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 どうしても付いてゆくと言い張った少佐ひとりを連れ、フェリアは国境警備隊員達の前に姿を現した。「面白そうな出し物なので、特等席で見届けたいんですよ」と(うそぶ)き、軍刀(サーベル)一本ぶら下げた格好で付いてきた少佐は、どういう神経なのか顔つきもすっかり物見遊山気分である。ついさっきまで死闘を繰り広げていた敵の前に出て行くという緊張感はまるでない。

 もっとも、国境警備隊側に妙な動きがあれば、即座に〈帝国〉軍部隊が容赦のない打撃を叩きつける手筈になっている。

「少佐! 何のつもりだ!?」

 シラン大尉が少佐を睨みつけて怒鳴った。

「知らねぇよ。俺は護衛として付いてきてるだけだ。話なら、おたくの国のお姫さんに訊け!」

 大尉は小さく鼻を鳴らし、傍らに囁いた。

「……中尉、構わん。撃ち殺せ」

「駄目です。〈帝国〉軍部隊に狙われてます。ひとまず、言うとおり話を聞きいて、様子を見ましょう」

「中尉、貴様──っ!」

 憤怒の形相で睨みつける大尉を無視し、中尉はまっすぐにフェリアの方だけを見詰めていた。

 自分達が、ついさっきまで殺そうとしていた女──そして、〈王国〉臣民として、本来ならば絶対の忠誠を誓わなければならない対象でもあるはずの「王女」。

 だが、決起に参加すると決意した時点で、打倒すべき腐敗した「現体制」の一角を担う「王室」への忠誠などとっくに打ち捨てていた。決起の趣旨に賛同し、「新体制」に相応しい王族を連れてきて「新王室」を作ればいい。集会で誰もがそう口々に主張し、自分も疑問に思わなかった。そこでは、既に「王室」や「王族」は神聖不可侵な存在ではなく、権力機構を構成する取り換え可能な「部品(パーツ)」でしかなかった。

 具合の悪い「部品(パーツ)」が逃げ出した。その「部品(パーツ)」が〈帝国〉の手に渡れば、いいように利用されてしまうだろう。だから、そうなる前に自分達の手で壊してしまうのだ──それが、自分達に課せられた任務。「決起」というシステムに進んで組み込まれた、自分達の「部品(パーツ)」としての正しい「役目」……。

「………………」

 何故だろう? 何か、ひどく居心地が悪かった。何か、どこかで大きく間違ってしまった。だから、今のこの惨状がある。

 だが、どこでどう間違ったというのだろう?

 フェリアがその場から一歩、足を踏み出した。

 雲の切れ間から月光が差し込み、木立の隙間を抜けてスポットライトのようにその場を照らす中、すっと顔を上げる。ひとりひとりの隊員の表情を確かめようとでもするように、ゆっくりと顔を巡らせる。

 そう言えば、彼女をこうして間近にこの目で見るのは初めてだ、と中尉は気づいた。新聞や雑誌のグラビアなどで目にすることはあったが、こうして見る限り印象はだいぶ違う。髪はほつれ、純白だったダウンジャケットやズボンは、あちこち擦り切れ、汚れが目立っていた。

 一言で言ってひどい格好だったが、けれど、その瞳には何か圧倒されるような力強い光が宿っていた。

部品(パーツ) 」でも「記号(シンボル)」でもなく、血肉の通ったひとりの生身の人間がそこに在る、その存在感だろうか。

 銃で武装した兵士達、それも傷つき、殺気だって、いつ何かの間違いで引き金が引かれてもおかしくないその眼前で、臆することなく立つ者がいれば、確かにただそれだけで賞賛と敬意を払われてしかるべきだろう。

 気の所為か、あれほど悪態を付いていたシラン大尉でさえ圧し黙っている。

 誰もが固唾を呑んで見守る中、フェリアは小さく息を吸ってから話し出した。

 

