3 手が離れない?
非常に慌てた様子のわたしに、理解できないというようにヴェイドさんは眉をひそめた。あ、新しい表情だ……じゃなくって!
「ヴェイドさん、治癒術って痛みとかありましたっけ? 僕の目にも、なんだか彼女がすごく苦しそうに見えるんですが」
見かねたらしいバナードさんが彼に言った。その頃には、わたしは膝に襲い来る謎の熱さにもがいている最中だった。熱いっ、熱いっ!
「変ですね、そんなはずは――」
ヴェイドさんはなにか気づいた様子で目を見張った。
熱い熱い熱いっ。
「僕の魔力を取り込んでいる……? まさか、いったいなぜ……」
ヴェイドさんは困惑の表情で、かざしていた手を引いた。
鋭い光や熱さはそれで収まったが、代わりに不思議なことが起きてしまった。
「へっ?」
まるで追いかけるようにわたしの手が勝手に動いて――ヴェイドさんの手を握ったのだ。
中腰になったヴェイドさんを、まるで引き留めるように立ち上がった姿勢のわたし。
その場を流れる、気まずい沈黙。
「……離していただいても、よろしいですか?」
「あ、は、はいぃ!」
わたしは顔が熱くなるのを感じながら、あわてて握る手を離そうとした。――が、あまり気づきたくなかった違和感に気づいて固まった。
「お嬢さん?」
ああ、どうしてこんなことに。
眉をひそめるきれいな顔を前にしながら、わたしは絶望のふちに立たされていた。彼はわたしの言葉を待っているようだった。
ここはやっぱり、言わなきゃ駄目?
「すいません、なんだか」
意を決して、わたしは強ばった声で事実を告げた。
「手が、離れません……」
◇
「あの、怒ってますか……?」
わたしはおずおずと、すぐ隣を見あげた。そこには前を向いたままのヴェイドさんが居る。
あまりの怯えっぷりに嫌な顔をされるかと思ったが、彼はなんら気にした様子もみせず「どうして?」と、視線を動かさず問い返した。
どうしてって……。
わたしは困惑する羽目になった。どうしてもなにも、ヴェイドさんあまりにも無表情なんだもの。
彼は先ほどから全くと言っていいほど表情を動かそうとしなかった。これを怒っていると言わずして、なんと言うのだろう。わたしは額にだらだらと冷や汗をかいていた。
顔を前に向けると、ぼんやりとした灯りに浮かぶ石畳が続いている。
いまわたし達は街道を歩いているところだった。しかも傍目から見れば仲良く手を繋いで、だ。
あれ以降、どうやっても手が離れなかったのだ。
バナードさんを含めた三人で色々試した末に、ヴェイドさんが諦めたようにこう言った。
『仕方がない、今日のところは僕の屋敷においでなさい』
なんだか申し訳がなさすぎた。
本来であれば、わたしは中央局の保護施設に置いてもらうはずだったのだから。
「ごめんなさい、本当は嫌でしたよね。こんな汚い娘と一緒だなんて」
だからどうしても、自嘲するような気持ちになる。
わたしはドロドロに汚れきった膝丈の服を見おろした。膝の傷はなおったが、服にこびりついた土汚れや血の跡はそのままだ。
とぼとぼと歩き続けながらわたしが石畳を三十枚ほど数えたところで、ようやく彼が口を開いた。
「申し訳ありません、お嬢さん」
「えっと、なにがですか?」
まさか謝られるとは思わず、わたしは慌てて彼を見あげた。ヴェイドさんの色のない瞳がこちらを見ていた。
「見知らぬ者と手を繋ぐのは辛いでしょう。こうなった原因はわかりませんが、安易に魔術を使った僕の落ち度です。きみこそ気分を害してもいいんですよ」
「そんなこと、ないです……」
淡々と告げられた言葉に、わたしは赤面しながら顔を伏せた。
気分を害するだなんてとんでもない。むしろあなたの不思議な気配が心地いいというか、なんというか。でも、そんな恥も外聞もないことは到底言えるはずもなかった。
それが恐がっている態度だと受け取ったのかは知らないが、ヴェイドさんはこう続けた。
「無理しなくてもいいんですよ。それに、僕のことも恐いはずだ」
「え、恐い?」
わたしは思わず目を瞬いた。
もしかして『魔術師だったのか』と先ほど訊ねたときのことを言っているのだろうか。そんなに怯えた顔、してたかしら?
