笠間の小徳
小徳(笠間の小徳):まっすぐな気性のやくざ者。
りく:小徳の妻。貞淑で、夫思い。
おかみさん:巌通寺宿の旅篭・春日屋のおかみさん。
文五郎:若い花火師。
和尚:巌通寺の和尚
寅美(お稲荷お寅):お稲荷元兵衛の一人娘。小徳を親の仇と狙う。
弁太:寅美の子分。少し頭が廻る。
巌鉄:寅美の子分。力自慢。
六:寅美の子分。役立たずの三下。
久蔵(巌通寺の久蔵):巌通寺宿を縄張りとする一家の親分。悪者。
遁吉(杉橋の遁吉):久蔵の子分で代貸。
円七:久蔵の子分。乱暴者の三下。
四郎右衛門(垂井四郎右衛門):浪人で、久蔵の用心棒。無口。
その他:捕方、やくざ者など若干名。(二役可)
- 男9名、女3名 -
<注>
文中にある「こんデレスケ(=この馬鹿野郎)」「~でごんす(=~でござんす)」と
いうセリフは、登場人物の出身地方の言葉を取り入れたものですが、わかりにくいと
思われた場合は適当な言い廻しに変更をお願いいたしします。
第1場 別れ
街道の追分。
りくが旅装の小徳の手を引いて下手から登場。二人が立ち止まる。
小徳「おりく。ほんとうにすまねえ。」
りく「何言ってるの、徳さんは間違ったことはしちゃいないでしょう」
小徳「元兵衛親分は悪い奴だった。だから斬ったんだ。」
りく「それはみんな知っています。知らないのはお役人様方だけ。」
小徳「でもそのせいで、女房のおめえにとんだ苦労をさせることに…」
りく「今さら何を言うの。徳さんと一緒になるって決めたときから、覚悟はできてます。」
小徳「やくざの女房は、辛えなあ。」
りく「徳さんは人一倍まっすぐですからね。汚いことを見ると黙ってられない性分だか
ら、いつかはこんなことになりましたよ。」
小徳「おりく。ほとぼりが冷めたら、必ず帰ってくるからな。それまで、息災でいてくれ
よ。」
りく「徳さんこそ、旅の空で病になんぞならないでね。」
じっと見詰め合う2人。
りく「そうだ、徳さん、何の足しにもならないだろうけどこれを持って行って。」
りく、巾着袋を差し出す。
小徳「これは…!?」
りく「こんなことになったときにと思って、苦しい中、やりくりして貯めといたお足で
す。」
小徳「いや、いけねえよ。これはお前が持っててくれ。」
りく「いいえ。あたしはなんとかなります。旅に路銀は必要よ。」
小徳「いけねえよ。」
りく「後生です。あたしにも、何か役に立つことをさせて。」
小徳「(涙をこらえ)…すまねえ。じゃ、借りてくぜ。(懐に入れて)俺からなにもしてや
れねえのがくやしいや…」
りく「それじゃ…何か、肌身はなさず持っていられるものをひとつ、頂戴。再び会える
その日まで、それを徳さんだと思って、大切にしていられるようなものを。」
小徳「(少し考えて懐から紙入れを出し) それじゃ、これを預けておくぜ。」
りく「これは、徳さんの大切な…」
小徳「ああ、死んだお袋の形見だ。これを返してもらえる日まで、また一緒に暮らせるよ
うになる日まで、どうか元気で、いてくれよ。」
りく「徳さんっ!」
手を握って見詰め合う2人。
捕方の声「御用だ!」「御用だ!」「あっちを捜せ!」
小徳「追っ手だ! おめえは裏道から逃げてくれ、早く。」
りく「徳さんは?」
小徳「ここで時を稼いでから逃げる。」
りく「危険なことはしないで!」
小徳「わかってる、ちょっと脅かして追っ払うだけだ。さあ、早く。」
りく「徳さんっ」
小徳「早く行ってくれなきゃ、俺がそれだけ危険になるんだ。早く。」
りく「どうか、ご無事で!」
小徳「おりく、達者でなあっ!」
りく、上手へ退場。
小徳、追っ手を待ち受ける。
捕方数名、巌鉄はじめやくざ者数名が下手から登場。
捕方イ「いたぞ!」
捕方ロ「お稲荷元兵衛殺しの下手人、笠間の小徳、御用だ!」
捕方たち「御用だ」「御用だ!」
巌鉄「小徳! てめえ、よくも親分を!」
小徳「元兵衛親分ははかたぎの衆を苛めてばかり、我慢ならねえから斬った。逆が順を
斬ったんじゃねえ、順が逆を斬ったんだ。」
巌鉄「理屈を言うねえ! てめえが親分殺しの下手人ってことに、変りはねえ!」
小徳「じゃどうするんだ」
巌鉄「この場であの世に送ってやるぜ!」
抜刀。
小徳「よし、渡世のついでに習い憶えた笠間示現流、置き土産に見せてってやるぜ」
小徳も抜刀。
小徳は「とんぼの構え」から猿叫を上げての袈裟斬り。
多くの捕方・やくざ者を、殺さないように怪我だけさせて退場させる。
が、油断したところで肩に一撃食らってしまう。
力を振り絞って全員撃退するが、肩を抑え、ふらつきながら退場。
しばらくして寅美が、弁太、六、怪我をした巌鉄などをひきつれて登場。
寅美「小徳の奴はたしかにこっちへ逃げたのかい、巌鉄!?」
巌鉄「へい。しかし怪我ァしてたから、追いつくのはさほど難しくないと思いやす。」
寅美「なんでとどめを刺さなかったんだい。」
巌鉄「へい。手傷を負わすのがやっとで。手分けして捜してたのを逆手にとられまして。」
