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不死のボク達、証しの言葉

 次のミッションは四十八時間後。

 それまでの間、ボクはミルと二人っきりで過ごす。


 MIL2038f088、それがミルの正しい名前。

 頭のアルファベットから四桁の数字が個人識別コード。

 残りは全部で二百五十六通りあるクローン素体の基本タイプを指す。

 RIT2521f088、対するボクの名前。

 彼女はボクのことをリトと呼ぶ。


 素体タイプが示す通り、同じ素体のボク達はほとんど同じで少しだけ違う。


 ボクと彼女はミッションの招集がかからない間、航宙要塞の第十三区にある図書クラスタで、旧人類の文化に関わる記録の解読を仕事にしている。

 普段の時間を一緒に過ごす家族制度ファミリアの兄弟達とは違う「特別」なパートナーシップ。

 ミッション前の四十八時間、別々に過ごした時間の差違を補い合う。

 それがボクとミルの関係。


 今回はボクのプライベートルーム。

 雲の惑星(クラウドスフィア)に向く採光シールドは閉じられ、今は旧人類周期で言うの夜時間ナイトタイム

 彼女は部屋に着くと、そそくさとお堅いポリマースーツを脱ぎ始める。

 真っ白い花のようなルームケープを一枚、素肌の上に纏うだけの姿になった。

 ミルは弾む声でボクを急かす。


「ねえ、今日は沢山話すことがあるから、リトも早く着替えて」

「なにかいいこと、あったの?」

「ふふん、それも、あ・と・で・ね」


 ミルは鼻歌混じりにキッチンに立ち、軽い食事を用意し始める。

 香ばしいスナックとミルが使う整髪料の匂い。

 彼女はここがボクの部屋だということをすっかり忘れている。

 お互いの部屋の物も場所もほとんど同じ、彼女が迷うことはない。

 何か特別なことがあったのだろうか。ミルの機嫌が良いとボクも嬉しい。


「今日はボクがホストのはずなのにな……」

「リト、ドリンクは何がいい?」


 聞こえるように漏らした不平を彼女はしれっと聞き流した。

 ボクも同じ格好に着替えると、改めてキッチンのミルに視線を向ける。

 間接照明のアンバーの灯りで薄っすらと透けたケープは、彼女の有りのままを描き出している。

 染みひとつない肌、痣ひとつない脚、腰から大腿へと続くなだらかなカーヴ。

 しっとりとした艶のあるディープグレイの長い髪。

 綺麗に毛先を切り揃えたそれが、彼女の背中をすっぽりと覆っている。

 ボクはその髪の下に隠れた背中が好きだ。

 対してミルはボクの胸の二つの膨らみが好きだと言う。

 ほとんど同じなのにね——— そう彼女が笑ったのはいつだっただろうか。


 果実を加えた甘い混成酒、熱が入って湯気を立てるソイスナック。

 それらを載せたトレーを脇のテーブルに置き、ボク達は並んでベッドに腰掛ける。

 彼女はリキュールに一口付けると、嬉しげにその話題を口にする。

 

