14 てるてる坊主
「ところでフロディス、今度はいったいなにをやらかしたんだ?」
そしてようやく、部屋の状況に気づいたアレクがぽつりと言った。言うまでもなく、崩れ落ちた壁や床のことを言っている。
わたしがギクリと肩をふるわせたのは言うまでもないが、下手に口を出すと墓穴を掘る。ずるいけど、とりあえず黙っていた。
「なにかとは?」
そう淡々と返すのはヴェイドさん。対するアレクは、その場で不機嫌そうに腕を組んだ。
「僕付きの侍女が見当たらないと思ったら、案の定お前の所か! 僕のお茶の時間が滞る。いい加減に帰してくれないか?」
「ぼくはただ“侍女をよこして”と侍女長に頼んだだけです。連れて帰るのなら、どうぞお好きに」
ふたりの会話を聞いたわたしは、なんとなく事情を察した。
ああなるほど、偶然手が空いててこっちに駆け付けた侍女さんが、アレク付きの人たちだったわけね――――って、ええ!? やっぱりアレクってお貴族様だった!?
またしても雲の上の登場人物が増え、わたしは内心動揺した。ど、どうしてわたし……平凡な庶民の娘だったはずなのに!
放心するわたしをよそに、ヴェイドさんはまたしてもお仕事の続き。
そしてアレクはというと腕組みをしながら、瓦礫処理に向かう、恍惚とした表情の侍女さん達に向きなおった。
「おいおまえたち。こんなとこで何、油をうっている。僕の大事な大事なお茶の時間はどうなるんだ?」
そしてそのまま、侍女軍団は引き上げるのかと思いきや。
「まあ、アレイスト様! そのお言葉はいただけませんわ」
「はあ?」
アレクが文句を口にするなり、経験豊富そうな中堅らしき侍女が前に出た。
「わたくし達はこの城の管理を任されているのです。壁や窓、そして装飾品の数々を磨き、美しく威厳のある景観を保つ――それがわたくし達、侍女にとってなによりも大切なことでございます! いいですかアレイスト様、わたくし達の矜持はこのグローヴィア、いいえ、リスタシアが創立して以来――」
「ああ、ああもうわかった! わかったから近い、近いぞ!」
ギラギラとした目で詰め寄る侍女に、アレクは完敗したようだった。そしてようやく体裁を整えた彼は、こほんとひとつ、咳払いをする。
「……要するにあれだ」
「はい」
「おまえたち、フロディス争奪戦に勝ったんだな?」
「「「「「もちろんでございます」」」」」
アレクの言葉に、その場に居た侍女さん達が一斉に振りかえってそう返した。うっ、なぜそんなに笑顔なの。というか争奪戦ってなんですか……。
完全にドン引きしているわたしをよそに、彼らは続けた。
「仕方がない、今回のことは僕が許す。だからさっさと片づけて帰ってこい」
「「「「「畏まりました」」」」」
「……くそ、こいつら言い出したらテコでも動かないんだ。なんで僕の侍女ばっかり」
なにやらこの世の無情さに嘆いているらしいアレクだったが、しばらく恨み言を述べたあと、やがてわたしへと振りかえった。
「そういえば聞くが、なぜ君はそんな“てるてる坊主”みたいな格好をしているんだ?」
「えっ」
まさかそう来られるとは思ってもおらず、わたしはひるんだ。
思えば、今朝からずっとぶかぶかローブのままだった。それも首元をカフスボタンで突き破るという、いやに前衛的な洋装だ。
確かに他人事だったらとっても気になる格好だろう。
アレクはわたしの格好を上から下までひとしきり見まわすなり、にやりと笑う。面白い玩具を見つけた子どものように、その新緑の瞳に光が走った。
「あーあーあー…王宮魔術師の官服も、こんなぞんざいな扱いされるとは思ってもみないだろうなあ」
「あのごめんなさい……わたしの服が古くなって、ヴェイドさんが気を使ってくれたの。とても高価なものだと思うし、その、何年かかっても弁償するから……」
「大丈夫、気にするな。これで母上に報告できる楽しいコトが増えるから!」
アレクはなぜか非常に嬉しそうで、わたしはなんだか気圧された。
さっきから、ヴェイドさんの知り合いは全員みょうな人ばっかりだと思ったのは、誰にも言わないでおこう。
そしてヘンテコローブの話はこれで終わらなかった。
ヴェイドさんがふいに顔をあげたかと思うと、こう言ったのだ。
「ああそうだ、アレク。丁度いいから、彼女にローザリアの服を何着か譲ってくれませんか? 見ての通り、ぞんざいで適当なぼくのローブなものでね」
ヴェイドさんはアレクを見ながら大げさな口調で言った。
ああもう悪かったよ僕が悪かった、とアレクはうんざりとした顔で、しかし全く悪びれてなさそうに返した。ローザリアというのが、おそらくアレクの妹なのだろう。
「でもローズの服は基本的にドレスだぞ? フィオナの大きさに合わせたって、あれを着るならある程度の支度がいる。毎日おまえにそれができるのか? むしろやってくれると僕は毎日愉快だけどな」
「ならペチコートでも何でもいい。とりあえず今よりマトモな格好なら構いません。このままでは彼女が可哀想です」
「確かにこれ以上、マトモじゃない服はなさそうだが……」
なんとも酷い言われように、さすがに情けなくなるわたしだった。
それにしても……。
別の服がもらえるのはありがたい話だけど。アレクは間違いなく貴族なのだし、たぶん妹のローザリアさんというのも貴族の子女だ。十中八九、高すぎると言える服を“ありがとう!”だなんてもらっちゃう神経はわたしには無い。
「その、ボロでもいいの。ペチコートなんかじゃなくって」
わたしはおずおずと切り出した。
「なにか捨てる布きれとか、そういうのもらえるなら自分で縫うわ」
こう見えて裁縫は得意だ。
ずっと母親と二人きりで暮らしてきたのだから、必然的にそうなっただけなのだけど、自分の服を作るぐらいはわけがない。
とてもいい案だと思ったのに、アレクは微妙な顔になった。不思議に思ってヴェイドさんを見るが、彼も苦笑している。
「うーん……まあ、布きれはまた別の機会だな。身分の高い侍女にでもおさがりをもらうか」
「それが妥協案ですね。後でその侍女の名前を教えてください、お礼のひとつも考えましょう」
「いやいい、俺が褒美でもやることにする」
どこか憔悴した様子のアレクは、おもむろにわたしの手を取った。
「長年王子をやってるが、ここまでショックを受けたのは久々だ。民衆に寄りそうには、僕もまだまだということかな」
え、王子? いま、王子って言った?
