20 師の指輪
夢も見なかった。
時がぷつりと途切れるように、わたしは気がつけばフロディス邸に逆もどりしていた。頭の上では羽ペンや古びた羊皮紙、得体のしれない液体の瓶がふよふよと浮かんでいて、ここが何処なのかわたしはすぐにわかった。
わたしは浮かぶ彼らの下で、長椅子に横たえられていた。
「ようやく起きたか」
「ヴェイドさん?」
すぐそばで不機嫌そうな魔術師の声がして、わたしはその場に起きあがった。
本当に彼はすぐ隣にいた。小さな円卓に置いた羊皮紙の切れっぱしに、行儀わるく片手でなにかを書きこんでいる。数字や文字、そしてわたしが見たことのない記号の羅列は、どうやら式のようだった。
魔術というのは計算式。
なるほど、彼が書きこみを続ける紙の中央に、治安管理局でみた魔導具の設計図が描かれている。
ヴェイドさんはわたしには目もくれずに、羊皮紙に向かったまま冷たい声で言った。
「フィオナ。僕は魔術は使うなと言ったはずだ」
「魔術……?」
彼の言葉に、わたしは思わず首をかしげた。魔術なんていつ使ったかと思ったのだ。
絶対に使ってない、とわたしは思った。
昼間ヴェイドさんに言われてからは、ちゃんと彼の言いつけを守って魔術書は読まないでおいたし、勝手にそういう関係のものには手を出さないように気をつけていた。
だってあなた、すごい顔をしていたものね。
「使ってないわ、魔術なんて」
「いや、使ったね」
「いつ?」
「きみが倒れる前」
「倒れる前?」
わたしは記憶が途切れるまえの自分を思い浮かべた。ただ単に、ヴェイドさん達が魔導具を組み立てるのを見ながら、母親のことを思い出していただけだ。
でもそう言われてみると、倒れた……のだろうか。
急に眠くなった気はするけど。
「でもやっぱり魔術なんて使ってないわ。言いがかりよ」
「使ったんだよ」
ヴェイドさんは苛々とした様子で羊皮紙から目を離すと、横にいるわたしに向き直った。青紫のするどい瞳がわたしを突き刺すようにとらえる。
「フィオナ、きみは誰が何と言おうと間違いなく魔術を使った。昼間の事といい、きみって子は無茶苦茶だ! きみの前では魔術詠唱どころか、魔術構成の定理なんて、なんの意味も持たないんだろうね」
「ど、どうして怒ってるの?」
わたしが困惑気味に返すと、彼は「怒ってない!」と声を荒げた。
「この僕が怒るわけが無いだろう? 自慢じゃないが、僕は魔術師になってから一度も人を怒ったことなんてないんだ。だれも僕に肩を並べられないって分かってるからね、みんな僕より能力は下! だから怒るなんてのは時間の無駄だ。それなのにきみってやつは習ってもいない魔術を具現化させるし、“思い出してみた”だけで自分の母親だか誰だか知らない相手に精神転移を使うんだ。手順もなにもあったもんじゃない、めちゃくちゃだ!」
「ええと……ごめんなさい」
一気にまくしたてた彼を前に、理不尽な点はいくつか思い当たったが、わたしはそう言うしかなくなっていた。
でも、わたしの記憶だと、すでに泥人形の件であなた、一回怒っているはずなんだけど。そう思ったけれど、これ以上ヴェイドさんを刺激するとよくない結果になりそうなので、黙っておいた。
それから少しずつ話を聞いたところ、彼いわく、わたしは倒れる直前に“伝達術”という魔術の一種をつかったらしい。遠くにいる相手に、自分の意志を飛ばして伝える術のことだ。
いまだに機嫌の悪いヴェイドさんだったが、彼は、わたしがあやうく死にかけるところだったと話した。
「今のきみの体は半分が機能していない、言うなれば半分死んだ状態だ。なのに通信機も使わず伝達術なんていう、普通の魔術師ですら馬鹿みたいに魔力をつぎ込む術を使ったんだ。ねえ、フィオナ。僕が言いたいことわかる?」
「ええと……つまり、伝達術っていうのを使ったせいで、わたしの中の魔力量が空っぽになりかけたってことよね」
「そうだとも。わかってくれて嬉しいよ」
ヴェイドさんは苦虫をかみつぶしたような顔だった。
そして羽ペンを握っていないほうの、もう片方の手をこれ見よがしに掲げて見せた。
「その結果がこれだ」
わたしの手と、ヴェイドさんの手。
その手には水色の魔弦糸がからみついているが、ぴくりともしなかった。
「お蔭でよく分かったよ。きみは、魂のもう半分をどこかに落っことしてきた代わりに、こうやって僕の魔力を吸い取って生きている、そういう変わった生き物なんだって。ひょっとすると、もう二度と離れないんじゃないのか? なんなら警備隊にでも頼んで左右から思いっきり引っ張ってもらってみるかい。それでも駄目だった暁には、きみは一生、寄生植物みたいに僕と仲よく手をつないで暮らすんだ。素敵じゃないか」
