アツカンとユドウフ
春先の夜風は冷たく、なまじ日中が暖かいだけに、余計に肌寒く感じられる。
屋台に男が三人。
屋台の主とオーガスタ、そしてオーガスタが所属する魔導結社ドボンの当主ガルガザッハである。
「ここの主は君と同郷でね」
焜炉の火を眺めながら、ガルガザッハはオーガスタと燗酒を飲んでいる。つまみは、ない。鍋物の準備が整うまで、さほど時間がかからないからだ。
「へい、お待ちです」
主は、湯が張られた鍋から昆布を引き上げ、代わりに二丁の豆腐を入れて、沸き立つかどうかといったところで二人の前に出した。
鍋には豆腐以外、何も入っていない。
「湯豆腐、ですか」
鍋を前に、オーガスタの目が輝いた。白い湯気と共に、懐かしき故郷の香りが広がっていく。
「本業は豆腐屋、ということだ」
「それは……」
「たれ、もありやすんで、お好みでどうぞ」
亭主はそれだけ言うと、屋台の奥の椅子に腰かけて煙管をふかし始めた。本日最後の湯豆腐なのだ。
「まずは、初勝利おめでとう」
木製のお玉で豆腐を取り崩し、椀に移しながらガルガザッハが祝いの弁を述べた。
「ありがとうございます」
オーガスタも、自分の分をよそう。二人の目は鍋に注がれており、視線は豆腐で交わっている。
「ううむ、これは……」
白く艶めく豆腐を味わいながら、オーガスタは相好を崩した。
口の中で朧に溶けていく豆腐。
まず、水が良い。甘く、するりとしたのど越しがある。
それに昆布も素晴らしい。肉厚の昆布を惜しみなく使い、煮すぎて苦みが出る寸前を見切って、さっと引き上げている。故郷から遠く離れていても、この昆布はまるで変わらぬ働きをしている。
なにより、豆腐が旨い。良い水に恵まれ、蒸し、つぶし、絞りに手抜かりがないことがよく分かる。良い水と昆布だしを吸い、豆腐の味に深みと滋味とが加わっている。
湯豆腐一品で十分に満足できる。これ以上何も加える必要はないだろう。
「ほれ」
「や、これは」
猪口に熱燗が注がれる。
はてさて、湯豆腐と熱燗の組み合わせには、なかなかどうして魔性の引力がある。お互いがお互いを引き寄せあっている。
湯豆腐に加えるものが一つだけあった。良い酒である。
「明日からの十連戦、まぁよろしく頼むよ」
一杯、二杯と酒が進み、ガルガザッハの顔にも赤みが差してきた。
「は……」
元から赤いオーガスタの顔は、色としてはなんら変化がない様に見えるが、表情は浮き立っているように見えた。
「むこうさんは上手いこと嵌ってくれたし、面子もあるだろう。それでも、ロッシュよか手ごわいのが来ると思って、まず間違いはないだろうね」
「ロッシュ殿は、随分と基本に忠実ではありましたな」
「そりゃ、ね。ノリもよかったろう。パフォーマンスもいい。あれで結構な歳なんだぜ」
「そうなんですか。いや、実際かなり助けられました」
「クールキャラで売っていこうと思ったが、口下手と思われてもいけない。これからもうちょっとさじ加減を考えていかんとなぁ」
「やはり、そうなりますか」
「そうだね。お足を頂くことでもあるからね」
「……」
オーガスタは椀の豆腐を口の中に一切れ放り込み、追って猪口一杯の酒を一息に飲み干した。
「ふぅ……、次の相手は、誰でしょうね」
「さて、明日の昼には分かるだろう。こちらとしては、誰が来てもよいような舞台を整えて待つだけさ」
「それは、そうでしょうが」
ぐいぐいと、酒が進む。
「不安かね?」
「不安ですね」
「そう、まじめに考えるほどのことでもないよ。なるようになるさ」
からからと、ガルガザッハは笑う。
「ふぅ」
その笑いを見て、オーガスタはとりあえず目の前の豆腐と酒に集中することにした。