六「小徳兄ィは笠間示現流の使い手だ、小人数じゃてこずらあ。」
寅美「おかしなことに感心してるんじゃないよ、六!」
弁太「で、どうしましょう、お嬢?」
寅美「決まってる! おとっつぁんの仇だ、地の果てまでも追いかけて仇を討ってやる。
弁太、六、巌鉄! すぐ旅支度しな! 小徳のやつを追って、仇討ち旅をかけるよ!」
三人「合点!」
4人、上手へ退場。
第2場 旅篭・春日屋
春日屋の帳場と客間。
客間には小徳が病臥中。
おかみが帳場を掃除しているところへ、旅人姿の4人が。
寅美も渡世人の三度笠に合羽姿。
おかみ「あら、いらっしゃーい。」
弁太「すまねえが、ちとものを尋ねたい。」
おかみ「なんでしょう?」
弁太「年の頃なら三十前後、肩を怪我した旅人が、おとついからここに泊まっ
てるって聞いたんだが、本当かい?」
おかみ「(さぐるように)…あんたたち、その人のなんなんです?」
弁太「いや、あやしい者じゃねえよ。ちょいと用事があるだけさ。」
おかみ「肩を怪我した旅人ねえ…とんと存じませんや。」
弁太「何っ!」
巌鉄「コラ、女! 下手に出てりゃいい気になって…」
この騒ぎで小徳が目を覚まし、辛そうに寝返りを打ってから耳を澄ます。
寅美「待ちな、巌鉄! おかみさん、こいつらの無礼の段はご勘弁を。あたしは常陸の
生まれで、お稲荷お寅こと寅美と申します。お父っつぁんの仇を追っての旅の途中で
して。」
おかみ「まあ、お父っつぁんの仇討ち…それはそれは。」
寅美「肩に怪我をした旅人、笠間の小徳って人は、仇討のだいじな手がかり。この場で
斬った張ったをやろうってんじゃありません、ただちょっと話をしたいだけで。どう
か会わせて、いただけませんでしょうか。」
おかみ「(しばらく考えて)…ちょいとお待ちを。」
おかみ、客間へ。
おかみ「ああ、旦那! まだ起きちゃだめでしょう!」
小徳「すまない。寅美お嬢さんが来てるみたいだな。」
おかみ「そう。あの人たち、旦那の敵? 味方?」
小徳「・・・・(観念したように)会おう。すまないが、ここへ通してくれ。」
おかみ、帳場へ。
おかみ「小徳の旦那が、あんたたちに会うそうです。お通んなさい。」
いきりたちどすに手をかけたりする巌鉄たちを手で制して寅美、どすを右手に持ち、
柄を左へ向けて示す(渡世人風の挨拶)と
寅美「お世話かけます。(一礼) ほら、お前らも挨拶するんだよ!」
頭を下げてから草鞋を脱ぎ始める一行。
脱いでる間に、
おかみ「本当に、旦那の敵じゃないんですね?」
寅美「・・・・(ちょっと迷ってから)仮に敵でも、おかみさんに迷惑はかけませんか
ら。」
おかみ「小徳の旦那は、この奥の部屋で臥せってます。」
寅美「臥せってる? 傷の具合が相当に悪いんですか?」
おかみ「なに、八幡様の夏祭までには傷も塞がるだろうって、お医者様は言ってましたけ
どね。」
寅美「そう…夏祭ですか。」
おかみ「夏祭には花火が上がって、そりゃ賑やかなもんですよ。遠くからわざわざ見に
来る人もたくさんいましてね。」
草鞋を脱ぎ終わって上がった4人、そのまま客間へ。
布団の上で、刀を引き寄せあぐらをかいてる小徳。
六「あっ、野郎、いやがった!」
いきりたつ3人を制する寅美。
寅美「待ちな。おかみさんに約束したろ、ここで斬り合うんじゃないよ。」
小徳「寅美お嬢さん、このたびはご挨拶もせずに立ち去りまして…(一礼するが、肩を抑
えて痛みに耐える)」
寅美「(思わず駆け寄り、支えながら) 怪我が治ってないんだろ。いいから寝てな。」
小徳「(布団に入りながら) 親分の仇討ちに来たんじゃないんですかい?」
寅美「そうさ。あんたを斬りに来た。」
小徳「お嬢さんにこんなこと言うのも嫌だが、あんたのお父っつぁんという人は、かたぎ
を苛める悪い親分だった。逆が順を斬ったんじゃねえ、順が逆を斬ったんだ。わかって
くれませんか。」
寅美「理屈をお言いでないよ。どんなわけがあろうと、親の仇は親の仇さ。」
小徳「…そうですか。幸い俺はこんな体。斬るならいつでもできるぜ。だけどやるなら
せめて外で頼みます、旅篭のおかみさんに迷惑はかけたくねえ。」
起き上がろうとするが、またも傷が痛む。
助ける寅美。
小徳「ううっ…」
寅美「無理すんない。こんな怪我人を斬ったって自慢になりゃしないよ。傷が癒えるまで
待って、それからあらためて勝負しようじゃないか?」
小徳「…すまねえ。」
寅美「すまないと思ったら、早く怪我を治して、私に斬られるんだ。わかったね?」
小徳「…すまねえ。」
寅美「じゃ、早く治しなよ。」
不満そうな三人を連れて帳場へ戻る寅美。
寅美「おかみさん、あたしらもしばらくここでやっかいになります。これは前金。」
わたされた巾着の重さを確かめて。
おかみ「まあ! まあ、まあ、これはようこそ! じゃ、お部屋を用意してきますね!!」
上機嫌でおかみ退場。
