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赤の領主と黒の兵士  作者: 立川みどり
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 エイリーク卿は、騎士や兵士たちと別れたあと、自分の城に勤務する従者ふたりとレイヴを伴って、なつかしいわが家に帰り着いた。

「わが君!」

 喜びを満面にあらわして、若く美しい女が出迎え、エイリーク卿に抱きついて、熱烈なキスを浴びせかける。

 従者ふたりは、礼儀正しく、再会を喜ぶ若い夫婦から視線をそらせたが、レイヴは、珍しいものでも見るようにふたりのようすをじっと見ていて、従者のひとりに脇腹を小突かれた。

「おお、ソルフィン、元気にしていたか」

 エイリーク卿が、妻の背後に控えた侍女からわが子を受け取ると、父の顔をすっかり忘れてしまっていたソルフィンは、火がついたように泣きだした。

「ソルフィン、ソルフィン、とうさんだよ」

 首もすわらぬころに出征したまま半年以上も会っていない父親の顔を、赤子が覚えていないのは当然と、じゅうぶんにわかってはいても、エイリーク卿は少し傷つき、途方にくれながらわが子をあやす。

「よしよし。おまえのおとうさまなのですよ」

 言いながら、カーラはわが子を受け取り、赤子が泣きやむと、先ほどから気になっていたことを夫に訊ねた。

「あの者は?」

 一行のなかに見慣れぬ若者がいる。この城の者ではないし、夫が治める村の者ですらない。夫が治める村々の男たちが、徴兵に応じてこの城に集まったとき、カーラは、領主の妻の務めとして全員をねぎらったが、そのなかに、このような黒髪の者はいなかったように思う。

 まったくのよそ者と見える若者が、夫といっしょにいるのは奇妙なことだ。

「ああ、紹介しよう。彼はレイヴ。しばらくわが城の客となる。レイヴ、これがわが妻、カーラだ」

「お客?」と、カーラが訝しげにレイヴを見た。

 目の前にいる兵士は、身なりからすると、どう見ても歩兵。とうてい、領主の客人となるような身分の者には見えない。

「彼はシグトゥーナ市の者で、王命によって、しばらくわたしがあずかることになったのだ」

「王命によって?」

 カーラはますます訝しげな顔をして、レイヴを見つめた。

 王の命令で庶民の若者が諸侯にあずけられるというのは、どうにも解せない。どう見ても歩兵としか思えないみすぼらしいなりをしているけれど、それは世をしのぶ仮の姿で、ほんとうは身分高い者なのだろうか?

 そう思いながらよく見てみると、ちょっと珍しいほどの美しい若者だけに、なにやら気品があるようにも見えてくる。

「わけを聞かせていただけませんの?」

 そう言ってから、カーラは、まずかったかしらと、ちらりと思った。

 姫君育ちの例にもれず、カーラは、つねに慎ましくあるように、夫の仕事に差し出口をはさまぬようにと教えられて育ったが、あまりその教えを守ってはいなかった。エイリーク卿が「情熱的」と表現したように、もともと感情豊かな性質で、人形のようにおとなしくしているのは性に合っていなかったし、夫を愛していたので、夫に関わりのあることなら何でも知りたいという気持ちが強かったのだ。

 そんな彼女にしてみれば、わけありげな若者をあずかりながら、その理由を知らされないというのは、疎外感を感じずにはいられない。

 それで思わず理由を訊ねたのだが、口出しが多いことを亡くなった姑や実家の母によく叱られたことを思い出し、まずかったろうかと考えたのだった。

 カーラは、夫のことを知りたがるのがよくないこととは思っていなかったが、夫を怒らせることは避けたいと思っていた。

 そんなカーラの心配は、エイリーク卿に対しては、いらぬことだった。卿は、もともと、存在感のない人形のような姫君は苦手で、カーラの深窓の姫君育ちらしからぬところを気に入り、愛してもいたのだ。

 それで、エイリーク卿は、むろん腹を立てたりはしなかったし、レイヴをあずかることになった経緯を妻に隠しておくつもりもなかったのだが、どう話したものかと、つかのまためらった。さすがに、カーラが腹を立てるか、でなければ心配するだろうと思ったのだ。

