25 さて、追いこみだ
黒い魔術師が残した魔力の痕跡は、地下水路のさらに奥へと続いていた。
わたしはそれを辿るヴェイドさんの後ろを追いかけていく。薄暗くぶきみにも思える水路を通り過ぎ、やがてわたし達たちは立ち止まった。
「……ここまでしか行けないわ」
そして立ち往生することになった。
地下水路がここで終わっていたのだ。目の前には壁が立ちはだかる。思わず後ろに振りかえってみるが、もと来た長い長い通路が闇をのばしているだけだった。
「おかしいな、ぼくがずっと追っていた魔力はこの向こう側に移動してる」
「え、そうなの?」
ようやく壁から顔を離すと、隣ではその感触を確かめるように、軽く壁面をたたいているヴェイドさんが居た。どうせぶち破ろうとでも考えているに違いない。
だが、残念なことに腐っても水路だった。
ある程度の岩が積みあげられてできた壁は、もともとは水が流れていた場所というだけあって、すこしの隙間も見あたらない。
でもそうなると不思議だ。ここからどうやって、伯爵たちは逃げたのだろう?
それともわたし達はただ、彼らの罠に引っかかっただけなんだろうか。
こうしている間にも時間はどんどん過ぎていって、母親の体力は消耗していくに違いない。だって、最後に見た彼女はあんなにも弱っていた。
どうしよう。どうしたらいい?
考えこむわたしの頭の上にふと影がさした。
ぽん。
「……ちょっと」
重いんですけど。
ヴェイドさんがわたしの頭に遠慮なく手を置いていた。
この人、わたしの頭を手台かなにかと勘違いしてない? わりとイラッとしたわたしは、隣の魔術師を睨みつけた。だけど当の彼はというと、どこふく風という顔で上空を見あげている真っ最中だ。
「上をみてごらん、フィオナ」
「え?」
彼にならって上に視線を向けると……なるほど、はるか上のほうに丸く闇が途切れていた。地下水路の陰鬱とした漆黒の闇とは、また色味の違う何かがある。
「何か、というよりもあれは外じゃないのかな」
「そういわれるとそうかも」
言われてみれば確かに。
「でもどこに繋がってるんだと思う? それにあんなに高いんだし……普通に出られる場所でも、まずここから出られそうにないわね」
「だいじょうぶ、その辺はぼくに任せて」
しょんぼりしたわたしをよそに、楽観的にそう言い放ったヴェイドさんは、なにをするのかと思いきや。
「えっ、ちょっと」
――またしても、わたしを小脇に抱えた。
「あなたまた!?」
「よしじゃあ行くか」
じゃあ行くか、じゃないッ!
またしても彼に腰をつかまれる形になり、ぶらんと情けなくぶらさがる。体の小さいわたしは、彼の腕にちょうどすっぽり収まる大きさとはいえ、こう何回も荷物扱いされるのはたまらない。
「さっきといい、いまといい……成人前の乙女になんてことするの!」
「乙女ってガラかい。さんざんお転婆なことしといて、今さらじゃないのか?」
「なっ……お、覚えてなさい、後で絶対その言葉後悔してわふっ!?」
「ほらほら危ないから口は閉じて。舌を噛むよ」
舌を噛む?
ヴェイドさんに口をおさえられて、わたしは目を丸くした。そして彼の言葉に嫌な予感がよぎった瞬間、目の前の景色が一変した。
だって一度瞬きをする間に、いきなり空に、浮いていただなんて。
いったい誰が信じられる?