「うっ……」
わたしは視線を泳がせた。返す言葉も見つからなかった。
そうなのだ、わたしは再びヴェイドさんと“手が離れない”現象におちいっていた。
わたしが無意識に伝達術を使ったあと、その場に倒れたわたしにヴェイドさんは慌てて近寄ったらしい。そしてカラッポ寸前のわたしが本能でつかんだ場所が、ヴェイドさんの手だったのだと。
もういちど“魔弦糸”でお互いの手を補強してみたものの、今度は全然うまくいかなかった。わたしって、そこら辺の接着液よりもよっぽど優秀だわ。悲しくなるぐらい。
わたしは打ちひしがれながら口を開いた。
「でも、こう考えてみるのはどうかしら。ヴェイドさんみたいに魔力の強いなにかに、わたしの手がくっつくんだって」
「逆に聞くけど、僕みたいに魔力の強いものって何だと思う?」
「う、うーん……うーん……」
伝説級の魔術師と同じぐらい、魔力が強いものってなんなのよ。それこそ全然思いつかないわ。
困り切ったわたしを見て、彼はうんざりとした顔で言った。
「冗談だよ。冗談……もう一度手を放す方法は、ひとつだけある」
「ええと、その方法って?」
「僕の魔導具をかしてあげよう。それを身に付ければ上手くいくかもしれない」
ヴェイドさんは、わたしを例の散らかり放題の書斎へと連れて行った。
片手で器用に本やガラクタの山をかき分ける彼は、一見すると手当たり次第に部屋をあさっているように見えて、ちょっとだけ不安になる。
書斎に詰みあがった本の塔がひとつ消える度に、もうもうとホコリが立ちこめる。わたしは思わず鼻と口をおさえた。
「ヴェ……ヴェイドさん! いったいなにを探してるの?」
「うーん、この辺にあったと思うんだけど」
「こんなに散らかってて置き場所がわかるの?」
見るも無残な状態だ。掃除をしたほうが良いんじゃないかと提案してみるが、彼は「それは駄目だ」と言い切った。
「これはこの状態で完成してるんだから、このままで良い。いじったりなんかすると物の保管場所がわからなくなるじゃないか」
「あ、ああ、そう……」
保管場所って。
むしろ投棄場所じゃないかしらと疑いたくもなる光景に、わたしは引き気味に返した。
わたしには理解できないけど、こんな部屋でも、ヴェイドさんにとっては一定の法則でモノが並んでいるらしかった。でもやっぱりどう見ても、ガラクタの掃き溜めぐらいにしか思えない。
そうしてわたしがドン引きしているうちに、ヴェイドさんは目的のものを掘り出すことに成功したらしい。
「あったあった。これだよ」
わたしは彼の手のひらにある、おおぶりの石のついた装飾品をじっと見つめた。手を離す方法がある、と言った彼にしては、それは意外なものだった。
「…………指輪?」
それは古びた銀の指輪だった。
真っ赤な血の色のような石が、まわりの魔術光源の明かりを反射してきらめいている。それを中央に抱いた銀の台座には、ぐるりと周囲に文字が掘られていた。
これと似た文字はヴェイドさんの魔術書のなかで見たことがある。古代サークレシア文字。つまり魔術文字だ。
「この指輪をはめてごらん。この石にも魔力がこめられているから、きみの手は離れるはずだ」
「わかったわ……」
わたしは言われるままに、自由なほうの手をさしだした。指輪は大きすぎてわたしのサイズにはあわず、かろうじて親指に納まった。
ヴェイドさんはこの石に魔力がこもっていると言ったが、彼に触れたときのような安心感は覚えなかった。なんだか温かい感じはするなあ、というそれだけ。本当に効果はあるんだろうか。
「じゃあ手を離して」
「え、う、うん」
そしてわたしは意を決して、そっとそっと、彼の手からわたしの手を引きさげ……
「離れたわ、ヴェイドさん」
「だろう」
彼はとうぜんだと言わんばかりにうなずいた。
「でも最初に会ったときに、こっちの方法を試さなかったのはどうして?」
わたしは思わず訊いていた。
魔弦糸のほうも悪くはなかったのだけど、視界でお互いが繋がれているのが分かるぶん、少し――いや、かなり気まずかったのだ。
実際に糸に触れるのはわたしとヴェイドさんだけで、他の人には見ることもできないみたいだったから、たいして困ることはなかったのだけど……。
わたしがそう言うと、「できれば使いたくなかったんだよ」と、彼は渋い顔で指輪を見つめた。
「これは僕の師が作ったものなんだ。魔力が安定してないときに、散々これを使わされた」
そう言った彼は、なぜか悲壮感にあふれていた。
ヴェイドさんが未熟だったころの姿は想像がつかなかったけど、あんまり楽しい修行時代ではなかったみたい。彼はぽつりとこう語った。