状況がよく呑み込めないまま、気がつけば、わたしはアレクに手を引かれて部屋を出ることになっていた。
◇
それからわたしが連れて行かれたのは、彼の私室という場所らしかった。
どうしても感触が慣れない、分厚い絨毯の上を歩いていき、そして今わたしは柔らかなソファの上に座っている。
ここで待てと言われて、すでにいくらか時間が経っていた。
あいかわらず、どこに居ても手持ち無沙汰のわたしは、戸惑いがちに辺りを見まわす。やはり、高そうな部屋だという印象しか持てなかった。
部屋の内装はヴェイドさんの仕事部屋とはおもむきが変わり、水滴みたいなガラス粒をいくつもぶら下げたような照明が、天井からゆらりとぶら下がっている。壁際に並んだ透き通る硝子窓には、金糸の入った濃紺のベルベットのカーテンがまとめられていた。
でも趣味が悪いという気はしなかった。
豪奢というよりは繊細と言いたくなるようなこの部屋は、水色をもっと薄くしたような爽やかな壁紙に縁どられ、なんとなく風のように明るいアレクに、ぴったりだと思う。
まあいずれにしても、わたしには縁のなさそうな部屋ではあるけど。
そして不意に、部屋の扉が開かれた。
「待たせたな、フィオナ」
アレクだった。
「よしおまえら、適当に見立ててやってくれ」
「「「「「畏まりました、殿下!」」」」」
「えっ」
アレクに続いた副音声にわたしは顔を引きつらせた。なんとなく嫌な予感がするわ。
わたしの予想というのは案外あたるもので、アレクの後ろからぞろぞろと続いたのは、先ほどの侍女さん集団。でも顔ぶれが違うところを見ると、どうやらヴェイドさんの部屋に居た人たちとはまた別の人のようだ。
彼女たちは両手に箱のような荷物を抱えており、わたしを見るなりきゃあきゃあと楽しそうな声をあげた。
「いやん、なんて可愛いお嬢様なのかしら」
「閣下のお子様だというのは本当なのかしら?」
「本当にお可愛らしい。お顔立ちは幼いころのローズ様を思い出しますわあ……。フィオナ様とおっしゃったかしら、流れる漆黒の髪がとっても美しいですわね」
「これはもう磨き上げるしかないですわね」
「ええもう、これはワタクシ達『侍女』の沽券に関わる問題ですわ。先ほどの先達たちに負けてなるものですか! ケイシーもシェリルも、くじ引きに勝ったときのあのムカツク顔ときたら!」
「お嬢様を完璧に磨き上げ、今こそわたくし達の威厳を取り戻すのです!」
「「「そうですわ、そうですわ!」」」
「……あの、普通で結構です」
「まあ、お声も可愛らしいわ!」
引き気味のわたしに構わず、彼女たちはわたしを取り囲んで次々と衣装を引っ張りだした。
彼女達にもなにやら負けられない事情があるようだが、いや、それにしても。
――こんなこともあろうかと思って実家から持ってきて良かったですわ、あら今の流行は淡い色をメインにするというのが常識ですわ、こんな真っ赤なドレスなんて流行遅れにもほどが! そういえばワタクシ、旅商人から買った異国の衣装を持ってますのよそれはどうかしら、ほほほ――などと好き勝手言っている。ああ、どうしよう。
ぎこちない動きでアレクに助けを求めると、彼は何を思ったのか、とっても爽やかな笑顔で片目をつぶった。違う、そうじゃなくって馬鹿!
そうしているうちに、侍女さんの一人がアレクに振り返った。
「もうアレク殿下、空気を読んでくださいな。殿方は入室禁止と相場が決まっております」
「へいへい。じゃあ、フィオナをよろしくな」
ああ、唯一の救いが。
わたしの切なる声も届かず、アレクは手をひらひらと振りながら出て行ってしまった。そして部屋に残されたわたしと侍女さんたちは、めくるめく“ファッションショー”を繰り広げるのだった。