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【1】婚約者

   

年に三度の定例議会に参加するようになってしばらく経ち、私の婚約者も決まった。

ダヴィード・カノヴァ、私と同じ年の侯爵家の令息だ。

カノヴァ侯爵の次男で、侯爵は財政副大臣として堅実な仕事ぶりとの評判が高い。

私の婚約者を定める決定権を持つのは父と母方の叔父で、彼らが決めたダヴィードに不服は無い。サンタレーリ次期女公爵としての婚姻はとても重要なことで、私の心などという不確かでちっぽけなもので決めるものではないのだから。


今日は、サンタレーリ公爵邸にダヴィードがやってくる日だ。

私は週に五日、講師を招いて領主に必要なことを学んでいる。そのうちの一日はダヴィードにも参加してもらっていた。貴族学院に通うダヴィードは、その日は学院から直接我が家に訪れる。

女性である私が通えるのは淑女教育向けの女学院だ。ただ、そこで学べることは十二歳までに終えているので、学院には通わず講師を招いている。

公爵家の当主教育の内容は膨大だ。

農業や水産業などから、領土の設備管理や資源の採掘、民の教育や生活基盤の整備、治水事業に外交に防衛と、ひとつひとつに私が出張ることはなくても、すべてへの理解と状況把握が必要になる。

本来は婿となるダヴィードにもすべて受けて貰うところだったが、貴族学院での勉強もあるため週に一度にしてほしいとカノヴァ侯爵家からの要望が入ってそうなった。


***


今日の講義を終えた外国語の講師が部屋を出ていくと、ダヴィードは肩を回しながら姿勢を緩めた。


「いつも思っていることだけれど、外国語はその言葉を話せる専門家を交渉の場に置けばいいだけではないだろうか。いや、学ぶのが厭だと言うのではなく、その時間をもっと他のことに使った方が有効だろうと思うというかね」


「そうは言っても、ダヴィードも舞踏会で外国の王女殿下と踊ることもあるかもしれないわ。そこに通訳を入れるのは無理というものよ」


「ダンスなら言葉など要らないだろう。目と目で伝えあうものではないか」


外交としての他国の王女とのダンスの話なのに、どうして恋人同士のような場面を想像して物を言うのかしら。

ダンス一曲の僅かな時間に、いろいろな情報が交わされる。王家が主催する舞踏会で、他国からの招待客と踊ることは、この国の四大公爵家の者であれば仕事に他ならない。

そこで手を取っている相手が操る言葉も解らないなど、ありえないというのに。


「僕は帝国語なら難なく話せる。ロンバルディスタと友好関係にある国の中で、一番大きいバルレート王国の言葉も学院で第二外国語として学んでいる。今日のエスカルパ語は本当に必要なのかな。かの国はロンバルディスタの半分にも満たない小国だろう?」


「……必要だと父たちが思っているから、私たちに講師が付けられているのよ」


「僕が言いたいのは、そうした情報のアップデートが僕らの親世代にも必要かもしれないということであってね」


「お茶が冷めてしまうわ。今日のタルトは、そのエスカルパ王国から取り寄せたチーズのタルトだそうよ。エスカルパはこのところ酪農に力を入れているようで……」


「このタルト、普通に美味しいね」


ダヴィードの言葉を遮った私の言葉に僅かに眉間に皺を寄せて、仕返しとでもいうように私の言葉を遮った。


「……そうね、とても美味しいわ」


父に、次のエスカルパ語の講義からはダヴィードを外して貰うように伝えよう。いつだって私が前に出て行けばいいのだ。

今日もダヴィードはメモさえ取っていなかった。

ダヴィードが優秀だというのは嘘ではないのだ。

設計や土木関係にとても長けていて、橋を架ける土台となる地面の強度の計算などは驚くほど緻密にやる。

ただ、ダヴィードは自身を過信しているところがあり、他者の意見と相違があった時になかなか自分を曲げることはないのが彼の欠点とも言えた。

エスカルパ語を学ぶ必要はないという自説を、きっと彼は曲げないだろう。

もしもエスカルパの王女と舞踏会で踊ることがあれば、ダヴィードは何の情報もやり取りできずに、恋人のように王女の瞳を見つめるだけなのだろうか。


何もエスカルパ語だけの問題ではない。

そうしたダヴィードのある種の頑なさを、この頃私は危惧し始めている。

当初、侯爵家の次男であるダヴィードは私に対してもちろん敬語で話していた。

でも私が、婚約者なのだし二人の間では気軽に話したいと言ったら、今のような感じになった。最初の頃は、ダヴィードとの間に壁のようなものが無くなってすっきりしたと思っていたけれど、一歩許しただけのはずが三歩詰めて来られた感があった。

その原因はどうやら彼の中の『男性優位』の意識だ。女性側の立場が上というのはこういうところでも面倒なのだと思うことになった。

ダヴィードは、言葉を許したあたりから、学院に通ったことのない私をほんのり見下すようになっていた。

ダヴィードができないことができる私のことをどう見下すのかといえば、先ほどのように『必要のないことを杓子定規に学ぶ愚かさ』という理屈を持ち込んだりする。


婚約者というものを、私は少し持て余していた。

ダヴィードを婚約者に据えた父と叔父、サンタレーリの決め事の中で、私は板挟みのようになっている。

これが当主の務めなのだ、サンタレーリを背負う者の結婚なのだと頭では分かっているものの、ダヴィードと会うたびに彼への個人的評価が目減りしていく。

そしてそれは向こうもきっと同じなのだろう。

丁寧に扱われていることは感じられる一方で、ダヴィードの鬱屈した思いが言葉や態度の端々に滲んでいた。

結婚への諦めのようなものは、もっとずっと後にやってくるものだと思っていたのはどうやら間違いだった。


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