【13】婚約者(ジュスティアーノ視点)
婚約が決まってから初めて、ヴィオランテを王宮に招いた。
朝から雲ひとつなく晴れ渡る空を見て、奥の院の庭にテーブルセッティングをするように伝えた。
子供の頃はよくここで遊んだものだ。
走り回る俺たちを、ヴィオランテはつまらなそうに座って見ていることが多かった。
ヴィオランテは五人の中で、誰よりも先に心が大人になっていたのだろう。
薄い黄色のクロスが掛けられたテーブルに、白磁にブルーの縁取りのティーセットが並べられている。
従者に続いてやってきたヴィオランテは、薄桃色のふんわりしたドレスを着ていた。
可愛らしいと言える雰囲気のドレス姿のヴィオランテに少々戸惑った。
大人びたスタイルのドレス姿しか記憶に無かったのだ。
「ジュスティアーノ殿下、本日はお招きありがとうございます」
「可愛らしいドレスは珍しいように思うが、似合っている」
「……ありがとうございます。でも、ジュスティアーノ第一王子殿下にそのように言われるのは初めてで、なんだか落ち着きませんわ」
「ジュスティアーノ第一王子殿下、などと言い慣れない呼び方をするから落ち着かないだけだろう」
「きっとそうね」
いつものヴィオランテの言葉が出て、俺自身も少し落ち着いたように思えた。
友人と思っていた女性を、ここから婚約者として接するのは案外難しいものだと感じている。いつも他に人がいたせいか、二人だけになると何を話せばいいのか分からない。
侍女たちがお茶を淹れて下がって行った。
ヴィオランテの茶の好みも実は知らなかったから、無難なものを用意してもらった。
美しい仕草で茶を飲む様子をそっと見る。
よく知っているはずなのに、知らない女性がそこに居るように思えた。
「……アンセルミ女公爵を目指して努力を重ねていたのに、王家に嫁ぐことになって良かったのか」
「目指していたわけではなく、そちらへ流れる舟に乗せられていただけです。公爵家の嫡子に生まれて、何かに逆らうことなどできませんでしょう。それは殿下も同じかと」
「まあ、そうだな。この婚約も、流れつく先が変えられただけのことというわけだな」
アンセルミ公爵家の嫡子としてそれを継ぎたいとヴィオランテ自ら思っていたのではないのなら、それほど罪悪感を持たずに済む。王家の思惑でヴィオラの未来を、その意志に反して捻じ曲げたのでないならよかった。
なかなか見合う令嬢が見つからずにいた陛下が、アンセルミ公爵家に無理を押し付けたのではないかと気懸りだった。
婚約者となった以上、ヴィオランテを大事にしなければならない。
この流れに任せて良かったと思ってもらえるように。
「それでもわたくしは、殿下のお飾り妻になるつもりはありませんわ」
「分かっている。ヴィオランテを飾るものが、その新しい立場だろう?」
そう言うと、ヴィオランテは微笑んだ。
だがそれは、婚約者に向けるものというより、教師ができの悪い生徒に及第点をやる時の微笑みのように見えた。
それからしばらく取り留めのない話をして、風が少し出てきたので王宮の中に戻ることにする。
子供の頃に駆けた小径を、婚約者となったヴィオランテと歩いているのがなんだか不思議な感じがした。婚約者という実感がまるで湧いてこないのだが、そういうのはこれからだんだん感じるものなのだろうか。
時折少し強く吹く風が、小径の木に咲いた白い花を揺らしている。
「ここは懐かしいな。よく駆け回った」
「わたくしは迷路のような細いこの通路が苦手でした。よくみんな力いっぱい走れるものだと思っていましたわ」
迷路のような……まさにそのように低木が配置されている。
俺はこの小径の順路を正しく把握しており、すぐ下の弟ベルナルドに教えたものだ。一緒に連れて歩き、最後は疲れてしまった下の弟を背負って、歌いながら歩いた。
今はあの頃より背が伸びて、先が見えるようになり迷路とは感じなくなった。
レティーツィアがあの日、行き止まりになっていることに気づかずに振り返りながら走っていたから手を引いた。
勢いがついていたレティーツィアは倒れそうになり……。
つい立ち止まった。
レティーツィアが欲しいとねだった白い花を付けた枝が、今日も風に揺れている。
俺に何か欲しいと言うなんて、あれが最初で最後だった。
リボンでも飾りピンでもなく、しばらくすれば枯れてしまう一本の花の枝を……。
「殿下? どうかなさいました?」
「……その先は行き止まりだから戻ろう」
ヴィオランテに手を差し出すと、その上にそっとひんやりした細い指が重ねられた。
こうして歩いていると、まるで見知らぬ小径のようだ。
この道の先にあるのは遠い日の思い出ではなく、国を背負って立つ未来だった。