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【8】自分だけでも自分を好きでいたかった

馬車寄せから家の扉前まで歩く間に、頭の整理をしようと庭に向かおうとした。

すると、家令が出てきてすぐに中に入るように言われてしまった。


「ガストーネ・サンティス伯爵がお見えです。バジャルド様とご一緒にお嬢様のお帰りをお待ちになっています」


家令が母方の叔父の来訪を告げた。


母と父が結婚して私が生まれ一年が過ぎた頃に祖父が亡くなり、母が公爵を継いだ。その時に母より三つ年下の弟である叔父は、祖父が持っていたサンティス伯爵位を与えられた。

叔父は、サンタレーリ区内の近い小さい館にて、夫人と私の従姉妹にあたる一人娘と暮らしている。とは言ってもここから馬車で三十分もかからないところだ。

サンタレーリの直系として、叔父は伯爵位でありながらサンタレーリ公爵家一族の実質トップにいる。

叔父は、私のことを姉である私の母に似ていると可愛がってくれ、私がいずれ女公爵となるのをさまざまな形で助けてくれていた。


家令が父をバジャルド様と名前で呼ぶのは、父自身が公爵代理と呼ばれることを嫌がっているからだ。旦那様、というのも違うらしい。

案外、父は頑迷なのだ。


「叔父様、ようこそいらっしゃいました。お父様、レティーツィアが戻りました。お待たせいたしまして申し訳ございません」


家令に案内された部屋は、かつて母が使っていた私室だ。

公爵家当主の部屋は三間続きの広い部屋で、いずれ私が受け継ぐことになる。


「掛けなさい。今日、レティがどこに出かけていたのかもすべて分かっている」


「アンセルミ公爵家のヴィオランテ様と、友好を深めただけでございますが」


「ヴィオランテ嬢に、私が頼んだのだ。レティと一緒にカノヴァ侯爵令息の言動をつぶさに見てもらいたいと」


「……そうだったのですか。お父様はずいぶん回りくどい方法を取ったのですね」


まさか父がヴィオラに頼んだとは思いもよらなかった。

でもそれであれば納得できる。

ヴィオラの一存でティーサロンの座席や配置まで変えてくれたのだと思っていたけれど、父の依頼があったからなのね。


「カノヴァ侯爵令息との婚約解消は当然だと、私たちは話し合った。

あの者に、サンタレーリ公爵家を意のままにしようという野望は無いと判断したが、まさかレティーツィアを軽んじるとは予想外であったな。サンタレーリの跡継ぎに対していい度胸だ」


「叔父様、ダヴィード・カノヴァをどうするおつもりでしょうか……」


叔父は今、『婚約解消』と言ったわ。

婚約破棄よりも穏やかな着地点になりそうな言葉に少し安堵しながらも、慎重に尋ねた。


「近日中にあの男と対峙しなければならない。その時の対応で、あの男の今後が決まる。本来なら問答無用で叩き潰すところだが、あの男をサンタレーリに迎えようと決めた私たちにも重大な落ち度がある。その席にて、自分のしたことへの謝罪をレティーツィアにしっかりできたのならば、後はカノヴァ侯爵家に委ねよう。侯爵家で飼殺すなり遠い領地に追いやるなり、平民に落としてあの子爵家の小娘と添わせるなり、そこはサンタレーリの(あずか)り知らぬところだ」


淡々と言った叔父の言葉に、どの道ダヴィードに明るい未来が無いことは分かってしまった……。

サンタレーリ直系の血を持つ叔父と公爵代理の父の二人で、カノヴァ侯爵に『そちらに任せる』と言えば、カノヴァ侯爵が思いつく中で一番重いものをダヴィードに科すのは分かりきったことだ。

カノヴァ侯爵はサンタレーリ公爵家に(おもね)った対処をするしかないのだ。


「……今後はダヴィード・カノヴァの件について、ヴィオランテ嬢を使わなくても私一人で対処します」


「別に我々がアンセルミ公爵令嬢をわざわざ使ったわけではないぞ。今回の件はアンセルミの公爵令嬢が直々にこちらに話を入れてくれたのだ。だから次があればと言っただけだ」


ヴィオラが、私にではなく直接父にダヴィードの裏切りについて話をしてきたというの?

どうしてヴィオラはそんなことを……。


「レティーツィア、アンセルミ公爵令嬢は、アンセルミ家で初の女公爵となるに相応しい器を持っているのではないか。大胆かつ繊細でいい判断力を持っている。

今回のこともおまえなら、自分が乗り気ではないくらいの理由を作って婚約を白紙にしようとしただろう? そんなことではサンタレーリの後継としていかにも甘い。

まだ我々の力が必要だと、アンセルミ公爵令嬢が判断したまでだ」


「自分に魅力がなくて婚約者がよそ見をしたことを、家の権力を以て解決することが正しいのならば、サンタレーリを継ぐ前に自分のことが嫌いになりそうです」


「それでいいのだ。サンタレーリ公爵家を継ぐ者が、自分を捨て去ることもできないのならいずれサンタレーリを危うくする。おまえの魅力のトップは、サンタレーリの後継だということを受け入れるのだ、レティーツィアよ。家と家との婚約がどういうものなのか、理解できていないのはカノヴァ侯爵令息だけではなくおまえも同じだ。いつまでも子供のように、自分自身を好きでいようなどと思わぬことだ」


叔父の言葉に、顔を叩かれたような気持ちになった。

サンタレーリを継ぐならば、自分を好きでいようなんて思わないこと。

まさかこんなふうに言われるとは思ってもいなかった。


家同士が決める結婚相手との間に、おそらく愛など生まれない。

だからこそ、自分だけでも自分を好きでいよう自分を愛するのだと、そう思っていたのに。それが間違いだったというの……?

