15 小さな淑女
「どうしてそんなに酷い顔をしてるの?」
「…………」
ようやくヴェイドさんの執務室に返される頃には、わたしはすっかり疲労困憊だった。
ファッションショーというのは恐ろしいものだ。母親と暮らしていたときに半日かけて往復した水汲みよりも、ずっとずっと疲れるだなんて。
いったい貴族の人たちはどれほど体力があるんだろうかと甚だ疑問だ。とりあえず、わたしは貴族にだけは完全に向いていないことが判明した。
げっそりした表情のわたしを見て、ヴェイドさんは書類を置いて立ち上がったかと思うと、わたしの前までやってきた。
そして慣れたようにわたしの手をとって、くるりと一回転させてくる。ダンスのような仕草に少しどきりとするけど、彼はわたしの格好をよく見ようとしただけのようだ。
そして彼はわたしの髪をひと房、手にする。
「見違えたよ、フィオナ」
「それはどうも、だわ」
お世辞と分かってはいるが、綺麗な彼に褒められると気恥ずかしい。
思わず顔があつくなってうつむくと、ヴェイドさんの手がわたしの髪をさらりと撫でた。
「髪も梳いてもらったんだね。そのワンピースもよく似合う」
「あ、ありがとうございます……」
恥ずかしい、とにかく恥ずかしい。
そう思っていたところに、ふとアレク。
「おーいみんな、フロディスが幼女を口説いてるぞー」
「なんですって!」
「この目に納めなければ」
「いざ参らん!」
バタバタバタ。
……言ってもいいかしら。すでにこの騒ぎになれつつある、わたしが居るってことを。しらけた目線を無言でアレクに向けると、彼は「おっと」とおちゃらけた態度で両手をあげた。
「でも本当ににあうぞ、フィオナ。そのワンピース」
「……ありがとう」
結局、わたしは何回も着替えをさせられたあげく、最終的に薄い水色のワンピースに落ち着いていた。嫌味じゃない程度のフリルが可愛らしく、袖も今風に膨らんでいる。
しかし流行の桃色ではなく、なぜ敢えて水色なのかと侍女さんに訊ねてみたところ、『フロディス閣下のお色ですもの』とにっこり微笑まれた。よく分からないけど、先ほどから侍女さんには盛大に勘違いされている気がしてならない。
でも、仕上げだと言って、髪に青色のリボンを付けてもらってわたしも悪い気はしなかった。
「では小さな淑女に免じて、休憩としよう」
満足そうにアレクが言った。そういえばあなた、さっきからお茶をしたがっていたものね。
しかし彼の優雅なひとときは、思い通りにはいかないようだ。間もなく彼付きの侍女とはまた別の女の人が部屋へとやって来て、アレクへと耳打ちした。
「――なに、ソイルが僕の部屋に向かっているだと?」
まるで敵襲があったかのように鋭い目線を返したアレクは、すぐさまその場に立ちあがった。
いったいソイルさんとは何者なのか勘繰りたくなる瞬間である。ヴェイドさんも“ソイル”という人のことは苦手のようだし。
「仕方がない、僕はここでお暇しよう」
どうやらお茶にありつけなかった事実に後ろ髪ひかれる思いらしいアレクだが、彼は拳をにぎって目を見開いた。
「非常に納得いかないが、職務をサボっていることがバレたらしい」
だれか密告しやがったな、と彼は嫌そうな顔で某魔術師を見た。
当のヴェイドさんはというと、なんのことですかと言いたげな、あっさりとした表情でわたしの隣に座っている。ヴェイドさん、あなたまさか……ううんなんでもないわ。
そして去り際の彼に向かって、わたしは言った。
「アレクさん、色々とありがとうございました」
「いや、僕も可愛い女の子が見れて嬉しいよ。お礼は侍女たちに言っておきな」
微笑むアレクに、わたしも笑い返した。
ちょっと変わった人だけど、悪い人じゃないみたい。貴族にしてはとっても優しい人だと思う。
そしてアレクがいそいそと執務室を出て行ったかと思うと、次には侍女さん達が、何やら色々と載った手押し車を押しながら戻ってきた。
甘くていい香りがただよってきて、わたしは小さくのどを鳴らす。
「……ケーキだわ」
わたしの目は手押し車に釘付けになっていた。知っている、これは洋菓子というやつだ。
いつか母親に手を引かれて、こういう焼き菓子店の前を通り過ぎたことがある。高くて買えないなあ、なんて思っていたものだけど。それに本でしか読んだことのないような、初めてみる形の菓子もあった。
ふいに視線を感じて隣を見ると、ヴェイドさんがわたしを見て――目をそらした!? ちょっとあなた、なぜ口元が笑っているの。
人から恐れられる氷の魔術師はどうした、と思いっきり言ってやりたい衝動をこらえて、わたしは目の前に出されたケーキのお皿に目線をもどした。
目の前にはケーキとお皿と、フォークがある。
わたしは戸惑いがちにそれらを見おろした。どこから手をつけていいのか分からず、わたしは固まる。見た目だけ淑女でも、やっぱりわたしは庶民の子だ。
まるで格好がつかない自分の姿に無性になさけない気持ちになりながら、隣の魔術師をもう一度見る。
「食べていいよ」とだけ、彼は言った。
「ぼくは先に仕事を片付けるので、紅茶だけ残してくれれば。甘い物は苦手だ」
「畏まりました」
返事をしたのは侍女さんで、彼女たちはそれからどこかへと消えてしまった。気がつけば、あれだけ崩壊していた壁も床も、あらかた瓦礫は取り除かれていた。
かくして、わたしの目の前には一人分のケーキ、その他焼き菓子諸々が鎮座することになったのである。
まるでお預けをくらった心境で、それらをじいっと見つめていると、机に戻ったヴェイドさんがついに噴き出した。
「なにしてるの、食べなよ」
「…………」
わたしは無言で考え込んだ。仕事中のヴェイドさんを置いて先に食べるのもどうかなって思ったし、それに何より一番困っていることがあったのだ。
それは、
「……食べ方がわからないわ」
彼が盛大に笑うことになったのは、その直後のことだった。
◇
「言ってくれれば教えたのに。もう怒らないで、フィオナ」
宥めるようにそう言ったヴェイドさんの横で、わたしは不貞腐れつつ、ケーキを思い存分食べていた。ああ、思っていたとおり、このケーキとっても美味しい。だけど悔しい!
彼は仕事を中断して、いまはわたしが座るソファの横に腰かけ、お茶を飲んでいた。そしてわたしはというと、そんな彼にフォークの使い方の手ほどきを受けていて……。
言っておきますけど、食器の使い方が分からないわけじゃないの。いまどき、フォークやスプーンだって庶民の間でも使われるんだから!
それなのに目の前に給仕されたケーキは、ミルフィーユだとかいう名前の、いかにも『食べにくい』権化のような菓子だった。どう食べても崩れたり汚くなりそうなこのケーキ、本じゃさすがに食べ方は載っていなかった。
「ミルフィーユはローズ姫が好きだったからね。侍女たちも気を遣ったつもりなんだろう」
ヴェイドさんは微笑んだ。
彼に教えてもらったところ、どうやらこれはあっさり横倒しにして食べるものらしい。わたしが黙々と難しい顔でミルフィーユを平らげ、紅茶を飲んだところで彼は切り出した。
「さて、昨日の続きだが」
わたしは顔をあげた。
「きみの話を聞いてもいいかな」