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赤の領主と黒の兵士  作者: 立川みどり
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 レイヴは、表向きは囚われ人でも、出歩くのは自由だった。そんなレイヴを、城の者たちはうさんくさく思っていた。従者たちや奥方の侍女たち、それに従軍していた村人たちの口から、彼が軍の掟を破ったという話を聞いていたので、心配だったのだ。それに、魔族の髪を思わせるレイヴの黒髪もまた、彼らがレイヴを敬遠する理由となっていた。

 奥方のカーラもまた、例外ではなかった。というより、城に住む者たちのなかで、レイヴにもっとも不安を感じていたのは、カーラその人だった。

 レイヴが罪人だということ以上にカーラを不安にさせたのは、夫のレイヴに対する傾倒ぶりだった。

 エイリーク卿には、その身分の高さから、忠実に尽くしてくれる部下には恵まれていても、対等の友だちづきあいができるような友人はほとんどいない。

 親友と呼べるほど仲のよかった乳兄弟も、親しかったいとこも、魔族との戦いで戦死しており、異母弟ふたりとは疎遠な間柄。騎士のなかでも対等に近い身分の者たちは、権勢争いに身をやつしており、とても友人づきあいなどする気になれない。エイリーク卿が友人と呼べるのは、いま生きている人間のうちでは、カーラの父と兄ぐらいのものかもしれない。

 腹心の部下の騎士たちを心から信頼していてもなお、エイリーク卿は、心のどこかで対等の友人を欲する気持ちをもっていたので、他人の目には不遜と映るレイヴの態度を新鮮に感じ、親友を得たことを喜んでいた。

 そんなエイリーク卿の態度は、カーラには、夫を奪われたように感じられたのだ。

 そもそもカーラは、結婚以来、戦争に夫を奪われつづけているように感じていた。

 なにしろ、夫は、一年の三分の二近くものあいだ、戦争に出ていき、ともに過ごせるのは晩秋から春先までの短いあいだだけ。それはもちろん、エイリーク卿ひとりのことではなく、騎士と平民とを問わず、戦争に行ける年齢の男のほとんどにいえることだったのだが、自分ひとりの不幸ではないからといって、心が慰められるべくもない。

「短いあいだしかいないからこそ、毎年新婚のような気分が味わえるのよ」

 カーラの母や姉は、自分自身に言い聞かせるつもりもあって、よくそう口にした。おそらくそれは一面の真実だったのだが、母や姉よりはるかに熱い魂をもつカーラの慰めとはならなかった。

 一年じゅう夫とともにいられる夫の従者たちを、カーラは内心うらやましく思い、嫉妬すら感じていた。生死を分かち合ってともに戦う者たちの絆は、肉親でも妻や恋人でも立ち入れぬぐらい強いのだと、父や兄に聞いたことがあったので、なおさらだった。

 それでも従者たちは、身分の違いもあって、夫からあるていど距離をおいている。それに、戦いのあいだ、彼らが夫を守ってくれていることもよくわかっていたので、彼らに感謝こそすれ、妬むのは筋違いだともよくわかっていた。

 だが、レイヴは違う。罪人のくせに、夫に親友か弟のような扱いを受け、カーラが夫とともに過ごせるはずの時間を奪っている。夫は、夫婦でともにいるときより、レイヴとともにいるときのほうが多いような気がする。

 それでも、それは、なにごともなければ、蜜月をじゃまされた妻の不満に終わったかもしれない。もしも、レイヴの身を案じた者の、皮肉にして間の悪いお節介さえなかったならば。


 そのできごとは、レイヴがエイリーク卿の城にやってきて、二十日ほどたったときに起こった。

「レイヴ」

 城の庭にひとりぼんやりとたたずんでいたレイヴは、ふいに名を呼ばれ、ふり向いて驚いた。フード付きの外套をまとった十歳ぐらいの少女がたたずんでいたからである。

 はじめ、レイヴは、カーラの親族か、でなければ使用人のだれかの家族が訪ねてきたのかと思った。そうであってみれば、レイヴの名を知っていてもふしぎではない。

 だが、そうではないことはまもなくわかった。

「心配したわ、レイヴ。ひどい目に遭ってやしないかと思って」

 レイヴはけげんそうに少女を見た。まるで知人のような言い方だが、覚えがない。知り合いだとすれば、シグトゥーナ市の者のはずだが、この少女に見覚えがないだけでなく、自分を心配してくれるような者の心当たりもない。シグトゥーナ市では、彼はつねに孤独だったのだ。

 だが、北からの帰還の旅のとちゅう、心配してようすを見にきた者がふたりいたことを、レイヴは忘れてはいなかったので、自分のことを気にかけている者がひとりもいないと言い切る自信もない。

