25 虚空に向けて叫ぶ
俺の服装の変化に、ペシュは大いに戸惑っている。
彼女にとっては、俺の姿が変わった意味は大きい。
この姿は恐らく彼女にとって、唯一の、そして絶対なる『敗北の象徴』だ。
とはいえ、変わったのは見た目だけなんだけどな。
この装備の大部分は、その辺のスーパーとか百円ショップでガワだけ揃えた程度の代物だ。
元々異世界でも安物だったが、それに輪をかけた安物で、心許ないにも程がある。
相対するペシュもその事実に思い至ったのか、大きく深呼吸して我を取り戻した。
「そう。そういうことなんだ。栗原君が、勇者本人だったってわけか」
「元な。ようやく思い出したかよ。そうだよ。俺はお前を倒す者だ」
と強がってはみたものの、実は内心、汗が滝のように流れて止まらない。
実を言えば今もペシュの威圧で体力は削られ続けている。ユリスが現れたことで適宜回復してくれているが、それが逆にダメージの証明になっている。
加えて、ペシュフィール・トライスティアは腐っても、攻略難易度Aの魔王だ。
あらゆるチートを寄せ付けない能力を持ち、俺を除いて、全宇宙で一人の攻略者も出さなかった最強の魔王なのである。
対して今の俺は、全ての能力を捨て去った【前作主人公】だ。精々、一般人に毛が生えた程度のステータスしかない。戦闘になれば一瞬すら保たずに負ける恐れがある。
対応を一つでもミスったら死ぬ。
何か一つでも読み間違えれば死ぬ。
この先が俺の想定と少しでもずれたら死ぬ。
そう考えても、俺の表情はずっと余裕の笑みから変わらない。
恐怖で表情筋が麻痺してるのかもしれないが、それよりももっと簡単な理由がある。
だって、少しのミスで死ぬだなんて、そんなのは俺が今まで冒険してきたネイトと同じじゃないか。
俺にとって死は、まさに親友のようにいつもそばにいた。
だから、俺はずっと、虚勢と恐怖が作り出す余裕の笑みを浮かべてペシュを見ていた。
俺の宿敵にして、俺にかつて破れた子供を見ていた。
対して、何度も深呼吸を繰り返していたペシュは、覚悟を決めた目で俺を見る。
「……あなたが、何者かなんて関係ない。私は、私の責任を果たすだけ!」
そして、さきほどメカクレに放ったのと同じ、小手調べの拳が俺を襲う。
それに俺はマトモに反応することすら出来ずに吹っ飛ばされた。
事前にユリスに掛けてもらっていた食い縛りが発動して、体力が微かに残るが、ただの一撃で俺はほぼ死亡状態になった。
「……え」
あまりの呆気なさに、ペシュが戸惑いの声を出す。攻撃の手を止め、俺を見る。
あれだけ大口叩いた相手がこれじゃあ、戸惑うのも無理はない。どう見ても今の俺は戦える状態じゃないからな。全身がバラバラになりそうなほど痛い。
だが、俺は、死にかけの身体を強引に持ち上げる。
だって、こんなのは想定の範囲内で。
俺はまだ死んじゃいない。
かろうじて残った命で、開くのもやっとの口を動かして、言ってやる。
「……どうした魔王? それで終わりか!?」
「っく」
追いつめられているのは俺の筈なのに、泣きそうなのはペシュの方だ。
自惚れでなければ、俺は彼女にとって特別な存在だ。
初めて出会った対等の相手。初めて敗北を与えられた相手。命を助けるために違う世界へと逃がしてくれた相手。
あれから彼女が、この世界でどういう人生を歩んだのかは知らない。
それでも、俺達はもう一度出会った。
時空の歪みが、俺と彼女を同じ年齢に変えた。
そして知らずに、もう一度出会って、そしてかけがえの無い友人になった。
いや、かけがえのないとかは言い過ぎか。それでも、大切な友人だ。
そんな相手を、彼女は今、殺さなくてはならない
全くお笑いだ。そんなこと、今の、普通の、モブの女の子に出来る筈ないのに。
「俺はな、実はずっと考えていたんだ」
ペシュの動きが止まったのを良い事に、俺は独り言を始める。
「なぜ、どうして、終わった筈のストーリーの続きなんてものが始まってしまったのか。俺はそれをずっと考えていた。そして結論に辿り着いた」
