第10話 ベンチが空を飛ぶ
一行は予定通りケイナン伯爵領へ向かって宿を発った。
順調にいけば今日中にケイナン伯爵領に着くそうだ。
そして、砂漠からやってきた族長の孫と対面する。
(砂漠の王子……どんな人なんだろう)
『王子』という生き物にあまりいい印象のないアルムだが、マリスを助けに行くためには砂漠に帰る彼らに同行させてもらう必要がある。できれば渇きの谷までの道案内も頼みたいが、砂漠の民は王都から来た人間に友好的ではないかもしれない。
(マリスはどうしているだろう。まさか、王都に到着したその日に、私と間違われてさらわれるだなんて……)
マリスを心配しつつ、犯人に対しては腹が立つ。さらう相手の容姿ぐらい調べておけ。
(それにしても、誰が私を……)
アルムを餌にしてヨハネスをおびき寄せたいのだとしたら、犯人はヨハネスに恨みを持つ人物だろうか。
あるいは、ヨハネスとアルムの両方に恨みを持つ者の可能性もある。
(砂漠の盗賊団は全員捕まえたはずだけど……)
アルムに恨みがあって砂漠に関係する相手といえば、収穫祭を襲った砂漠の盗賊団が思い浮かぶ。
今運んでいる援助物資は、砂漠の民へ与えるものだ。
砂漠の民はオアシスに住んでいる少数民族だが、厳しい暮らしに耐えかねてオアシスを出て盗賊団に入る者が少なくないそうだ。
アルムが捕まえた盗賊団はオアシスに住む民とは縁を切っているとのことだったが、本当だろうか。
たとえば、砂漠の民の中に、肉親が盗賊団に入っていたという者もいるはずだ。そういう者はやはりアルムを恨むのではないだろうか。
しかし、復讐が目的だとすると、わざわざアルムをさらってヨハネスを渇きの谷におびき出す理由がわからない。
(うーん。犯人はなにが目的なんだろう……)
「あーるぅ。おそと行きたーい」
馬車に乗っているのに飽きたのか、エルリーがぐずりながら膝に乗っかってきた。
「もうちょっと我慢してね。今日中にケイナン伯爵領に着かないといけないから」
「うー」
口を尖らせるエルリーをなだめながら、アルムは窓の外を見た。
荒野にぽつぽつと家が点在する代わりばえのしない風景が続く。この辺りは王都と比べて雪が少ないようだ。夜の間に降った雪が溶けて地面を泥に変えたのか、道はぬかるんでいる。
景色を眺めていると、ガクンと大きく揺れて馬車が停まった。
「申し訳ありません。車輪がぬかるみにはまったようでして。一度降りていただけますか?」
馬車の窓がノックされ、扉を開けた兵士がそう言った。
エルリーをだっこして馬車を降りたアルムは、ぬかるみの少ない場所に移動して、兵士達が馬車を押して動かすのを見守った。
「聖女様。よろしければこちらの馬車に乗ってお待ちください」
「いえ、大丈夫です」
使者が自分の乗っていた馬車を指して勧めてくるが、アルムは断った。エルリーは外に出たがっていたのでいい気分転換になるだろう。ぬかるみの少ない場所で下ろしてやると、初めての場所に興味津々で駆けていく。
「しかし、この辺りは地面が濡れているので敷物を敷くこともできませんし……」
「カモン、ベンチ!」
使者の言葉をさえぎって、アルムは空に手をかざして命じた。
少しの間を置いて、アルムの呼びかけに応えて空の彼方から飛来したベンチがアルムの前に降りてきた。
「やった! ベンチ飛距離記録更新!」
謎の記録を更新して、アルムは顎が外れそうになっている使者を余所に悠々とベンチに腰掛けた。
***
王都のダンリーク男爵の屋敷の前を歩いていた通行人が、屋敷の庭からベンチが飛び出してきて空の彼方へ消えていくのを目撃した。
「おや。今日はアルム様はどこかへおでかけかな?」
普段から浮いているベンチを見慣れている近所の人々は、空飛ぶベンチを目にしても驚くことなく通り過ぎていった。