「――――――ッ!?」
ヴェイドさんが口をしっかり押さえているせいで、わたしは悲鳴もあげられなかった。
それを見越してのことだったのかは知らないが、彼は「こら静かにしていなさい」と小さく叱咤しながら、当然のように“何もない空間”に足をかけて地面のうえにとさりと着地した。一方わたしはというと、彼のような余裕なんてなく、今にも飛び出てきそうな自分の心臓と戦っている。
ようやく脈が落ち着いたころに彼は言った。
「もう口から手、離してもいいかな?」
「――ッ、―ッ!」
こくこく、と必死にうなずいたわたしを見おろして彼は苦笑した。
「目をつぶってても良かったんだよ」
「――…そんな時間もくれなかったくせに、よく言うわよ……」
すっかり脱力したわたしはその場に座りこんで、恨みがましく彼を見あげる。宙に浮くというのはある意味、魔術師らしい気もするけど、いきなりはやめて欲しい。
「どうしたのフィオナ。なんでいきなり変な顔をするの?」
「……わたし、本当にお荷物なんだわ」
「ん?」
わたしはぽつりと言った。
「だってさっきからわたし、何もしてない。全部あなたがやっちゃってる。なのにわたし、あなたが全部どうにかしてくれるって思ってるのよ」
「フィオナ」
そっと名前を呼ばれた。
温かくて落ち着く声音だ。
今からほんの少し前、クレマン伯爵に名前を呼ばれたときとは全然違う。ヴェイドさんが呼ぶわたしの名前はこんなに優しく聞こえるんだと思うと、胸の奥がぎゅっとなる。
そして彼は続けた。
「言うと怒るだろうと思ってたけど、さっきから実はね」
「うん」
「君の魔力、勝手に使ってるんだ」
「……はあ?」
わたしは思いきり顔をしかめた。
「さっきから実はって、いつからなのよ。まさかさっき空を跳んだのって」
「それももちろんだけど、灯りをともしたり君の体を空気みたいに軽くしたり、あと暗闇に目を慣らしたりとか色々」
「……はあッ!?」
ちょっとあなた、だからさっきから平然としてるわけ?
通りでわたしに不必要に触れてくるわけよね。思わぬ真実を耳にかっとなっているわたしを見て、ヴェイドさんは笑っていた。
あんなに冷たい雰囲気だと思っていた人が、何か楽しそうに笑っている。
いい傾向なんじゃないかと思うけど、それにしてもすっごいむかつく!
「まさか決戦前に自分の体力を使うわけがない。それに君が思ってるよりも、ぼくは心臓に毛が生えたような男じゃないし」
「馬鹿、この馬鹿!」
「ちょっと殴らないでくれよ」
うるさい!
こうしてわたし達が喧嘩しつつ抜けた先は、やはり外へと繋がっていた。
夜の静寂がわたしたちを包みこんで、闇に沈む木々がかすかな風にざわめいている。
空には丸く大きな月がのぼっていたが、長いこと暗い場所にいたせいか、わたしは月明かりですら眩しいと感じて目を細めた。
そしてすぐに、広がる景色に見おぼえがあることに気づいて、わたしは困惑する。
「ねえここって……もしかしなくても、わたしの家の近くだわ」
「家の近くというと?」
「王都の東門を出たところにある森、って言ったらわかる? もうちょっと向こうに行くと、たぶんわたしの家があるんだけど」
ふと出てきた場所を振りかえってみると、下水路の出口は、見ためは干からびた井戸のようになっていた。はるか上に外が見えたのは、このせいだったのかと納得する。先ほどまでのわたし達は、この井戸の底の部分にいたのだろう。
というかわたし、以前ここを何度か通ったことがある。ただの壊れた井戸だと思っていたし、まさか王都内に繋がっていたとは思ってもみなかった。
「……で、やつらは森に入ったな」
ヴェイドさんは目前に広がる深い森のほうを見やった。
「このまま逃げ切る算段でも立てていたんだろう」
地図上では、王都リースブルームの東側には海があり、この森を抜けるとすぐさま港にたどり着く。クレマン伯爵たちがわざわざあの地下水路を抜けてきたのは、人しれず海路に逃げるためだったのだ。
でも森を抜けようだなんて馬鹿げてる。
まともに通りぬけようとすると、きっと何日もかかる。それに切り立つ崖なんかもあって、かなり危険な森だ。
