17 すっごく年上
「魔術師に必要なのは魔力だけじゃないんだ。きみの黒髪だけじゃ足りない」
そして神妙な面持ちで、彼は続けた。
「人よりも抜きんでた知能と、記憶力、そして洞察力に探究心。きみはまだ幼いから、いまから訓練すればきっと力のある魔術師になれるだろう」
わたしは困惑した。
魔術師に向いている?
そんなことを言われたのは初めてだったけど、喜ぶ気持ちは沸いてこなかった。だってわたしは、わたしは魔術師のことが……。
魔術師は、嫌い。
その言葉が、わたしの心にひとつしみを落とした。
魔術なんて関係ない、知らない。
だけど、わたしは彼の水底のように深い瞳から逃げられずにいる。知らなくていい、忘れてしまえばいいことに、わたしはいま自分から足を踏み入れようとしている。
「フィオナ、どうして魔術師のことが嫌いなの?」
全てを見透かす彼の瞳が、わたしを見ていた。
いつの間にか寒気がした。
この目の前の青紫の瞳に全てを暴かれて、このまま吸い込まれて消えてしまうんじゃないかとさえ思う。わたしのなかの、知らない顔が彼に惹かれる。
ねえお母さん、わたしはいったい、誰なの?
ふいにヴェイドさんの瞳が柔らかく細められた。固まっているわたしの髪を、彼がそっと優しく撫でる。
「話したくないならいいんだ、フィオナ。もうこの話は終わりにしよう」
そうして離れていこうとする彼の手に、わたしはすがりついた。
「まって、聞いて」
彼の服をつかんだ途端、心地よい気配がわたしを包み込んで、……それなのにどうしようもなく悲しかった。
きっとこの気配は彼の魔力なのだ。魔力を感じ取れる人間なんて聞いたことがない、なのにわたしは。
魔術師は、嫌い。
だいきらい。
「あの男の屋敷に、魔術師が居たの……っ」
震える声を聞いて、ヴェイドさんが静かにわたしを見る。
「ひどいこと色々されたわ、わたしの体を刃物で傷つけて、切って血を抜いて、変な薬を入れられて……たくさん殴られて蹴られた。でも気を失ったら、次に起きたときにはなんともなくなっているの。わたしとお母さんは実験体だって言われた。だからわたし、あの男も魔術師も嫌い……大嫌いなの……ッ」
なのにわたしは、その魔術師に向いているのだという。
わたしはあんな奴らの仲間なんだ。こんなのってない。
いつの間にか、震え声から嗚咽混じりになっていたわたしを、ヴェイドさんはそっと抱き寄せた。
彼はあいかわらず細い体だった。オルディスさんやアレクとは比べようもないぐらい貧弱だ。でも彼が、とんと背中を叩く振動がわたしの気持ちを落ち着かせていく。
どうしようもなく彼に惹かれる。昨日知り合ったばかりでしょ? なのにずっとそばに居たいだなんて。
どうして、どうして……。
「魔術師にも色々な者がいる」
ヴェイドさんがぽつりと言った。
「どうか誤解しないで欲しい。すべての者が酷いことを考えているわけでは無いんだ」
わたしは何も言わずに、彼の腕のなかで目を閉じていた。
それは分かっている。だってヴェイドさんはそんな魔術師じゃない。
最初に出会ったときから知っていた。冷たい瞳の奥に隠された、温かい心のことを。ヴェイドさんの周りの人たちも、彼が魔術師だって知っていながらとても明るく優しかった。
でも、とわたしは思う。
前に『僕のことも恐いはずだ』と、彼は言っていた。こんなに優しい人なのに、誰かに恐がられたことがあるのだろうか。酷いことを言われたのだろうか。
「わかってる。わかってるわ」
ようやく言葉にしながら、わたしはそっと彼に抱きついた。
過去に彼が、誰かに罵倒されたかもしれないと思うと、わたしはとても悲しい気持ちになった。
◇
「すいません、ヴェイドさん。フィオナさんの件はまだろくに進展もなくって」
バナードさんは申し訳なさそうに頭の後ろをかいた。
「まあ、さきほど連絡したばかりですからね」
ヴェイドさんは飄々とした顔で、事務室の中央に据えられた座椅子に座りこんだ。わたしも隣にと促されて腰をおろし、テーブルの向こう側にはバナードさんが座った。
中央区の治安局のなかは、相変わらずバタバタと忙しない様子だった。いつもこうなのかと尋ねると、「いつだってこうだよ」と茶化すように返された。明るい彼の仕草に、なんだかちょっとだけ救われる。