そう思うと、わたしは途端ばつが悪くなった。
「あの、もしかしてさっき……嫌そうな顔してたならごめんなさい。魔術師なのかって、そういう意味で言ったんじゃないの……その、魔術師にあんまりいい思い出がなくって」
そんなつもりはなかったと、わたしは関を切ったようにまくしたてた。色々と言い訳のような言葉を並べたあと、わたしはつと彼を仰いだ。
「でも、ヴェイドさんは好きよ。こんなに優しいもの」
気配がね。
「……それになんだか落ち着くし」
気配がね。
最後のほうは照れてしまって、ほとんど呟き声になってしまった。ちょっとわたし、いったいどれだけ彼の気配が好きなのだ。
思わず自分に突っ込みを入れていると、隣のヴェイドさんが小さく身じろぐのが分かった。
そして、「……念のため聞くけど」と、彼は前置きした。
「なんですか?」
「きみは人なの?」
「へっ!?」
突拍子もない言葉に、わたしはその場に飛びあがった。いったいなんてことを聞くのだ。
「人です! 人間です!!」
「では、これまでに虚弱体質と言われたことは?」
「あ、ありませんけど……たぶん」
自慢じゃないけど、わたしはほとんど風邪をひいたことがない。虚弱体質というのはありえないだろう。
わたしの答えに納得いかないのか、ヴェイドさんは少し考えこんだように見えた。
「おかしい。きみは実に不可解な存在だ……」
「ど、どうしてそう思うんですか?」
なかなか失礼な発言に、わたしはややふて腐れる。乙女に対してなんという発言だ。そりゃきれいなヴェイドさんにしてみれば、地味なわたしは不可解な存在そのものに違いないのだろうけれど。
そして彼は続けた。
「こうして手を繋いでわかったんだけど、きみは魂が半分しかないんです」
「ええ!?」
今度ばかりは驚きで言葉が出なくなる。
「よく西区まで走ってこれたと思います。その容姿に、そして魂が半分だけ……きみは生き物として非常に変わった存在です」
「わ、わたしの容姿は関係ないじゃない」
わたし、美人ではないけど、ふた目と見れない姿じゃないもの!
「いや、充分関係すると思います」
「え?」
思ったよりも真剣な声に、わたしは思わず立ち止まる。
彼が空いているほうの手でわたしの髪にそっと触れた。さらりと流れる、闇色の髪。
「黒髪は魔力が強く流れる証なんです。だがそれ故に、黒髪を持つ者は昔から悪魔の使いだと誤解されてきた……」
「それってもしかして、あの警備隊の人達が言ってたのって……」
ヴェイドさんの言葉を聞いて、わたしは驚きに目を見ひらいた。
――悪魔の子だ。
どうしてあんなことを言われたのか、分かってしまった。
茫然としたわたしに、ヴェイドさんは小さくうなずいた。
「西区の警備隊は市井の者が大半を占めるので、その誤解を迷信的に信じていてもおかしくありません。きみのほうも黒髪については知らなかったんですか?」
「知らなかったわ」
わたしはかぶりを振った。そんなこと教えてもらったこともない。
黒髪は悪魔の使い。
それが迷信的なことだというのなら、人と関わらないわたしが知りえる機会は無かった。
「きみは、ご両親によほど大切に育てられたようですね」
わたしは返す言葉が見つからずに黙るしかなかった。
お母さん……。
自分が残してきたものを想うと、胸が傷んだ。