第33話 渦
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空の彼方に消えていったアンドリューの身を案じる村人達。その中の一人が涙を流してアルムを睨みつけた。
「野郎! よくもアンドリューを殺りやがったな!」
「殺ってません」
アルムはむすっと答えた。人聞きの悪いことを言わないでほしい。ちょっと吹っ飛ばしただけだ。
「アンドリューの仇は俺が打つ!」
「おお、ケヴィン!」
「『春の荷馬車引きレース』で六年連続チャンピオンの村一番の健脚ケヴィン!!」
村人の声援を受けて歩み出たケヴィンは、見えない壁の前で目を閉じた。そのまぶたの裏に、懐かしい光景が映る。
『ケヴィン……私、遠いところに引っ越すの。けれど、私のことを忘れないで。大沼の水草が青く繁る頃になったら私を思い出してね』
(ヘレナ……俺達の思い出の場所を魔物などに穢れさせはしない! 見ていてくれ!)
ケヴィンは見えない壁を壊すために渾身の蹴りを繰り出した。
「うぉぉぉっ!! これが俺の全力キックだーっ!!」
「あーるぅっ」
殴りかかられたと思ったら今度は蹴りかかられて、鬼気迫る形相の大人の男に怯えたエルリーが涙目でアルムにしがみつく。
「だから暴力はやめてって言ってるでしょうがーっ!!」
庇護欲がMAXで炎上中のアルムがぷんすこしながらケヴィンを吹っ飛ばした。
「「「ああっ! ケヴィーンッ!!」」」
村人達の悲痛な叫びが響いた。
「なんということだ……アンドリューとケヴィンがやられてしまった……」
「くっ……もう打つ手はないのか」
打ちひしがれる村人達を見て、胸にある決意を秘めたリヴァーが見えない壁に向かって歩き出した。壁に当たってそれ以上進めなくなると、その場に立ってまっすぐにアルムを見据えた。
「闇の魔物よ。わしの命を捧げる。だから、この大沼から立ち去ってくれ!」
「リヴァー爺さん! 何を?」
リヴァーは懐からナイフを取り出しながら答えた。
「この老いぼれの命で済むなら安いものよ……皆! 後のことは頼んだぞ!」
ナイフを自らの胸に突き立てようとしたリヴァーの脳裏に、温かな思い出がよぎる。
『お爺さん、今日も朝早いのね。あのね……私、この村を出ることになったの。お爺さん、ずっと元気でいてね。私のこと忘れないで。水鳥の雛が巣立つ頃になったら私のこと思い出してね』
一人暮らしのリヴァーのことを何かと気にかけていつも挨拶をしてくれた隣の家の少女。
(あの子の愛した大沼を守るんじゃ! ヘレナ、達者でな!)
リヴァーは覚悟を決めて目を閉じる。『ヘレナさん、誰にでも「忘れないで」って言ってる説』が浮上しつつも、そんなことを知る由もない村人達は村のために命を落とそうとするリヴァーの姿に涙した。
次の瞬間、
「さっきからごちゃごちゃうるさーいっ!!」
いっこうにこちらの話を聞かない村人達にいらだったアルムが、大沼の水を一滴残らず持ち上げた。
「「「なっ……」」」
村人達は驚愕した。リヴァーも唖然としてナイフを取り落とした。
大沼は小さいとはいえ湖だ。その大量の湖水が宙に浮き上がり、湖底の地面が見えている。
「ちょっと頭を冷やしてくださいっ!」
アルムがそう言うと、村人達の体がふわりと浮き上がった。
戸惑う村人達は叫ぶ間もなく、大量の水に飲み込まれた。
空中に浮かんだ大量の水は中心に渦を作って村人達を押し流した。
なすすべなく渦巻く水流に巻き込まれてぐるぐると回転させられた村人達は、溺れる寸前で引き上げられ、水は回転をやめて地面に戻り、再び静かな湖面となったのだった。
この時、水流に巻き込まれた村人の一人が、後年『回転式洗濯桶』なるものを発明するのだが、それはまた別の話である。




