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【12】イラリオを私室に招く(ジュスティアーノ視点)


「ジュスティアーノ第一王子殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」


「……イラリオは毎回それをやるが楽しいのか。いや、楽しいのだな、いい笑顔だイラリオ。おかげでご機嫌麗しくなった」


「それは良かった。将来の国王の私室に入るのは初めてだよ。見学ツアーがあれば申し込んだのに」


「茶が運ばれてくるまでくらい、お行儀良くできないものか」


イラリオは笑いながら、デスク周辺を勝手に見て回っている。ただし当然何にも触れないところがこれから公爵になろうとしているイラリオらしかった。

友人でありどれだけくだけた口調で話していても、線引きはしっかりしているのだ。


「あ、このペンは覚えているよ! いつかの遊びの時に、アルマンドの御父上が提供してくれた古銀のペンだ。まだ使っていたのだね。案外物持ちいいなぁ」


「ああ、大事にしている。ここぞという時にしか使わないんだ」


これは自分が一番大切にしている、いうなれば宝物のようなペンだった。

銀の焼き付け模様が、武骨でありながら繊細でもある。持ち重りがする感じがあり、それがかえって文字を書き続ける時には手が疲れなかった。


──私が勝ってもジュストにあげるつもりだったの。

──いつもジュストは何も欲しがらないのに、このペンには目を奪われていたから。


あの日のレティの言葉がまた蘇ってくる。

そんなことを言われたのは初めてだった。

いずれ王太子となる自分の立場で何かを欲すれば、必ず誰かがそれを叶えてしまう。

それがいつも正しいルートとも限らない。

あるべき筋を捻じ曲げて欲しい物を得てしまうことがどこか恐ろしくて、何も欲しいと言えなくなっていた。

そのことにレティが気づいていた。

もしも俺の手に古銀のペンが『正しく』収まらなかったのなら、自分が『正しく』得てからそれをあげようと思っていた、そう言われたのだ。

あの時のレティの眩しいまでに輝いていた瞳を思い出す。

このペンは懐かしい記憶をいつも連れてくるのだ。


それから少しの間、子供の頃の話に花が咲いた。茶が運ばれてくると、イラリオが神妙な顔つきでティーカップを見つめている。

イラリオは昔話をしに来たわけではないのだ。


「公爵の具合のほどは、どのような状況だろうか……」


「一日のほとんどを、うとうとしているようだ。意識がある時は母の名を呼び、その母が傍にいて声を掛けているのに判らないらしい。あと半月もつかどうかというところのようだ。それで今日は陛下に、領地の父を見舞う……いや、看取るため、弟のチェルソを王都に残し嫡子である自分はしばらく王都を離れる報告をしに来た。陛下からお見舞いを頂戴したよ、ご厚情ありがたいばかりだ……」


「陛下と公爵は、我々のように子供時分から仲が良かったと聞いている。まだ王都で療養している時に見舞うべきだったと、肩を落としていた」


「陛下がご多忙の身であることも、自由が利かないこともよく存じ上げている。まだ話せた頃、父が好きだった手で剥ける小さいオレンジを陛下から贈っていただいたよ。その時はもうほとんど食べられなくなっていたが、そのオレンジはいくらか口にできたようで母も感謝していた。なんだかしんみりしてしまって申し訳ない。このところ目が回るほど忙しく、この部屋に来たら張りつめていたものが緩んでしまった」


イラリオは目尻をわざと乱暴に拭ってみせた。

モルテード公爵は、四十半ばの若さなのだ。イラリオは結婚したとはいえ、まだまだこれから公爵の元で学んでいくはずだった。胃の腑の病が公爵を連れ去ろうとしている中、イラリオはモルテード公爵一族の間を奔走している。疲れていない訳がなかった。


「従者たちに、茶を出した後はこちらから声を掛けるまで誰も近づかないように言ってある。泣いても暴れても眠ってもいいぞ」


「それはありがたい。では第一王子殿下のお膝をお借りして」


「膝枕代は領地へ請求するようにしよう」


「まさかの有料! 危なかった、父が請求書を見たら寝込むところだった」


イラリオは笑いながら、ぬるくなった茶を飲み干した。


「奥方とは、その……うまくやっているのか?」


自分の婚約者がついに決まった話を聞いたばかりで、結婚しているイラリオに何か聞きたくなった。


「ああ、クラリーサは俺にはもったいないくらいよくやってくれている。子供を父に見せられないことが悔やまれるくらいで、それは誰のせいでもない。そちらはどうなんだ。いくら結婚が遅めのこの国とはいえ、さすがにそろそろ婚約者くらい決まってもいいだろう」