母も、公爵家を継ぎそれを維持していくために生じることを、常に家の為の最適を選ぶ自分を嫌いながら生きていたのだろうか……。

無性に母に会いたくなった。

母の話を聞きたい、叔父にも父にも見せたことのない母の心の内を聞いてみたかった。


今私は、本物の孤独の淵に落ちそうになっている。

ヴィオラが私に黙ってサンタレーリの叔父と父に話をつけていたこと、婚約者は別の令嬢に愛を囁き、自分自身を愛することも子供のすることだと突き付けられた。

こんな時に、この道を先に歩いていた母がもういないという事実に改めて打ちのめされる。


「……分かりました。ダヴィード・カノヴァの後始末は自分でつけて参りますが、その先の新たな婚約者についてお任せいたします。叔父様とお父様がまた判断を誤ったなどと言われることのないよう、今度こそ我がサンタレーリに相応しい人を決めてくださいね。こんなことが何度もなんて御免ですから」


「レティーツィア、言葉が過ぎる!」


叩きつけるように二人に言うと、諫めようとした父の言葉も無視して私は部屋を出ようとした。


「これを持って行け。好きに使うがいい」


叔父から渡されたのは封筒の束だった。私はそれが何かと尋ねることも中身を(あらた)めることもせず、それでも胸に抱えて小走りで自室に戻る。

閉めた扉に寄りかかり天井を仰いでも動悸が治まらなかった。


まさか、自分だけでも自分を好きでいたいということすら、否定されるとは思ってもみなかった。

四大公爵家のひとつを継ぐには、そこまで自分を捨てなければならないの?

気持ちを落ち着けようと、侍女のノーラにお茶を頼んだ。

本当はこの窮屈なデイドレスも脱ぎたかったけれど、湯浴みの時にまたメイドの手を煩わせるのも面倒で、このままお茶を飲むことにした。


「お待たせいたしました。カモミールティーにいたしました」


「ノーラ、ありがとう。鎮静作用があるカモミールティー……確かに今の私にはぴったりね」


カモミールティーに、砂糖を一匙だけ入れた。

少し甘くしたほうがゆったりした気持ちになれる。

温度もちょうどよく、トゲトゲしていた気持ちがだんだん和らいでくるようだ。


自分の魅力のトップにあるのが、サンタレーリ公爵家の跡継ぎだと思ったことはなかった。

では他にどんな魅力があるのかと問われたらうまく答えることはできない。

自分の力のなんら及んでいない家格が私の最大の魅力なのに、そこをダヴィードに蔑ろにされたことにサンタレーリの者としてきちんと怒りを見せなければならないと、おそらく叔父も父もそう言いたかったのだ。

サンタレーリ公爵家という大きなものを受け継いで維持していくには、自分を好きでいようなどという甘い考えでは足元を掬われるということなのね……。

私の考える、サンタレーリにもカノヴァ侯爵家にもちょうどいい落としどころを探すということが間違っていると。


ティーカップの残り半分ほどを一息に飲む。

私の魅力のトップが家格であるなら、それを理由に婚約者となったはずのダヴィードが不貞とも言える行動をしていることは完全に向こうの責任だった。

私が穏便に済ませるということは、サンタレーリの家を馬鹿にされたことを受け入れることになってしまう。


「……そういうこと、だったのね……。なんとも言えない気持ちだわ」


たった一人の自分自身ですら、自分で好きでいてやることもできない。

家の為に決められた結婚相手は、おそらく私という個を愛さない。

それでも私は誰かと子を生さなければならない。

そこに愛がなくてもいい、せめて誠意だけでもいいからそこから生まれた我が子に、あなたに会いたかったのだと伝えられるように……。


叔父から預かった封筒の一つを開ける。

それは、宣誓書だった。

ダヴィードが子爵令嬢とお揃いのブレスレットを買ったという装飾店の、従業員たちの見たもの聞いたものの『証言』が書かれていた。

そこにはそれぞれ署名がしてあり、立会人として法務院の書記官のサインがある。

また、ダヴィードたちが居たティールームの従業員の宣誓書もあった。

中でも一番驚いたのは、ダヴィードの友人である侯爵令息の宣誓書だ。

ダヴィードと子爵令嬢の逢瀬の『隠れ蓑』として二度、食事の席に招かれ食事を共にしたと書かれている。どの時もダヴィードと子爵令嬢の距離感は恋人同士のものだった、友人としてダヴィードを諫めたが聞く耳を持たなかったとあった。

叔父は伯爵家の人間であるのに、格上の侯爵家の令息からこの宣誓書を得たということは、サンタレーリの力を使ったということだろう。


きちんとダヴィードのことを決着つけなければ。

サンタレーリの次期公爵としての決着だ。

母が大切に護ってきたこのサンタレーリを、唯一残された私がどうしても護りたい。

そのために自分を好きでいようとすることを、諦めなければ。



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