「私は今日、結婚式を迎えるはずでした。

 国民の誰もが祝福し、家族もそれを祝ってくれていました。

 ですが、私自身は自分の気持ちがよく判りませんでした。すべては周囲にお膳立てされたことで、自分の気持ちをそのどこに置けばいいのか、よく判らなかったのです。

 けれど、では自分自身の意志としてはどうしたかったのか、と考えようとした時、そこに何もないことに気づき、私は恐怖しました。

『王女』という機能や役割で作り上げられた私自身の中身は、いつの間にかからっぽだったのです。

 いつからそうだったのか、それを考えることすら怖くて、結婚式直前の控室で震えていました。

 そこで、事件が起こり、何もかも一切がなかったことになり、私はここにいる〈帝国〉の軍人に連れ去られたのです」

「人聞きの悪い」少佐が小声でぼそりと呟く。

 フェリアは無視して続けた。

「私は、でも、心のどこかでほっとしていました。これ以上、からっぽの自分と向き合わなくて済むと思ったからです。

 けれど、私の心はからっぽのままでした。

 からっぽの私は、ラジオで今日結婚する筈の、婚約者だった人の死を聞いた時も、何も感じませんでした。

 ですが、私が婚約者を喪うのも、その死の報に接して何も感じなかったのも、これが初めてではありません。

 五年前、〈帝国〉の皇族だった婚約者を喪ったときも、私は何も感じていませんでした。

 だからきっと、その前からずっと私はからっぽだったのです」

 フェリアは沸き起こる痛みを堪えるように、小さく息を吸った。

「彼は『戦争』で命を落としました。出征する前に最後に会ったとき、これは『高貴なる者の義務ノーブレス・オブリージュ』なのだと言い遺して、彼は私の前から去って行きました。

 それを、あの時の私はどこかで自分への裏切りと捉えていました。

 彼はもっと運命に(あらが)うべきだった。『戦争』に征かずに済む方法をもっと熱心に探るべきだった。少なくともそのポーズくらいは、示して欲しかった。──私を本当に愛しているなら。

 そう考えてしまったのです。

 だから、あんなに簡単に、従容として『戦争』へと向かった彼の姿に、私は自分がそれほど彼に愛されていなかったのだと傷つき、心を閉ざしてしまいました。

 でも、私は判っていなかったのです。

『戦争』があれほど残酷なものであったことを。あれほど無惨で、理不尽なものであったことを。

 それを私に教えてくれたのは、ここにいる少佐と皆さんの『戦争』でした」

 フェリアは傍らの少佐を振り返り、そして周囲の兵士達の顔をもう一度ゆっくりと見廻してから、再び語り始めた。

「私は、今日一日、皆さんの『戦争』をずっと見てきました。

 多くの血が流れ、多くの命が喪われました。

 そこで行われていたのは、人間をその人格や可能性ではなく、機能として潰し合う『戦争』でした。

 物語の世界で語られるような、敵味方で勇気や武勇を称えあう騎士達の戦いとはまるで違っていました。

 勿論、私も近代戦とはそういうものだと知識では知っています。

 でも、それが本当はどういうことを指し示すのかを、実感することなく私は過ごしてきていたのです。

 そしてそのことによって、それは今日一日のこの『戦争』だけでなく、私の婚約者が向かった『戦争』もそうだったことに気付かされました。

 そこは激しい戦いが行われた場所だったと聞きます。多くの兵士達が命を失い、身体を磨り潰され、人格が否定された場所でした。

 私の婚約者はついに屍体も見つからぬまま、戦死の認定がされてしまいました。どんな死に方をしたのか、それまでにどんな戦い方をしたのかも判りません。誰か看取ってくれる人がいたのか、その死に際して何か言い遺したいことがあったのか、どんな想いで死を迎えたのかも判りません。まるで砂漠の砂の中に溶けて消えてしまうように、何も遺さず消えてしまいました。戦死の認定も、それが行政のシステムによって機械的に処理されたにすぎません。

 そんな死に方をした人は彼ひとりではありません。我が国からも多くの若者が『戦争』に向かい、同じように亡くなっています。何も特別なことのない、『戦争』の日常の風景でした。

 でも、私は悔しかった! 悔しくてたまらなかった!