「まあ、近いうちに話せると思う」


「ついに決まったのか! それはめでたいが……どうしてそんなに浮かない顔をしている?」


「浮かない顏?」


思わず、自分の頬に触れる。俺はヴィオランテとの婚約が決まったことを喜んでいないのだろうか。

四大公爵家の一角を担うアンセルミ公爵家の、嫡子としての教育も研鑽も積んできたヴィオランテは第一王子である自分にとってありがたい婚約者なのだ。

まさかアンセルミ公爵家が嫡子を手放すとは思わなかっただけで、そうと決まれば実に良い相手だ。

それなのに、俺は浮かない顔をしているとは……。


「すまない、失言だった。俺も婚約が決まった時は少し戸惑ったよ。俺が未来に向かう為に乗せられた馬車の片輪は公爵家を継ぐというもので、もう片輪が結婚相手だろう? 婚約が決まった時、ああ俺はもうこの馬車から降りられないのだと思ったというか。嫌だとかそういうのではなくね。殿下もそうなのだろう?」


未来に向かって乗る、馬車の両輪か……。

いずれ継ぐ王位という片輪と、それを扶けてもらい共に生きる結婚相手という片輪。


「なるほど、そういう心境になるものなのだな。とても分かりやすかった。やはり先を行く者の言葉には頷けるものがあるな」


「人をじいさんのように言わないでくれよ」


「浮かない顏になっていたとすれば、レティーツィアのことも気になっていたせいもあるだろうか。婚約者の不貞で婚約破棄となって、その後まだ新たな婚約は結ばれていない。そんな中で自分の婚約が決まったといって喜びを見せるのもどうなのだと……」


「婚約者の不貞だから、案外破棄になって喜んでいるかもしれないよ。それとは別に殿下の婚約を知れば、レティなら祝ってくれるだろう」


「婚約破棄を喜んでいるというのは言い過ぎではないか。どういう状況であろうと心も評判も傷つくのはいつも女性だ」


「……今のも失言だった……殿下の言うとおりだ。今日の俺はどうかしている。申し訳ない」


「いや、俺も言い過ぎた、すまない」


つい声に険が混じってしまった。

レティーツィアの婚約破棄の話の詳細を聞いて、腸が煮えくり返っていたせいだ。

自分の置かれた立場も理解できない男が、どうしてサンタレーリの跡継ぎの婿に指名されたのか。何とも言えないムカムカが、胃の辺りに今も巣食っているような感じがある。


「俺は死にかけている父のアレコレで疲れていて、殿下はマリッジブルーなら、失言大会も仕方がなかったということにしてもらえるだろうか」


「マリッジブルー! 俺も淑女のように繊細だったのだな!」


二人して笑った。

笑えて良かったと、ひっそり思う。

ヴィオランテとのこの婚約は喜ばしいものに違いないのだから。

レティーツィアの婚約破棄のことを考えると、まだ心から笑える感じではないのが本当だ。

いつもレティーツィアについては、どれだけ考えても正しい答えに辿り着けず、自分の無能さを突きつけられている気がして落ち着かない。

だが、今はしっかりとこの自分の婚約について考えなければならなかった。


それからイラリオは、しばらく領地へ行くが、次の定例議会には間に合うように戻ると言ってこの部屋を後にした。




「殿下、陛下がモルテード公爵のお見舞いにとお取り寄せになったイチゴですが、先ほど第二王子殿下や王女殿下のお部屋にも届けられたようで、こちらにも届きました。お茶と一緒にご用意いたしますか? ミルクと蜂蜜をかけた殿下のお好きな盛り方にして持って参りますが」


「そうだな、では少しもらおうか。蜂蜜は控えめで頼む」


「かしこまりました」


イチゴにミルクと蜂蜜をかけたものは、今では俺の好物としてドナートの頭にインプットされているようだが、元々はレティーツィアが好きな食べ方だった。

イチゴが出回る季節は短く、王族といえども一年中いつでも口にできるわけでもないが、まだ子供の頃に定例議会中に遊んでいた時にイチゴが出された。

レティーツィアがミルクと蜂蜜をかけてイチゴをスプーンで潰して食べていたら、ヴィオランテやアルマンドまでが『美しくない食べ方』と言って笑った。

だが別の機会に一人でレティーツィアのやったようにして食べてみたら、見た目はともかくイチゴの酸味とミルクと蜂蜜の甘さが混ざり合って旨かった。

それからイチゴの季節が来ると、執務の合間にそうして食べていた。

それがいつの間にか、ドナートの中で俺の好物ということになってしまったのだ。


「お待たせいたしました」


侍女が淹れてくれる茶は、いつものものより香りが控えめだった。

白磁の小さなボウルに盛られたイチゴにミルクが注がれ、金色の蜂蜜が小さな渦巻状にかけてある。イチゴをざっくりと潰して混ぜて口に運ぶ。蜂蜜で甘くなったイチゴが少しの疲れを解いていく。

陛下が今日領地へ戻るイラリオに持たせたイチゴはもう、イラリオの御父上が味わうことは難しいだろう。

だが、看病をしている公爵夫人と、そのイチゴを届けたイラリオの疲れを少しでも癒してくれれば……そんなことを思いながら『美しくない食べ方』で、きれいに食べ終えた。



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