閑話 第9話
今日は村の祭の当日だ。みんな朝からバタバタと走り回っている。
オレも忙しい。ずっとパン生地をこねている。使い過ぎた腕がダルい。
背後のテーブルには、発酵中の生地が大量に並んでいる。
この日のために増やした酵母菌の大半を使い切った。しばらくはパンを作れそうにない。
パンを焼く窯は、次期村長のジョンさんが作ってくれた。
なんかこう、魔術で地面がニュっとなって固まったら出来上がった。すごかった。オレも魔術を使ってみたい。
オレが今日作るのはメニューはパンとオムレツだ。
卵はルヴィが森からたくさん採ってきてくれた。養鶏計画は実現していない。野生の鳥は狂暴すぎて厳しいらしい。
卵だけでも十分ありがたい。
オムレツは具入りにするから、具材も切らないと。忙しい。テキパキ動こう。
鼻歌を歌いながら、ひたすら手を動かした。
日が落ちて、祭が始まった。あちこちに篝火が焚かれている。いくつか魔術の灯りも浮かんでいるのが見えた。
祭壇の前で、村長が何かを唱えている。
オレには分からない言葉だ。魔術の詠唱と同じ、精霊語というものらしい。近くにいたおじさんが教えてくれた。
今村長は、精霊に豊作を祈っているのだとか。
誰1人言葉を発さない静寂の中で、村長の声だけが響く。やがて、それも終わった。
村長が杯を手にした。村の人達も、それぞれのコップや盃を手に持つ。オレもパルメさんから木のコップを渡された。薬草とアルコールの匂いがする。
え、乾杯?すんの?
村人たちを見渡して、村長が音頭をとる。
「準備はいいかのう。では。ゴホン。大地と精霊に感謝を!」
「「「「感謝を!」」」」
「え、と感謝を」
村人たちが、一斉に器を傾ける。それに倣って、オレも飲んでみた。
「ぐふっ」
……不味い。えぐい。アルコールが濃い。あまりの刺激に涙がにじむ。美味しくない。
そう思っているのはオレだけではないようだ。顔をしかめている人も多いし、不味いなあ、と笑っている人もいる。
なんなの?
「ほっほ。では、各々楽しむとよい!」
村長の言葉を合図に、わっと歓声が上がった。みんな料理や酒を取りに動く。
「ほら!コーサク行くよ!」
乾杯の意味を聞く暇もなく、オレはパルメさんに引っ張られる。料理を配らなければならない。
話している暇は無さそうだ。
焼きあがったパンと、湯気を立てるオムレツを配る。
パンを食べるのは、ほとんどの人が初めてだし、村では卵は貴重品だ。そこかしこで、食べた人から歓声が上がる。
美味しい、美味いという声が聞こえてくる。
うれしい。けど、忙しい。ひたすらにクルクルと動く。
村の人は気にしていないようだけど、窯に入れた場所によって、パンの焼き加減が変わってしまうのが個人的には少し残念だ。
次はもっと上手くやろう。
オレの元に、チビッ子や酔っ払いが集まる。手が回らないオレを、パルメさんが助けてくれた。
「こら!あんたたち!ちゃんと並びな!」
恰幅の良いパルメさんの声が良く響く。その迫力にみんな素直に並んだ。頼もしい。
料理がだいたい無くなった頃、先に食事を摂っていた奥さん方が戻ってきた。それを見て、パルメさんがオレに声を掛けてくる。
「コーサクも行っていいよ。食べて飲んできな。楽しんでおいで」
そう言って、料理を持たされて背中を押された。
薄暗い中を歩く。人々の熱気で暑い。祭壇の前では、若い人達が踊っているようだ。なんだかアクロバティックだ。
知らない笛の音色も聞こえる。
進むたびに声を掛けられた。
「おう!美味かったぞ!」
良かったです。
「酒飲むか?」
ちょっと遠慮します。
「おいしかった!もっと食べたい!」
う~ん。ちょっと材料が足りないから、しばらくは無理かな。
「作り方を教えておくれ」
はい。いつでも。
村の人達と会話しながら、笑い声が響く中を歩いた。なんだか嬉しかった。みんながオレを受け入れてくれることが。
お世話になった人達のために、少しでも動けることが。
勧められた料理で、徐々にお腹が膨れていく。普段より手の込んだ料理はどれも美味しい。
久しぶりの満足感に、オレは幸せだった。
だから、この平穏がずっと続くと、根拠もなく思ってしまっていた。
「ぎゃあああっ!!」
祭には不釣り合いな悲鳴が響く。一瞬で笑い声が止んだ。誰もが悲鳴の元を見る。
オレの場所からは暗くてよく見えない。だが、近くで目撃した人が声を上げた。
「ま、魔物だああ!!」
その叫びと同時に、暗がりからいくつもの影が飛び出して来た。
悲鳴が増える。篝火は倒れ、人々が逃げ惑う。濃くなった闇はオレでは見通せない。
に、逃げる?どこへ……?
