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第二話:バタフライ効果

駅の小さな出口から、人の波が押し寄せる。初め小さな波紋のようなその波は、大きなうねりとなり、小さな街に幾何学的な波紋を生み始める。

 人と人が蠢き始め、夜の帳はその姿を曖昧に、それでも影絵のように、明確に細部まで浮かび上がらせる。

 首都から遠くも無く近くも無く。それでも社会に情報を発信出来るサイズの地方都市ならば、その絵画はより鮮明に、克明に描き出される傾向にあるのだろう。

 それは、都市という巨大な器官の一部。細胞一つ一つが引き起こす現象の集合体であり、逆の視点から見れば、その縮図が細胞一つ一つに映し出されているとも言える。

 都市の縮図。人と人が互いに何かを発信し、互いに何かを受信する場所。

 例えば、今自分が立ってプレイしているブース。そして、その音を受けて蠢くフロアの人波――この街のクラブ。『カドゥケウス』のファーストフロア。

 自分の作り出した音が、ノートパソコンの画面の中から、現実のスピーカー。そして空気を媒体にして、リスナーの頭に飛び込む、その火花は、体の中でまた電子に還元され、体の細部に染み透り、祭りの燃料になる。

 ブースの中。何かに憑かれたように四方のシンセに手を躍らせながら、今夜のホストである少女は考える。哲学的だとか、カルト的だとか、その辺の野次は、ココでは聞こえない。集中した頭が考える思考は、驚くほどクリアで、混沌とした感じがする。


……キュッキュッ。


 熱気。乱舞。哲学。ドロドロとした感情の渦で満たされたフロアの中で、ブースの少女のプレイも、フロアに充満する嬌声も耳に入らないようにグラスを拭く青年が居る。

 フロアの入り口から右手に位置するショットバー。打ちっぱなしのコンクリートを抉って作られたそこで、カドゥケウスのロゴの入ったシャツを着て、もくもくとグラスを拭く。

「バイト生。も少し曲聴けよ、金貰える上に曲聴ける特権。活かして無くねぇ?」

 先輩職員に声を掛けられて、バイト生がグラスを拭く手を止めて顔を上げる。照明に照らされて、名札がキラリ。

 WAVE。そう書いてあった。履歴書に書いてある本名は入江。入江波来。

「大体。Florist(花屋)のプレイは一月に一度。学生だかんな、貴重だぞ?」

「……興味無いっス」

「お前が興味無くても、俺はあんの、ゼッテー落とす。マジいい女だし」

「……だからー、プレイしてる奴の素性にも、先輩の好みにも興味無いっス。でも、結構ヘヴィープレイされてますよね、この人の曲。そっちには興味ある」

 取り敢えず。話の方向を流しながら、波来は曲を聴く。

 グラスを拭いてる間も曲は聴いてた。波来は、もともとフロア派じゃないだけだ。音楽を聴きながら踊れる程器用じゃない。

「ヘヴィーじゃ効かねーよ、フロアキラー。K1st発の」

 K1st。カドゥケウスのファーストフロアでプレイするのは、地元のDJじゃなくとも難しい。もっとも、古巣的なアングラクラブだから、リスナーも地元以外だと結構限られる。それでも、自主制作のCDは売れ行き好調だし、だんだんメジャーになりつつあるのは確かだ。