「師のフレイアは、火の使い手だった。そういえば彼女も滅茶苦茶な人で、どこからそんな元気があるのかってぐらい、体力馬鹿な人だった……なんでそんなところに弟子入りしたんだろうっていつも思ったね。おかげで今でも、赤い色は死ぬほど嫌いだ。火属性の魔術なんて死んだって使いたくない」
「た、たいへんだったのね……」
赤色は悪だとでも言いたげに、憎々し気にヴェイドさんは言った。
だから彼は青色が好きになったんだろうか。
水色や青色はヴェイドさんの色だと、昼間、侍女さんたちが言っていたのをわたしは思い出した。彼にそのことについて訊いてみると、
「いや、別に好きというわけじゃないんだけど……」
「でもそれにしては、ヴェイドさんの周りって青っぽい色が多いと思うわ」
魔法陣を動かしたときも、光の色が青色だった。
「ぼくは水の魔術師だからね、魔術属性によって色が決まっているんだ」
それから彼は、魔術属性は、おおきく四つに分かれているのだと言った。
火、水、土、風……それぞれ赤、青、黄、緑の色の特徴を持っている。
それぞれの属性には一人ずつ大魔術師が存在していて、だからヴェイドさんは水の大魔術師。そして彼の師であったという女の人は、火の大魔術師だったらしい。
やっぱり凄い人の師は凄い人なのね、とわたしは感心した。
「でもどうして、火の魔術師のお師匠さまに弟子入りをしようと思ったの?」
「どうせなら、四つ全てを極めてみたいと思った時期があってね」
その場に座りこんだわたし達は、彼が集めたというガラクタたちに囲まれながら話し込んでいた。
「水と土、風はある程度、独学で使えるようになったんだけど、火だけはどうしても駄目だった。ぼくにとって火は拮抗属性なんだよ」
「まあ、水属性に秀でてるっていうならそうなのかもね」
だからって火の魔術師に弟子入りする彼こそ、めちゃくちゃだわ。案外、彼と師は似た者同士だったのかもしれない。
「ところで、ヴェイドさん聞きたかったことがあるんだけど……」
わたしはずっと疑問に思っていたことを、切り出した。
「わたしはどうして魔術が使えるの? 魔術って誰にでも使えるものではないのよね」
ヴェイドさんは、わたしのことを“魔術師に向いている”と言ったが、だからって学びもせずに魔術は使えないだろう。いくらなんでも心で強く思ったり、見よう見まねで魔法陣を描くぐらいでは、どうにもならないんじゃないかしら。
なのにどうして、わたしは二度も魔術を使ってしまったんだろう?
わたしが目覚めたときにヴェイドさんがやけに怒っていたのは、きっとそれが関係するのだ。魔術は計算式だと言った彼。彼はめちゃくちゃな魔術師だけど、いつだってきちんとした手順で魔術を使っていた気がする。
わたしが理論を無視して魔術を使ったことが、彼は何よりも気に入らなかったのだろう。
ヴェイドさんは顎に手をあてて難しい顔をした。
「それはぼくも変だと思ってるんだ。きみの魔力が強すぎるから、と言い切るのは納得いかないけど、たぶんそうなんだろう。それにきみが使った魔術はどっちも暴走しているように見えた」
「そう、なの……」
暴走と聞いて、わたしは自分のことが少しだけ恐くなった。
わたしのなかで、魔力が抑えきれずに暴走している?
それだけじゃない。半分だけになったわたしの魂。
こうして指輪が無いと生きられない、不安定な体。
いままで無かったことばかりが次々と起きて、どういうことなのと誰かを問い詰めたい気分になっていた。
――お母さん。
わたしは思わず彼女のことを想った。お母さんは、このことを知っていたの……? だからわたしたちは、街の外れでひっそりと暮らしていたの?
わたしが黒髪であることの意味も、彼女はなにも教えてくれなかった。
どうしてなにも言わなかったのだろう。
「フィオナ、いま何を考えた?」
「……お母さんのこと」
「また伝達術を使おうとしていた」
「そう」
知らずうつむいてしまったわたしの頭を、ヴェイドさんは優しく撫でた。やっぱり彼に触れられると不思議と心地がいい。
「恐くなったかい?」
「……少しだけね」
撫でられながら、わたしはうなずいた。
「人は自分が知らないものに恐怖を覚えるものなんだ。だから落ち着いたら、ちゃんと魔術を学んだほうがいい。そうしたほうが自分を制御できると思う」
わたしはなにも言わず、彼の言葉を黙って聞いていた。自分が恐いと思って初めて、なぜヴェイドさんが人から恐れられていたのか、はっきりと分かったのだ。
未知のことは、理解できないからとても恐い。
だから人々にとって、大魔術師は恐いのだ。
彼はずっとひとりで、その向けられる感情に耐えていたのだろうか。