何の心構えもしていなかったオレは、すぐには動けない。頭が回らない。
微かに見える範囲で、何かと戦う人と、逃げる人がいるのが分かる。
「ジョン!皆を誘導せよ!」
村長の声が遠くから聞こえた。ジョンさんの姿はオレからは見えない。
逃げる。思い浮かぶのは、この村で一番過ごした場所、ルヴィの家だ。行こう。
「ぶへっ!」
ルヴィの家の方向へ行こうとしたが、慌てて逃げる誰かにぶつかった。地面に倒れる。擦れた肘が痛い。
立ち上がろうと顔を上げると、低い目線の先に小さな人影が見えた。
「ユン……?」
この事態に混乱しているのか、どこにも行かずに立っている。一緒に逃げないと。
体を起こし、ユンの元に駆け寄る。
「ユン!逃げるぞ!」
声を掛けてもユンは反応しない。ただ目を見開いて、闇の向こうを見ている。
「おい!ユン!」
「あ、あれ」
やっと反応したユンが闇を指差す。なんだ?何もないだろ?
そう思った矢先、闇が動いた。
……何かいる?
見られたのが分かったのか、闇の中から、なにかがぬるりと這い出した。
「グルルルルル……」
虎。トラだ。真っ黒な虎。中型のトラックくらいある虎が、足音も立てずにそこにいる。
光る眼がオレ達を見つめている。動けない。目の前の脅威から目を逸らすことができない。
どうする……?どうすればいい!?
逃げる?逃がしてくれるのか?逃げ切れるのか?
戦う?どうやって?武器もなしに?剣があってもあの肉体を切裂けると?
分からない。何が正解なのか。生き残れる道はあるのか。
生まれて初めて感じる、被捕食者としての恐怖に、頭も体も正常に働かない。バクバクと音を立てる心臓の音だけが、やけにはっきり聞こえる。
混乱した頭が、何かを感じた。
目の前の存在から吹き付けるような何か。追い詰められた生存本能が、カチリとオレの中で噛み合った。
分かった。これが魔力だ。はっきりと感じる。オレにとってのイレギュラー。
だけど、開花した能力も、この場では意味がない。目の前の虎から感じる魔力はとても大きい。絶望的な戦力差がはっきりしただけだ。
虎が足を踏み出す。怖い。どうしようもない。足がガクガクと震える。
この場で、オレは死ぬのだろうか。
虎が歩いてくるのが、スローに見える。その中で、虎が何かに反応した。
次の瞬間、虎が視界の外へと転がって行った。緊張しすぎて驚くことも出来ない。何が起こった?
呆然と立つオレの前に、見覚えのある人物が飛んで来た。
「コーサク!無事か!?」
ルヴィだ。弓を構えている。虎を見ると、首元に矢が刺さっていた。だが、まだ生きているようだ。立ち上がろうとしている。
その虎に、大柄の人物が突撃した。手には大きな斧を持っている。
「うおおおおおおっ!!」
その人物が、裂帛の気合を込めて斧を上段から振り下ろした。重量のある斧が、虎の首元に叩き込まれる。
数瞬後、力の抜けた虎が地面に伏せた。
……助かった?