弁太「お嬢、小徳の兄ィを、やっちまわないんですかい?」
寅美「言ったろ。怪我人を討っても自慢になりゃしないよ。」
六「甘えよ、お嬢! 小徳の兄ィの腕前は知ってるだろ? 怪我が治ったら笠間示現流、
返り討ちになっちまうかもしれませんぜ。」
寅美「そうなったらそうなったで。ほら、勝負は時の運て言うじゃないか。」
三人「お嬢!」
寅美「とにかく! 討ち人の私がこう決めたんだ。あいつが早く治るように看病しながら、
逃げないように見張るんだよ。いいね。」
三人「へい。」
暗転。
帳場におかみ。
そこへ、旅姿の文五郎がやってくる。
文五郎「おかみさん、こんちは。」
おかみ「おや、文五郎さんじゃない! しばらく見なかったけど、どこかへ行ってたのか
い?」
文五郎「いや、花火の仕込みでお江戸まで行ってきたんだけどね。」
おかみ「おや。じゃ、夏祭の花火がいっそう楽しみになったね」
文五郎「あ…ああ。(元気がない)」
おかみ「どうしたんだい、なにか気になることでもあるのかい?」
文五郎「いや…なんでもないんだ。(ごまかすように)それよりも、十日前から奥で寝て
るあの人…なんていったっけ?」
おかみ「小徳の旦那?」
文五郎「そうそう、小徳の旦那。どんな具合さ?」
おかみ「快方に向かってるよ。もう二・三日もしたら、自分で歩けるようになるんじゃな
いかね。」
文五郎「そりゃよかった。」
おかみ「なあに、お寅さんみたいなべっぴんさんに看病してもらえたらすぐ元気になるさ
ね」
文五郎「そういや、お寅さんて、小徳の旦那の許婚かなんかなのかい?」
おかみ「いやそれがね、とんでもない話なんだよ。あの2人は…」
そこへ出てくる寅美。
寅美「おかみさん、旦那の体を拭うから、桶をお借りしますね。」
おかみ「おっと、噂をすればなんとかだ。」
寅美「うわさ?」
文五郎「ああ、お寅さん。ちょっと。」
寅美「なんでしょう、文五郎さん」
文五郎「渡すものがあるんだ。これ…(と、包みを渡す)」
寅美「これは?」
文五郎「江戸でたまたま手に入った、オランダ渡りとかいう傷薬だ。良く効くっていうか
ら、旦那の傷に塗ってやってくれ。」
寅美「そんな…こんな高価なもの受け取れません。」
文五郎「なに、人づてで安く買えたんだよ。困ったときはお互い様さ。」
寅美「でも…」
おかみ「おっと、それじゃ、新しいお水を汲んでこなきゃ。(桶を持って去る)」
寅美「(おかみを見送ってから) 文五郎さん、本当にありがとうございます。何とお礼
を言えばいいか。」
文五郎「なに、あんたも一日も早く元気になって欲しいだろ、恋しい旦那にゃ」
寅美「恋…っ!! ちがいます! 私とあの人はそんな仲じゃありません!」
文五郎「違うのかい?」
寅美「違います。」
文五郎「それじゃ、あんたは一人身?」
寅美「そうですよ。私はただの知り合い。だいいち、旦那には恋女房がいるんですから。」
文五郎「なんだ、そうだったのか。」
おかみ、桶を手に
おかみ「はい、お水を汲んできましたよ」
寅美「ありがとうおかみさん」
奥へ去る寅美。
そこへ入って来る、遁吉・円七ほか久蔵一家の面々。
遁吉「おう、入るぞ!」
おかみ「(独り言)やな奴らが来やがった」
遁吉「何か言ったか。」
おかみ「いえなにも。これはこれは久蔵親分とこの若い衆、ようこそいらっしゃいまし。」
遁吉「おう。今度から礼金が五割増しになったから、それ、収めてくんな。」
おかみ「まあ! 今すぐですか?」
遁吉「おう。今すぐだ。」
おかみ「無茶いわないで下さいましな。そんな急なはなし。うちだって楽な暮らしをして
るわけじゃないんですよ。」
円七「なんだと、コラァ!」
遁吉「おかみさん、この宿場で何事もなく宿屋稼業を続けられるのは、久蔵一家が守って
やってるからじゃねえか。用心棒の礼金を払うくらい、人として当たり前のことだろ。」
おかみ「守ってやってるって、一体なにから守ってくださってとるんです?」
遁吉「そりゃ、おめえ、その…なんだ…」
おかみ「お代官が来れば運上金、あんたたちが来れば礼金。何をしてもらってるわけでも
ないのに、借金してまで金ばかり持ってかれて、こっちは火の車ですよ。」
遁吉「理屈はどうでもいい。とにかく払ってくんな。」
おかみ「お足がありません。せめて、八幡様の夏祭でお客さんが増えるまで待ってもらえ
ませんかね。」
遁吉「夏祭のときは、また別に集めに来る。なんせ、普段とは違って物入りになるから
な。」
おかみ「(おどろいて) これ以上持ってかれたら、こっちも商売あがったりだよ!!」
円七「なんだとてめえ!(土足で上がって文机を蹴っ飛ばす)」
文五郎「ちょっとあんた、やめてくれよ…」
円七「てめえはすっこんでろい!!(文五郎も蹴っ飛ばす)」
おかみ「(悲鳴を上げて) 乱暴しないで下さい!」
円七「うるせえ!」
そこへ出てくる、寅美と子分たち。
寅美「なんだいなんだい、やかましいね。奥じゃ怪我人が寝てるんだよ?」