いまは森を迂回するロンジャ街道というのが旅路の主流で、普通の旅人であればこんな場所には足も踏み入れない。将来的にはこの森を開拓しようという動きがあるみたいだけど、いまはただ、奥深い森がそこに両翼を広げるだけだった。
「あちらさんも馬鹿だな。地下水路じゃさすがに不味いかと思っていたけど、こう広い場所に出るとはしくじったものだね」
それはそうね、とわたしも思う。
地下水路はとても狭く、手もとがまともに見えないほど暗かった。うっかり魔術なんてものを使うと崩落の危険がありすぎて、ヴェイドさんと言えどうかつに手出しも出来なかったことだろう。
だけど、森となれば事情が違う。
そして幸いなことに今は夜。人ひとり見あたらない場所が舞台なのだ、他人を巻き込むという心配もない。彼に魔術を使わせる機会を、伯爵たち自らが作りだしたも同然だ。
伯爵たちは追っ手がつくことは予想できても、その相手が突拍子もない、むちゃくちゃな魔術師だとまでは予測できなかったのだろう。だって空を跳んだし。
そう思うと、ちょっと気の毒な気持ちになる。彼らは深い地下水路を越えたところで、いくらか気が抜けているのか。
「さて、追いこみだ」
たのしげに笑う魔術師の瞳に、うっすらと淡い光が走る。
森のなかは、言ってみればわたしの庭のようなものだった。
一度見たものを、わたしは忘れない。森では決して迷うことがなかったわたしは、ここにきてようやく彼の役に立てる機会を得ていた。
「ヴェイドさん、このまま真っ直ぐいくと川があるの」
「え、川? ちょっと待ってくれよフィオナ」
「もう、だらしないわね。地下水路を歩くより全然前が見えるじゃない?」
「でも、足もとに木の根っこなんてものはなかったけどね――おっと」
彼は引っかかりそうになった木の根を避け、すこし大勢がふらつく。その手を引いているのはわたしだった。今度はわたしがヴェイドさんを案内する番だった。
どこになにがあるのか、わたしには大抵わかる。
普通だったら明かりが必要なこの場所も、月明かりさえあれば前に進むことができた。ヴェイドさんは少し歩きにくそうにしていたけど、夜の森で明かりをともすと向こうに居場所を知らせる危険もあったので、わたしの意見には反対しなかった。
久しぶりに見る森に、感慨にふける間もなくわたしは足早に進みながら言った。
「ヴェイドさん、川の手前で、わたし達きっと追いつくと思う」
「なぜ?」
「お母さんは体が弱いから、伯爵たちもそこで休憩しなきゃいけないはずよ」
この先にあるのは、これまで何回も水を汲みに通った川だ。
「そううまく行くかな……」と、やや難しい顔の彼だったが、わたしは「絶対よ」と言い切った。
「お母さんはね、昔からこまめに水を飲まないと気をうしなっちゃうの。魔術を使うと、魔力痕を残すんでしょう? だったら港につくまでは、伯爵たちはなるべくお母さんを自分で歩かせたいはずよ。魔術を使わない方向で考えるはずだわ」
水を定期的に飲まないと生きていけない、わたしの母親。
いま冷静になってみると、普通の人間はそんなことで倒れたりしない。母親の血こそがわたしの精霊の部分を作っていたのだろうと分かり、小さく衝撃を受けるわたしと、すんなりとそれを受け入れるわたしが混在する。
だから隠れるように暮らしていた。
ずっと胸に抱いていた疑問の答えが、いまここにきて。
どうしてもっと早く話してくれなかったのだろう。
一緒に悩むわけにはいかなかったんだろうか?
母親はわたしを見て、毎日なんて思っていたんだろう。どうして人との間に子ども(わたし)を持ってしまったの?
彼女に聞きたいことがたくさんあった。でもそれ以上に、いまはその身が心配だった。
「落ち着きなさい、フィオナ」
知らないうちに先を急いでいたわたしに、ヴェイドさんは静かに言った。
「きみの母君はおそらく、きみと同じぐらいには魔力が強い。そう簡単にはどうこうされないはずだ」
そうかもしれない。
わたしが半精霊だというのなら、彼女はれっきとした精霊だ。そう言って、彼がわたしを安心させようとしているのは分かるけど、納得するわけにはいかなかった。
だって、彼女はわたしの唯一の家族なのだ。