 彼は──いえ、人間は、そんな理不尽な死に方をしてはいけないんです!」

 フェリアはいつしか頬を涙が伝っていることに気付いた。だが、それを拭うこともせず、叫ぶように話し続けた。

「私は彼がどれほど優しい人だったか知っています。どれほど聡明な知性の持ち主だったか知っています。人間と世界とを慈しむ、美しい心根の人だったことを知っています。私にとって誰よりも大切な、掛け替えのない人だったことを知っています。

 そんな私の知る彼の価値や可能性を、『戦争』は何ひとつ認めず、すべてを否定してこなごなに壊してしまいました。

 その彼を奪われたことで、自分の心は傷ついていました。あまりに深く傷ついたものだから、傷ついたことすら気付かないように目を逸らしていました。

 私がからっぽであったのも当然です。傷ついた自分をなくしてしまえば、そこに何が残ってるはずもなかったのです。

 そしてきっと私だけでなく、『戦争』で喪われた命の周囲には、こうした傷ついた心がもっとずっと多く存在しているのです。

 そのことに気付いたとき、私はもういやだ、と思いました。

 もうこんなことは、繰り返したくない、そう思ったのです」

 フェリアは頷いて、続けた。

「今日一日で、死んだ人々も誰もが皆、こんな死に方をしなくてもいい人々だったはずです。それは同僚である皆さんがよく知っているはずです。

 そして彼等のご家族や、恋人、同僚である皆さん自身の心も、きっと深く傷ついた。

 今回の決起の辿りつく(はて)は、祖国の国土すべてを『戦争』に捲き込んで、そうした犠牲をさらに積み上げることにあります。

 そんな事を許すわけにはいきません。

 これ以上の理不尽な死を、傷ついた心が増えるのを、許すわけにはいきません」

 大きく息を吸い、フェリアは言った。

「私は、ここで皆さんの投降を求めに来たわけではありません。

 この『戦争』を防ぐための協力をお願いに来ました。

 そしてそれは、〈王国〉第1王女としての私ではなく、ひとりの人間として、フェリア・ド・ラトゥールとしてのお願いです。

 私と一緒に、この『戦争』を防ぐために、力を貸してください。

 私達の愛する祖国を『戦争』から救うために、力を貸してください」

 フェリアは深く頭を下げた。

 

 ついさっきまで自分達が殺そうと──その価値の一切を否定し、排除しようとした女性が、力を貸してくれと頭を下げる姿を、ホルト中尉は呆然と見詰めていた。

「………………」

「くだらん!」中尉の横で、シラン大尉が吐き捨てた。

「くだらん女子供の戯言だ。耳を貸すな。こんなもの、『戦争反対』のお題目さえ唱えていれば、世の中丸く収まるとでも思ってる腐った平和主義者の戯言と一緒だ。そんなもので世界は変わらん。

 そうだろう、少佐?」

「さあな」少佐は肩をすくめた。

「俺には俺の『戦争』がある。彼女とは違うが、別にそれに合わせにゃならん筋合いはない。俺の王女様ってわけじゃないからな。

 ただ、彼女はおたくらの国の王女様で、その王女様が頭を下げて頼んでるのを、あんたら自身がどう受け留めるかって、そういう話なんじゃないかね」

 愉しげな笑みすら浮かべて告げる少佐に、大尉が絶句する。

「ふざけるな、貴様──っ!」

 激昂して叫びかけた大尉の横で、中尉は自動小銃を足許に投げ出した。

 蒼褪めた表情で足許の銃を見つめる中尉の胸倉を、大尉が掴む。

「貴様、何をやっとるか!」

 だが、中尉だけでなく、他の兵士達も次々に銃を投げ捨て始める。

「貴様ら──」

「……もう駄目ですよ、大尉」中尉が呟くように言った。

「我々の負けです。もう誰も彼女に銃を向けられない」

「何を言う」

「判らないんですか?」中尉は首を振った。

「彼女は私達の王女なんです。それが今初めてやっと私にも判った。

 彼女は、国家システムの『部品(パーツ)』でも『記号(シンボル)』でもない。

 兵の死を悼み、その家族の悲しみに思いを寄せ、祖国を救うために敵であった我々に頭まで下げた。

 彼女こそが私達が忠誠を誓うべき君主であることを、この場で示してみせたんです。

 我々国境警備隊の誰もが祖国に銃を向けられないように、彼女にも銃を向けられるはずがない!」

「ふざけるな!」

 大尉は中尉を突き飛ばして、フェリアの方を向いた。

「俺は認めん! 認められるわけがない!

『戦争』がいやだ、だと。いまさら何を言うか。

 何万人も不毛な戦場で磨り潰して、その間、後方でのうのうと繁栄を謳歌してきた奴らが、この期に及んで『戦争』を否定する、そんな資格があるか!