「今日ね、ニレにパートナーを紹介してもらったの、シエロって呼んでた」

「へえ、mタイプ(男の子)って聞いたけど」


 ミルの家族制度上の妹、NIL2042f090。呼び名はニレ。

 数ヶ月前に兵徒任務に就いたばかりで、パートナーシップはmタイプと結んでいる。

 ボク達と違って「特別」なパートナーではないと聞く。


「ナイーヴで少し意地っ張り。初々しくて可愛い」

「男の子に可愛いは失礼だよ、旧人類の慣習では」

「そうだけど、こうなる前の昔のリトみたい」

「こうなるって………」


 ミルは摘んだスナックをボクの口に無理やり押し入れる。

 そして、先に着たばかりのボクのルームケープに手を伸ばした。


「え、もう始めるの?」

「ううん、比べたくなっただけ」

「比べるったって………」

「ふふ、fタイプ(女の子)はどんなだったかなぁって」

「もう、今さら。同じ素体なんだから、鏡を見ればいいのに」


 彼女はボクに両腕を挙げさせると、するりと上にルームケープを剥ぎ取った。

 僅かに冷えた空気が露出した素肌に触れる。


「ふうん、リトは私に逢えなくても、鏡があれば満足するんだ」

「そ、それは………」


 口角を吊り上げるミル。視線はボクの膨らみでピタリと止まる。

 思わず恥ずかしくなったボクは、胸の前で両腕を交差してそれを隠した。


「ああん、リト。なんで隠すの? 今さら」

「もう、お返しっ!」


 彼女のルームケープに手を掛けると、ミルはご機嫌な顔のまま両腕を挙げた。

 柔らかいアンバーの光が、彼女の胸の膨らみとお腹の下にぼんやりと淡い影を作る。

 ボクとミルはふたり揃って一糸纏わない姿になった。

 彼女はベッド脇のカウンターに置かれた透明の小瓶を手に取る。

 中身はボク達がミッションで搭乗する拡義体、通称「ヴァリオギア」のコクピットを満たすニューラルジェルと同じものだ。

 ベッドに上がって灯りを消す。膝立ちで向き合うボクとミル。

 ニューラルジェルを手に取り合い、お互いの身体に薄く伸ばして塗り始める。


 ヴァリオギア――― 精神感応体とも言える軟性形状可変合金「可変アロイ」が主要構造を成す、体長十二メートルの言わば「ヒト型の戦闘機」。

 元々は惑星調査など過酷な環境下での運用を想定した着用型重機で、いわゆる強化外骨格エグゾスケルトンから発展、進化したもの。

 強化外骨格が複雑なアクチュエータによる追跡動作トレーシングを行うのに対して、ヴァリオギアはヒトの筋肉構造を模した可変アロイそのものが模倣動作ミラーリングを行う。

 まるで四肢の延長のように緻密に動作することから「拡義体」と呼ばれ、可変アロイに依存することで得られる単純な構造は量産性、整備性の他に電磁パルス耐性にも優れる。

 そして、搭乗者と可変アロイの神経接続を可能にする媒介物質がニューラルジェルだ。


「ふふ、もしかしてリト、怒ってる?」

「ううん、怒ってないよ、怒ってない」


 ミルはその嫋やかな指で、ボクの胸の形を確かめるようにジェルを塗る。

 僅かに鼻に掛かった鈴鳴りの声が、奥底に眠る官能の器官を呼び醒していく。


 暗がりの中、お互いの腕を腰に回して身体を引き寄せ合う。

 同じ高さにある膨らみ同士が当たって潰れ、お腹までぴたりと張り付いた

 ミルが右脚をボクの両腿の間に差し入れると、ボクも彼女の両腿に右脚を差し入れる。

 息遣いはおろか、彼女の胸の高鳴りまで手に取るように分かる。

 じわりと肉体の内側から湧き上がる、痺れにも似た感覚。


 ニューラルジェルはクローン素体同士でも特殊な交感作用がある。

 ボクとミルは日々の経験の差異を言葉と身体で補完し合う。

