諍いの後に
ある日の放課後。近隣地域での発表会を十日後に控えた合唱同好会は練習に明け暮れていた。
「——ストップです。若菜さん、さっきも同じところでミスしてたですよ」
「ごめん。気をつけてはいるんだけど、どうにも難しくて」
ピリピリとした雰囲気の中、苦笑いする若菜に心春が追い打ちをかける。
「どうしてこれくらいのこともできないですか」
その一言で若菜の表情が変わった。眉間に皺を寄せ、両方の拳を強く握りしめる。
「どうせ私は音痴で、みんなとは比べ物にならないよ。だけど、私だって努力してるんだよ!」
「それは認めるです。が、聴く人にとっては些細なことです。重要なのは演奏の上手い下手で、努力したからといって必ずしも評価されるとは限らないのが現実です」
きわめて冷静に、そして冷酷に心春は告げる。
「心春ちゃん……」
和音は不安げな様子で何かを言おうとするも、目を伏せ口を閉じてしまった。
「今日はもう終わりにするです。あとは各自で練習しておくです」
心春がそう告げて、荷物をまとめて第二音楽室から出て行く。
「何もあんな言い方しなくたって……」
と和音。
「わかなちゃん、元気出して。みんなで一緒にやればきっとそのうちできるようになるわ」
と菫。
「……けれど、心春さんが言ったことも間違ってはいない」
と紗耶香。
「わかってます。だからこそ悔しいんです。何も言い返せない自分が惨めになるんです」
若菜は握り拳を解くと真っ直ぐに前を見つめ、よし、と小さく呟いた。
「私、一週間特訓してきます。絶対に心春を見返してやります」
「うん、頑張ってね……?」
あらぬ方向に話が進み、首を傾げながらも和音は若菜を応援した。
それから若菜の特訓の日々が始まった。
断崖絶壁を「合! 唱! 合! 唱!」と叫びながら登ったり、巨大な亀の甲羅を背中に乗せて腕立て伏せを行ったり、木を揺らして落ちてきた葉っぱを右手で素早く10枚キャッチする特訓など、その内容は多岐にわたった。
そして、約束の一週間後。放課後の第二音楽室には、合唱同好会の面々が集まっていた。
「お待たせ、みんな」
「若菜ちゃん……!」
全員の前に現れた若菜の姿は凛々しく、一回り成長しているのだろうということがうかがえた。肉体的にも、精神的にも。
「心春、修行の成果を見せてやるよ」
「凄い気迫ですね……こけおどしじゃないといいですが」
心春がやや圧倒されながらも憎まれ口を叩く。
若菜が大きく深呼吸をして歌い出す。すると、部屋の中央に居た心春が壁際まで吹き飛ばされた。
「くっ、まさかこれ程とは……」
膝をつく心春。それを見て満足そうに若菜が笑い、歌うのをやめてゆっくりと心春に近づく。
「これが私の特訓の成果だ。これでもう文句は言わせないからな」
「いいでしょう。認めるです、若菜さんが私と同等、いやそれ以上だと」
そして二人は固い握手を交わした。
◇ ◇ ◇
「……という夢を見たです」
そう話し、ふう、と一息つく心春。
「……どこから突っ込めばいいのかしら」
「わかなちゃん、頑張ったのね」
「よくわからないけど、おめでとう若菜ちゃん」
「うーん……まあ、心春に認めさせるのは悪くないな」
口々に感想を述べ、それぞれが思い思いの反応を示す。
「今の調子ではまだまだ先の話ですけどね」
ニヤリと笑う心春に、一歩踏み込んで若菜が言い返す。
「言ったな? 絶対ぎゃふんと言わせてやる」
「せいぜい頑張るです。さあ、練習するですよ」
「うん!」