「いまはフィオナさんの件の他にも案件を抱えてまして。だからちょっと普段よりは見苦しいかなあと」
「今朝、あなたが怒鳴ってるところを見たわ」
思わずからかいの言葉を返すと、バナードさんは照れ臭そうに笑った。
「見られてましたか……なんだか恥ずかしいですね。今朝はあまり芳しくない報告を受けたもので、つい部下に怒鳴ってしまいました」
バナードさんにも、そんなことがあるのね。
「いったいどんな案件だったの?」
「ええと、それはですね」
「あーきみたち。話が進まないから、世間話は後だ、後」
会話を遮ったのは、他でもないヴェイドさんだった。わたし達ははっとしたように彼をみて、姿勢を正した。
「とりあえず現状を報告して」
まるで命令するように言った魔術師に、バナードさんはひとつうなずくと、どこからか地図を持ってきた。先ほどヴェイドさんの執務室で見たものよりも制作年号が新しいものだった。
「あれからすぐに、ヴェイドさんがおっしゃった屋敷四か所を調べました」
真新しい地図をのぞき込むと、惜しげもなく赤いインクで丸が四か所うたれている。バナードさんは屋敷の持ち主の名前を読みあげた。
エドモン・リーゼルト・ロブ・ハルフォード侯爵邸。
レオンス・ロブ・バークリー男爵邸。
ベルトラン・ロブ・ブランシャール伯爵邸。
それから、ウォルター・ロブ・クレマン伯爵邸……!
「クレマン伯爵……」
長ったらしい名前の羅列のひとつを、わたしは知っていた。思わず小さくつぶやくと、バナードさんは心配そうにわたしの顔を覗きこんだ。
「もしかして、聞き覚えがあるんですか?」
「間違いないわ。お母さんが居るのはこの男の屋敷よ」
あの男がここにいる。
震えにも似た感情が体を走り、わたしは自分の体をぎゅっと抱く。ヴェイドさんとバナードさんが、互いに目くばせするのが分かった。
「クレマン伯爵か……意外ですね」
「侯爵のほうがよっぽど、きなくさかったんですけどね」
バナードさんの言葉に、ヴェイドさんは苦い顔になった。
そして、これからクレマン伯爵について調べるのかと思いきや、ヴェイドさんはこう続けた。
「それで、フィオナをわざわざここに連れてきたのは、もうひとつの案件も見せてみようと思いまして。もしかすると彼女なら、何か分かることがあるかもしれない」
「フィオナさんにですか?」
バナードは怪訝な顔で訊ね返した。
「ヴェイドさん、それはあんまりじゃないですか。フィオナさんは、まだ年端もいかない女の子なんですよ。いくら彼女がしっかりしているとは言え、事件の捜査は治安局の……大人の役目です。そんな真似は」
「良いのよ、わたしが言い出したことなんだから」
わたしの制止に、バナードさんは口をつぐんだ。
昼間、ヴェイドさんへ届いた報告書を盗み見てしまった後、捜査に加わらせてほしいとわたしからヴェイドさんに言いだしていた。
自分の母親のことも案じるけれど、わたしも他になにか出来ないだろうかと思ったのだ。彼いわく、わたしの考えはすごく斬新らしいから。せめてシャメルディの精霊たちの件だけでもと思っていた。
……ただ待つだけは、辛すぎるのだ。
それにどうやら、精霊絡みの事件は魔術師のいない治安官たちにとっては難しい案件らしい。だから精霊だとか魔術関連に長けたヴェイドさんが、その指揮をとっていたのだと教えられた。
シャメルディ地方から姿を消した精霊たち。その個体が五十八も消えたとなっては、相当な数と見ていいだろう。忙しそうなバナードさんの、少しの助けにでもなれば。
ある意味、これは魔術について目をそらさないという、わたしの決意の表れだった。
「それに、わたしももう十五だわ。年端もいかないなんて失礼よ、バナードさん」
たしなめるように言ってやると、なぜかバナードさんは、ぽかんとした顔で固まった。あれ、よく見たら隣のヴェイドさんも目を見ひらいている。
そして、
「ジュウゴ? フィオナ、きみ十五歳だったの?」
「そ、そうだけど。今まで何歳だと思ってたの」
するとヴェイドさんは深く、深くため息をついた。来年は成人じゃないか……しかもローズのひとつ下だとは、とうんざりした顔で言われた。し、しつれいね!
