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7 ……飛ぶ?

 さすがにぼろぼろになった服で再び出かける気にはなれず、わたしはヴェイドさんから服を借りることになった。

 でもわたしと彼とでは、明らかに体格が違っている。

 いくらヴェイドさんが男性としては痩身でも、わたしはかなり小柄だった。必然的に彼の服は全てサイズが合わないので……苦肉の策として渡されたのが、彼いわく“魔術師用のローブ”というものだった。


「……ぶかぶかね」


 部屋の姿見を眺めながら、わたしはぽつりと呟いた。

 白っぽい布地の服はフードのついた貫頭衣のような作りをしていたが、やっぱりというか当然というか、裾をかなり引きずってしまう。まるで不格好なてるてる坊主か、お化けのようだった。フードを被ってしまえば、姿見に映りこんだ姿はますますそう見える。

「お嬢さん、着替えは終わりましたか?」と、ふいに部屋の外から声がかかる。

「たぶん……」

 これは終わったと言ってもいいのだろうか。

 でもこれ以上どうしようもない気がする。わたしは、肩からずり落ちかけた襟もとを両手で手繰りよせ、ヴェイドさんを部屋のなかへと招き入れた。

 部屋に入るなり、彼はわたしを見て固まった。それからなぜか慌てた様子で口もとに手を当てて、

「――ぶはっ」

 わかりやすく吹き出してくれた。

 咳をするように何とか誤魔化そうという努力はしてくれたが、バレバレだ。他人からそういう反応を見せられると、わりとショックだった。

「ちょっと、ヴェイドさん。わたしは女の子なんだからあなたのローブが合うわけ無いんだから!」

「いや、さすがに僕もサイズが合うとは端から思ってなかったんですけど、これは……」

 まだ笑いがこみあげるのか、ヴェイドさんは顔を不自然にひくつかせながら、こちらのほうへとやって来た。真正面から彼を見あげてやると、彼はまた大急ぎで口もとを隠した。間近で見て、さらに我慢できなくなったらしい。

 わたしは恨みがましい目で彼を見た。

「あなた笑わない人かと思ったのに」

「……ぼ、僕もここまで笑ったのは久々です」

 まさか一度は冷たい雰囲気だと思った人が、ここまで笑いのツボに嵌まるとは思わなかった。彼はわたしの顔をあまり見ないように目を逸らしながら、わたしの余りに余った襟もとを見やった。

「このままじゃ歩けないな」

 じゃあどうするのかと思ったわたしだが、彼はしばらく考え込んだ後、自分の袖のカフスボタンを外しだした。

「それをどうするの?」

「こうするんです」

 ヴェイドさんはそう言って、カフスボタンを迷いなく襟もとの布地に押し当てた。結構高そうな布地だと思うのに、彼はそこに景気よく穴をあけてローブがずり下がらないように留めてくれた。

「これで妥協点でしょう」

 彼は満足そうだったが、なんだかもったいないと思うわたしだった。これでは彼は二度と、このローブが着られないだろう。

「魔術で小さくはできなかったの?」

 思わず訊ねたわたしに彼は苦笑した。先ほど思い切り笑ったせいなのか、彼は昨日よりも表情豊かだ。

「そういうことは無理です。魔術は奇跡の力ではありませんからね、お嬢さん」

「そうなの」

 魔術って以外と不便なものなのね。

 怪我は治せるのに、服のサイズは変えられないっていう理屈は分からないが、魔術師の彼がそう言うのなら間違いないのだろう。

 わたしは晴れて両手が自由になった身で、後ろのほうへと振り返った。そこには先ほどまで着ていたボロボロのワンピースが脱ぎ捨ててある。初めて袖を通したころの昔の真新しさは、見る影もない。