「すまない。だれだったか思い出せないんだが……。シグトゥーナ市の者か?」

「違うわ。わからなくても無理もないけど」

 そう言うと、少女はフードをはねのけた。豊かな金髪をかきあげ、耳をあらわにすると、人間の耳にしては大きく、先端がロバの耳のように尖っているのがわかる。

 レイヴは驚いてその魔族の少女を見つめた。そのぐらいの年ごろの魔族の少女を、レイヴは昔知っていた。だが、その少女のはずはない。惨殺されて木に吊された彼女の亡骸を、レイヴはたしかに八年前に目にしているのだから。

 どうしてこんなところに魔族の少女がいるのか、自分を知っているのか、レイヴにはさっぱりわからなかった。

「おまえはだれだ?」

「わたしはオレイン。あなたに助けられた者よ。こうすればわかるかしら」

 少女の金の髪がたちまち黒く変わり、青かった瞳が緑の色彩を帯びる。染め粉で髪を染めたのかと思っていたが、魔法で変えていたのだ。

 魔族のなかには、ときおりこのような魔法を使える者がいる。十人にひとりかふたりのことで、魔法とはいっても、たいがいはたいしたものではなかったが、それでも、それは人に魔族を恐れさせるのにじゅうぶんだった。

 そして、この幼さでやすやすと姿変えの魔法を使うところからすると、このオレインと名乗った少女は、魔法を使える者のうちでも、かなり能力の高い者に違いなかった。

 あっけにとられていたレイヴの表情がたちまち引き締まり、戦士のそれになる。その変貌にオレインはたじろいだ。

「あなたも魔族を憎んでいるの? 自分たちとは違う者だというだけで?」

「べつに憎んではいないが、身を守るのに戦う必要があれば戦う。おまえは何者なのだ?」

「あなたに助けられた者よ」と、オレインは繰り返した。

「あの恐ろしい戦いのあと、恐ろしくて野蛮な人間たちに追われていたときに」

 言われてレイヴは、オレインの容貌が、たしかに魔族との戦いのときに助けた子供に似ていることを認めた。が、年齢が違う。

「あの子供の身内の者なのか?」

「いいえ、あなたに助けられた本人よ」

「嘘をつくな。あの子供は、どう見ても七、八歳ぐらいに見えた。まだ性も分化していない年齢だった」

「ええ、そうよ。それから急いで年をとったの」

「そんなばかな話を信じると思うのか? 魔族が年をとるのが遅いということは、おれだって知っている。人間より年をとるのが早い魔族なんて聞いたこともない」

「魔族の年のとり方はみんな同じだと思っているでしょう?」

「違うのか?」

「違うのよ。ことに強い魔法の力をもつ者はね。おとなになれば、それだけ魔法の力が強くなって、制御するのが難しくなる。だから、本能的にゆっくり年をとるの。わたしは五十歳ぐらいに見えていたけれど、ほんとうは百十八歳。人間でいえば十七歳ぐらいよ」

「子供じゃなかったのか」

 だまされたような気分になりながら、レイヴが言った。

 相手が十七歳の少女でも、助けてやろうという気を起こしたかもしれないが、七歳の子供に化けている十七歳の魔女なら話は別だ。そうと知っていれば、助けようという気を起こさなかったような気がする。

 そんな彼の心のうちを知ってか知らずか、オレインは「ええ」とうなずいた。

「そんなふうにゆっくり年をとった者は、ほんとうに年をとるのが必要になったときには、長く成長がとまっていた分、年齢相応にまで早く年をとることができると言われているの。めったに起こらないことで、本気にしていなかったのだけど、わたしには訪れたのだわ。あなたに助けられたときからね」

「どういう関係があるというんだ? おれが助けたことと年をとることとに?」

「年齢相応のわたしの力が必要とされているからだと、仲間たちは言ったわ。魔族のためにね。でも、わたしは、あなたを助けるためだと思っている。そして、あなたと釣り合うためではないかとも思っている。わたしの心が、あなたの力となること、あなたと釣り合うことを真に欲しているからだ、と」

