07 確かにお前は暗殺者として一流だ。だが、上には上がいる。
さて、本当にモブ子の接客に問題はなかったのか。
接客そのものに問題があったかなかったかで言えば、なかった。
だが、接客がちゃんと出来たかどうかで言えば微妙なところだ。
なぜなら。
「店員さん、注文!」
「はい、お伺いします」
「おーい! 店員さん!」
「? はい」
「ちょっと店員さん! 呼んでるんだけど!」
「はい! ここに!」
「うぉ!? 居たの!?」
と、あまりにも自然に近づきすぎて、気付かれないということがそれなりにあった。
それなりにありすぎて、接客として多少問題が生じているレベルだった。
だって、お客さんに見えなきゃ接客のしようが無いんだもの。
「彼女、なかなかやりおるな」
そんなモブ子を遠巻きに見て、バイトリーダーのアルカスさんが仰々しく呟いた。
アルカスさんは、二十代半ばの女性フリーターだ。アルカスはあだ名であり、本名は立花有花。でも誰も本名で呼ばない。
彼女は大学を卒業したあと、就職したは良いが合わずに辞め、ここに帰ってきてからずっとバイトリーダーをしている。
外見はそれなりに美人であるが、好き嫌いが別れる所で眉毛が非常に濃い。そしてそれを指摘すると小学生みたいないじめを気が済むまでされることになる。
そしてそんないじめをされたくて、からかっては、アルカスさんに絞められているアホもバイトに何人かいるのが恐ろしいところだ。とても理解できない。
まぁ、俺にとっては頼りになる姉御みたいな人であり、そんな彼女がネタを振ってきたら全力で乗っかる所存である。
「はい。この俺ですら気を抜けば気配を見失います。酔っ払いごときに気配を読ませることはありますまい」
「ふ、このまま鍛えれば、良い暗殺者に育つだろうな」
「相手は自分が死んだ事にすら気付かないでしょうね」
ついでに、今日の俺は元々キッチンの予定だったが、モブ子の世話と、今日は客が少なくて暇なこともあってホールに出されている。
暇なので積極的に接客の練習をモブ子にさせ、こっちはそれを見守っているところだ。
と、上から目線の強キャラ漫才をしていると、なんとか注文を取り終えたモブ子が俺達の方に寄って来た。
「栗原君。私、この仕事向いてないみたい」
「いやいや。お客さんが全く気付かない内に料理が出てたり、皿が下げられてたりしたら逆に面白いっしょ。いけるっしょ」
俺の雑な励ましに、アルカスさんもうんうん頷く。
「ホラー系居酒屋ワンチャンあるね」
「ないです!」
俺とアルカスさんが面白がって言うが、モブ子は嫌そうに首を振っていた。
といっても、モブ子の行動に特に問題があるわけでもない。ただただ、周囲に溶け込みすぎていてお客さんに気付かれないだけだ。
もはやこれは、なんらかのスキルが発動しているとしか思えないレベルだが、俺の目には何も映ってないので、恐るべきことに素なのである。スキル外スキルである。
となればもう、それを活かす方面で考えるしかあるまい。
「そもそもなんでこの仕事選んだの信子ちゃん?」
俺と違って面倒見のいいアルカスさんが、やや親身になってモブ子に尋ねていた。
「それは、その。今までは、家からの仕送りで普通に生活してたんですけど、最近になってちょっと社会勉強もしたいなと」
「じゃあ、別にここじゃなくても良いんじゃない?」
「…………いえ、その」
モブ子はとても言いにくそうに口籠もったあと、言った。
「家から、近いから」
「ああ、うん」
とても大事なことである。
だって家から遠いよりは近いほうがいい。それでいて給料もそこそことなれば選ばない理由がないだろう。
「でも、やっぱり接客よりもっと、黙々とできる作業のほうが良いかもですよね」
「まぁまぁ、まだ決めつけるのは早いよ。そのうち慣れてくれば気付かれるようになるから」
「そうでしょうか?」
アルカスさんの励ましに、モブ子は疑問符を浮かべていた。
ていうか俺も疑問だわ。慣れたら気付かれるようになるってどういう論理展開だよ。
だが、アルカスさんの発言にいちいち論理を期待するのは酷というものだろう。彼女は感覚派だ。そういうものなんだって納得しておいた方が良い。慣れたら気付かれる。オッケー。
そんな話をしていると新しい来客があった。
「いらっしゃいませ、こんばんは。こちらのお席へどうぞ」
初日ということもあって、モブ子は来客対応を任されていない。
そのためアルカスさんがすぐに反応して、新たなお客さんをカウンター席に案内する。
それに追随するように、モブ子はおしぼりを持ってお客さんのもとに向かった。
さて、普通のお客さんであればモブ子の接近に気付かず、いきなり出てきたおしぼりにぎょっとするところだが。
このお客さんは普通のお客さんではない。下手なバイトよりもこの店を知り尽くした『常連』の榊さんであった。
「なにやつ!?」
「っ!?」
榊さんは、おしぼりを手に近寄ってきたモブ子の存在を看破した。
自分が声をかけても気付かれない状況が続いてきたモブ子にとって、自分が声をかける前に気付かれるというのはまさにイレギュラー。
自然と彼女の方にも緊張がはしり、場はまさに一触即発の様相を呈す。
この勝負、先に動いた方がやられるっ!