円七「なんだてめえらは!」
寅美「人に名前を聞くときは、自分から名乗るのが礼儀じゃ、ないのかい!」
円七「よーし、そんなら名乗ってやらあ、俺の名を聞いて驚くな!」
寅美「驚くか驚かないか、ひとつご尊名を聞かしてもらおうじゃないか。」
円七「巌通寺宿の宿場町にその人ありと知られた、久蔵一家の円七様とは、この俺様の
ことよ!」
寅美「久蔵一家の円七様。…ふーむ。聞いたことないねえ。」
円七「なんだと?」
寅美「円七様さんはなんですかい、久蔵一家の、貸元さんかなにかで?」
円七「いいや、もーうちょっと下だ。」
寅美「じゃ、代貸の兄さん?」
円七「いやー、惜しいけどもう少し下。」
寅美「じゃ、出方の兄ィ?」
円七「うーん、もう一声!」
寅美「競りやってんじゃないよ、こんデレスケ! なんだい、ぺーぺーの三下じゃないか
い。」
円七「わ、悪ィか、ちきしょう! 兄貴、なんとか言ってやってくださいよ!」
遁吉「おいらは杉橋の遁吉。久蔵一家で代貸しを勤めてる者だ。さあ、こっちは名乗った
ぜ!?」
寅美「(ドン!と足をついて掌を出しいきなり大声) お控えなすって!」
驚いて飛び下がる一同。
寅美「…さっそくお控えいただき、ありがたき幸せにごんす。わたくし、生国と発しま
するは、常陸にごんす。常陸と言ってもちと広く、訛りも数々あってごんす。常陸の国
は茨城郷、水戸でありんす・笠間さごんす・私ゃ土浦にござります、
中で笠間十万石のお膝元、名代の笠間稲荷さんが仇名になって『お稲荷
元兵衛』、その一人娘が寅年の生まれだから名前が寅美! ただいまはお父っつぁんの
通り名を頂戴いたし、人呼んで『お稲荷お寅』。駆け出しのつまんねえおなごにごんす
が、末永く、ずず、ずいっと、よろしうお頼ん、あ、申しあげやす!」
あっけにとられてる一同。
寅美「…ってね。博打うちなら名乗りってのはこんな具合にやるもんだ。元兵衛一家に
喧嘩を売る気なら、一家総出で相手になるよ!?」
遁吉「いや、そんなつもりは無えよ、すまねえすまねえ。いやこのとおり(頭を下げる)。
そちらが元兵衛一家のお稲荷お寅姐さんとやらとはつゆ知らず、若えもんがご無礼いた
しやした。あとで叱っておきやすゆえ、どうぞここはひらにご容赦を願いやす。」
寅美「これはご丁寧に、痛み入りやす。(膝を直しこちらも頭を下げる) こんな稼業ゆえ、
失礼の段はお許しを。また久蔵親分の御家中にはご挨拶にも行かずご無礼いたしやす。
怪我人を一人抱えてますんで、後日、本復してからあらためてお伺いいたしやすと、
親分さんにそう、よろしくお伝えください。」
遁吉「あいわかりやした。おう、おかみ、今日のところは勘弁しといてやる。また来る
ぜ!」
遁吉、一同を急かして引き上げる。
戸棚から塩を出して店先にまくおかみ。
寅美、へなへなと座り込んで、大きくため息。
六「お嬢~、言うもんだねえ! びっくりしちゃった。」
巌鉄「いや~、本当だ。どこの百戦錬磨の姉御かと思いやしたぜ。」
弁太「元兵衛親分が生きてこれ見たら、涙流して喜んだでしょうね。」
寅美「ありがと、ありがと。いや~、恐かった。仁義のまねごとなんざ生まれて初めてやっ
たけど、あれであっちが驚いてくれなかったら、いったいどうしようかと思ったよ。そ
うなったら、あんたたちだけが頼りだった。」
弁太「なんだ、じゃあお嬢、あんた他力本願で啖呵切ってなすったんで?」
寅美、ばつが悪そうに、こくり。
顔を見合わせて苦笑いする一同。
寅美「勘弁勘弁。ところでさあ、…腰が…抜けちまったんだけど…ちょっと助けて。」
弁太「やれやれ…。」
おかみ「大丈夫ですか? 文五郎さんも手を。」
みんなに助けあげられる寅美。
寅美「あ、どうも。」
おかみ「いえいえこちらこそ助かりましたよ。今、部屋にお茶でも運ばせますから、ゆっ
くり休んでくださいな。」
一同に助けられ、なんとか運ばれていく寅美。
第3場 久蔵一家
「久」の字の書かれた提灯がかかってる一家。
旅姿のりくを案内してくる久蔵。
中には、遁吉はじめ子分たちが油を売ってる。
久蔵「さあ、ここです。」
子分たち「あ、親分! おかえりなさいやし」「おかえりなさいやし!」
遁吉「お客さんですかい」
久蔵「おう。このご新造さんはな、凶状持ちの旦那さんにご赦免が出てな。それを一日も
早く知らせたくて旅をかけてるんだそうだ。どうだ、ちかごろ感心なご新造さんじゃね
えか。」
遁吉「へ、へい。」
久蔵「今日はうちへ草鞋を脱いでもらって、一晩なりと旅の疲れを癒していただくから、
おめえらはよくお世話してさしあげろろよ。」
子分たち「へい」
りく「いえ、どうぞお構いなく。泊めていただけるだけでも大助かりです。」
久蔵「さあさあ、おりくさん、長旅でお疲れでやんしょう、ここを自分のうちだと思って
気楽になさりゃんせ。」
りく「見ず知らずのわたくしに返す返すも、ありがとうございます。それじゃ、お言葉に