 本来であればそこまで密に共有する必要はなく、その行為は錯覚に近い。

 ボク達がそれに拘るのは、お互いに「特別」な感情を持ち合わせているからだ。


 ボク達はほとんど同じで少しだけ違う。

 その少しだけ違う部分をお互いに尊重している。


 ボクの左腕は十二回前のミッションで醜い造りものに変わってしまった。

 半透明の軟性樹脂で覆われた機械式の義肢。

 ミルはそれさえも自分のことのように大切に思っている。

 補完しきれない違いがあるからこそ、ボク達は埋め合う行為に意義を見出している。


 この感情が何処から来たものかは分からない。

 遠い遠い昔、ボク達人類の記憶は最初の「時空災厄」の時に殆どが失われてしまった。

 確かなのはお互い同じクローン素体だけということ。


 髪と左腕以外、鏡を見るかのように顔も身体もそっくり同じ。

 ボクは彼女の背中に指を這わせ、吐息が漏れる唇を塞ぐ。

 彼女はボクのショートウルフの髪を両の指で弄び、ゆっくりとボクに体重を預ける。

 ボク達は口づけをしたままベッドに倒れ込んだ。


「ああ、やだ私。塗り忘れてる」

「もう、わざとの癖に」


 上になったミルはニューラルジェルを口に含み、ボクの首筋に舌を這わせる。

 ボクも彼女もお互いの唇が知らないところは無い。

 ジェルに濡れた彼女の髪がボクの身体に纏わりつく。

 ひんやりとしたジェルに抗うように、ボク達の身体は少しずつ熱を持ち始める。

 交感作用が始まった合図だ。



 ミルはボクの中へ、ボクはミルの中へと静かに沈んでいく。





***





 時空連続体外存在アウターコンティニュームこと〈彼ら〉、通称「時空災厄」。

 大銀河を含む宇宙全てを内包する三次元時空連続体、その外側の存在が時空断層より溢れ出て、ボク達の時空の物理法則下で実体化したもの。

 大きさは数千メートルから数十キロメートルにまでおよび、無数に枝分かれしたチューブ状の本体を持つ奇怪な半知性体群。


〈彼ら〉の行動目的、それは逸れてしまった主人あるじを探すこと。

 だけど、主人はボク達の時空の外側の存在。加えて自らの組成も変わってしまったので、本来在るべき場所へ帰ることができない。

 止むを得ず〈彼ら〉は新たな主人を求めて、ボク達の時空を彷徨うことになる。

〈彼ら〉の意思疏通コミュニケーション手段は摂取融合、つまり「相手を食べる」しかなく、結果として大銀河全体の脅威となっている。


〈彼ら〉は生物的に一定の知性と目的を持って行動する。その巨体は決して死滅することなく、発生の根源を断つ手段はない。それが「災厄」と喩えられている所以だ。

 大銀河文明連帯が採り得る対処手段。それは巨大な〈彼ら〉を特定サイズまでバラバラに解体し、太陽など主系列星の超高熱をもって熱焼却するしかない。

 即ちその解体行動こそがボク達に課されたミッション、討伐任務だ。




————————————————————




 ボク達は不死になった人類。

 滅亡した人類の再興と引き換えに時空災厄と戦う取り引きをした。

 大銀河文明連帯はそのために人類を救った。

 ヒトゲノムからサルベージされた「二番目の人類(フィギュアス)」として。


 ボク達「二番目の人類」は量産されたクローン素体を魂の容れ物(スペアボディ)として利用する素体置換システム〈ジェネクト〉によって成り立っている。

 左眼窩の奥に埋め込まれた〈ジェネクト・コア〉と量子情報通信により、三分毎に更新する記憶のバックアップをホスト演算思考体グランヘリオスに録っている。


