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【23】婚約 ②(ヴィオランテ視点)


「お父様、甘え切って頭の中にまで脂肪を蓄えたエデルミラが王子妃教育に応えられると本当に思っていらっしゃるのですか?」


「妹に対してそんな言い方をするな」


「私への厳しさの半分、いえ、十分の一でもエデルミラに向けて教育をしていれば、あのような怠惰な娘にはならなかったでしょう。ある意味虐待です。先々のことを考えず、一瞬一瞬が楽しければいいとお母様はエデルミラと過ごしてきたのですから。他国の言葉はおろか、帝国語ですら分からない娘を第一王子妃候補として王宮に送りこもうなど、案外お父様は冒険家でいらっしゃるのね」


「虐待などと……待て、エデルミラは帝国語も操れないのか……?」


「操るどころか、挨拶ですら覚束ないというレベルです。十歳のマリアンナのほうがよほど話せますね」


「……マリアンナに劣るのか……」


父はエデルミラの現状をまったく把握していなかったのだ。


「今夜のディナーのテーブルで、帝国の言葉のみを使うことにしてみれば分かります」


実際そのように父が食事の前に言うと、ゲームのように感じたのかマリアンナが嬉しそうに、今日のお肉は柔らかくてとても美味しいです、肉はどちらの産地のものなの? と帝国語でシェフに尋ね、シェフが淀みない帝国語で返すのを見て、エデルミラは驚いた顔を晒した。

母も無邪気にその設定を楽しんでいた。

王弟の娘であった母は、さすがに帝国語くらいは無理なく話す。母が父にその日にあったことを語るのも、給仕にオレンジジュースの二杯目を持ってこさせるのも、すべて帝国語を使った。

しばらくして肉料理の皿が下げられ、マリアンナに今日のデザートが何か楽しみですねと帝国語で話し掛けられたエデルミラは、『ばいばい!』と幼児が使う帝国語を叫んで泣きながら席を立ってしまった。

あのエデルミラがデザートを待たずに席を立つなど、余程の屈辱だったのだろう。

妹のマリアンナもいつもは自分に優しい母も、シェフも給仕も侍女に至るまで全員が帝国語を話していて、エデルミラは何も理解できなかった。

でも、それを屈辱だと感じるのは間違っている。

何かの結果を悔しがる、それは努力を重ねた者だけに許されることなのだ。

学ぼうとさえしなかった者が、自分が分からないことで恥をかかされたと思うのは間違っている。


父はその時のエデルミラの様子を見て、ショックを受けたようだった。

そして母は、エデルミラが席を立ったことにキョトンとした顔をした。

母は、この国の貴族として当然理解できるはずの帝国語を、エデルミラが身に着けていなかったことを知らなかったのだ。

娘の教育に母は関わっていなかった。

エデルミラが分かる帝国語は、幼児が歌う曲の言葉だけだと気づいた母は、さすがに顔色を失くしていた。



「……ヴィオランテよ、エデルミラに今から厳しい教育を与えたとして、何か月で習得できるだろうか……」


あのディナーの後、父は私を呼んで力なくそう言った。


「エデルミラなら午前と午後に三時間ずつ机の前に座らせるだけで三か月はかかるのではないでしょうか。勉強は無理ですわ。耕したことのない硬い土に種を蒔いたところで、被害者意識の涙の雨に種が流されて終わりでしょう」


「第一王子妃は……」


「アンセルミ公爵家の恥を晒し、王家から反逆心を疑われてもよろしいのなら、エデルミラを王宮に上げればいいでしょう」


「ならばっ、どうすればいいのだ! 王太子妃、いずれ王妃となる娘を王宮に上げるのは、私のアンセルミ公爵としての悲願なのだ!」


四大公爵家のうち、過去において王妃を輩出したことがないのはアンセルミ公爵家だけだった。それ故、父は王弟の次女である母を娶った。

ただ、そこまでアンセルミ公爵家からの王妃輩出にこだわるなら、もっとエデルミラの教育に力を注げば良かったのだ。

何故、父は母にエデルミラを任せきりにしたのかと問い詰めたところでもう遅い。


「私がジュスティアーノ第一王子殿下の婚約者になります。アンセルミ公爵家の一門から優秀な者をエデルミラの婿にすればいいのです。エデルミラはお父様の血を継ぐ子を成すだけでいいのですから、婿はお父様の好きなところから取れますわ。……お父様がかつてお好きだった女性のご子息ですとか……」