「そういうヴェイドさんだって……、すっごく若く見えるわよ。本当は何歳なの?」
わたしは不服ながらも問い返した。ヴェイドさんは見た目で言うと、二十代前半といったところだろう。だけど、それにしてはやけに落ち着いているし、そのところどうなのか。
だけど、彼ははっきりとは告げずに、意地の悪い笑みを浮かべた。
「すっごく年上、とだけ言っておくよ」
「ええ? なによそれ」
そう言われると、いったい何歳なのかと勘繰りたくなるじゃない。
すっごくというのだから、本当は三十歳ぐらいなのかしら。でも屋敷はあんな惨状で、奥さんも子どもも居ないって言ってたから、もう少し若い……?
だがどんなふうに聞いても、彼はその先は教えてくれなかった。
あれから捜査資料をいくつか見せられたわたしは、それに目を通し終えると手を置いた。書類の中身はヴェイドさんが呼んでいた報告書の、もう少し詳細な内容だった。
「もう良いの?」
ヴェイドさんが聞いてきたので、わたしはうなずき返した。
あいかわらず喧騒が飛び交う治安管理局のなか、わたしたちは別の部屋に通されていた。
資料室というらしいが、なるほど捜査資料がいくつも並んでいる。イチ庶民のわたしがこんな重大な場所に居ていいのかとちょっと心配になるが、そのあたり信頼されているのだと思うと歯がゆくなる。
「……あのね、ヴェイドさん。やっぱり不思議ね」
「なにがだい」
資料を棚にもどしながら、わたしは言った。
「シャメルディ男爵は、なんで精霊を取り戻したがっているのかしら」
そこはやはり、疑問だった。
精霊なんてどこにでもいる、という考えをわたしは払拭できなかった。わざわざ行方不明の精霊たちに拘る理由が、どこにあるのだろうか。よそから新たに連れてきたほうが、ずいぶんと楽だと思う。
その疑問は、ヴェイドさんの言葉によって解決された。
「彼が探している精霊は、あの地域に連なる山脈地帯にしか生息しないんだ」
「そうなの?」
棚に寄りかかるヴェイドさんを、わたしは見あげる。
いわく、リスタシア王国の南東に連なるシャメルディ山脈地帯――あの場所の岩穴にしか生息しない精霊たちは、男爵家とある契約を交わしている、ということだそうだ。
王都から出たこともないわたしは、実際に見たことはなかったのだが、他の肥えた土地のように、シャメルディ領は豊かではない。岩山や崖が多く、どう見ても農作物や酪農をするに不向きで、下手をすると住民すべてが飢えかねない土地柄のようだった。
しかし、なぜかあの土地の住民は自然と折り合いをつけながらうまく暮らしている。それは過去に、男爵家の祖先が岩穴の精霊たちと共存の契約を交わしたからだというが……。
「精霊も、土地によってはずいぶん性格が違うのね。ずいぶん律儀だわ」
「そうだな、森に棲む精霊は悪戯好きで、水辺の精霊は思慮深い。結構性格に違いはあるんだよ」
「ふうん」
わたしは岩穴に棲むという精霊の、ゴツゴツと硬そうな見た目を想像した。
どうしてもわたしがうっかり召喚してしまった、泥人形の恐い偶像と重なってしまう。あんなの居たらすぐに分かりそうなものだけど。
「でも、どうして居場所を特定できないのかしら」
ふと考えこむ。
「簡単に見つかったら苦労はしないさ」
「そうはいっても……だって、王都のどこかに居るってところまで分かってるんでしょ? だからヴェイドさんまで話が来たのよね? わたし、そこが疑問なのよね。いくらリースブルームが広いと言っても、精霊の溜まり場なんてそうめずらしくもないと思うんだけど」
「は?」
「だって、あたしとお母さんが閉じ込められた場所にも、精霊はたくさん来てたわ。ということは、簡単にたまり場なんて見つかるってことよね? だから――」
視線を感じて顔をあげると、ヴェイドさんが喜びを抑えきれないような様子で「フィオナ」と呼んだ。
「やっぱりきみは変わった子だ。その話、詳しく聞かせてくれ」
「え!? ええ、いいけど」
なんだかまた、わたし変なこといっちゃった?