18 恐がったりしない
「――だから、わたしは逃げられたの。屋根のすぐ外に大きな木があって助かったわ……そこを伝って地面に降りて……」
「まったく。無理をしすぎだ」
ヴェイドさんは深いため息を返した。
あれからわたしは、わたしが屋敷を抜け出すまでの経緯をヴェイドさんたちに説明した。
母親と一緒に鉄格子の入った部屋に閉じ込められていたということ。そこには眩しいぐらいのたくさんの精霊たち――母親がそう教えてくれたのだから、間違いはないだろう――が、一緒にいたこと。母親がどうやったのかわたしを逃がそうとしてくれたこと。
全てを話し終えるころには、ヴェイドさんとバナードさん、そして駆けつけたオルディスさんの顔は、険しいものになっていた。
「ヴェイドさん、ようやく繋がりましたね。どうやら調査中の件とフィオナさんの母君の件は、一つの事件のようです」
とやけに深刻そうに言ったのは、バナードさんだ。そうだったの? なんだか意外な気持ちになるけど、ぼんやりとしていた記憶が繋がっていく。
「そうか……、嬢ちゃんはクレマン伯爵の屋敷に捕まってたのか」
オルディスさんが言った。
「でも、正直言うと助かりました。恥ずかしい話、僕たちも暗礁に乗り上げていたところだったので」
「まさか、堂々と屋敷のなかに精霊を集めているとはね」
先ほどから一番、難しそうな顔をしていたヴェイドさんは、なにか深く考えこむ様子を見せた。わたしはというと、彼らの事情がよく呑みこめないが、役に立てたなら本望だ。
「木を隠すなら森のなか、ってやつでしょうか」
「でも、そんだけ精霊がいて分からなかったってのも、妙だな」
オルディスさんは思案気につぶやいた。それはわたしも不思議に思っていたのだ。
一般に、精霊はおとぎ話に伝わる不思議な生き物だということの他に、魔力元素の塊のひとつだという説もある。彼らの話では、クレマン伯爵邸には少なくともシャメルディ領の精霊五十八体が集結しているということだから、膨大な魔力が漏れ出してもおかしくなかった。
だけど、わたしはあの檻のような部屋がそんな危なげな場所には感じなかったのだから、だとすると、ちょっと変な話になる。
「魔術師がいた、というフィオナの言葉で説明できます」
ヴェイドさんは言う。
「おそらくは、その者が結界かなにかで膨大な魔力量を抑え込んでいたのでしょう。だが、シャメルディの精霊ほどの魔力を隠すとなると……、相手は結構な腕だと思っていい」
「お前さんを欺くたぁ、相当の手練れだな」
要するに油断はできない、ということらしかった。
どうやら思ったよりも、事態は深刻だったみたい。バナードさんがわたしに関わらせたくなかった、という気持ちがちょっとだけ分かった。
だけどまたひとつ、わたしには疑問がうかぶ。
「ねえ、魔術師って……ここには、ヴェイドさん以外には居ないの?」
考えてもみれば、不思議だった。
王都内はともかく――このリスタシア王国には、少ないとはいえ魔術師と呼べる人間が何人も居るのだ。だったらこの場に呼び寄せて、一斉捜査したらどうなんだろう?
そのほうがよっぽど確実だと思ったのは、わたしだけ?
