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【34】殿下の訪問を受ける


久しぶりに『我が家』に帰ってきた。

アルマンドもレナータ様もブレッサン公爵も、長く滞在していた私を気遣ってくださり穏やかに過ごすことができていたけれど、やはり自分の家の空気に触れるとホッとした。


「長く家を空けて申し訳ありませんでした」


旅装のまま父の部屋を訪れてそう言うと、父は柔らかい目を向けてくれた。


「長い人生には、今これをどうしてもやらなければならないという瞬間があるものだよ。その時に何かのしがらみのせいで行動しなければ、後悔の塊となって自分を()し潰す。今、レティはとてもいい顔をしている。だから謝ることはない」


「お父様……ありがとうございます」


「すぐに湯浴みをするといい。土埃のかたまりが入ってきたのかと思ったぞ」


「ごめんなさい!」


途中ずっと雨が降っていなかったせいか、乾いた土煙の中を進んできたのだ。

馬車の中の私の耳までざらついているのだから、馭者はどうなってしまったのか。

同行してくれていたすべての護衛や従者、もちろんノーラもまずはゆっくり湯浴みができるように手配して、私も何度も頭から湯を掛けてもらった。

小さな笑みをこぼした侍女に、無理にその理由を聞く。


「実家で犬を洗った時のことを思い出しました……申し訳ありません……」


「ふふっ、暴れない分だけきっと私のほうが優秀ね」


思わず吹き出してしまった。

子爵家出身の侍女なのに、犬を洗ったことがあるのね。

最後に丁寧に髪に香油をもみ込んでもらい、すっかり自分の香りを取り戻した。

ゆったりと湯に浸かりながら、頭の中にいろいろな場面が浮かんでは泡のように消えていく。

ジュストの上にシャンデリアが落ちた瞬間を、昏睡から覚めたジュストの言葉を。


これからどうなっていくのか、今の私には何も分からない。

ヴィオラのことが心配だった。

ヴィオラは、アンセルミ公爵家はどうなってしまうのか……。

本当は会って、直接ヴィオラの口から聞きたかった。

でもおそらくそれは叶わない。

ヴィオラの本当の思いは、また聞きによる文字列からは知り得ないことが悲しかった。


***


朝食のテーブルに着くと父が開口一番、ジュスティアーノ殿下から先触れが届いたことを伝えた。


「まだご回復の途中だと聞いていたが、どうやら急ぎのようで昼過ぎにご来訪とのことだ」


「完全に傷は塞がっていないご様子ですが、馬車でブレッサン領から戻れるほどには回復していらっしゃるように見受けられました」


「ならば良かった。さて、レティ。私は貴賓室ではなく、私室で殿下をお迎えしようと思っているが、それで間違いないだろうか」


父は私の目をじっと見据えてそう言った。

ジュストは王都に入る最後の夕食の席で、戻り次第すぐに……第一王子の椅子を弟君に譲り、サンタレーリの入り婿となることを希望すると、私と婚約を結ぶ承諾を陛下に戴きにいくと言った。