「今流れてんのが『bible』。歌モノだと最初の頃のやつ。歌詞がまた良いんだ。俺は、英語わかんねぇけど」

 フロアが静かになる。先輩の話は聞いてないが、曲は聴いている波来は、その変化を捉える。グラスを拭く手は止めない。仕事だから。


『後ろは振り向かない。一人でも歩く。

 その先だけを見て足元も見ずに、転んでも立つ。

 笑い声は子供が奏でる。

 鳴かないカナリアが自分の哲学を代弁する……』


 ほとんど意味は聴き取れない。カナリアとか、チャイルドとか言ってるのがわかるぐらい。飴の包み紙みたいにエフェクトかけた声は、曲の一部になって流れる。

 狂喜乱舞ドラムロールと、ウネウネしたシンセの音が、何かエロくて官能的。スピーカーの配置も計算してる。出来ればフロアのど真ん中で聴きたいぐらいだ。

「スゲーな、ダメなトランスみたいにヌルくないし、イッチャってるガバとも違う。先輩。この曲ってムンベ? 何か違うなー、ハッピーハードコアとか?」

「うっせ、俺の瞑想の邪魔すんな、ヤベー、マジいい。ムゥアァアアアベラス!」

「……マーベラス?」

 ぶっ壊れてトリップし始めた先輩を脇に置いて、波来はまた考える。

 トランスとかテクノとかの電子音楽は、突き詰めればフロアで踊れるアッパーなのと、部屋でゆっくり流すダウナーっぽいのに分かれる。

 もちろんジャンル分けはある。……あるけど、最近は正直分けられないぐらい増えてる。

捻くれた見方をすれば、メジャーのアーティストが歌ってる曲だって、大なり小なりテクノロジーを使ってるからテクノだー。なんて言う人もいるくらいだ。

 それでも無理やりFloristの曲をジャンルにハメようとして、波来は頭を使う。

 リスナー無視してドカドカ鳴ってるドラムは、微妙に表情を変えてく。ドンッドンッを繰り返す四つ打ち系じゃない。何となく不安にさせるし、やっぱムンベ?

 でも、シンセのラインが有機的で綺麗。っー事で、寄せては返すトランス?

 フロアはどうだろう。テンションが落ちて無いんでアッパー系なのは確定。でも、フロアとアクリル板で仕切ったリスニング席の客がシンミリ聴いてるから……?

「だー、わっかんねぇ……でも聴き易いしなぁ」

 波来は、良く言えば繊細で、悪く言えば神経質だ。だけど、いい曲なら良いって感じで大雑把なところもある。血液型はB型――A型っぽいB型人間。って、友達に言われた。

 背は高めで180cm。高校の頃はバスケ部だった。でも、むしろ帰宅部だった……。今でもそれなりに体は鍛えてるから、夏が来ても大丈夫。

 髪は結構長いけど、それでも髪質が細いから、邪魔にはならない。バイク乗る時にウザイ程度。顔は少々面長で、少し大きめの目と相まって童顔系。でも、小奇麗にまとまってるつもり。フルフェイスからはみ出す程じゃないから、やっぱり悪くない顔だと自認してる。

「何でもイーって。ドラムンベースでもトランスでも、飛んじゃえばさー、ドラッグみたいに効けば、それでいーんだよ。大体ジャンル分けなんて、聴いてる奴は気にしねーだろ?」

 クターっと、踊り疲れて波来に寄り掛かりながら、先輩が耳元で喋る。仕事中でも御構い無しでタバコ吸うから、かなりタバコ臭い。スタミナが無いのはそのせいだ。

 波来は、どっかの社会人がテレビの街頭インタビューで言ってた言葉を思い出す。

『今の社会は、重度の麻薬中毒と一緒なわけ! テクノミュージックと麻薬の関連性はその登場と同時に言われてきたし、タバコだってそうだ! 私はアレが大嫌いで……云々』

 その時は、みんなこうなら国外逃亡しよう、と思った。っーか、その社会人から見たら、先輩はかなりのジャンキーって事になる。テクノとタバコのカクテル光線だ。

「ドンマイ。先輩」

「サンクス。バイト生……って、なんで俺慰められてんの? 何かスゲー寒いんだけど」

「惜しい、も少しボケてくれば寒くなかったのに」

「まー、何でもいいけど、お前の性格は細か過ぎんだよ、それが全部悪い! とにかくあの子の顔を見ろ! 背は小さいけど、それがまた背徳的と言うか、顔のラインも体のラインも、なんか折れそうで堪らんし、そんな無邪気でおとなしそうな感じなのに、プレイに乱れる群衆を手の上で操るような妖艶さと言うか電波と言うか……ムゥアァアアアベラス!」

