影っこあらわる
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う~ん、冬至を過ぎたとはいっても、まだまだ夕方の日差しを早い時間から感じるな。
もう午後の2時、3時あたりから橙色の光を意識し始めてしまう。冬の風物詩、とはいっても、もはや一日の終わりを感じさせるものだから、時計がなかったら夕方と思ってしまうかもしれない。
光の加減が、いかに我々の判断材料になっているかを示す一例だろう。本来、明るいはずの昼間で暗がりの気配がしたら雲がかかったと思うだろう。逆に夜でも明るい……というのは照明に満ち満ちた現代だと自然かもしれないが、昔ならば月が出たのかなと感じる場合もあったはずだ。
そうして感じる光に異常を覚えることがあったなら、そこで何が行われているだろうか……ちょっと前、実家に帰ったときに親から聞いた話があるんだけど、耳に入れてみないかい?
父も母も幼馴染ということで、小さいころから同じところに住んでいたのだが、そこでは冬場になるととある注意ごとがあった。
かの地域では「影っこ」という名前で呼ばれていたという。冬場の西日が強くなっていく時分、にわかにその勢いがおとなしくなってくるとき、それを警戒するのだとか。
「朝日が我々生き物にとって一日の活動のもとなら、夕日は夜に活動するものの糧になるときもある。月明かりのような、陽の光の反射したものでは不十分で、じかに陽からエネルギーを摂取する。そのような輩がいる」
「影っこにとっては、それが都合がいいんでしょうけどね。でも、影っこが陽を浴びた後にできる影には気をつけないといけないの。影っこというフィルターを通したものは、思いもよらない効果をもたらすから」
二人とも小さいころから影っこについて、耳にたこができるほど話を聞かされたらしい。
強い西日が急に勢いをなくしたならば、陽の出ていたほうを確かめるべきだと。はるか遠方に陽をさえぎるようにして遊ぶ子供の影があったなら、それが影っこかもしれないから、と。
父の体験した話だと、こうだ。
その日、父は調べものがあって近所の公民館の図書室、というより小さな資料室に来ていたらしい。
学校帰りにそのままやってきたものだから、すでに時刻は夕方。資料室の窓からは陽が差し込むものの、その面積は広くなく。室内は明と暗にはっきり分けられていた。
明の部分にいるならば文字を読むのに、なんら支障はない。でも暗の部分となれば、そこはもはやひと足早い夜のかけら。たとえ眼前にあっても、文字どころか互いの顔でさえ分からなさそうな、容赦ない幕が下りていた。
父の資料はというと、なかなかお目当てのものが見つからず、とっかえひっかえしていたらしい。
そこへふと、自分の背後から暑いほどに差していた陽が、いっぺんにかげっていくのを感じる。振り返ると、陽が西に落ちかけているのは確かだったが、妙だった。
資料室の窓の先は、敷地を抜けると歩道とガードレールがあり、その先に車道をはさんで一軒家が建つ。平屋で、その屋根のてっぺんあたりに太陽がかかろうというところ。
でも、何度か見たことがあるはずの景色が今日は違う。
屋根のてっぺんに、アンテナ以外に立つものの姿があった。見るに、仁王立ちしている子供の姿だったんだよ。
見た目に小学生くらいに思えたが、あの家に子供はいなかったはず。よその子なら、ますますあのような場所に登る意味が見えない。その子が西日に真っ向から立ちふさがり、影を作ってしまっているのだ。
そう思っていると、資料室がにわかにぎしぎしときしみ始めた。父があたりをうかがうと、あの子の影になり、閉ざされた部分の窓が揺れているのが分かった。
天井の蛍光灯も、影に浸された部分が音を立てながら震え出したかと思うと、ひとりでにパリンパリンと割れていってしまったのだそうだ。
――あれが、影っこか……!
そう悟った父は、そそくさとその場を立ち去った、とのことだが母はそれを聞いて、笑い出してしまう。いわく、「ういやつだな」と。
「あたしなんて、『影っこごっこ』をしたわよ」
母は父と同じくらいのころ、なんと影っこの真似をしてみたらしい。
つまり夕日に向かって立ちはだかって見せるわけだ。こちらは見晴らしのいい長い長い道路。そこの先も先で、ずんと仁王立ちして見せる。
必然、母の影がおおいに伸ばされるわけだし、その姿を背中から見た子たちは影っこだと思って逃げ出す。その様を見るのが愉悦だったとか。
「け~、相変わらず性格悪いやつだ」
「ほ~ん? そんなあたしに告ったの、お前ぞ?」
「一年三百六十五日、窓際ぼっちしながら背中で泣いてるから、ほいほい初彼女にできるだろうとかまってやったんよ」
「なにをこの~? そっちも年がら年中『女には興味ありましぇ~ん』といわんばかりのがり勉ボーイだったのが、さみしんボーイになったんと違うか?」
放っておくと、延々といちゃつき出すので「そっから、どうなった?」と突っ込んでやる。
母は気持ちよさから、何度か影っこごっこをしていたのだが、ある日を境に止めてしまったのだそうだ。
そのきっかけとなったのは、雲ひとつない夕方に仁王立ちしていたとき。
ふと、かなたに黒い点があらわれたらしいんだ。歩行者か、車かなと母は最初のんきに構えていたけれど、それが自分とまったく同じ格好をした影の姿と分かったんだ。
みじんも足を動かさず、滑るようにしてこちらに迫ってくる。その速さはバイクもかくやというもので、ぐんぐん大きくなるその姿は完全に母と衝突するコースで近づいてきたそうだ。
もし、あのとき避けなければ、自分はあの影っこになっていたかもしれない。いや、古来そうする愚か者がいるから、影っこが絶えないのかしら、ともいっていたなあ。




