カエル
うむ。
それは、紛れもなく、カエルだった。
カエルとは、脊椎動物亜門・両生綱・無尾目のあのカエルであり、さらに言えば、両生綱・無尾目・ヒキガエル科・ヒキガエル属に分類される、ニホンヒキガエルだった。
「ふーん、なるほどね?」
藤崎青年は、元気にコンクリートの池を泳ぐヒキガエルを凝視した後、カエルの真上、予想地点を見上げ、空を仰ぎ、そう呟いた。
何一つこの状況を理解できては居ないのだが、そう強がって見せることしか、することがなかった。
カエルの前では、藤崎青年は無力であったことを、知らしめられたのだ。
藤崎青年の脳の処理速度は、カエルに負けたのだ。
なるほど、カエルがね、空からね、なるほどね。
誰にみられているわけでもないのに、そう強がって、平静を装っているように見せてしまうのは、悲しいかな男の性である。
カエルに負けたなどと、高校二年生男児が認めるわけにはいかないのだから。
俺はカエルより、強いのだから。
そう考えるとなんだか自信が湧いてきた。
俺は、何を怖じ気付いていたのだろう。
ただ、カエルが、空から、降ってきただけなのだ。
何てことはない。
よくあることなのだろう。
俺は友達が居ないので、日常で起こった世間話をあまりすることがなく、だからこの現象を存じ上げなかっただけで、きっとカエルが空から降ってくるなんて、他愛の無い現象なのだ。
「わぁ、今日はカエルだぁ、あるある~!」
うん、想像してみれば、都内近郊のお洒落な女子高生は言っていそうな気もしてきた。
「かわいい~!」
うん、言っている。
都内近郊の女子高生は、空から降ってきたニホンヒキガエルに、言っている。
確信を持てたところで、藤崎青年は平静を取り戻してきた。
頭の中のお洒落な女子高生と喧騒は家に帰り、再び、その場には俺と、カエルのみが残った。
藤崎青年は、カエルの前に、ヤンキー座りのような体勢でしゃがんだ。
カエルはかなりの勢いで空から降ってきた挙げ句、ばちん!とコンクリートに激突したように見えたけれども、外傷は見受けられなかった。
藤崎青年はカエルを触ることに抵抗の無い青年なので、カエルを手にとってみた。
警戒心がない。
ニホンヒキガエルは、こちらを一瞥した後、のしのしと、手からコンクリートへ戻ろうとするだけだった。
藤崎青年は別段カエルに詳しい訳ではない。
ニホンヒキガエルだと言っているが、この個体はアズマヒキガエルかもしれない。
けれどもそれは今はどうでも良いので、ヒキガエルはそのままコンクリートへ戻し、今度はまた空を見上げた。
もう、月が出ていた。
朝7時に起き、学校の授業を受け、高山の捌け口に3時間、帰路についたのが18時、その間11時間である、もう藤崎青年は疲れきっていた。
もしかしたら、カエルはそもそも地面を歩いていて、それを見た瞬間僕は、高山から聞いた「ファフロツキーズ」を思い浮かべてしまい、幻覚が見えたのかもしれない。
「ファフロツキーズというのはね、英語で「空からの落下」を意味する、「Falls from The Skies」の略語だ、提唱者は超常現象研究家のアイヴァン・サンダーソンさん。
日本では「怪雨」とも呼ばれる。
けれども、外国圏ではファフロツキーズと呼ばれているとは一概に言えなく、外国圏ではむしろ、Raining animals、Creature falls 、またはRain of fishなんて呼ばれている。動物の雨、怪物の雨、魚の雨だ。この名前は、現象をそのまま文字に書き起こしたといっても過言ではない、そう、なにあろう、降るのは雨や霰や雪ではなく、カエルや、魚、時にはとうもろこしや血なのだよ、不思議だと思わないかい?」
これでも要約した方である。
その中でも、カエルや、オタマジャクシが降るのは、どちらかといえばメジャーな方らしい。
「ファフロ・ツキーズ……」
「うーん、厳密には違うだろうね。」
ギョッとした。
後ろから、少し拗ね気味の、もう息の整った高山が、腕を組み、仁王立ちで僕を見ていた。
「私は細かいことをつつくのは、あまり好きではないのだが、けれども、現象が誤解して認知されてしまうのはやるせないからね、恥を忍んで訂正させてもらう。ファフロツキーズの正確な定義は、「一定の範囲に"複数"の物体が落下することを言うんだよ」つまりこれは、限りなくファフロツキーズに似ているけれど、ファフロツキーズではない。只、空からカエルが降ってきたにすぎないんだ。」
相変わらず喋りだしたら止まらない女である。
一応話を聞いていたが、それよりも、藤崎青年には気になることがあった。
「なんでカエルが"降ってきた"って分かったの?
俺はここでカエルを眺めていただけなんだけれど。」
そうなのである。
このカエルが地面に叩きつけられた事を、高山はきっと見ていない。
なにせ下駄箱の前に置いてきたのだから、見えるわけもない。
それでも高山は自信満々に"降ってきた"と言った、これが不思議でならない。
「いや、だって、ぶつくさ言ってたんだもの。」
恥ずかしい、俺はどうやら、ぶつくさ言っていたらしい。
「私、割と早めから、君の後ろで、眺めていたもの。」
恥ずかしい、ぶつくさ言っていた上に、眺められていたらしい。
失態。
顔から火が出そうだ。
もう一度俯いた。
高山の顔が見られない。
けれども、藤崎はポーカーフェイスである。
なにせせきぞうである。
うごくせきぞうは火を吹かない。
「高山さん、テンション上がらないんだね」
苦肉の策である、無理やりに話を変えたかったのもあるが、本当に気になったのもある。
あれだけ盛り上がりながら自分にいつも話しかけていた高山のことだから、実際に目の前にしたら、もっと壊れるくらいにはしゃぐかと思っていたのに、どちらかといえば、今の高山は落ち着いている方である。
「いやね、実際目の前にしたら、どう喜んで良いか分からない。事実今私は卒倒しそうだ、私、今息吸えてる?立っている?」
面倒オタクなだけだった。
「あと落下の瞬間が見られなかったことに、深く憤りを覚えていて、覚えすぎていて、それもあいまって苦しい。こんなことなら意地を張らず、藤崎君をすぐにでも追いかけておくべきだった。」
歯軋りの音が聞こえる。
そういうところだよ、高山さん。
言わないけど。
「嗚呼、天地が逆さに見える、夢にまで見た現象を見逃すなんて……」
そしたその場に踞った。
顔を隠して。
情緒不安定である、流石に夜の校庭に一人傷心気味の少女を放っておくわけにはいかないので、流石に藤崎はその傍らに寄り添ったが、どうしていいかわからかい。
風が耳をくすぐる。
カエルはもう何処かへ行ってしまった。
「……藤崎君」
「はい。」
「探しにいこう」
「はい?」
「ファフロツキーズ」
俺も何処かへ行きたくなった。
騎乗位。