 俺達が戦場で流した血と、切り刻まれた肉片を(すす)って得た金で、安全で豊かな生活の中でぐずぐずと怠惰に腐ってゆくだけだったこいつらに、『戦争』の否定などさせん!

 それでは何だ? 戦場で、あの『戦争』で、喉元をナイフで掻き切られ、爆弾で吹き飛ばされ、戦車の履帯(キャタピラ)で踏み潰されたあの男達の死に何の意味もなかったとでも言うのか? 一晩中、母親の名を叫びながらのた打ち廻って死に、火炎放射器に焼かれ、燃料焼夷弾(ナパーム)の炎に捲かれて呼吸もできずに自分で喉をむしり破って死んだ、あの男達の死は何の価値もなかったというのか?

 そんなこと、認めてたまるものか。

 お前たちは知るべきなのだ。『戦争』の何たるかを。誰もがその身をもって、『戦争』の真実を知るべきなのだ。

 そこからしか、この国の再生はありえない!」

「シラン大尉……」大尉の叫びを黙って聞いていた少佐が、ため息まじりに頭を掻きながら言った。

「そいつは、ただお前さんが寂しいって駄々をこねてるだけの話に聞こえるぜ」

「……何、だと……?」

 殺意すら籠った大尉の視線を平然と受け留め、少佐は告げた。

「あそこは最悪の糞溜めだったし、今でもその糞溜めから這い出ることすらできずにのた打ち廻ってる人間がいることは、俺自身が自分の生きざまを振り返ってみればよく判る。

 だが、何もかも糞溜めに叩きこめば、それで済むって話でもないだろうよ。

 シラン大尉、お前さんは、そんなに糞溜めにひとりで浸かってるのが寂しいのか?」

「……少佐ぁ……っ!」

「判るぜ、ご同輩。囁くんだよな。死んじまった戦友が、部下が、上官が、この手で殺した敵兵達が。

 お前は何でまだ生きてるのか、と。ひとりで糞溜めから抜けようとするな、と。

 だがまぁ、死んじまうってのは、そんなもんだわな。それに糞溜めに漬かったまま、この世に漂う人生ってのも、そんなもんだ。

 素直に受け入れて、いつか自分が糞溜めの底に沈む夢だけひとりで見てりゃあ、それでいいじゃねえか。それも耐えられなくなったのなら、手前で首でもくくれば済む話だろうが。

 そんなものに仲間を求めてどうするよ」

「………………」

 つまらなさそうに語られる少佐の言葉に、フェリアは慄然とした。

 ある意味、大尉などより遥かに深い虚無の底で生きているのか、この男は。世界にともに絶望することを望む大尉以上に、他者に何も期待していない。「生」に何の価値も認めていない。憎悪すら、必要を感じないから抱いていない。これも「戦争」が産み落とした怪物(モンスター)のひとりなのか。

 たぶん、自分の言葉は彼には届いていない。そのことをフェリアは苦く認めた。こんな深い虚無の底に届く言葉を、自分は持っていない。

 それでもいつか、そこに届く言葉を持った人が彼の前に現れるのだろうか。虚無の底に眠るであろう、彼の魂に触れることのできる人間が……。

 大尉が怒りの咆哮を上げた。

「ヒュー・タム! ふざけるな、貴様っ!」

「いいぜ、こいよ」少佐は機械の右手で手招きしながら、言った。

「決着をつけてやる」

 そう笑いながら告げる少佐の横顔は、フェリアには彼の方こそよほど寂しげに見えた。

 国境警備隊隊員達をフェリアが説得するお話。

 いよいよラス前です。

 

 フェリア王女による説得の場面は、このお話を書いていて一番苦しんだシーンです。

 プロットでは「説得する」の一言で済みますが、実際に文章に落してみると、一読して「これは相手に届かないな」というようないい加減な言葉では、場面が成り立ちません。

 字面だけ立派な文章を並べても、この場面までにキャラが積み重ねてきたものを踏まえていないと説得力を持たない。

 その意味で、アクションシーンの方が、書く方はずっと楽ではあります。

 このお話でそれが成功しているかどうかどうかは、読者の皆様のご判断にお任せします。

 でも、作者としては、やっぱりちゃんと言葉が届いてくれてるといいなぁ。

 

 次回は少佐vsシラン大尉の最終決戦とエピローグの2話同時掲載の予定。

 更新は来週2月12日(日)の予定です。

 乞うご期待。

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