 ボク達は〈ジェネクト〉のお陰で危険なミッションと向き合える。




————————————————————




 クラウドスフィア航宙要塞の第六層、宇宙港第六格納庫。

 直上に伸びる出撃カタパルト上で立ち並ぶ「ヒト型の戦闘機」こと拡義体ヴァリオギア


 ヴァリオギアそのものが巨大な宇宙服とも言え、ボク達の装備は軽装だ。

 生命維持装置をコンパクトに内蔵したヘルメット型総合情報モジュールと、二級兵徒の階級を示すペリウィンクル/オフホワイトのスキャンスーツ。

 身体にぴったりタイトに張り付くスーツは、言わばインナーウェアのようなもの。

 主に神経接続の状態監視を目的としており、薄いメッシュ素材で造られているのはニューラルジェルを透過し易くするためだ。

 ボク達がそれらに身を包むと、傍からは全く区別がつかない。


 ニューラルジェルが充填済みのコクピットに頭の天辺まで身を沈め、エアロックを閉じると即座にヴァリオギアの主要構造材、可変アロイが目を醒ます。

 すぐ目の前を覆うように広がるホログラムの投影視界が立ち上がり、可変アロイが囁く吸入音に似た音が途切れると機体側の出撃準備が完了する。

 ポポポポッと軽い電子音。併せて、投影視界の両端に〈彼ら〉の観測データ、ミッションプロトコルを記した情報窓が次々と浮き上がった。

 ざっとそれらを眺め、パートナーのミルの情報窓を探す。


「ミル、ポジションの確認。ボク達は五十三番と五十四番、ちょうど真ん中だね」

『フォーメーションはパターンC、許可兵装はレベル4』

「開始時刻は第三航宙時間二〇〇五、遂行指揮は演算思考体ヘリオス3」

『うん、合ってる』

「パターンCでレベル4って重いな……あまり若くない個体かな?」


 許可兵装とは、超重力により特定範囲を一瞬にして圧壊するヴァリオギア主力兵器、超重力圧縮弾グラヴィトンの弾数および効果範囲を指す。

 当該兵器の使用は威力もさることながら時空の安定を損ない、〈彼ら〉を呼び込む時空断層が生じ易くなるため、厳しい制限が課されている。

〈彼ら〉はボク達の時空に存在する時間が長くなるほど適応が進む。

 要するに手強くなるのだ。


『多分、そうだと思う』

「もしかして、アイツ、かな?」

『わからない。なんだっけ、『アンズルヨリウムガヤスシ』……だったかな?』

「へえ、早速使うんだ、その言葉」

『ふふ、合ってる?』


 先日、ボクが人類言語で解読した言葉の一節。

 太陽が現れる場所――― 確かそういう名の国の記録だ。

 彼女はこのミッションの前に初めて覚えた。


 ボクとミルはヴァリオギアの超重力制御装置ジートロニックを作動させ、カタパルトレールから突き出るバーにヒト型の腕を伸ばして掴ませた。

 出撃シグナル点灯の瞬間、ボクは投影視界に浮かぶ情報窓のミルと視線を交わす。

 超重力制御装置により重力の縛りを解かれたヴァリオギアは、弾けるように垂直上昇を開始。ボク達の活動拠点であるクラウドスフィア航宙要塞を後にした。

 情報窓には、ぐんぐんと小さくなっていくリング状の巨大構造物が映し出される。

 いつもと同じ、何度も見た光景。



 ボクがある二つの事柄を真に理解するのは、この後のことだ。





***





 宇宙空間は真空のため、外からの音は一切存在しない。

 聞こえるのは超重力制御装置の低い唸りと可変アロイの囁きだけ。

 まるで厳かな儀式のように陣形を取るボク達。

 雲の惑星(クラウドスフィア)を背に第三三四航宙域を飛翔する総勢百十八機のヴァリオギア。

 投影視界の上端と下端には、ボクを除いた百十七機分のアイコンがずらりと並ぶ。


