第31話 狙い通りの展開
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「うひぃぃ……不気味ですね~……」
「おそろしやおそろしや……もういっぺんお天道様が拝めますように」
暗くて足元さえよく見えないのに加え、怯えきっているロージーと牢番の歩みが遅くてなかなか先に進めずにいる。
「殿下、出口はこっちでいいんですの?」
「ああ。塔の外――牢番小屋の近くに一つ出口があるんだ。そこが一番近いし簡単に出られる。もっとも、使われなくなってから相当経っているから、扉がちゃんと開くかは祈るしかないが……」
「ひ、開かなかったら……私達は、どう……なるんですかぁ……」
ロージーが力なく言う。
「出口は他にもあるから心配するな」
ヨハネスはロージーと牢番を安心させるためにそう言った。
ただ、他の出口へたどり着くには、地下通路を長い時間歩き回る羽目になる。それは避けたい。
すでに魔力をたくさん使って体力を消耗しているし、魔力自体もほとんど尽きかけている。キサラの魔力量はヨハネスの何十倍もあるが、浄化や結界に加えて先程の邪霊との戦いで大分魔力を消費したはずだ。
(次に瘴気や邪霊が襲ってきても、もう戦えないだろう。アルムのことも心配だが、今はこの三人を無事に外に出さなければ)
「殿下、ちょっとお待ちください」
焦燥に突き動かされて早足になっていたのか、キサラに呼び止められて振り向くと三人とは少し距離があいていた。
「ロージーさんの具合が悪そうです」
暗いので顔色はわからないが、言われてみれば確かにロージーの足取りが重い。泣き叫ぶ元気も失っているようだ。
「もしかすっと、さっきの邪霊の水さ当たっちまったんでねぇべか」
倒れそうになるロージーを支えて、牢番がそう言った。
可能性はある。その前に水中に落ちてずぶ濡れだったため、邪霊の水に触れたかどうかわかりづらかった。
「わたくしが治癒します」
キサラが壁にもたせかけて座らせたロージーに手をかざして光を当てる。これ以上キサラの魔力を失うのは得策ではないが、瘴気による病は聖水を飲ませるか、聖女が治癒する以外に回復しない。
そのままでしばし時が経つ。ロージーはぐったりしたまま目を閉じていて、倒れないように牢番が肩を掴んで支えている。
「……おかしいですわね。もう目を覚ましても」
キサラが眉をひそめて呟いた。
ヨハネスも同意見だ。邪霊の放った瘴気とはいえ、触れただけならば聖女の力で治癒できる。もしもロージーがただの体調不良であったとしても、治癒を受ければ症状は緩和するはず。悪化するなどありえない。
「……」
ヨハネスは黙ったまま近づいた。ロージーの様子を見るふりをして背後に回る。
そして、素早く手を伸ばして捕まえようとした。――牢番を。
だが、牢番はヨハネスの手が伸びるより早く床を蹴っていた。ヨハネスの腕が空を切る。
「――ふっ。とうとうバレたか」
少し離れたところに着地した牢番から、これまでとは打って変わって凜とした声が発せられる。
闇の中ですっくと背を伸ばした男は、先程までの『猫背で田舎訛りの牢番』とはまったくの別人に見えた。
ぼさぼさの髪を手櫛で整え撫でつける。切れ長の瞳がすいっと細められる。
たったそれだけで、辺りをのみ込むような存在感が男から放たれた。これほどの人間を、どうして今まで気に留めずにいられたのだろうと不思議に思うほどの。
「魔力は完璧に隠していたんだがな」
「……聖女の治癒が効かない原因があるはずだからな」
ヨハネスは男を睨みながらキサラとロージーを背に庇った。
この場に治癒が効かない原因があるとしたら、ロージーの肩に触れている男の他にない。そう考えたのだ。
「何者だ? 目的はなんだ」
ヨハネスが問うと、男は優雅な仕草で片手をあげた。
「私の名はシン。目的を話しても、お前には理解できないだろうヨハネス・シャステル!」
シンが答えると同時に、背後でキサラが「殿下!」と緊迫した声をあげた。
慌てて振り向いたヨハネスの目に映ったのは、あの少女の姿の邪霊。
にやりと笑った少女が、瘴気の水を雨のように降らせた。キサラがとっさに張った結界を、どどどど、と土砂降りの雨が叩く。
「では、いずれまた会おう」
雨の向こうで、シンの姿がふっと消えた。
ほどなくして雨がやみ、キサラはほっと息を吐いて結界を解いた。
邪霊の姿も消えていたが、出入り口へ向かう通路の先には置き土産のように瘴気の壁が作られており、ヨハネスはそれ以上進めなかった。
キサラは今の結界で魔力をほとんど使い果たしてしまっていた。瘴気の壁を消すにも、ロージーの治癒をするにも、魔力が足りない。
(他の出口へ向かっても、そこにも邪霊が現れたら太刀打ちできない。ロージーはそう長く保たないだろうし……アルムをみつけるか、キサラの魔力を回復させるかしないと)
自分が罪を着せられて塔に入れられたこと。大量の瘴気で魔力を消耗させられたこと。アルムと分断されたこと。
敵は自分達を――自分を地下通路に追い込み、魔力を枯渇させたかったのだ。
ヨハネスには、敵の目的がわかった。
(向こうの思い通りの展開か……だが、他に方法はない)
決意を固めたヨハネスは、硬い声でキサラに告げた。
「――『守護聖石』の元へ向かうぞ」