そうしたら、次にここに……私の父に願いにやって来ると。

もう先触れが届いたということは、陛下が第一王子であるジュストを王太子としないことをお決めになったということ……。

そこまで素早く決まるとは思っていなかった。

でも先触れが来たのだから……。


「……はい。たぶん、そういう意味合いだと……」


「……はぁ……サンタレーリの嫡子である娘の婚約者を決めるのと、娘さんをくださいと言われるのとでは、こんなに気分が違うものなのか……」


「あの、同じではありませんか? いずれにせよ私は婿を迎えるのですから……」


「まったく違う。……だが、それをレティに解って貰えると思っていないからよいのだが」


……いったい何だというの。

いろいろな意味で殴ることもできないなどと、物騒なことをまだぶつぶつ呟いている。

いつもは優雅にカトラリーを操る父が、親の仇のような勢いでハムを切り刻んでいる……。

家令のウバルドが、微笑を浮かべてそんな父を見ていた。

私と目が合うと、今まで見たことのないような満面の笑みを向けられた。

ウバルドは母が幼い頃から傍に居たという。

その頃は執事として、そして先代の家令が高齢により辞すと、家令となってサンタレーリのこの屋敷を支えてくれている。

そんなウバルドの笑みはとても温かいものだった。



父と並んで、ジュストを迎えた。

シャツにタイを結んでいるものの、ベストやコートを着ていないのは正装と言えないかもしれない。

肩を幾重にも固く巻いているため、ゆったりとしたシャツを着ることができても、アームホールが狭くなっているベストやコートに袖を通すのは無理なのだ。


「ようこそ、お待ちいたしておりました。どうぞ」


「こちらをレティーツィア嬢に。陛下がかつて王妃殿下に結婚を申し込んだ時に贈った薔薇と同じものなんだ」


「……ありがとうございます」


ジュストの言葉で、後ろにいる側近のドナート様が淡い桃色の薔薇の束を、家令のウバルドに手渡した。

温室の薔薇を、丸坊主にしてきたのではないかというほどの大きな束だった。


「本日は、サンタレーリ公爵代理に話があって面会を希望した」


ふと、父の表情が変わったように感じた。

目に厳しさが宿ったように見える。


「かしこまりました。……ジュスティアーノ殿下とのお話が終わるまで、レティーツィアはサロンで待っていなさい」


「はい、承知いたしました……」


父が私室に殿下を案内していくのを見送る。

大理石の床に、殿下の杖が小さく音を立てていく。

通り道になる廊下だけでも、毛足の短いカーペットを敷いておけばよかったと後悔した。


***


家令に命じられた侍女たちが、薔薇を半分ほど活けた大ぶりの花器をエントランスに置いた。

残りの一部を私の部屋に、そしてサロンの花器にも活けられた。

陛下が王妃殿下にプロポーズをしたときに贈った薔薇……。

ジュストから、好きだと言われた時のことを思い出していた。


私とジュストの道は、互いが真っ直ぐ歩めば決して交わることはないはずだった。

サンタレーリ公爵家の嫡子として生まれ育ち、母の後を継ぐ私。

母が亡くなってから、嫡子として学んでいくことで母の愛を追いかけてきた。

私の前からいなくなってしまった母に触れるには、サンタレーリ女公爵として生きた母と同じ立場に立たなくては……。

でも、母の痕跡を追えば追いつけるわけではなく、その偉大さに母を遠く感じるばかりだった。

今の自分は何をするにも、サンタレーリ公爵家の庇護の下でのことだ。

その家名がなければ私は何もできないに等しい。

本当にいつか自分自身が傘となって、多くの領民や一門の者たちを護ることができるのだろうか。


今は、ジュストが父にサンタレーリの婿となることの許しを請うている。

シャンデリアの事故で大怪我を負い、それはいずれこの国の王となるには小さくない傷だ。

それでジュストは王太子となる者の椅子を弟君に譲る。

この国の王となる者に、瑕瑾があってはならないから……。

ジュストは子供の頃から私を好きだったと言ってくれた。

自分も同じで、でも、その想いを砕いて今がある。


ジュストの気持ちも言葉もとても嬉しいのに、曇りのない晴れやかな気持ちになれないでいた……。

同列に語るのは烏滸(おこ)がましいけれど、ジュストもまた子供の頃からいずれは王となるために研鑽を積んできた。子供らしく過ごしていい時間をすべてそれに費やして今がある。

それなのに、傷を負ったからといってその道を諦めてしまってよいのだろうか……。

それは誰のためなのか。

しばらくして、サロンにお父様が一人で入ってきた。



「ずいぶん待たせてしまったな、レティーツィア。ジュスティアーノ殿下から、レティーツィアと婚約を結びたいと願われたが、今日のところは断ってお帰り戴いたところだ」


「……断った……のですか……?」


「そうだ。サンタレーリの婿とするには、今のジュスティアーノ殿下では足りないものがあったからだ」


「婿とするには、足りないもの……」


国の第一王子として生まれ、教養も人柄も申し分ないようにしか思えない。

何が足りないというのだろうか……。

でも、自分の胸に広がっているモヤモヤした思いと、父が断った理由は繋がっているのではないだろうか。


「私は反対しているわけではない。だが足りていないままでは許可することもできない。

私はサンタレーリ公爵代理として、嫡子レティーツィアの父親として、二度も間違える訳にはいかないのだ。

だが、殿下は聡明なかただ。すぐに足りなかったものに気づき、再びレティーツィアに会いにくるだろう」


「分かりました。私もいろいろ考えたいと思います」


父は無言で頷き、サロンを出て行った。

私は座り直し、頬杖をついて考え事に戻ろうとした。

ジュストが持ってきてくれた薄桃色の薔薇が、サロンに降り注ぐ光に俯いている。

陛下が王妃殿下へのプロポーズの時に贈った薔薇……。


その薔薇にそっと触れると、はらりと花びらを落とした。

傷みもなさそうな花びらだったのに、触れたせいで落ちてしまった。


ああ、そうか……。そういうこと……。


父の『今の殿下にはサンタレーリの婿として足りないものがある』という意味が、分かったような気がした。

私はそっと、花器を日の当たらないところに移した。



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