「居ないことは無いんですけど」
わたしの疑問に、バナードさんは頭をかきながら答えた。
「フィオナさんが思ってるような魔術師は、たぶん一人もいませんよ。ヴェイドさんは特別ですから」
「えっ、どういうこと?」
思わずわたしはヴェイドさんを見やるが、某魔術師はとぼけるように、膝を指さきでとんとんと叩きながら、わたしからさっと目をそらした。
ちょっと、あなた何なのよ。
「いいですかフィオナさん。魔術師というのは高位、中位、低位と能力ごとに区別づけされるものです」
やがて見かねたバナードさんが、わたしに魔術師についてを説明した。
魔術師はその能力ごとに、高位・中位・低位とランク付けがされている。一番多いのが低位魔術師で、魔術局という場所でその多くが働いている。そこに属さない人は、流浪の旅だとか、自分で開業していたりだとか様々のようだ。
そして、中位魔術師はというと、リースブルーム――いや、リスタシア王国には数えるほども居ないらしい。
「中位魔術師の多くは、デスタン王国に所属していますね」
「デスタン?」
「海を隔てた先の、外の国のことですよ。魔術国家と言われています」
「ふうん……」
わたしは知らない外国へと思いをはせた。魔術国家というものが、この世界にあるだなんて初めて知った。いったいどんな場所なのだろう。
「じゃあ、バナードさん。聞くけど」
「はい」
「ヴェイドさんはどこの階級の魔術師なの? まさかとは思うけど」
わたしはつい、と隣に座る魔術師を指さした。
「こんなむちゃくちゃな人が低位魔術師だなんてわけはないわよね? だってすっごく大きな泥人形を素手で倒しちゃったのよ?」
「こんな人って、酷いなフィオナ」
苦笑する魔術師は放置よ、放置。
だけど、バナードさんはわたしの質問に詰まっていた。頭の後ろをかきながら、彼はどう言ったものかと考えあぐねているようだ。
ここまで教えておいて、それはない。わたしは琥珀色の髪をした青年に詰めよった。
「教えてくれないわけ、バナードさん?」
「教えても、良いんですが」
彼は言いよどむと、ちらりとわたしの後ろを見やる。そこに居るのはヴェイドさんだ。
「良いんですか、言っちゃいますよ」
「どうぞ好きなように」
「そう言われると僕も困ります」
「ちょっと……なんなの、もったいぶって。わたしはただ、ヴェイドさんがどんな魔術師なのかって聞いただけじゃない……」
こんな会話、わたしまで困ってしまう。どうせ中位だとか高位魔術師なんでしょう? なのに、これだけ出ししぶるのはちょっと変だ。
「フィオナさん」
困惑顔のわたしを、バナードさんが見おろした。
「魔術師のことは、今でも嫌いですか?」
ささやくような声だった。わたしにだけしか聞こえない、彼の問いかけだ。
「あなた、なんでそれ」
「最初に会ったとき、ヴェイドさんが魔術師だと知って顔をしかめましたね」
「見てたの……」
わたしはばつが悪い気持ちで、バナードさんの顔を見かえす。
――ヴェイドさんは、魔術師、だったんですね……。
――そうです。
まさかあの短い時間で、冷静に見られていただなんて思わなかった。彼はわたしが思うよりも、ずっと優秀な人間なのだろうとふと思う。
「フィオナさん、あなたの気持ちを教えてください。今も、少しでも魔術師のことが嫌いだと思うのなら……僕はあなたに、ヴェイドさんのことを教えてはあげられません」
魔術師は、嫌い。
わたしは眉じりをさげて、目の前の青年を見る。
ヴェイドさんのように、徒歩の距離を惜しげもなく転移しちゃうようなむちゃくちゃな魔術師は、きっと他には存在しない。泥人形の魔法陣を、あんなに簡単に片付けてしまうような魔術師は、きっと早々居やしない。
僕のことも恐いはずです。
そう言った彼の、強すぎる力のこと。
そう言った彼の、あの悲しそうな瞳のこと。
――魔術師にも色々な者がいる。どうか誤解しないで欲しい。すべての者が酷いことを考えているわけでは無いんだ。
そっと抱き寄せてくれた、彼の温かい体温が。
「フィオナさん、どうかこう言ってください。恐くない、と」
殊のほか元気のないバナードさんの声を、わたしはつぶやくように繰り返した。
「恐く、ない?」
「どうか、あの人を恐れないでください」
そしてその言葉は、どうやら今までの会話に続いているようだった。
「あの人はいつだって一人でした。辛いことも、悲しいことも、全てあの人は一人で負いこんできたんです。フィオナさんと出会って、僕はあの人があんなふうに笑うのを初めて見ました。だから……」
「バナードさん、お、落ち着いて」
わたしは戸惑いながらも、出来るだけ優しい声でそう返した。
思い出すのは、ヴェイドさんの白銀のきれいな髪。すい込まれそうに深い、澄んだ水底のような美しい瞳。人は近寄りがたいと思うのかもしれない。
でも、わたしは。
「見た目は冷たそうな人だけど、ヴェイドさんは、わたしにとても親切にしてくれたわ」
最初にぶつかったとき、かばってくれた。治癒術も使ってくれた。彼の屋敷に置いてくれた。わたしの話を聞いてくれた。
わたしを、見捨てないでいてくれた。
あの人がどんなに冷たい人であったとしても、わたしはもう、彼の優しさを知っている。
だから絶対に恐がったりしない。
わたしを傷つけた魔術師は、嫌い。
だけどヴェイドさんは好き。
……魔術師が、好きかもしれない。
「そうですか、ならいいんです」
わたしの心が分かったのか、バナードさんは微笑んだ。そして彼はこう言った。
「ヴェイドさんは……ヴェイド・クラート・ルド・フロディスという魔術師は」
わたしの耳に、彼の震える声がそっと届く。
「――――水の魔術師と、呼ばれています」