爆弾魔
亀が足を踏み出す。オレを見ながら。矮小なオレを嗤いながら。
背中の砲口に魔力を集めて、何も出来ないだろう、とオレを見ている。
魔力は足りない。コイツの防御は抜けない。
だけど、コイツを通す訳にはいかない。
あの日、あの村で。あの炎の前でオレは誓ったから。強くなると。一緒に飯を食った人くらいは守ってみせると。
だから。
「テメエはここで殺す」
オレの声が聞こえたのか、亀の目が細くなる。異形の笑みが深まる。
オレにはまだ、手札がある。舐めるなよ、魔物が。
「いいことを教えてやるよ。クソ亀」
ふらつく脚に力を籠める。目の前の魔物を睨み付ける。
「オレの『爆弾魔』って名前はなあ。爆発する魔道具を使うからじゃねえんだ」
イメージは腕。幻視の腕。想像上の腕を、化け亀に伸ばす。お前が近づいてきてくれて助かった。
亀に触れる。その魔力に触れる。掴んだ。
感触は重い。ビクともしない。巨大な岩を押しているようだ。力が足りない。だけど、それは分かっている。
「精霊たちよ。対価をやる。力を貸せ」
残った魔力を頭に回す。脳を強化する。ただ、いつもの拡張ではなく、自分の中に潜るために。
内側に向けて、思考を強化する。加速した状態で意識を沈める。自分の中に潜行する。
ドプン、と、オレはオレの中に潜った。
目を閉じたまま、沈んでいく。落ちていく。
……止まった。着いたようだ。目を開けると、そこは海底だ。無数の泡が浮かんでいる。
泡の中に、オレの記憶が見える。
ここはオレの心象風景だ。
日本にいた頃の記憶が、こちらに来てからの記憶が、泡の中に浮かんでいる。
懐かしい思い出が見える。田舎のじいちゃん家が。通学路の坂道が。両親が。仕事の先輩が。
脳を限界まで強化しないと、ここまではっきりと思い出すことはできない。
いくつかの泡に手を伸ばす。選ぶのは知識に関係しないものだ。
引き寄せた記憶を抱きしめる。潰れた泡から記憶が溢れる。記憶とともに、当時の感情が呼び起こされる。
自転車で走った夏の暑さへの苛立ちが。家族と食べた食事の温かさが。友達とバカをやってはしゃいだ喜びが。会社で落ち込んだ自責が。オレの中を通り抜けていく。
そして、その感情を、記憶ごと精霊に捧げた。
-魔力は精神に感応する。生きた魔力である精霊も同じだ。
-精霊は人の感情を糧としている。自らの存在を補強するために。
-故に、感情を対価に精霊は人に力を貸す。
……力を感じる。精霊の後押しだ。たった数時間だけの、精霊の加護。
準備は出来た。戻ろう。
オレは浮上を開始した。
目を開ける。現実では数秒も経っていない。目の前には変わらず化け亀がいる。
そして、オレだけに見える腕も変わらずに在る。だが、さっきとは違う。腕の大きさが桁違いだ。
巨人の腕となって、そこに存在している。精霊の加護を注ぎ込んだ結果だ。
その幻視の腕を操る。
化け亀の魔力を掴む。手応えがある。干渉に足る膂力が腕にある。その腕に力を籠めて。
「ははっ。力比べしようぜ?」
思いっきり引っ張った。
引く。引き摺り出す。化け亀の魔力を手繰り寄せる。
「ガアア」
初めて亀が口を開いた。体の異常を察知したらしい。慌てているのか、砲口の光も消えた。気にせず魔力に干渉する。
生き物というのは、存在そのものが1つの奇跡だと思う。あらゆる要素が複雑怪奇に絡み合い、奇跡的なバランスで成り立っている。
もしも、神が生物を設計したのなら、それは確かに神の御業だろう。
この世界では、地球より生物の要素が1つ多い。魔力だ。生命維持に使用され、魔力が枯渇した生物は死に至る。
生き物には、崩れたバランスを整えようとする機能がある。それは無意識の行いだ。
例えば、体温が上がり過ぎたら汗をかいて放熱するように。血液の塩分濃度があがったら、血液量を増やして薄めるように。酸素が足りなくなったら、心臓の鼓動が増すように。
魔力も同じだ。体内の魔力が減少すると、魔核は新たに魔力を生み出す。
化け亀が、魔力を生み出しているのが視える。減った魔力が戻ってきている。
その魔力を生むスピードが、オレの腕が魔力を引き抜く速度と吊り合った。
今が最大だ。
「おい、くそ亀。魔力返してやるよ」
干渉の力を反転させる。オレの影響下にある化け亀の魔力を、全力でその体に押し込む。
「ガアアア!?」
化け亀が悲鳴を上げる。その体内では魔力が荒れ狂っている。魔核の機能は急には止まらない。
自らの制御能力を超えた魔力が、出鱈目に全身を駆け巡る。体の機能が暴走する。
今の化け亀は、力比べで引っ張り合っている最中に急に手を離され、さらに飛び蹴りを食らったような状態だ。
誰でも倒れる。耐えるのは不可能だ。
「ガア、アアア!」
過剰な魔力に内臓が引きずられる。心臓が限界を超えて動く。オレに抑えられて逃げ場のない魔力が、全身を破壊していく。
バキ、バキ、と甲羅にヒビが入り始めた。完全に、魔力が暴走状態に入った。
「ガアアアア!!」
化け亀の断末魔の叫びが聞こえる。音が森を揺らす。脚が折れた。既に自重を支えられていない。
終わりだ。
「テメエの魔力で自爆しろ」
「ガ、ア」
ドバン、と鈍く湿った音が大音量で響き渡る。
暴走し、限界に達した魔力が化け亀の体を破裂させた。飛び散る血肉。魔力が噴き出す。衝撃で地面が揺れる。
割れた甲羅や、巨大な肉片が飛んで来た。慌てて防壁を張る。ゴンゴンと重量物が衝突する。
静かになるのを待ち、血で前が見えなくなった防壁を解除する。落下する血液。
目の前には、体が半分吹き飛んだ化け亀がいる。顔も破裂したのか、首から先がない。完全に死んでいる。
「ああ~……気分悪い」
気持ちのいい倒し方ではない。広がる生き物の内側の悪臭が、さらに気分を下げる。
そして胸の痛みが、オレに代償を知らせてくる。
精霊に捧げた記憶は戻らない。捧げた記憶が何だったのかも、もうオレには思い出せない。ただ、何かを失ったという喪失感がある。
オレを形成する一部が削れた自覚がある。
まあ、それでもオレは死んでいない。他の誰も死んでいない。
オレは守りたいものを守れた。
だからこれで、間違いはないのだ。