「両者そこまで! ただの新人ですよ榊さん」
そんな二人を見ていたアルカスさんが、榊さんに砕けた声をかけていた。
アルカスさんの存在も思い出したらしい二人は、互いに緊張を解いた様子だった。
「あー、新人さんか。こんばんは。いきなり暗殺者が現れたかと思って緊張しちゃった」
「いえ、私も、突然殺気を浴びせかけられて、本当に暗殺者になった様な気分でした」
言いながら、モブ子は榊さんにおしぼりを渡していた。
さっきまで殺し合いでも始めそうだった二人が、おしぼりを通して互いにペコペコする。
そのまま、最初の注文(生一丁)を取り、モブ子は俺の居るところへ戻ってきた。
「あのお客さん、私に気付いてくれたね」
心なしか嬉しそうに見えるモブ子に、俺もうんうんと頷き彼女の向上心を喜ぶ。
「ああ。これで分かっただろう? 確かにお前は暗殺者として一流だ。だが、上には上がいる。お前がここで働くことで、得られる経験もあるだろう」
「いや、誰も暗殺者の修業しにきたわけじゃないから」
あっそうか。
さっきまでの流れで俺もそんな気になっていたけど、そういえばこれ居酒屋バイトだった。
二人の放つ『気』が、実戦レベルに近かったから、俺の意識も勝手に実戦方向にシフトしていたようだ。危ない危ない。ここは現代日本だ。
しかし、半ば不本意ながら暗殺者に近いロールを長年していた俺としては、こう、才能の原石を前にして育てたいと思う欲求がムクムクと。
「………バイトってそんなに難しいことなの……?」
……いや、そんなことは冗談でも考えるべきじゃない。
居酒屋バイトで人生最大の壁にぶち当たったみたいな顔をしているモブ子を見て、俺は思い直した。
モブ子はこの現代日本を生きるただのモブだ。ちょっと変わった称号を持っていて、やたらと気配が薄くてもそうなのだ。
非日常の権化ともいえる『ストーリー』とは関わらない女性。少なくとも俺にとってはそうだ。
そんな彼女に俺がしてあげられることは、暗殺者としての心得を説くことではない。
「ま、そのうちそのうち。慣れてくれば相手に気付いてもらえるコツも掴めるって」
「それ本当にバイトの技術の範疇なの?」
先輩である俺の言葉にモブ子は首を傾げているが、俺は大仰に頷いた。
普通の人間は相手に気付いてもらうスキルはパッシブで持っているが、持っていないのだから身につけなければならない。つまりこれも業務の内だ。
「とりあえず、業務内容はもう覚えたんだから後は気付いてもらうだけ。簡単だろ」
「簡単だと思うんだけどね、ほんとに」
「……あれ、話してる最中なのにモブ子どこに消えたんだ?」
「いや目の前に居るから! 動いてないから!」
俺が途中でモブ子の存在を見失ったりしながら、モブ子のバイト一日目は終わった。
モブ子と俺の住んでいるアパートは何故か同じなので、アルカスさんに言われて俺は彼女を送って行くことになった。普通は女性の身の危険を考えるところであるが、モブ子はヒロインではなくモブなのでイベントが起きる事は無い。安全だ。
何事も無く彼女を送り届けて、俺もまた帰宅するのだった。
余談だが、異世界から帰ってきて以来、俺の包丁さばき──というより、食材関連をさばくときの手際が良くなりすぎてスタッフに大いに驚かれている。
……まぁ、人が作った食べ物の信頼性がゼロの世界だったから、そりゃ生きるためにその辺は上手くなりますよ。
ようやく全体の見直しが終わったので更新ペースを1日に2話にしようかと思います。
次話は続いて上げます。