第9話 宿にて
いつもよりかなり集中力を必要としたものの、なんとかリモートでキサラと連絡を取ることができた。
キサラ達もエルリーを捜していて、もしかしたらアルムについていってしまったのかもしれないと疑っていたようだ。
「……ふう。エルリー、皆に心配かけたってわかってる?」
「うん!」
リモートを終えて勝手な行動を叱ったアルムだが、当の本人は反省しているか疑わしい元気なお返事を寄越した。
「まったく……それにしても、宿に泊まるのって初めてだなあ」
こんな時に不謹慎だが、アルムはちょっとわくわくしながら室内を見回した。
ぎしぎし音のひどい寝台やぼろぼろの絨毯、隙間風の吹き込む壁など、実に安宿らしい風情に使者は「聖女様をこんなところにお泊めするわけには」と恐縮していたが、アルムは「無理やり同行させてもらっている身なので気にしないでください」と言っておいた。
実際、アルムは普通の聖女とは違い、野宿対応も可の元ホームレス聖女だ。屋根のない場所でも眠れるアルムには宿がぼろいくらいなんでもない。
隙間風が入るので部屋には結界を張り、防音防壁で快適に過ごした翌朝、アルムはエルリーを抱いて部屋を出た。
階下の食堂で朝食を取っていると、兵士達がなにやらばたばたと騒がしいのに気づいた。
「なにかありましたか?」
「あ、聖女様。それが……荷馬車が壊されてしまって」
「へ?」
振り向いた兵士が青ざめた顔で聞かせてくれた。
すべてではないものの、数台の荷馬車の車輪が壊されていた。明け方に見張り番の交代に来た兵士が気づいたという。
夜間の見張りを担当していた兵士達は全員眠っていた――いや、眠らされていた。物陰に睡眠香を焚いた跡が残っていたのだ。
「これでは先に進めませんね」
使者が難しい顔で思案する。
「今から王都に連絡して新しい荷馬車を届けてもらって、荷を移し替えるまでは出発できないとなると……砂漠の王子を待たせることになってしまいます」
「砂漠の王子?」
アルムが目をぱちくりすると、使者は「ええ」と頷いた。
「正確には砂漠の民の族長の孫です。物資の受け渡しのために砂漠を離れてケイナン伯爵領までやってくることになっています」
使者は頭が痛いと言いたげに溜め息を吐いた。
「砂漠の民は忠誠に篤いと聞きます。彼らの敬愛する王子を何日も待ちぼうけさせたりしたら、どんな恨みを買うことやら……」
「よいしょーっと」
軽い掛け声と共にアルムが両手を上げると、壊された荷馬車数台がふわりと宙に浮き上がった。
「これでよし。先を急ぎましょう」
平然と言うアルムに、使者が腰を抜かした。
「さ……さすが聖女様だ!」
「これが聖女様のお力か!」
呆気にとられていた兵士達が我に返って騒ぎ出す。
「に、荷馬車を浮かせて進むなど無茶です! 聖女様にご負担をかけるなど……」
「私は平気です! ここで足止めされるわけにはいかないんです! 助けを待っている人がいるんだから!」
「おお……! 困窮する砂漠の民のために少しでも早く物資を届けようと……さすがは聖女様! 慈悲深い御心に感服いたしました!」
アルムはマリスを助けるために東へ行きたいだけなのだが、なにかを勘違いした使者は感動に目を潤ませたのだった。