「……ねえ、お嬢さんって呼ぶのやめにしない?」

 ぽつりと言ったわたしの言葉に、彼が少し顔をあげた。

「わたし、そういう扱いされるの慣れてないの。そんなの、わたしが着てた服を見ればわかるでしょう? お嬢さんなんて気取って呼ばれるような人間じゃないの」

 あんなに薄い粗末な布地で、土に汚れてしまっていて。

 彼のローブを着てしまった今、その落差はとても分かりやすい。気落ちするわたしを見て、ヴェイドさんはどこか困ったような顔をしていた。

「でも、僕にしてみれば君は可愛らしい女の子です」

「それはそうかもしれないけど……でも嫌なの。こう、歯がゆくて」

 物語の姫君を気取るほどには、わたしはもう幼くはない。自分が置かれた立場というものも、現実で生きる辛さというのも分かってしまった。

「では、なんて呼べばいいですか」

「フィオナでいいわ。敬称も丁寧な言葉もなにもいらない。それに、わたしあなたよりも年下だもの」

「ああ」

 なにがおかしかったのか、彼はまた楽しそうに笑った。

 細められた瞳に、わたしは一瞬だけ目を奪われる。笑った顔のほうが、無表情でいるよりもとてもきれいなことにわたしは気づいた。

「そうだね、それは間違いない。君は明らかに僕より年下だろうね。じゃあフィオナ、僕のことも好きに呼んでくれて構いません」

「……わかったわ」

 うなずき返しながら、わたしは思っていた。

 昨日は近寄りがたいと思った人だけど――…

 ぎこちなく微笑む彼が、少しだけ身近に思えたのはたぶん、気のせいでは無いのだろうと。




 それから通されたのは、ヴェイドさんいわく彼の『書斎』だった。

 いや、でもこれっていったい……書斎、書斎なのよね?

 つんと鼻につくのは埃っぽいにおいだった。わたしは言うべき言葉が見つからず、部屋の入り口で呆然と立ちつくしていた。

 視界に入るのは、そこかしこから生える本の塔。そして床に散乱する、何かを書きなぐった羊皮紙だとか、よくわからない金属片のような物体だとか。その陰に隠れるようにして――そう、隠れるようにだ――書斎机や本棚が埋もれていた。

 はっきり言うと、その部屋は汚かった。

 やっぱりと表現したほうが正しかっただろうか。期待を裏切らない散らかりぶりである。

 他の部屋に負けずおとらずの、まるで物取りが押し入ったあとのような光景に、わたしはおずおずと隣に立つ魔術師の青年を見あげた。彼はわたしの視線に不思議そうに首をかしげた。

「どうしたの。さあ、入って」

 入ってと言われても。

 わたしはその場から動けなかった。目の前の光景に怖気づいたのもあったのだが、それよりもどうしてここに入れと言われたのかが気になっていたのだ。

「あの、これから出かけるのよね? なんで玄関じゃなくて書斎なの」

「それは、ここから飛ぶからです」

 ヴェイドさんはそう言って、慣れた様子で部屋のなかへと入っていった。

「……飛ぶ?」

 わたしはその後ろ姿を見て、目を瞬いた。

 いったいここから、なにがどうなって『飛ぶ』というのだろう。相変わらず魔術というものの理屈は分からないが、彼が相当変わった人ということだけは分かった。

 だが郷に入っては郷に従えと言う言葉がある。ひとまずは彼に従うしか無いのだった。

「お、お邪魔します」

 足の踏み場もないというのは、きっとこんな惨状のことを言うのだろう。

 わたしはしみじみと思いながら、そうっと部屋の中に足を踏み入れた。ひきずったローブの裾が引っかかったのか、前触れなく近くにあった本の搭がどさどさと崩れ落ち、わたしはびくりと身じろいだ。もうもうと立ち込めた埃に、顔が引きつる。

「うっ」

 ヴェイドさんってば、こんな状態の書斎を見てもなんとも思わないの?

 ちらりと見やった彼はあの淡々とした表情で、部屋の奥の半分埋もれた執務机に向かって、かがみこんでいるところだった。


 気にした様子がまったくない。


 なぜ気にならないのかと甚だ疑問ではあったが、わたしが昨日一晩使わせてもらった部屋は、それこそ奇跡の産物だったに違いない。あの部屋、少し埃くさかったのは気になったものの……ここや食堂と比べると、かなりの許容範囲だ。

 胸の内に複雑な思いを抱きながら、わたしは床に散乱したものを避けながら部屋の奥へと進んだ。

 するとすぐに、書斎机の横に見たこともない図形を見つけた。床にかがみこんでいると思ったヴェイドさんは、それに向かって白墨でなにかを書き足しているところだった。

 円のように描かれた図形は、わたしが両腕を広げたよりは少し小さい。

 その丸い外枠の中には、五芒星を中心にびっしりと線や模様が描かれていた。細かな模様はどこか文字のようにも見えたのだが、わたしには全く読みとれない。

 これはきっと、魔術師の文字だ。

 王国の公用語ではないのだと、それだけは分かった。

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