【4】子キツネ狩り ②
いよいよ子キツネ狩りが始まるとあって、森の手前の開けた場所に参加者たちが集まった。
ヴィオラが、今日のマスターを務める婚約者カルロ・バディーニの兄でバディーニ侯爵家の嫡男セルソ・バディーニを紹介してくれた。
「本日のマスターの誉れを戴きましたバディーニ侯爵家が嫡男、セルソ・バディーニでございます。弟カルロと共に、皆さまが良い成果を上げられるようしっかり務めたく存じます」
「ハンツマンとして犬たちを導き、婚約者であるヴィオランテ様と共に、皆さま方に勝利の尾を多くお持ち帰り戴けるよう務めます」
バディーニ侯爵家の兄弟は優雅でしっかりとした挨拶を、私たち四大公爵家の嫡子三人に見せた。
ヴィオラの婚約者のカルロ・バディーニ侯爵令息は、猟犬の指揮を執る『ハンツマン』を担うという。
上質な乗馬ジャケットの中に薄紫色のベストを着ていた。
これはヴィオラの色で、ヴィオラはその名のとおり、すみれ色の美しい瞳を持っている。
見ればジャケットのボタンも紫色で、二人の仲の良さを示しているようだった。
今日はジュスティアーノ殿下のすぐ下のベルナルド第二王子殿下や、殿下の従兄弟の皆様も参加とあって、すでに主催のアンセルミ公爵と嫡子のヴィオラから挨拶を受けたと思われるジュスティアーノ殿下はここには居なかった。
ヴィオラに話し掛けようとしたけれど、その横顔がずいぶんと強張っているように感じた。
でも無理もないのかもしれない。
今日の子キツネ狩りは、本格的なシーズン前とは言っても王族も招待しているし、有力貴族の子弟も多数参加している。そこでハンツマンを担う婚約者のことを心配しているのだ。
ふと、ヴィオラの乗馬ズボンに血が付いていることに気づいた。
まさか、こんな時に予定外に月のものが始まってしまったのだろうか……。
それであんなに顔色が悪いのかと思い、人々の間を縫うようにしてヴィオラに近づき、ヴィオラにだけ聞こえるくらいの小声で言った。
「……ヴィオラ、乗馬ズボンが血で汚れているわ。ウォッシュルームに行く時間はあるかしら」
「ありがとう、後で拭くから大丈夫よ。ではレティ、また後でね」
ヴィオラはそう言うと、誰かを見つけたようでそちらへ移動していった。
それほど具合が悪そうでもなくて良かった。
私も徒歩組の人たちのところへ行く。
馬に乗った参加者たちが並び、猟犬たちは角笛が鳴るのを今か今かと待っている。
近くに、モルテード公爵家イラリオの婚約者、クラリーサ様の姿が見えた。
彼女は伯爵家の令嬢で、もうじき二人の結婚式がある。
「クラリーサ様、いよいよ始まりますね。よろしければ一緒に歩いていきませんか?」
声を掛けると、クラリーサ様の顏がパッと明るくなった。
「レティーツィア様! 是非ご一緒させてくださいませ」
イラリオからは、控えめで大人しくて公爵家に入るにはもう少し前へ出て貰いたいんだがと、愚痴に見せかけたノロケを聞かされたこともあった。
イラリオは、穏やかで朗らかな婚約者クラリーサ様のことをとても大切にしている。
クラリーサ様の乗馬服の腰のリボンが細かい花模様で、自分の好きなものをさりげなく取り入れる装いが素敵だった。
「乗馬服は締めつけが無くてラクで、もうこの後の舞踏会もこの恰好で参加したいわ」
「レティーツィア様、それは素敵な案ですが皆が驚いてしまいますわ」
私たちの談笑の中で角笛が響き、子キツネ狩りが始まった。
前方の騎乗している者たちの姿が土煙で見えなくなり、周囲の徒歩組がぞろぞろと歩きだす。
クラリーサ様とおしゃべりをしながら、私ものんびりと狩りを追って歩いていた。
結婚式でクラリーサ様が着るドレスの話を聞いたり、イラリオの子供の頃のエピソードを問われるまま話したりしていた。
私たち後方の徒歩組にも、馬を駆る音や子キツネを追う猟犬の鳴き声、子キツネを見つけた時の『タリホー!』という掛け声が聞こえていた。
どれくらい経った頃だろうか。
私たちの更に後ろから、馬で駆けて行く人が何人も続いた。
どうしてそんなに遅れている人がいるのかと不思議に思った時だ。
「伝令―! ご婦人方はお戻りを!」
『狩り中止』の印である、赤く長い布を付けた棒を持って馬で駆けながら叫んでいる。
徒歩組の夫人や子供たちは、慌てながら来た道を足早に戻って行く。
「レティーツィア様、何が起きたのでしょうか……わたくしたちも戻りましょう。……イラリオ様に何事もありませんように……」
クラリーサ様のイラリオを想う呟きは小さく、周囲の騒がしさにかき消されそうなほどだった。
私はこの狩りの主催者であるヴィオラが今どうしているのか、それを確認したかった。
そしてできればヴィオラの傍にいて、何かできることがあれば力になりたい。
「クラリーサ様、私は確認に参ります。徒歩組には騎士が付いておりますから、一緒にお戻りください」
「かしこまりました。どうぞお気をつけて!」
クラリーサ様は、近くにいて泣き出している子供を連れた夫人を穏やかに促しながら一緒に戻って行った。イラリオが言うより強くて優しいその背中を見送る。
──私も行かなければ。
適度な距離で付いて来ている私の護衛に声を掛けた。
「馬は居るかしら」
「はい、すぐに」
護衛の一人が馬の通り道のほうへ向かったので私もついて行く。
すると、すぐに騎乗の従者がやってきた。
「私を乗せて、最前列まで向かって!」
「はっ!」
サンタレーリの護衛騎士たちは、誰も私を過剰にお嬢様扱いすることはない。
公爵家の嫡子である私は、いずれ彼らの主になるのだ。
何が起こったのか分からないけれど、主催者であるヴィオラが心配だった。
どうか大変なことではありませんように……。
そう願いながら、駆ける馬の揺れに身体を合わせた。