【最終話】エピローグ
ロンバルディスタ王国、その王宮の中庭に賑やかな声が響いていた。
今日は、第一王子の座を第二王子ベルナルド殿下に譲ったジュスティアーノ殿下と、サンタレーリ公爵嫡子レティーツィアとの結婚式だ。
二人は王宮の庭でのささやかなガーデンウェディングを希望した。
親しい者たちだけを招いた温かな式。
王家の者たちは、一度に一か所に集まることができない。
だが、王宮の庭で行われていれば、好きな時にやってくることも城内に戻って行くことも可能だった。
第一王子ジュスティアーノ殿下に代わり、先だって立太子の儀を終えたベルナルド第二王子殿下は、婚約者を伴いジュスティアーノ殿下と談笑していた。
東のモルテード公爵家からは、亡き父の後を継いで公爵となったイラリオ・モルテードとクラリーサ夫人。イラリオは小さな息子を抱いている。
西のブレッサン公爵家からは、この結婚式の後に当主の座を退く予定のブレッサン公爵夫妻。そしてもうじき公爵家を継ぐアルマンド・ブレッサンとレナータ夫人。
南のアンセルミ公爵家に、レティーツィアが三女のマリアンヌ嬢宛てに招待状を送ったが、欠席の旨をしたためた丁寧な返事が届いた。
招待状を送る前に、『悔悛の塔』にいるヴィオランテが、解放を二度目も固辞したとの話を聞いたところだった。
『悔悛の塔』は、管理者によって悔悛できたと看做されれば解放されるが、ヴィオランテは本当に悔悛できたかどうかは自分で決めると、一度断っている。
そして二度目も同じ理由で断った。
ヴィオランテはいつか真から自分の罪を赦せる日が来れば、『悔悛の塔』から出て修道院に身を捧げると決めていた。
レティーツィアは、自分を赦せないことが誰に非難されるよりも一番辛いことだと知っている。
ヴィオランテが自身の罪との向き合い方を会得し、悔悛したとヴィオランテ自身が看做せば必ず会いに行こうとレティーツィアは思っていた。
そして、サンタレーリからはレティーツィアの亡き母エウジェニアの実弟夫妻が出席している。レティーツィアの父、バジャルドは笑顔を貼り付けて、皆に挨拶をしていた。
陛下と王妃殿下を証人として、二人は愛を誓い合った。
その場で結婚証書にサインをするとき、ジュスティアーノはあの古銀のペンで滑らかにサインをした。
「レティも、このペンでサインを」
ジュスティアーノから古銀のペンを手渡されて、初めてレティーツィアはそのペンで自分の名前を記した。
ジュスティアーノが欲しがって手に入れた古銀のペン。
レティーツィアは微笑みながら滑らかにサインをし、そのペンをジュスティアーノに返した。
ジュスティアーノの手に戻ったペンをみつめる右目に、薄っすらと涙が浮かんでいる。
これから、幸せな日々のことを古銀のペンでジュスティアーノは綴っていくだろう。
ここぞという時ではなく、何と言うこともない日のことを──
一年と少し前のシャンデリア落下の事故で、ジュスティアーノの片目は火傷による皮膚の爛れで開くことができなくなった。
シャンデリアの鉄のアームが刺さった左肩は、当初は動かすこともできなかったが、今では床と並行までには上げられるようになり、カトラリーを使っての食事も難なく摂れるようになっている。
片目で物を見ることにも慣れ、歩くときにバランスを崩すこともほとんどなくなりジュスティアーノは杖を手放した。
火傷を負った頭部は、一部の皮膚からは髪が生えてこなかったが、他の部分は生えて伸びてきたため、火傷はあまり目立たなくなった。
そんなジュスティアーノの隣には、ミディアム丈の白いウェディングドレスに身を包み、亡き母エウジェニアが遺した宝石箱から、父が選んだサファイアのジュエリーを身に着けたレティーツィアがいる。ジュスティアーノの『ロイヤル・ブルー』の瞳の色に合わせたと思われているが、単に母が一番気に入っていたジュエリーとのことだった。
愛を誓い合い、指輪の交換の儀式が終わると、庭にテーブルがセッティングされてたくさんの料理やデザートが並べられた。
椅子は端の方に並べられ、舞踏会のような立食パーティ形式である。
ジュスティアーノとレティーツィアの周りに、イラリオ夫妻とアルマンド夫妻がやってきた。
それぞれ新郎新婦に挨拶を済ませると、クラリーサはアルマンドの妻レナータに話し掛けた。
「レナータ様、デザートのテーブルにエスカルパ王国から取り寄せたチーズのタルトがあるのですって」
「まあ、幻のチーズタルトと呼ばれているものが!」
