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【17】側近ドナートの疑問(ジュスティアーノ視点)


慌ただしい一日の終わりに、やっと落ち着いて茶を飲んでいる。

今日はヴィオランテとの婚約が決まって、初めてアンセルミ公爵家の者たちを王宮へ招いた。

公爵夫妻とヴィオランテの末の妹は終始にこやかな笑みを浮かべていたが、真ん中の妹の微笑みがどこか貼り付けたもののようでやや気になった。

それよりも、ヴィオランテこそが緊張からなのか硬い表情だった。

ヴィオランテは子供の頃から静かで大人しかった。

五人で過ごしていても、どこか一人だけ大人びていて一線を引いている感じがあったが、婚約が決まってからも相変わらずだ。

その実、ヴィオランテはこの婚約を喜んでいないのではないかと感じることもある。

だが、もう陛下が決めて定例議会で公となり、覆すことなどできない。

この婚約が公になるのは、シーズンの最初に開催されるガーデンでの園遊会の場だ。それには、商業や医療、教育や芸術方面で素晴らしい功績を上げた平民も招かれる。

王太子となる第一王子の婚約は、そうした平民も招く園遊会にて発表するのだ。


定例議会と言えば、レティーツィアのことが気懸りだ。

議会の終わりに退出する際、手から血を垂らしており顔面蒼白だった。

アルマンドが救護室に連れて行こうとしたがレティーツィアは大丈夫だと言い、会議後の定例の五人の茶話会は、父の体調が悪いために欠席すると歩いて行った。

ところがすぐにレティーツィアは崩れ落ちるように倒れ、体調が悪いはずの御父上に抱えられて行った。


その後、レティーツィアが欠席すると言った茶話会は、ヴィオランテも頭痛が酷くて申し訳ないが欠席したいと言い、それなら今回は茶話会そのものを無しにすると判断して取りやめた。

ヴィオランテは定例議会の時から顔色が悪く、アンセルミ公爵が自分に謝罪をしてヴィオランテを連れて下がっていった。

こんなことは初めてで、女性だけに何か悪くなった菓子でも出されたのかと疑ったくらいだった。

その後、レティーツィアから何の音沙汰もない。

御父上の体調不良のために帰るなどという明らかな嘘をついた理由も分からなければ、手から血を垂らしていた理由も分からないままだ。

アルマンドもイラリオも、何かあればレティーツィアのことだから我々に話すだろうと、それまでは見守るだけだと言っていたので、今は静観するしかない。

ヴィオランテは、今日の王家とアンセルミ公爵家両家の顔合わせには出られたので、ひとまず安心したところだ。



「お寛ぎのところ失礼いたします」


側近のドナートが、デスク周りまでやってきた。茶のお替りを持ってきたのかと思ったが、そうではなかった。


「本日、セルソ・バディーニ侯爵令息殿が、殿下に面談願いを持って参りました。急ぎの案件ということで、殿下のスケジュールが空いている明日の昼餉の後にということになりましたのでご報告を」


「それはドナートに任せているので俺は構わないが、バディーニ侯爵令息というのは、子キツネ狩りで亡くなった、ヴィオランテの元婚約者の兄だったな」


「はい、そうです。他に証言者を一名連れて来ることを望まれ、その者の身分証も預かっております」


王族に面談を申し込む時には、身分証を預かり面談時に返すことになっている。面談するまでもない案件とドナートが判断した時は、ドナートがその者の話を聞く。

ドナートが差し出したのは、バディーニ侯爵令息と、バディーニ侯爵家に仕える従者の身分証だった。侯爵令息ともなれば、従者を連れてくるのは至って普通のことだが……。


「証言者と言ったか? 何を証言するというのか」


「それは殿下との面談の際に話すようです。調べましたところ、従者は長きに渡りバディーニ侯爵家に勤めている者で、男爵家の次男です。貴族籍を調べましたが、本人も家族も特に問題はありません。長男が男爵家を継ぎ、次男である当人はバディーニ侯爵家嫡男の側仕えとして、キツネ狩りにおける嫡男の仕事の補助をしており、仕事ぶりも誠実のようです」


「明日の面談にならなければ、何を『証言』するというのかは分からないということだな」


「はい。念の為、面談の際は護衛を二名増員しておきます。それから……これは単なる私の個人的な疑問なのですが……」


何故かそこでドナートは言い淀んだ。何か言いにくそうに、目が泳いでいる。


「疑問とは?」


「……本日のアンセルミ公爵令嬢との婚約調印書にサインなさった時に、殿下はあの古銀のペンをお使いになりませんでしたね。陛下はご愛用の赤いガラスペンをお手になさいましたが、殿下は古銀のペンではなく、その隣の木製の軸のペンを手に取られサインをなさいました。何か理由がおありだったのかと思いまして……」


調印の際、紺色のベルベットのトレーに陛下のガラスペンと俺の古銀のペン、そして執務室にいつも用意されて使っている軸が木目のペンが三本載せられていた。

そこから陛下は愛用のガラスペンを取り、俺は……。

ここぞという時だと思う間もなく、何気なく木目のペンを手にした……気がする。

いつもの執務中のように、特に何も……考えていなかった。

特別な時に使う大切なペンを、俺は自分の婚約調印書のサインで使わなかったのか……あの古銀のペンを……。


少しも古ぼけていない、むしろ鮮やか過ぎて戸惑う記憶が蘇る。

暖かな日差しの中で追いかけていた、眩しくてうまく捉えられない後ろ姿。

枝を折った時の手応えがこの手に残っている。

澄んだ微笑み、手にしている白い花の涼やかな香り。


『──何でも手に入れられるジュストなのに、いつも何も欲しがらないでしょう?』


一番欲しい君は手に入れられないのだから。

二番目以降のどんなものを手にしたところでどれも変わりはない。

だから欲しいものなどない。

盗み見た横顔に、諦めたものの眩しさに胸が痛んだ。



「……あのペンを使わなかった理由は、特にない」


舌が張り付くように乾き、答えが掠れた。

何か叫んでしまいそうだったから、うまく声を出せないことがたぶんちょうどよかった。


「……さようでございましたか。つまらないことを伺ってしまい、申し訳ございませんでした。これにて失礼いたします」


ドナートが下がって行ったが、扉が閉まる音を待たずにデスクの椅子から立ち上がり、ソファに身を投げる。

頭に浮かぶ言葉を見ないように、目に腕を押し当てたが何の目隠しにも重石にもならなかった。


……レティーツィア……


消そうとしても消えないそれを、口にした。

誰もいない部屋で、その名を呼ぶ。

その名が連れてきたのは……幼き日に生まれた寂しく小さな恋心だった。

俺自身にも知られることなく、身体の内側のどこかに完全に隠れていた。

弾かれたように立ち上がり、古銀のペンでその名を書きつける。


 Letizia

 Letizia

 Letizia


その文字列をそっと撫でる。

乾く前のインクが指先を汚した。

怒りを握り込むように紙を丸め、ダストボックスに投げ入れた。

己の馬鹿さ加減に、ひとしきり笑うと景色がぼやけた。



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