 超重力制御装置の推進翼が生み出す四つの光輪、それらを背後に纏う神々しい姿。

 まるで旧人類の神話に登場する、白銀の力天使ヴァーチュのよう。


 ボクの前方、漆黒の闇に瞬く星の海を往くのはミルのヴァリオギア。

 逆三角形型センサードームの頭部とスカート状の超重力制御装置を腰部に備える「ヒト型の戦闘機」は、主要構造材の大半を占める可変アロイの特性から搭乗者に似る。

 伸びやかな脚にしなやかな腕、fタイプ素体特有のくびれた腰つきは彼女にそっくりだ。


 そして「ヒト型の戦闘機」が携えるのは巨大な銃槍、通称「ランスガン」。

〈彼ら〉は超重力により任意の時空間を自在に歪め、核ミサイルやビーム兵器など一切の物理攻撃を無力化する時空歪曲防壁ディーフラクチャーを持っている。

 その絶対防御の盾を突破する唯一の対抗手段。解体した〈彼ら〉から造られ、逆位相の時空歪曲現象を発生させて相殺する「生ける槍」。

 超重力圧縮弾グラヴィトンの射出装置を装備し、銃槍となった〈彼ら〉を武具として縦横無尽に扱うための「ヒト型」なのである。


『今日もキルケーはご機嫌だわ』


 ミルはランスガンに名前を付けている。

 不幸にも魔女の名を付けられた彼は、自らより質量が大きい存在に対して従順だ。

 その特性は時空災厄が自らの主人あるじを常に探している行動原理に由来し、ボク達のミッションが〈彼ら〉の解体にある理由の一つでもある。


 今回、超重力圧縮弾で直接破壊を担当するのはボクの方、ミルは牽制を担当する。

 ツーマンセル、二人一組がボク達の最小行動単位。

 ボク達の出撃回数はあと数回で三桁に届き、現在の二級から一級兵徒に上がる。一級兵徒に昇格すれば、大好きな解読の仕事に専念できる予備役を選べる。

 ボクはミルと話し合って揃って引退することを決めていた。


「ミル、ところでさ」

『なあに、リト』

「なんで、『キルケー』なの?」


 ややあって、情報窓の中のミルは言葉を返した。


『ああ、名前? だってこの子、ホウキみたいでしょう?」

「ホウキ? マジョが乗るホウキ? 言われてみれば、そうだけど」

『私とすっごく気が合うから、きっとあなたと同じ女の子』

「それ、ボクがホウキみたいってこと?」


 ボクはミルの喩えに意地悪を言うと、ミルは得意げに口を開いた。


『だってリトはいつも『下』になるのが好きじゃない?』

「………」


 ミルはいつもボクの上を往き、ボクは言葉を失う。

 ボクが下になるのを好むのは、ミルの背中に触れなくなるからだ。


「ちぇ。じゃあミルがキルケーじゃないとおかしいよ」

『いいじゃない、ふふっ』


 ミルのヴァリオギアがロール回転する姿を投影視界は映し出した。

 まるで純白のドレスの踊り子が、スカートの裾を膨らませてターンするかのよう。


 陽気で気まま、少し頑固なところもあるけれど、ボクの「特別」で大切なパートナー。

 およそ二万人の「二番目の人類」の中で、f088の素体は五十体も居らず年代もバラバラ。

 同じ年齢の同じ素体が「特別」な関係になるのは稀なのだ。


 今までボクはミッション中に三回クローン素体を失い、その度に〈ジェネクト〉のバックアップ記憶と新しい素体で生まれ変わっている。

 ミルは兵徒訓練校で出会った時から優秀で、未だに一度も素体を失ったことがない。

 ボクは回を重ねるごとに賢くなって、今では素体を失うような失敗をしなくなった。

 お互いの差異を埋め合うことが、ボク達の繋がりをより強くしている。

 ボクの一番のパートナーはミルしか考えられない。


 かけがえのないボクのミル。

 そして、かけがえのないミルのボク。

 