最後の言葉に父は驚いたように目を見開き、すぐに思案をするようにその目を細めた。

かつて父が好いていた女性は、父が結婚するより前にアンセルミ一門の伯爵家に嫁いでいた。

男児を二人産み育て、夫である伯爵は事故で亡くなっている。

今は嫡男が結婚して伯爵家を継いだが、気の強い嫁と折り合いが悪いらしく私と同じ年の次男と共に別宅で暮らしているそうだ。

その次男はとても優秀で、王宮の上級官職を目指しているらしい。

もしもエデルミラとその次男が結婚すれば、このアンセルミ公爵家に父はかつての想い人を住まわせることもできるのだ。一人きりになってしまう娘婿の母を引き取るという、美談にさえなる。

エデルミラをあんなふうに育ててしまった母に、父が『娘婿の母』を引き取ることに文句は言わせないはずだ。

母もまた、王弟の娘としてのプライドから表立って反対はしないだろう。


「……だが、バディーニ侯爵家の次男との婚約はどうするのだ。こちらから一方的に婚約を解消すれば、多額の慰謝料を払わねばならず醜聞にさえなりかねない。しかもそのように傷がついたおまえを第一王子の婚約者になど、陛下がお許しになるかどうか」


「私にお任せください。私に傷をつけず、かつ醜聞にはならないようにすればいいのでしょう。王家に私をお勧めするタイミングをお父様にお伝えしたら、陛下に話をつけていただければと」


***


子キツネ狩りで、カルロを失脚させるつもりだった。

生肉を投げて猟犬たちを混乱させ、狩りを台無しにさせる。

カルロが大事にしている角笛を隠した。今回の狩りが終われば、元あった場所にそっと戻すつもりで。

カルロの角笛に従わなかった猟犬たちが多く出て、狩りが失敗すればそれはその日の狩りのマスターを務めたバディーニ侯爵家の失態となる。

そこを突破口として、穏便にカルロとの婚約を解消するつもりだった。


カルロに恨みは無いし、特別嫌いでもない。

だからと言って、私の結婚相手として相応しいと思ったことは一度もなかった。

優しいと言えば聞こえはいいけれど、流されやすく爵位の低い家の令嬢から狙われて、人気のある自分を愉しんでいた。

レティの婚約者だったカノヴァ侯爵令息のように自ら令嬢を追うことはしなくても、来る者は拒んでいなかったのだ。

このまま私がカルロと結婚してエデルミラがジュストの婚約者になれば、いずれ私はあの怠惰な肉の塊である妹エデルミラの臣下になってしまう。

そんなことは絶対に受け入れられない。

アンセルミ公爵になって一門を好きなようにすることより、この王国の国母になるほうが、遥かに魅力的だ。


それなのに──あの日、私が思っていた以上に猟犬たちは生肉に興奮して飛びついた。草食動物なのに、私の馬も興奮してしまったのも想定外だった。

鶏肉を扱うのが上手い料理長に、猟犬の気を惹くように血を肉の中に残す形で捌いてもらった。

子キツネ狩り後の猟犬への褒美の品だと言ったら、喜んでそのように処理をしてくれた。

その肉を革袋に入れて、狩場で投げた。


でも……そのせいで、カルロは命を落としてしまった……。

駆け寄ってカルロを揺さぶる私の手についたのは、鶏の生肉の血だったのかカルロの血だったのか私にも分からない。

カルロが命を落とすまでのことは望んでいなかったが、結果的に私は悲劇の舞台に上がることになった。

そして一年と少しの期間を経て、私がジュストの婚約者となりエデルミラの婚約も決まった。


ジュストは私のことは、ただの幼馴染の友人としか思っていないだろうけれど、陛下のお決めになったことに反対するような人ではなかった。

私はカルロという負い目があるけれど、ジュストにだって『忘れられない初恋』という負い目があるはずだった。

子供の頃のジュストはレティのことが好きだった。

当人であるジュストとレティ以外の私たちは、たぶんみんなジュストの想いに気づいていた。二人の初恋は、それぞれが背負っている『家』の重みに潰される前に、シャボン玉のように空へ放たれた。おそらくジュストもレティも、その思いが恋であるとさえはっきり認識していなかっただろう。

私はずっとジュスティアーノ殿下だけを見ていたから分かる。

私の初恋こそが、ジュスティアーノ殿下だった。


でも思い出は誰にでもあるものだし、子供の頃の初恋など、すべすべした小石を拾って大事にしていたのと変わりはなく、そんな小石に躓く私ではない。

レティを傷つけてしまうとしても、私はアンセルミ女公爵という地位よりさらに上の、この国の国母になりたい。

エデルミラのことも母のことも許せなかった。

そして自分の初恋を叶える。

それは同時に、父が諦めた恋も浮かばれることなのだ。

いい子にしていても欲しいものは何も得られず、何の努力もしていないエデルミラにすべて持って行かれるところだった。

カルロの尊い犠牲によって私の道は歩きやすくなったのだ、そう思うことにした。


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