甘えまして…」
久蔵「おい、桶に水を用意しろ。それから飯を一人分多く作るように言っとけ。さ、円七、
まずはおみ足を洗いにご案内するんだ。」
円七「へえ、こちらでござんす。」
円七、りくを案内して退場。
見送ってから、
遁吉「親分、なかなかの上玉ですねえ」
久蔵「だろ? だから、なんとしてもきょうは泊まってもらおうと思ってな。おっと。そ
んなことおくびにも出すんじゃねえぞ。」
そこへ帰ってくる四郎右衛門。草履を脱いで上がる。
久蔵「おう、これは垂井先生。お帰りですか。」
四郎右衛門「うむ。」
久蔵「まもなく夕餉ですが、今日はどうしやす?」
四郎右衛門「御馳走になろう。」
久蔵「じゃ、部屋へ運ばせましょう。」
四郎右衛門「頼む。」
奥へ入っていく四郎右衛門。
久蔵「ところで、礼金の方はどうだった。」
遁吉「いやあ、親分、それが…誰も素直に出しやがらねえ。行く先々で悶着がありやした
よ。」
久蔵「そこをうまく取りたててくるのがおめえの役目だろ。どれくらい集まったんだ。」
遁吉「とりあえず、何軒かはなんとか出させやした。けど、何軒か、どうしても出さねえ
ところがある。持ち合わせが足りねえとかなんとか。なに、ちょっと脅してきたから、
次は用意してると思いますがね。」
久蔵「おいおい、もうすぐ夏祭なんだぞ。誰だ、四の五の言ってやがるのは」
遁吉「宿屋では春日屋のおかみはじめ3軒、職人では花火師の文五郎ほか7人…」
久蔵「夏祭の花会じゃ、器用な銭を使わなきゃ、俺の面目がたたねえ。なんとか銭を出さ
せてこい。」
遁吉「でもよ、親分。5割増しってのは、やっぱり無理じゃないかな。せめて3割増しく
らいにしとけば…」
久蔵「つべこべ言ってないで、お前は銭を集めてくればいいんだよ。」
遁吉「へ、へい。」
久蔵「そうだ、次に礼金を出さねえ奴は、あの浪人をつれてって斬らせちまえ。」
遁吉「垂井先生にですか。」
久蔵「あいつを飼ってるのは、やっとうが少しばかりできるからだ。それ以外役に立たね
え穀潰しよ。だから、それくらいは役に立ってもらわないと…」
遁吉「そうか。垂井先生が出てけば、あいつらも…」
久蔵「あいつら?」
遁吉「いや、実はですね…(耳打ち)」
久蔵「なるほど。そんなことがあったのか。笠間のお稲荷元兵衛一家ってのはたしかに
聞いたことあるが、その一人娘ねえ…。」
そのとき。
円七の声「親分、お客人の夕餉の支度が整ったそうです。」
久蔵「おう、じゃ、こっちへはこべ!」
子分たちが膳を運んできて、最後にりくが。
久蔵「さあさあ、おりくさん。何もありやせんが、旅の疲れを癒してくださいまし。」
りく「ほんに、ここまでお世話になって、なんとお礼を申してよろしいやら…」
久蔵「ささ、こちらへ。」
席に付かせる。
久蔵「さ、どうぞ一献。」
りく「いえ、わたくし、無調法でございますから…」
久蔵「そんなことおっしゃらずに、どうぞ一献。」
りく「いえ、どうぞご勘弁ください…それじゃ、お酌させていただきますから、それでご
勘弁を。」
久蔵「そうですかい…それじゃ、お酌していただきやしょうか。」
徳利を渡す。
お酌するりく。
久蔵「うーっ。別嬪のおりくさんにお酌してもらうと、また酒が一層うめえや。」
りく「まあ、お上手な」
久蔵「上手なんか言ってませんや。(子分たちに合図して去らせる。)じゃ、もう一杯
お願いしようかな。」
りくのお酌で呑む久蔵。
子分たちが去って行き、2人きりになる。
どんどん注がせて呑んでいく久蔵。次第に酩酊気味に。
久蔵「ういーっ。おりくさん、あんた、旦那さんを追っての旅なんだってねえ。」
りく「はい。」
久蔵「ご赦免というが、旦那さんは何の凶状をお持ちなすったんだい。」
りく「はい…人殺しでして。」
久蔵「人殺し! そいつは穏やかじゃないね。ひっく。」
りく「あの人は曲がったことが嫌いなたちで…いきなり、お祭り前の物要りの時期にみか
じめ料を五割増しなどと言い出してかたぎ衆を苛めなすった親分さんを、許せずに斬っ
てしまいまして…」
目を白黒させ咳き込む久蔵。
続けるりく。
りく「でもお役人様も、町のみんなからの訴えで事情をわかっていただけまして、本来な
ら磔か、よくても島流しとなるところを、自首すれば罪を減じてお叱りだけで済まして
頂けるということで。赦免状をいただきましたので、それを届に行く旅なんでございま
す。」
久蔵「ほ。ほう。そりしゃまた…。ところでおりくさん。その旦那のことはおいといて。」
りく「はい?」
久蔵「どうでしょうね、おりくさん。今夜は、わしと…(りくの手を握る)」
りく「(振り払って)まあ、おたわむれを。」
久蔵「たわむれではない。わしはな、一目見たときからあんたのことを…(抱き着く)」
りく「おやめください! 誰か、誰かー!」
久蔵「無駄だ、ここに居るのはわしの子分だけだ! あきらめてわしと楽しもう、な。
な!?