 でも、ボクはミルにたった一つだけ隠していることがある。

 図書クラスタの人類言語、太陽が現れる国の記録に載っていた言葉。

 その言葉を解読はできても意味が中々理解できない。

「好き」とは違う。


 ――― アイ、シテル。


 理解できるその日まで、ずっと胸の奥底に閉じ込めていようと決めた言葉。

 その言葉はミルにこそ相応しいと思ったからだ。





***





「ミル、目視できる距離に入った。やっぱり、ボクの腕を奪ったアイツだ」


 ニューラルジェルで満たされた狭いコクピットの中、投影視界に映る〈彼ら〉の解析データをヘルメット型情報モジュール越しに確認する。

 間違いなく十二回前のミッションで1/3まで砕いて取り逃がした個体だ。

 ボクのランスガンが身を捩って小さく暴れている。

 そうか、お前も覚えているのか。ボクはヴァリオギアの金属の掌でそっと彼を撫でる。

 構造的に可変アロイからフィードバックされる情報は触感だけのはず。だけど、彼の表面温度が微かに上がっているのが分かる。


 ボクは穏やかな気持ちで巨大な〈彼ら〉に視線を送る。


 あの時、咄嗟にミルを庇ってヴァリオギアを大破させたボクは左腕を失った。

 これまで素体を失った時、目覚めるのは常にベッドの上だったから気づかなかった。

 大破直後、情報窓が映し出した彼女の顔が今でも忘れられない。

 あの時ほど、ボクはミルを近くに感じたことはなかった。


 前方には薄青く発光するチューブ状の巨大な〈彼ら〉。

 複雑に絡まった無数の胴体を不気味に畝らせている。

 時空歪曲防壁の影響により、水面の映り込みのようにゆらゆらと像が揺らぐ。

 総勢百十八機のボク達は、およそ秒速一万五千メートルの速度で〈彼ら〉を遠巻きに旋回。やがて、演算思考体ヘリオス3はミッション開始を宣言した。





 時空災厄アウターコンティニュームの攻撃——— 針のように鋭い無数の攻性プローブを、ボク達百十八機の力天使に向かって一斉に伸ばし始める。

〈彼ら〉からすれば攻撃のつもりはないだろうけれど、ボク達からすれば神話の時代から存在する禍々しい毒蛇と変わらない。純然たる脅威だ。


 ボク達のヴァリオギアは寄り添うように〈彼ら〉の直近スレスレを飛翔する。

 腰部に備わる四基の翼、超重力制御装置ジートロニックを駆使、時には鞭のように放たれる攻性プローブの網を縫うように躱していく。

 第一段階は先ず〈彼ら〉の中心部から二分割に切断する計画だ。

 時空歪曲現象を発生させたランスガン、その先端を揺らぎが一番弱い部分に突き刺し、逆位相により〈彼ら〉の盾を無効化した領域を作る。

 焦点フォーカスが定まった像に向け、超重力圧縮弾グラヴィトンを叩き込んだ。

 ところが、度重なる交戦で学習したのか〈彼ら〉は器用に攻性プローブを交錯させ、次々と圧縮弾を弾き返してゆく。


「コイツ、前より手強くなってる、気を付けてミル」

『リトこそ四度目の〈ジェネクト〉は避けて。ワースト100入りしちゃう』

「もうっ、どうして、今それを言う………」


 ボクは苦笑いをしてミルの情報窓に視線を移す。

 意外にも彼女は、その言葉とは裏腹に真剣な表情をしていた。

 今思えば、それは予感だったかもしれない。


 超重力圧縮弾の作動は肉眼ではほぼ観測できない。予め設定された効果範囲――― 空間領域を急圧縮・急伸長させ、対象をぺしゃんこに押し潰して破壊する兵器。

 今回のレベル4では、直径にしておよそ百二十メートルの球状の空間を丸々抉り取る威力が有り、それを用いて巨大な〈彼ら〉を少しずつ削り取って解体するはずだった。

 攻撃目標に当たらなければ、効果範囲の向こう側に見える星達が一瞬だけ一箇所に寄り集まり、元の位置に戻る様子が虚しく見えるだけなのだ。

 時空歪曲防壁と攻性プローブ、二つの盾が成長した〈彼ら〉を守っている。


 他の力天使達も思うように事が運んでいない。

 投影視界には芳しくない戦況を知らせる情報窓が、帯のように連なって表示されていく。

 攻性プローブに貫かれ、砕け散った仲間達の残骸がボクの機体にコツコツと当たる。

 三十数機のヴァリオギアが姿を消し、投影視界に並んだアイコンは至る所が虫食いとなった。

 演算思考体ヘリオス3はミッションの更新に戸惑いが見える。

 相対する時空災厄は全長が優に五千メートルを超えている。

〈彼ら〉からすればボク達の方が蝿だ。


「あっ、なんてことを………」


 投影視界の端に大破して〈彼ら〉に搦め捕られた仲間の機体が映った。

 数本の攻性プローブが触手のように這い回り、器用にコクピットブロックをこじ開ける。

 真っ赤に染まったニューラルジェルが飛散し、中から強引にパイロットを引き摺り出した。

 仲間は腰から下をごっそり失っていたので、既に息絶えていることが分かる。

 損傷が酷く、fかmかどちらの素体か分からない。

〈彼ら〉は仲間の神経細胞を走査スキャン、生体反応がないと確認すると虚空の闇に投げ捨てた。

 ボク達にとってそれはもはや「抜け殻」でしかない。

 だけど、〈ジェネクト〉が起動している分かっていても、決して無視できる光景ではない。

 砂を噛むように口の中が苦い。一向に慣れない。


 ボクが焦りを覚え始めた頃、それは起こった。