「ユン!無事だったか!?」
大柄な人物が近づいてくる。顔が見えた。木こりのダンさんだ。体を血で赤く染めている。
「コーサク?おい!」
ルヴィがオレを呼んでいる。
「あ、ああ。ごめん。無事だよ」
「ならいい。ユンと一緒に逃げろ。場所は村の洞窟だ」
「コーサク、ユンを頼んだ!」
ダンさんがオレに声を掛けて来る。ユンは腰が抜けたようだ。その小さな体を抱きかかえる。
ルヴィに背中を叩かれた勢いで走る。ユンが魔術で光を出してくれた。小さな灯りを頼りに、無心で走る。疲労は感じなかった。
ただ、背後から聞こえる悲鳴だけが、頭から離れそうになかった。
洞窟に着くと、村の人達が集まっていた。暗くて良く見えなかったが、さっき祭で見た人数が揃っているとは思えなかった。
夜中、ルヴィが洞窟に来た。血だらけだが、怪我はないと言っていた。ジョンさんと何かを話し、そのまま洞窟の入り口で、弓を構えて立っていた。
夜が明けた。ジョンさんの指揮の元、男達で村に向かうことになった。オレも呼ばれた。
村に来た魔物は夜行性らしい。朝なら危険は少ないと、ジョンさんが言っていた。
朝靄の中を進む。村が見えてきた。
……なんの音も聞こえない。気配も感じない。そして……魔力も感じない。
村の中に入る。血だまりがいくつもある。血だまりに死体が沈んでいる。魔物の。そして村の人の。
動けなかった。目の前の光景を受け入れられなかった。気が付いたら膝を折っていた。地面が近い。
「行くぞ、コーサク」
ルヴィが隣にいた。
「みんなが起き上がる前に、火葬しなきゃなんねえ。今は何も考えるな。死霊の精霊が来る」
言葉の意味は分からなかったが、指示された通りに体を動かした。地面はこんなにも頼りなかっただろうか。足がふわふわする。ちゃんと立っているか分からない。
ジョンさんが何か話している。祭で使った祭壇の前だ。そこに死体を集めろと。
心を無にして村の人を運ぶ。
誰も彼も、知っている顔だ。狭い村だ。全員の顔を覚えている。昨日、パンの感想を言ってくれた人が、酒を勧めてくれたおじさんが、いつもオレに飛び掛かってくる小さな子が。
体のどこかを無くして、血だまりに倒れている。
運んで、運んで。そして、ダンさんを見つけた。大きな斧を持っていた手が無くなっている。
そして、そして背後には、レンちゃんが倒れていた。お腹がごっそり無い。
いつの間にか、レンちゃんを運んでいた。よく覚えていない。記憶が飛んでいる。オレが立っているのはどこだ?
村の人たちの亡骸を集める作業が終わった。横たわったみんなの前で、ジョンさん達が詠唱している。相変わらず、その意味はオレには分からない。
オレは立っていられなくて、気が付いたら座り込んでいた。目の前の光景をぼんやりと見ている。
「「「――――『炎よ』」」」
炎が上がる。村の人たちの亡骸を包んで、大きな火柱が上がる。昨日まで一緒に笑っていた皆が燃えていく。
視界が滲む。
いつの間にか泣いていた。ぼたぼたと、涙が地面に落ちる。
-なにも出来なかった。足手纏いだった。
受け入れてもらったのに。弱いオレを置いてくれたのに。
オレは誰も助けられなかった……!
お世話になったのに、オレは、何も、何も出来なかった……!!
「ぐうっ、うっ」
地面を握りしめて、燃え上がる炎を見つめる。
-強くなろう。
歯を食いしばって、溢れる嗚咽を飲み込む。
-強くなる。誰かに守られないように。
失わないように。二度と、こんなことを許さないように。
全てを守りたいなんて贅沢は言わない。だけど、せめて、一緒にご飯を食べた人達くらいは、絶対に守れるように。
オレは強くなろう。
炎の前で、オレはそう誓った。