「いったい何が言いたいんだ?」

「女の口から言わせる気なの?」

 いっぱしのおとなの女のような口調で、オレインが答え、レイヴが迷惑そうに眉をひそめた。

「悪いが、子供を相手にする趣味はない。誘惑したいなら、そういう趣味のやつをあたれ」

「子供ではないと言っているでしょう。わたしは百十八歳よ。人間の年齢にあてはめたって、十七歳にあたるのよ。あなたとちょうど釣り合う年齢ではないの?」

「十歳にしか見えなければ、十歳と同じことだ」

 そのとき、かさりとかすかな物音がして、レイヴとオレインが同時にふり返った。ふつうの者なら気づかなかったにちがいないほどのかすかな音だったのだが、こそどろのような暮らしをしてきたレイヴは物音に敏感だったし、魔族はもともと人間より聴覚にすぐれているので、ふたりとも、木の葉がかすかにすれただけのその物音を聞きつけることができたのだ。

 ふたりがふり向いた先にいたのは、カーラの侍女だった。

 怯えきってオレインの魔族特有の闇色の髪を見つめていた侍女は、ふたりと視線があって、「ひっ」と悲鳴を上げ、あとずさった。

 オレインが、護身用にと隠しもっていた短剣を抜く。人を殺したことなどなかったが、見られた以上、口を封じるためにはやむを得ないと腹を決めていた。

 侍女は、逃げようとあとずさったとき、木の根につまずいて尻餅をついた。そして、そのまま腰を抜かし、怯えきった視線をオレインに向けた。

 オレインが侍女に歩み寄ろうとしたとき、レイヴがすばやく彼女の手首をつかみ、腕をねじり上げた。短剣がぽとりと地面に落ちる。

「何をするの! その女の口を封じなければいけないのに」

「この前は無力な子供だと思ったから、思わず助けてしまった。だが……」

 レイヴはオレインの腕をねじりあげたまま、短剣を拾い、その刃を彼女の首筋に当てた。

「子供ではなくて、いっぱしの戦士だというなら、話が違う」

「わたしを殺すつもり?」

 震え声で、オレインが言った。

「わたしを助けたためにあなたが捕まったから、ひどい目に遭ってやしないか、心配でようすを見にきたのよ。村の連中やなんかが、あなたのことをひどい言い方していたから、危険を冒してこんなところまで忍び込んだのに。なのにあなたは、人間の味方をするの?」

「味方もなにも、おれは人間で、人間と魔族は戦争中なのだぞ」

「長老たちもそう言ったわ。気まぐれで逃がしてくれたからといって、人間なんて信用するなって」

「その忠告を聞くべきだったな」

「そうね。……でも変ね。こういう状況なのに、あなたを嫌ったり憎んだりする気持ちは起こらないわ。ここで殺されたとしても、最期の瞬間まであなたを愛しているわ」

 いったんは油断ならなく見えていた魔族の少女が、再びませた子供のような顔を見せたので、レイヴは調子が狂って、彼女の腕をねじっていた手を離した。

「いったいおまえは何をしにきたんだ。人間の偵察か?」

「まさか。あなたを助けにきたのよ」

「迷惑だ。さっさと北に帰れ」

「あなたを残して帰れないわ。だって、その女はあなたのことを誤解してる。あなたのことをどう証言するか、わかったものではないわ。ここに残ったらひどい目に遭うわよ」

「残らなかったら、エイリーク卿がひどい目に遭うかもしれん」

「どうでもいいでしょう、そんな人のことは」

「恩人のことをそんなふうに言っていいのか? 最初におまえを助けようと言い出したのは、エイリーク卿なのだぞ」

「うそよ、だって……」

 言いながら、オレインは記憶をまさぐった。言われてみれば、あのときいっしょにいた騎士が、「殺すな」と叫んでいたような気がする。

「でも」と、オレインは自信なげに言った。

「実際にわたしを助けてくれたのはあなただわ」

「いいから、さっさと帰れ。見つかれば殺されるぞ」

 オレインは、今にも悲鳴を上げそうな侍女をちらりと見ると、身をひるがえした。

「生きていてね、レイヴ。きっとよ」

 そう言い残すと、魔族の少女はいずこかに姿を消した。

 それを見送り、レイヴは侍女のほうに目を向けた。

「立てるか、あんた」

 だが、侍女は、レイヴを魔族の一味だと確信してしまっており、怯え切っていた。

 それで侍女は、レイヴが助け起こそうと手をのばしたとき、けたたましい悲鳴を一声上げると、泡をふいて気絶した。

 困ったレイヴが、とりあえず彼女を城のなかに運びこもうと抱き上げたとき、悲鳴を聞きつけた使用人たちが駆けつけてきた。

「どうした?」

「叫び声を上げて気絶したんだ」

「ああ、ヒステリーだな。身分の高いご婦人にはよくあるんだ」

 皆はそう言って納得した。それで、レイヴは、エイリーク卿が村の視察に出かけて留守だったこともあって、侍女が目覚めて騒ぎだすまで、オレインのことをだれにも語らなかったのだった。

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