 牽制のミルが三本の攻性プローブを薙ぎ払い、その隙にボクは時空歪曲防壁に穴を開ける。

 正に超重力圧縮弾のトリガーに指を掛けたその時、後ろに退いたミルのヴァリオギアに一本の攻性プローブが突き刺さった。


「「ああっ!」」


 一瞬、動きを止められてしまった彼女の機体は、続けて四肢に搦め手の魔針を浴びる。

 そして、青白く光る〈彼ら〉の表面に引き寄せられ、標本のように張り付けられてしまった。

 ボク達の「ヒト型の戦闘機」は甲冑のような装甲を纏っているけれど、運動性を優先したため薄皮の如く気休め程度にしか役に立たない。

 ボクの背中を貫くように走る悪寒。

 放置すれば、先の仲間と同じ目にミルが遭わされてしまう。


「ミルッ!」


 ボクは叫び、超重力制御装置の推進出力を上げて彼女の機体に近寄ろうとした。

 だけど、それを嘲笑うかのように攻性プローブが邪魔をする。

 パートナーから逸れたボクは〈彼ら〉の猛威を躱すだけで精一杯になった。

 その様はまるで、無数の針の壁で囲われた迷路に迷い込んだよう。


『リト、諦めて。私はここで自爆して分断の突破口にする』


 声の様子からコクピットのミルは無事だ。

 ボクは回避と同時に超重力圧縮弾を連射、行く手を阻む攻性プローブの壁に必死に抗う。

 投影視界には、ランスガン先端に瞬くマズルフラッシュが虚しく映るだけ。


 あり得ない、あり得ない、あり得ない、そんなはずは———


「ええっ! い、いやだ、だってそんな……」

『もう〈ジェネクト〉を起動した。素体クローンにバックアップ記憶の注入を開始したわ。新しい私はすぐに目覚める』

「でも、でも……」


 ボクは一瞬の間だけ言い淀む。

 逡巡の末、それでも避けがたい言葉をようやく絞り出した。


「今、そこに居るミルは、死んでしまう……」


 何度も何度も言葉と身体を重ねて、そこに居ることを確認したミルが消える。

 目の前の理不尽に必死に抗うボク。

 彼女は毅然とした態度で強い言葉を返す。


『我儘を言わないでリト。私も三回耐えた。三分間のタイムラグ、私が死ぬのは三分だけ。自爆プログラムも三分後にセットした』


 情報窓の映像がヴァリオギアが軋む音を生々しく拾い上げる。

 ボクは続く言葉を口にすることができない。


「ミル………」

『記憶も身体も何もかもほとんど同じ、完璧な私。足らないのは最後の三分間だけ』


 ジリジリとノイズが混じる映像の中、達観し切っているミル。

 もう彼女を止められない。


 ミルとボクはほとんど同じで少しだけ違う。

 過去三回ボクが素体を失った時も、彼女は同じ感情に襲われていたのだ。


『キルケーをよろしく。この子の代わりは居ないから』


 ミルは辛うじて動かせるヴァリオギアの右腕で、ランスガンをボクの方に放り投げた。

 気丈に振る舞う彼女の言葉と入れ違いに、ボクはあの言葉を口にする。

 今、この場で初めて理解できたからだ。


「ミル……その、愛、してる」

『リト、その言葉は……… 新しい私に伝えて』


 ミルの声は震えていた。

 彼女はすでに理解していた言葉だった。




 一瞬の閃光———ヴァリオギア背面に備わった動力源、ミューオン核融合ジェネレーターの過剰充填によって生み出された超々高熱が、数百メートルの範囲で攻性プローブの牙城を焼き払った。

 残されたボク達は一斉に超重力圧縮弾を放ち、時空災厄の本体を真っ二つに分断する。

〈彼ら〉は分断されると自らの状態把握のために一瞬の隙ができる。

 力天使達はミルが作ったチャンスを逃すまいと二撃、三撃と超重力圧縮弾を放ち続けた。

 膨大な量の空間圧縮攻撃を受け、時空災厄はみるみる巨体を細切れにされていく。




 気がつくと、ボクは二丁のランスガンの全弾を撃ち尽くしていた。

 キルケーはその長い銃槍の身を捩って、ボクのヴァリオギアに纏わりついた。

 主人あるじを失った彼も、ボクと同じ気持ちなのだ。





***





 クラウドスフィア航宙要塞内第二十区、〈ジェネクト〉素体調整センター。

 そこで新しいミルは目覚めた。

 真っ白なシーツに包まれた彼女は、ディープグレイの長い髪もボクとそっくりな身体つきも、何もかもがミッション前に触れ合った時のままだ。


 ベッドの上の彼女にボクは戸惑う。

 目の前のミルは間違いなく彼女そのもの。

 ミルの目はまるで、ボクの戸惑いを見透すかのように見つめ返す。


 目覚めたばかりの素体は軽い脱水症状を起こしている。

 水分補給のドリンクを差し出すと、ミルは震える手でそれを受け取った。

 だけど、それを一向に口にする気配がない。

 彼女も緊張しているだ。


「あ………」


 調整担当者は静かに部屋を退出した。

 ボクは無言のまま彼女の肩を引き寄せ、いつもより強い力で抱きしめる。

 ミルの背中も彼女の温度も、何もかも全てがそのままだ。

 彼女の手はショートウルフのボクの髪を弄び、掠れた声で囁くように呟いた。


「あ……… あ、愛、してる」

「え……… ミル?」


 ミルはボクとそっくりな身体をうち震わせながら、言葉を続けた。


「三分前、私も……… 決意したの。あなたに、伝えようって」





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