【32】城に戻る(ジュスティアーノ視点)
ブレッサン領からの帰路は、なかなかハードなものだった。
ドナートとアルマンドによって、俺の身体の負担にならないように馬車の内装に手を加えられていたが、それでも悪路が続くところでは傷口から血が滲んだ。
ただ、医師が同行しているおかげでその都度加療してもらっている。
別の馬車にはレティーツィアがおり、互いのために宿も別だったが食事は一緒にすることができた。
『旅は乗馬服が一番なのよ』と言って、ブレッサン領を出てからレティーツィアはドレスを着ていないが、装いが軽やかなおかげでいろいろなことができると言って、上機嫌だった。
レティーツィアが明るく振る舞ってくれているおかげで、身体が熱を帯びて調子が悪い時も気分が塞ぐことなく過ごせている。
つい、風貌が変わってしまった自分のことを忘れるほどだ。
これから王城で久しぶりに会うことになる、陛下や王妃殿下、兄弟たちがこのようになった自分にどう対応するのか──
それを考えると少し怖い気持ちもあったが、この風貌になったからこそ得られるものがあるのだと、そっと胸に手をやる。
もう、この胸に灯る希望を無理に消さなくていいのだ。
***
「ジュスティアーノです。長きに渡り留守にして申し訳ございません」
「入れ」
左腕は布で吊っている。
左肩の傷が、腕の重量に耐えられないのでそうしていた。
右手で杖をついている。
まだ片目で物を見ることに慣れず、すぐによろけてしまうのだ。
そして左目を開けることができない。
左目附近の火傷が爛れて瞼が癒着してしまっている。
髪は燃え、火傷の治療の為に剃り落としている。
陛下はこの様子の自分を見て、文字通りしばし絶句した。
「……ジュスティアーノ……そこに座るといい。怪我と火傷のことは報告を受けていたが、そこまでとは……。その目は、見えないのか……」
「はい、左目は開くこともできず当然見えません」
「……小さな子供を守ったと聞いている。その子がおまえのおかげで無傷だったとも」
「はい、無事だと聞いて安堵いたしました。その子は三歳くらいで、在りし日のカルジェーロに似ていました。シャンデリアの影が揺れるのに気づき、落ちて来ると思った瞬間にその子を抱き取って伏せました」
末の弟カルジェーロは、三歳になる前に病で亡くなってしまった。
やっと『にーちゃ』と呼んでくれるようになったところだった。
第一王子としての教育が一段と厳しくなった頃で、無邪気なカルジェーロの存在が束の間の安らぎとなっていた……。
カルジェーロの名を聞いて、陛下は目をしばたいた。
「そうか……カルジェーロに似ていたと……その子が無事で良かった……。幼き民を守ったおまえをわしは誇りに思う」
「ありがとうございます。私が咄嗟に無茶をしてしまったせいですので、どうか私の護衛の者たちやブレッサン公爵家への責任の追及は……」
「カルテリ市庁舎の件は、ブレッサン公爵が責任を持って調査している。王家として何か処分をするつもりはない。でもそれは第一王子が怪我を負った件に関してだけだ。カルテリ市長の不正に関しては当然罰を下す。ブレッサン領でのことだ、ブレッサン公爵家もそれなりの処罰は免れない」
「……おっしゃるとおりと思います」
「おまえが身体を張って、長年見過ごされてきたカルテリ市長の不正をあぶり出したとも言えるな」
結果を見れば、そういうことになるのかもしれない。
「それから私についてですが……王太子候補から……外して戴きたく存じます」
陛下が瞠った。
「……それは、王にはならない、そういうことでいいのか」
「はい。第二王子のベルナルドを繰り上げてもらえないでしょうか。火傷の痕が残り片目も見えず、左肩も完治したとしてどこまで動かせるようになるか現時点では未知数です。陛下は、常に『完璧を目指せ』と私におっしゃってくださいました。こうなってしまった私は、ロンバルディスタ王国の未来の国王として、相応しいとは思えません」
陛下は手を口元に当て、すぐには言葉を発しない。
日頃から陛下は、王たるものが風格を損なうことは許されないと、美酒美食に溺れることなく自身の鍛錬を欠かさなかった。
中身が大事であることは言うに及ばず、さらに外見に関しても自らを律してこられた。
『人格が風貌を作り、風貌が人格を表す』、常に陛下からそう言われてきた。
そんな陛下が、顏に火傷を負い片目が癒着して開かなくなったこの状態の自分を許容することはできないだろう。
この爛れた隻眼で他国の要人と相対すれば、その日に協議する内容よりも、俺の風貌とその理由に興味が集まってしまう。
国として、プラスにはならない。
息子に対する情とは切り離して陛下は考えているはずだ。
先ほどから厳しい表情を浮かべている。
「……ベルナルドをいずれ王太子とするとしたら、ジュスティアーノ、おまえはどうするつもりなのだ」
「サンタレーリ公爵家嫡子レティーツィア嬢の婿となり、外から王家を支えることができればと思っております」
「サンタレーリ公爵家の婿か……バジャルド・サンタレーリ公爵代理はそれを許したのか?」
「……これからです。陛下の許可なくして話を持って行くことはできません」
思わず声が震えてしまった。
レティーツィアを溺愛している公爵代理という扉は、あまりにも堅牢に思える。
それを読み取ったかのように、陛下が笑い声をあげた。
「隻眼、坊主頭で片腕を吊っているおまえをサンタレーリが拒んでも、王命など出してやらぬからな。自力でエウジェニアの遺した宝を掴みに行くがよい」
「はい、ありがとうございます」
陛下の執務室を出て、いつもの廊下を歩いているのに、どこかふわふわと現実感が無かった。
自室に戻るとすぐに王妃殿下が訪ねてきた。
そんなことは、子供時代が過ぎてから、ただの一度も無かった。
この姿になった自分を見ても、眉一つ動かさなかった王妃殿下は、さすがとしか言い様がない。陛下ですら驚きを隠せない顔をしたというのに。
そして、ふわふわした気持ちに剣を突き刺すような現実と向き合うことになった。
『西の翼』にヴィオランテが居るという。
王妃殿下管轄の『西の翼』は、建物そのものが牢となっている。
王妃殿下は、自分の手で終わらせてくるようにと、そう静かに言った。
ヴィオランテはこの後ロンバルディスタ東部、イラリオのモルテード領にある、『悔悛の塔』に移送されるという。
『悔悛の塔』は、罪を犯した者が、ひたすら己の罪と向き合うための施設だ。
床も壁も天井も石でできている部屋には、やはり石の椅子とテーブル、粗末なベッド、そして鏡があるだけだという。
牢獄のような労働はないが、修道院のように外部と接触できることもない。
労働がある意味において、身体を動かし気分を発散させることもできると考えると、何も無い『悔悛の塔』に送られるのが一番の罰かもしれなかった。