 慎重に、へたな省略をせずに話さなければならないが、今は疲れていて、そんな気になれない。

「話すと長くなるから、とりあえず中に入れてくれないか」と、エイリーク卿が言った。

「湯を浴びて、それからお茶を飲みたい」

「まあ、ごめんなさい、お疲れなのに、気が利かなくて」

 カーラに促されて、エイリーク卿は城に入り、従者たちは、主君のあとにつづきながら、顔を見合わせた。

 罪人としてあずかったのだから、レイヴは牢に閉じこめておくのが順当だ。とはいえ、エイリーク卿のようすからして、暗くて寒い地下牢にレイヴを入れることはしないだろうと、従者たちは予想していたが、それでも、一室に幽閉するぐらいのことはするだろうと思っていた。

 いくらなんでも、王からあずかった罪人を客人扱いするというのはまずい。

 彼らの困惑は、レイヴにもよく理解できた。彼もまた、まさか自分が客人扱いされるとは、思ってもいなかったのだ。


 戦勝祝いを兼ねたささやかな晩餐のあと、ことの次第を聞いて、カーラは驚いた。魔族の子供を助けたことといい、罪人としてあずかった者を客人扱いしていることといい、さらにはその罪人を晩餐に同席させていることといい、夫のすることは、カーラには理解しがたいことだった。

 この場には、彼ら三人のほか、エイリーク卿とともに出征していた従者ふたりも同席している。彼らなら、従軍の苦労をいたわって、晩餐に同席させるというのもじゅうぶんにわかるのだが。

「陛下は、この者をあずかるよう命じられたが、どう扱えとは指示されなかった。わたしの判断に従ってよいと思う」と、エイリーク卿は主張した。

「それに、この者が罪人になったのは、わたしの身代わりになったからだ。魔族の子供を殺すなと命じたのはわたしなのだから、ほんとうならわたしが罰されるところだったのだ」

 カーラは、けっして冷たい人間ではなかったので、レイヴがあくまで罪をひとりで背負おうとしたという話には、心を動かされた。が、手放しで感動するほどお人好しでもなく、それに、どうやらこの若者は悪い人間ではなさそうだと判断してもなお、レイヴに対する漠然とした不安は消えなかった。

 だが、ともあれこの男は夫の部下であり、夫に対しては誠実にふるまっている。ならば、むげに冷たくもできない。

 エイリーク卿の思いやり深いところ、人柄の温かさは、カーラが愛する性質でもあったので、それを否定することはできなかったのである。

「わかりました。この人を客人としてもてなしましょう」

 ついにカーラは承知し、エイリーク卿はうれしそうにほほえんだ。

「ありがとう。おまえならわかってくれると思った」

「でも、それにしても、どうして魔族の子供を助けたいなどと思ったのです?」

 エイリーク卿はちょっと言葉につまり、それから、しぶしぶといったようすで答えた。

「ラーブを思い出したのだ」

「オーラーブさま? お年が全然違うじゃありませんか」

「あれがこの城を出ていったのが七つのとき。あの魔族の子供は、ちょうどそのぐらいの年だったのだ。外見の話だがな」

「ならば、ずっと年上のはずですわね。魔族は年のとりかたが人間とは全然違うのでしょう?」

「ああ、わかっている。それはよくわかっているのだが……。外見の年のころとか、今にも泣きだしそうなようすが、あのときのラーブを思い出さずにはいられなかったのだ」

「オーラーブ?」と、レイヴが聞き咎めた。

「この国の王子がそういう名前ではなかったか?」

 その名前は、のちにレイヴにとって重要な意味をもつようになるのだが、このときの彼には知るよしもない。

「王子殿下その人のことだ」と、従者のひとりがレイヴにささやいた。

「王子殿下は、閣下の弟君で、王の養子になられたのだ」

「ふうん。でも、また、なんで? 弟に会わせてもらえないのか?」

「まさか」と、エイリーク卿が答えた。

「王宮に伺候したときには、毎回、あいさつをしているさ。年に数回のことだがな」

 エイリーク卿の苦い口調に、レイヴは口をつぐんだ。

 レイヴはもともと、他人の詮索をあまりしたがる性格ではない。ただ、幸福そうに見えたエイリーク卿にも、なにかつらい思い出がありそうだと気づき、それが心に残ったのだった。

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