これは、俺の独白で、俺の懺悔だ。
なぜ俺が【前作主人公】なんてものになり、なぜメカクレ達を【主人公】としたストーリーが始まってしまったのか。
「俺が【主人公】だったストーリーには、三つの大きなイレギュラーが存在した。一つは、ユリステリアの存在。どういうわけか、俺に対してバグッたユリスのおかげで、俺は普通の人間が知る筈もない、世界の情報を知りすぎてしまった」
ユリスが居たから、俺は十二万回も世界を救うことになった。クソ天使とも不本意ながら何度も出会い、俺は普通の人間が知る以上の世界の裏側を知ってしまった。
そして何より『ユリステリアが地球に来る』という、因果関係を作ってしまった。いや、俺はバグった原因を知らないんだけどさ。
「一つは、俺が世界のシステムの裏をかいて【魔王】を生存させる未来を作ったこと。人間には過ぎた能力である『時空渡りの秘法』を世に生み出し、そればかりか『ネイト』と『地球』を繋いでしまった。【魔王】を地球に送ってしまった」
本来ならば存在するはずのない【前作魔王】は、俺の手で生み出されたものだ。
十二万回も相手を殺しておきながら、それでも一回を諦めきれなかった俺が、この世界そのものにイレギュラーを作りだした。
「そして最後の一つは」
そして残った最後の一つこそ、最も愚かで、最も度し難いもの。
「俺がラブコメ主人公になりたい一心で【主人公】の称号を持ち帰ったことだ。これにより、世界は俺を主人公にするためのストーリーを作り出す。だが、俺をただのラブコメ主人公にするには、その前に作ったイレギュラー、いいや、因縁が多すぎた」
俺が馬鹿だった。
俺の自称所有物である聖女と、俺がこの世界に(来るとは知らなかったとはいえ)送り出してしまった魔王。
そんな登場人物が既に存在しているにも関わらず、俺が普通のラブコメ主人公になれるわけがなかった。
だから【主人公】を誰かに引き継いで、俺を【前作主人公】にする必要があった。
前作から続く因縁の後片付けをさせるために。
俺を【主人公】に──【前作を終わらせる主人公】にするために。
メカクレのストーリーも、それらを取り巻く現状も、全ては俺の思いつきが原因だったんだ。
「だからなモブ子。お前が【前作魔王】だなんて役割を捨てられないってんなら。今度こそ、完璧に、俺が責任を持って終わらせてやるよ」
俺の突然の独白に思考が追いついていないらしいペシュ──いいや違う、モブ子へ向かって俺は笑ってやる。
それから、一度、ユリステリアを見る。
戦闘が始まってからも、俺が問いかけた時以外に一切の反応を示さない彼女が、無表情じゃない笑みを浮かべて、一つ小さく頷いた。
そして俺は、ユリスが時たまやっているように、虚空に向けて叫ぶ。
「なあおい! 視聴者か!? プレイヤーか!? 読者か!? なんだっていい! 見てるんだろ! この俺を! もう飽きたなんて言わせねえぞ!」
必死に、届いているかも分からない声を張り上げる。
絶対に聞いていると確信して、俺は宣言する。
そうだよ、今『お前』に向けて言ってんだよ。
「まだだ、まだ俺のストーリーは終わっちゃいない! 俺の目の前には【魔王】が居て、俺の隣には【ヒロイン】が居て、そしてその二人を引きずり出した【俺】が居る! 俺の役割はなんだ!? ただ【魔王】に嬲り殺されるだけの【一般人】か!? それで満足か!? 満足じゃねえってんなら、応えてみろよ!!」
精一杯、声を張っても、返事なんか来ちゃくれない。
だから俺は、何も言わない神様の代わりに、俺に寄り添うバグった神様に尋ねた。
「なぁユリス。俺はなんだ?」
尋ねられたユリスは、先程にも増した満面の笑みで答えた。
「この場において、貴方以外に【勇者】はおりません」
そのユリスの声がトリガーだったように。
俺の脳内には、いつもの、クソ忌々しいシステムメッセージが鳴り響いた。
《称号【前作主人公】は称号【ユリステリアの勇者】に変化しました》
《レベル上限が上昇しました》