りく「徳…さーんっ!」
久蔵「…あっ!」
口から血を流して死んでるりく。
久蔵「ちっ…舌を噛みやがった…おい、誰かおらんか! 誰か!」
遁吉「(入って来て) 親分、何か…あっ!」
久蔵「おう、遁吉。この女、舌を噛んで死んじまいやがった。」
遁吉「あ~あ、もったいねえ…」
久蔵「まったく、骨折り損のくたびれ儲けだ。こいつを、寺に投げ込んでこい。あとは
坊主が始末してくれるだろ。」
遁吉「へい、わかりやした。」
第4場 旅篭・春日屋
帳場。
しかめつらで帳面をつけてるおかみ。
煙草を吸ったり雑談したりしてる弁太、六、巌鉄。
寅美に支えられて出てくる小徳。
おかみ「あら、小徳の旦那。もう起きても大丈夫なのかい?」
小徳「もう2~3日もしたら、出て行けそうです。おかみさんにゃいろいろお世話かけちゃ
って。」
おかみ「なに、困ったときはお互い様ですよ。」
巌鉄「もう2~3日か。待たせやがって。」
しーん、となる一同。
小徳「…これ以上迷惑はかけないから、どうか。」
おかみ「(話題を変えるように)そうだ、今夜は八幡様の夏祭だよ。文五郎さんの花火が
名物なんだ。ひとつ、見物に行ってみちゃどうです?」
小徳「文五郎さんの花火か…そりゃいいな。」
おかみ「お寅さんと二人で。」
寅美「ばっ…馬鹿っ、なんで二人で!(焦る)」
疑いの目で見る弁太、六、小徳。
そこへ、久蔵一家の子分たち。
遁吉「邪魔するぜ!」
おかみ「また来やがった。」
遁吉「おう、お稲荷お寅さんもかい。怪我人の具合はどうでえ。」
小徳「お蔭さんでこのとおり、起き上がれるようになりやした。」
寅美「今夜か明日あたりにでも、親分さんとこにご挨拶に伺おうと思うんですけどね。」
遁吉「そりゃいいや、明日は久蔵一家の花会があるから、ちょいと遊びに来てくんなせ
え。」
寅美「それはそれは。では後程。」
遁吉「おう、おかみ! お喋りしに来たんじゃねえや! 貸しの礼金、お祭りのときにゃ
払うって言ってたな。」
おかみ「(ため息)はいはい。5割増しでしたね。」
顔色が変わる小徳。
遁吉「そうだ。前の分と会わせて5割増しを2回分、耳を揃えて払ってもらおうか。」
おかみ「すると、あわせて前の3倍ですか! そんなお宝、ある訳ないでしょ!」
遁吉「なにい、じゃ、払わねえってのか!」
おかみ「払わないんじゃない、払えないんですよ!」
遁吉「なんだと! 久蔵親分にたて突く気だな! おい!」
うながされ、土足でつかつかと上がっておかみを足蹴にする円七。
飛び出して円七をつかまえ、逆手を取る小徳。
円七「痛てて…放せ!」
遁吉「てめえ、邪魔する気か!」
小徳「無茶なことするんじゃねえ! かたぎの衆あっての博打うちだろ? ちっとは遠慮、
しねえかい!」
遁吉「この野郎…やっちまえ!」
久蔵一家の子分たちと小徳、素手で立ち回り。
小徳が劣勢になって痛めつけられると、寅美も小徳に加勢。
寅美が危なくなると、寅美の子分たちが助けるが、積極的には加わらない。
小徳、なんとか久蔵の子分たちを投げ飛ばし蹴り倒し付き飛ばす。
遁吉「ちくしょう…憶えてやがれ!」
久蔵の子分たち、引き上げていく。
寅美「けっ、おやとといきやがれ!」
塩を撒くおかみ。
寅美「まったく、とんでもない奴らだね、あの久蔵一家ってのは。」
小徳「寅美お嬢さん…あんたにこんなこと言いたくないけど、お父っつぁんの元兵衛さん
も、あんなふうなこと、しなすったんだぜ。」
寅美「…やかましい! だから斬ったってのかい?」
小徳「話してもわかってくれなかったから、斬るしか…」
寅美「それはそれ、これはこれだい! とにかく、久蔵一家ってのは、許しておけない
ね!」
弁太「許しておけないって…お嬢、どうするおつもりで?」
寅美「(しばらく考えて)…よし、今夜挨拶に行く。」
六「(呑気に)花会の挨拶ですかい。」
寅美「馬鹿やろい、殴り込みだい!」
驚く一同。
小徳「危ないことしなさんな。寅美お嬢さんは女なんだし、相手は大勢なんだぞ。」
寅美「それがどうした! 相手が大勢だから尻尾を巻いて逃げろってのかい、この
腰抜け!」
黙り込んでしまう小徳。
寅美「弁太! 六! 巌鉄! ドスよこしな!」
あわてて長どすを渡す弁太。
三人もドスを腰に。
小徳「寅美さん、やめろって。」
寅美「殴られて恐くなったのかい? 腰抜けは口出すんじゃない! さあ行くよ!」
三人「へい。」
喧嘩支度で足早に出て行く寅美たち。
小徳「参ったな…」
おかみ「これだからやくざ者は。…あち、いや、小徳の旦那のこと言ってるんじゃないん
ですよ。」
そこへ訪ねて来た和尚。
和尚「ごめん。」
おかみ「あら…巌通寺の和尚さん。こんばんは。」
和尚「何やら騒いでおられたようじゃが、変わったことでも?」
おかみ「いえ、なんでもないんですよ。ところで、何か御用で?」
和尚「おかみさんに頼みがありまして。常陸の国の方へ行く旅人がいたら、言付けをお願
いしたいのじゃが…」
小徳「常陸の国?」
和尚「実はな、おなごの無縁仏が久蔵一家に運ばれて来たんじゃけどな。これが不審なと
ころがあったゆえ、持ち物を調べてみると、なにやら常陸の国の笠間の人で、小徳さん
という人への赦免状を持っておる。それで、身寄りの方にでも形見の品を届けてもらお
うと思ったのじゃが…。」