 ……またぶっ壊れた。

 会話の回路が切れてしまった先輩に苦笑しながら、波来はブースを見る。

 目が合ったように思ったけど、多分違う。目元で笑うってのはこう言う事なんだなーと思わせる顔。トロンとしてて何かエロい……失言。

 もうちょっと上品に、先輩を見習って妖艶とか? ?シネっぽいんで却下。もう何かわかんないけど、すごい顔してるのは確かで、付け足せばかなり美人。先輩がぶっ壊れたのは、多分音楽だけのせいじゃない。

「なるほど」

 ようするに、音楽のジャンル云々じゃないわけだ。リスナーを躍らせてフロアを沸騰させる音。それを作り出して、尚且つ楽しんでいる。

「そういう仕掛けね」

 流行りってのは、考えても分からない所に理屈がある。踊るのに理由は要らない。必要とされない理由を考えても仕方ない……。波来は考えるのをやめた。曲も終わる。

 一度沸騰すれば、人間はなかなか冷めない魔法瓶みたいなものだから、パーティが終わってもリスナーはざわついたまま、機材をそのままにして、ノートパソコンを畳んだFloristがブースから消える。去り際がニクいと、波来は思う。

 パソコン畳んで、ついでにお辞儀。

 カクンと、首が折れた人形っぽい――何となく思った。本人が考えての演出だろうか?

「先輩。あの子いいっスね」

「お前にはやらねーよ?」

「いや……そう言う意味じゃなくて」


 K1st発の波が、特注サイズの回転ドアから流れ出す。それは初めドアの前で揺れて、次第に一つ一つに別れて弱まっていく。だけどそれは他の波紋に混じって確実に広がる。きっとこの国全体に広がって、今度は本物の海を越えて他に国に行く――。

 その波が弱まらないように、どんどん強くなるように、自分は音楽をする。

 まだまだ津波は起こせないけど、それでも、人を波立たせる事は出来る『=』この調子で頑張れば、その内津波も起こせる。と言ったら、自信過剰?

 脳が沸騰してるんだと思う。屋上で見下ろす人の波は、何ともちっぽけで、どうでもいい優越感だけが、自分を特別だと認識させてくれる。

「何だっていいじゃない。結局。電波の娘でも、この世界からは逃げられないんだから……」

 こんな時間でも迎えに来てくれる親に感謝しながら、ちょっとなげやり気味に、今夜の震源地は呟いて、屋上のフェンスにもたれ掛かる。空が明るい。今夜は満月。


 ……キュッキュッ。


 フロアの掃除をしながら、波来は何となく思う。人の念が残っていると……波来は決して神経質ではないが、それでも、さっきまで人のエネルギーが迸ってた場所に立ってみると、何だか不思議な感慨が起こらないでもない。

 神経質と言えば、波来の高校時代の友人である『彼女』は、今頃何をしてるのだろうか? 

 出し抜けな思考が、波来の中に波紋を起こす。ここ最近。カドゥケウスにも来てないし、メールとかもしてない。多分。彼女の事だから、今も難しい顔(波来にとって)をして、音楽を作ったり、文を書いたりしてるんだろう。

 それも、何処か疲れたような感じで……高校の頃から、時々そんな顔をしていたけど、何だか最近は、狭い部屋にでも閉じ篭っているかのような閉塞感を思わせる雰囲気になってきたように思う。

 何となく心配だ。彼女は、自分の力ってのを、いまいち信じ切れないタイプの人間だった。それはそれで、繊細さの証であり、上昇志向の代名詞とも言えるのだが……。

 空のブースに目を向ければ、青白い影が見える錯覚すら覚える存在感。

 多分。彼女の事を思い出したのも、その存在感の主のせいかも知れない。今夜の震源地は、もう帰ったのだろうか? 機会があれば、彼女にも、今夜の祭りを見せてやりたい。

「何してんのかなぁ……安栖里は」

 『北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる』――バタフライ効果が、静かに働き出した瞬間だった。案外。日常とは、非日常の歯車が生んだ現象の連鎖なのかも知れない。

 だけど今は、そんな事は誰も知らない。知る必要も無い。そんな、祭りの後の満月。

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