか、俺のパジャマを強く握り、訴えてくる。

「あの子? それって誰?」

 夢の話をしているのか?

「男の子。冷蔵庫の前で、バターをかじっていたの。チョコをあげたかったの」

 夢、なのか?

 冷蔵庫の前でバターを囓っていたのは・・・・・・。

 この話は誰にもしていないはずなのだが。

「あたし、その子の前でいっぱい食べちゃっていたから」

 それはない。俺の子供時代、娘は産まれていなかった。

 理解の範囲を超え、うろうろと視線をさまよわせ、ベッドの上のチョコに目を止める。

 おばけ、かぼちゃ、ろうそくの形に混ざって、星の形のチョコレートがある。

 俺はそれを手に取った。

「これをあげたのか?」

 思い出した。

このチョコは自分が星を好きになった理由だ。

「あげたかったの。でも、目を覚ましてくれなかった。あの子、あのままじゃ、きっと」

 あの時、いよいよ死にかけていた。

 喉が渇いて、お腹がすいて、どうしようもなくなったのに、ふと気づくと唇が濡れていた。

 わずかな水気に目を覚まして、それから。

「大丈夫だよ。その男の子は目を覚まして、お茶を飲んで、チョコを食べた。だから、大丈夫」

 泣き続ける娘の頭をなでながら、蘇った記憶を追いかける。

もう部屋にはひとかけらの食べ物も無かったはずなのに、なぜだかお茶とチョコがあった。

「だって、あんな暗い部屋で、あんな冷たい部屋で、」

「助けが来たから、大丈夫」

 声など出せなかったはずなのに、助けを求める声がしたと、おまわりさんがドアを開けた。

「だから、大丈夫なんだよ。心配しないでいい。本当に大丈夫だから」

 虐待の事実が明らかとなり、両親は離婚し、父に引き取られた。

「・・・・・・本当に?」

 涙に濡れた目で、娘が見上げてくる。

 誰が、何が、死にそうな自分に娘を寄越してくれたかは分からないが。

 けれど、あのチョコのおかげで生きのびて、

「家族と一緒に幸せにくらしているから大丈夫だよ」

 今、腕の中に娘がいる。




 奇跡が起きたから生き残ったという妻の言葉は正しかったようだ。

 朔旦冬至は、未来から奇跡が舞い降りていた。


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