小徳「なんだって!? 笠間の小徳ってのは俺だ。その赦免状、見せてくれ!」
和尚「なんじゃ、慌てて。」
書状を出す和尚。
奪い取るように見る小徳。
小徳「そうだ、これは俺のことだ! 和尚さん、その女の形見って何だい!?」
和尚「書状が入ってた、ほれ、これじゃ。」
渡された紙入れを凝視する小徳。
小徳「これは…おりくに渡した紙入れ! いよいよ間違いねえ、その死んだおなごっての
はおりくだな!? でも一体なんで死んだんだ!?」
和尚「急な病ということで届が出てたけどな。実は舌を噛み切っておった。」
小徳「舌を!? じゃ、自害か! いったいなぜ…」
和尚「久蔵一家のことじゃ。いずれは、騙されて酷い目にあわされそうになったんじゃろ。
いつものことじゃ。おりくさんとやらはおそらく、せめて操を守ろうとして、自らの命
を…」
小徳「…ちくしょう! おりく…おりく!(泣き崩れる)」
おかみ「…そうすると次は、あの寅美さんが犠牲だねえ。可哀相に。(ため息)」
はっと気がつく小徳。あわてて部屋へ戻り、長どすを手に飛び出してくる。
おかみ「小徳の旦那!?」
血相を変え、わき目も振らず飛び出していく小徳。
第5場 夜道
夜道を来た、六、巌鉄、弁太の3人。
弁太「おい、待てよ、巌鉄、六。」
六「なんだい、弁太の兄貴。」
弁太「お前ら、本当に久蔵一家に殴り込みする気かい?」
巌鉄「お嬢がそう言うんじゃしょうがねえだろ。」
弁太「馬鹿っ…多勢に無勢だぜ。勝ち目はねえぞ。」
六「そういやそうだな…」
弁太「おまえら、犬死したいか?」
六「やだ。」
巌鉄「俺も、死ぬのはいやだな。」
弁太「どうだい、お前ら。犬死にするより、いっそ…。(耳打ち)」
おどろく二人。
巌鉄「本気か、弁太?」
弁太「本気も本気。これ以外に、俺達が生き延びる道はねえぜ。」
六「たしかに、命には替えられねえけど…」
弁太「やるのか、やらねえのか?」
六「や、やるよ。こんなとこで死ぬより、そっちの方がよほどいい。」
弁太「巌鉄は」
巌鉄「俺もそうする。」
弁太「よし、じゃ、決まりだな!」
そこへ、戻ってきた寅美。
寅美「見えなくなったと思ったら、こんなとこでなにぐずぐずしてんだい! しまいにゃ
あ置いていくよ?」
顔を見合わせて頷く三人。
弁太「お嬢。俺達三人で話し合ったんだが。」
寅美「雁首そろえて何を話し合った、ってんだい。」
巌鉄「俺達、このごろのお嬢にゃついていけねえと思ってたんだ。」
六「この人数で殴り込んだんって、勝ち目はねえ。犬死にはいやだからな。」
弁太「というわけで、この場で、お役御免にさせていただきやすぜ。」
寅美「なんだって! この期に及んで裏切ろうってえの!?」
弁太「人聞きが悪い。俺達が旅に出たのは、小徳の兄ィを斬って元兵衛親分の仇を討つた
めでしょう。それを、小徳兄ィは看病する、関係無え久蔵一家に殴り込みをかけると、
お嬢のやることは目茶苦茶だ。だから、ここで三行半を出すことにした。」
寅美「こ、子分の方から三行半なんて、聞いたことないよ!」
弁太「じゃ、この場でごめんを。」
寅美「待ちな! そんな勝手なこと、許すわけないだろ、こんデレスケども!(長どすを
抜く)」
弁太「抜いたね。俺達を斬ろうっての?」
寅美「たって逃げようってんなら、斬るまでさ!」
弁太「しかたねえ。」
抜刀する3人。
ひるむ寅美。
太刀廻り開始。
3対1で次第に追いつめられていく寅美。
そこへ駆けつけてくる小徳。
この様子を見て呆然。
小徳「なんだこれは! 仲間割れか!?」
寅美「こ、小徳さん! 助けて…」
小徳「どうしたんだ、訳を話してみろ。」
巌鉄「やかましい、こうなりゃてめえを先に血祭りだ!」
小徳に斬りかかる三人。
小徳も抜刀。猿叫が響き、とうとう3人を斬ってしまう。
小徳「おい、どうなってるんだ、一体。」
寅美「あいつら、私を裏切って…ううっ。(泣き出す)」
小徳「しっかりしろよ。(頭を抱いて、落ち着かせる。) よし、殴り込みには俺が加勢
してやる、気を落とすな。」
寅美「え…小徳さん、あんたが?」
小徳「久蔵は、俺にとっても女房の仇だったんだ。だから加勢する。」
寅美「大丈夫なのかい、体は?」
小徳「ドスくらい振り回せるさ。見たろ、いま。」
寅美「あ、ああ。笠間示現流、なにより頼りになるよ。」
小徳「だからここはいったん帰って、策を練ろう。やみくもに殴り込んでもなんにもなら
ないからな。」
寅美「…うん。わかった。小徳さんの言う通りにするよ。」
春日屋へ引き上げていく二人。
第6場 旅篭・春日屋
久蔵、四郎右衛門はじめ、一家総出で来ている。
恐がって壁に張りついてるおかみ。
遁吉「さあ、先生!」
ずいっと前に出る四郎右衛門。
おかみ「ひいいいっ、い、い、命、命ばかりは…!」
久蔵「礼金を払わないお前たちが悪いんだぞ。」
四郎右衛門、無言のまま抜刀して斬りつける。
懐の銭を散り飛ばし、悲鳴を上げて倒れるおかみ。
血振るいして納刀する四郎右衛門。
久蔵「よし。次は花火師の文五郎だ!」
そこへ駆け込んでくる、小徳と寅美。
子分たちを突き飛ばしておかみに駆け寄る。
寅美「おかみさん、おかみさん!」
小徳「まだ息がある。すぐ手当てだ、オランダの薬を、早く!」
寅美「うん!」
おかみをつれて奥へ引っ込む寅美。