「他の方々がお料理のテーブルにいらっしゃる間にいただきませんこと?」
「食べてくるといいよ、レアンは俺が抱いていよう」
イラリオは息子レアンをクラリーサから抱き取ると、クラリーサとレナータはデザートのテーブルに向かった。
「改めて、ジュストとレティ結婚おめでとう。ジュストが選んだ未来へ走る馬車の両輪に、俺は落ち着くべきところに落ち着いたと思っているんだ」
イラリオが息子の為に身体を揺らしながらそう言った。
「馬車の両輪?」
アルマンドが訝しそうに聞くと、イラリオは未来へ走る馬車の話をした。
それを聞きながら、レティーツィアとアルマンドが何度も小さく頷く。
「二人はお似合いだ。互いの隣に他の者がいるなんて考えられないほどにね」
「俺の馬車の両輪は素晴らしいものになったが、レティはどうだろうな。少しいびつな車輪になってしまった」
ジュスティアーノは眉を下げて笑いながら言う。
「ジュストは後ろも見えているのではないかと思うほどだったから、片目だって問題なくすべて広く見えるさ。あれ、これ失言か?」
「イラリオは全部が失言ということでいいよ。何の問題もない」
アルマンドが笑いながら言った。
「私の馬車は唯一のものよ。どこまでもどこまでも行けるわ」
レティーツィアは、胸に手を当てて小さな声で呟くように言う。
「……あー、うん」
ジュスティアーノが咳払いをした。
「大丈夫?」
「レティ、心配することない。ジュストは幸せにむせ込んだだけだ。イラリオ、僕らも幻のチーズタルトを貰いに行こう」
アルマンドがイラリオを促してテーブルのほうに向かって行った。
二人の背中を見送ると、ジュスティアーノがレティーツィアの手を取った。
「俺たちも少し向こうへ行こう」
出席者たちが、賑やかに歓談している中で、ジュスティアーノはレティーツィアの手を引いて、迷路のような小径に歩いて行った。
「皆さんを置いてきてしまって、大丈夫かしら」
「かまわないさ。みんな食べたり飲んだり忙しい」
「そんなものかしら……」
レティーツィアはジュスティアーノの手から離れて、一人で小径を歩いていく。
ここへ来ると駆けたくなるが、さすがに今日は細くて高いヒールの靴を履いているので無理だった。
「レティ、そっちは行き止まりだ」
「知っているわ。懐かしい」
「……行き止まりだと、知っていたのか? あの日も?」
「ええ。何度も駆けた小径だもの。すごい速さで追いかけて来るジュストを待ち伏せしようと思ったの。少しくらい困らせてあげようと……」
「確かにあの時は焦ったよ」
行き止まりの通路を背にしたレティーツィアに、ゆっくりジュスティアーノが近づいていく。
風がマートルの枝を微かに揺らしていた。
レティーツィアの想いが、ジュスティアーノの想いが、白い花の花糸の先で金色にきらめいている。
ジュスティアーノは、空に一番近い花を一つ手折った。
その花を、レティーツィアの髪にそっと挿す。
「愛している……。思い出のこの場所で言いたかった。レティ、必ず君を幸せにする」
「……もう、とっくに幸せよ」
レティーツィアの瞳に、温かい涙が浮かぶ。
「もうひとつ俺が間違っていたことに気づいた」
「間違っていた?」
「一番欲しかったレティがいれば他には何も要らないと思っていたんだ。片目が見えなくなっても構わないと……。でも、幸せだと涙ぐむレティを、しっかりと両目で見たかった……」
「……ジュストは何も欲しがらないと思っていたけど、本当は欲張りだったのね……」
レティーツィアの淡いグレーの瞳から、とうとう涙が溢れた。
ジュスティアーノがそれを指先で拭う。
少しぎこちないが、指の先まで愛しいという想いが込められていた。
幼い日にジュスティアーノが諦めて飲み込んだ想いが、レティーツィアが頭の中で砕いた想いの欠片が今、レティーツィアの髪でキラキラと光っている。
あの日、このマートルの花の道で起こったこと──ジュスティアーノに一瞬だけ抱きしめられたことを、大人になっても決して忘れないだろう──
そう思ったことをレティーツィアは懐かしく思い出した。
「ふふふ」
「今度は笑って、何を思い出したんだ?」
「なんでもないわ」
「片腕が使えなくてもいいと思っていたが、やはり両腕が必要だ。俺は欲張りだからな」
微笑むレティーツィアをジュスティアーノはそっと抱きしめる。
あの日のように──
『あの日の小径に光る花を君に』
おわり
これで完結です、お読みくださりありがとうございました!