遁吉「てめえ、またもや邪魔するのか!」
小徳「(無視して)久蔵ってのはどいつだ。」
久蔵「俺が久蔵だが、てめえは何だ。」
小徳「俺は笠間の小徳。…てめえ、おりくって名の女に憶えがあるだろう。」
久蔵「おりく? おりく…」
遁吉「ああ、この間、舌を噛んで死んだ女…」
小徳「そうだ、そいつだ!」
久蔵「なんだ、もしかして、お前、あの女の亭主か?」
小徳「やっぱりそうか! てめえら、許さねえ!」
久蔵「許さなきゃどうするんだよ?」
小徳「…たたっ斬る!」
抜刀する小徳。
久蔵「けっ…馬鹿が。おい。」
子分たち「へい!」
一斉に抜刀する子分たち。(四郎右衛門は最初、後ろで見ている。)
一人目が斬りかかり、小徳に斬られると、そのとたん、花火が上がる。
(*花火は音に合わせて照明か仕掛けなどで表現)
驚く一同。
直後、寅美が抜身を手に飛び込んでくる。
寅美「文五郎さんの花火が始まったよ!」
小徳「こいつぁあいいや。てめえらの、冥土の旅への、手向けだぜ!」
次々上がる花火の、音と光の中での太刀廻り。
花火が爆発するたびに断末魔の声を挙げて死んでいく子分たち。
あらかた片づけてから、四郎右衛門と対峙。
四郎右衛門「示現流…おのれ薩摩か!?」
小徳「笠間示現流、常陸の住人だ!」
四郎右衛門「相手にとって不足は無い。武州浪人・垂井四郎右衛門、参る!」
四郎右衛門と切り結ぶ小徳。お互い手強く、互角の戦いが続く。
一方で久蔵を追いつめる寅美。
久蔵「せ、先生! 先生ーっ!」
久蔵に止めを刺す寅美。
その声を聞きつけた四郎右衛門、寅美に後ろから斬りかかる。
小徳「危ないっ!」
寅美を助けようとし、四郎右衛門と相討ちになる小徳。
寅美「小徳さん!」
倒れた小徳を抱き起こす寅美。
小徳「寅美さん、どうやらこれまでのようだ。すまねえな、お父っつぁんの仇をとらせて
やれなくて…」
寅美「死なないで、小徳さん! 死なないで、死なないで! お願い!」
小徳「すまねえ。せめて、とどめはあんたの手で…」
寅美「…はっ! 巾着が?(おりくの巾着を小徳の懐から取り出し) 銭の入った巾着に
刃が当たったんだ…おかみさんと同じ…小徳さん、傷は浅いよ! しっかり!」
第7場 旅立ち
追分。小徳と文五郎がやって来る。
小徳「それじゃ文五郎さん、このへんで。」
文五郎「小徳の旦那には本当にお世話になって。」
小徳「文五郎さんだって、俺にオランダの薬をくれたじゃねえか。俺もおかみさんも、あ
れのおかげであの世に行かずに済んだようなもんだぜ。お互い様だよ。」
文五郎「いや、俺じゃないよ。あんたたちを救ったのは、巾着袋さ。」
小徳「そうさなあ…おりくの巾着に命を救われた。(懐から巾着を出してしみじみと眺め
る。)」
文五郎「笠間へ帰って、おりくさんの喪が済んで、また夏になったら来てくださいな。そ
れまでにもっとでかい花火をこしらえとくから。」
小徳「そうか。それじゃ楽しみにしてるぜ。春日屋のおかみさんにもよろしく…」
そこへ追いついてくる寅美。
寅美「待ちな、小徳! 逃がしゃしないよ!」
小徳「寅美お嬢さん…あんたに仇として討たれてやる約束があったなあ。」
寅美「そうとも! 忘れたとは、言わせないからね。」
文五郎「旦那…!(かばうように前へ出る)」
小徳「(押しのけて)文五郎さん、約束は約束だ。しかたねえ。」
寅美「…でも、おりくさんのお骨を持って帰って、故郷に墓を建てるんだろ。仇討ちは
喪が明けてからでいいよ。」
小徳「…あいつの供養だけは、させてくれるってことか?」
寅美「ああ。私もおりくさんと知らない仲じゃない。線香くらいは上げたいからね。それ
に、あんたの…大切な…恋女房なんだし。(洟を啜る)」
文五郎「でも、喪が明けたら旦那を斬る気だな。」
寅美「冗談。斬るくらいじゃもう気が済まない。親を殺された上に、2度も刀傷の看病を
させられたんだからね。このオトシマエ、きっちりつけてもらうよ。」
小徳「わかった。俺をどうしようってんだ?」
寅美「…一生、私のために働いてもらおうか。私が歳とって、お迎えが来るまで。」
文五郎「歳とって、お迎えが来るまで?」
小徳「それじゃまるで、めおとになるみてえじゃないか。」
寅美「みてえじゃなくて、そうなれって言ってるんだよ、このデレスケ!」
小徳と文五郎、呆然。
照れ隠しで怒りながらそっぽを向く寅美。
文五郎「…なーんだ、やっぱりそうなのか。」
小徳「おい、文五郎さん、なに納得してんだい。困ったな…寅美お嬢さん、そいつはでき
ねえ相談だ、おれはおりくのことを容易には忘れられねえぞ。」
寅美「いいよ。あんたの心の喪が明けるまで、おりくさんが許してくれるまで、3年でも
5年でも待ってやる。だけど逃がしだけはしないからね。それだけは憶えておおき。」
呆然と見てる二人に、照れ隠しするように。
寅美「ほらほら、ぼうっと突っ立ってたら日が暮れちまう。さ、笠間へ帰るよ!」
小徳「お、おう。それじゃ、文五郎さん」
文五郎「それじゃ。今度来るときはめおと旅かい。」
小徳「おい、文五郎さんまで…」
寅美「なにやってんだい、早く!」
文五郎「おおこわ。かかあ天下だな、こりゃ。じゃ、旦那、お達者で。」
小徳「それじゃ文五郎さんも、達者でなあ。」
二人、退場。
見送る文五郎。
二人が去ると暗転し、花火の連打。
---幕。