閑話 第1話
仕事終わりの夕暮れの中を、カバンと中身の入ったエコバックを持って歩く。進む方向には、オレの長い影が伸びている。家に向かって、自分の影を追いかけるように歩道を行く。その足取りは軽い。
「今日~の、ご飯は~、しょうが焼き~」
さっき寄ったスーパーで、豚肉を安く買うことができた。今日の晩御飯は豚のしょうが焼きだ。
ご飯を炊いて、お味噌汁を作って、豚肉をしょうが焼きにする。うん、完璧!
今日も仕事で体と頭を使ったのでお腹が空いた。早く帰ってご飯が食べたい。
家に帰って、しょうが焼きで大盛りご飯を食べるのだ!
ぐうぅ~~
「あはは。お腹鳴っちゃった」
「にゃあー」
「うお!っとお!」
いつの間にか歩道の先に猫がいた。しょうが焼きを想像してたから気付かなかったな。
ぶつかりそうだった猫を避けて通る。
「にゃあー」
「ははは。急に出て来ると危ないぜ。猫よ」
猫に話し掛けつつ、後ろ向きに歩く。猫以外には前方に何も無かったから問題ない。
よく見ると、猫には首輪があった。飼い猫のようだ。
「お前も家に帰ってちゃんと飯食えよ~」
そう言って、オレは体の向きを前に戻そうと、左足を後ろに踏み出した。
「おお!?」
だが、その左足が地面に触れない。どこにも着地しないまま、体が後ろに倒れていく。
「おおおお!?」
慌てて手を広げるが、何も当たらない。既に視線が空を向くほどに傾いている。右足の地面の感触も無くなった。
なんだ!?マンホール!?陥没!?さっきまで何も無かったはず!う、受け身!!
どぷん、と。
オレの体は何かに沈み、受け身など取る暇も無く、意識が途切れた。
最後に見えたのは、夕焼けの赤い空と、急速にそれを覆った黒い何かだった。
「はっ!」
目が覚めた。少しぼやけた視界に入ってくるのは圧倒的な緑と青。植物の緑の匂いが鼻を突く。
「なんだ、ここ」
周りにあるのは緑、緑、緑。完全に森の中だ。どこか分からない。意味が分からない。オレがいるのが、ちょうど森が少し開けた場所だということだけが分かる。
「送電の鉄塔すら見えない。どこの秘境だよ」
何でこんなところで倒れていたんだろう?さっきまで、家に帰る途中だったはずだ。記憶喪失にでもなったか?
「そうだ、ケータイ」
持っていたはずのカバンとエコバックは見当たらないが、ケータイはポケットに入っていた。だが。
「……嘘だろ、点かない」
ケータイの画面は真っ暗だ。電源ボタンをいくら押しても反応しない。これは、遭難しているのでは?
「時計は!?」
慌てて左手首に巻いた腕時計を見る。
「良かった。こっちは生きてる」
仕事の現場でも使えるように買った、愛用のG-SHOCK。そのデジタル表示は時刻を映し出している。その時刻は18時42分。
「オレが、スーパーで買い物してから、1時間しか経ってない……?」
表示されている年も日付も、オレの記憶と相違はない。記憶喪失の可能性はなくなった。
「……電波の受信もしてないな」
電波時計の機能も付いているのに反応していない。かなりの僻地のようだ。
「ここは、今昼か?」
快晴の青い空に、太陽が真上に見える。
「今12時くらいだとして、時差6時間以上?地球のどこだ?そもそもどうやって1時間でオレは移動した?」
分からない。とりあえず、普通じゃないことだけは理解した。救助も期待出来ないと思う。少なくても日本じゃなさそうだしな。
なんだ?何から手を付ければいい?人里を探すか?近くにあるのか?まずは水の確保からか?どうする。どうやって……。
ガサガサガサっ
「うえっふぇえい!?」
や、やべえ!野生動物か!?熊に会ったらどうするんだった!?目を離さず後退!?
木々の間から出て来たのは。
「人だ……」
明らかに日本人じゃない。まだ若い、男の人だ。オレンジ色の髪と青い目をしている。外国人だ。科学製品の気配を感じさせない様相に、弓を背中に背負い……ジャイアント兎?名前が出てこないが、でかい兎を担いでいる。猟師さんですか?
「―――――?」
な、なにを言っているのか分からない。
「こ、こんにちは!」
「――?」
「は、Hello?」
「-?」
詰んだ!日本語と英語が少ししか出来ないよ!ハローが通じない相手って何語話すんだよ!?
「――――?」
やばい。なんか不審者を見る目で見られている。弓に手を掛け始めた。どうする?どうしよう!?
「怪しい者じゃありません!!」
両手を上げてアピールする。言葉が分からなくても、伝えようとすることが大事って、誰かが言ってた!
「―――!」
余計に警戒された!?なんかミスった!?どうしよう。相手が険しい顔をしている。これ以上動けない。ああああ~~~。
ぐぐうううう~~~
あ、お腹鳴った。
「……」
目の前の人が弓から手を離した。お?警戒解けた?
なんだか可哀そうなヤツを見る目をされている。
「――――」
なんだ?木々の隙間を指さして、オレを手招きしている。ついてこいってこと?
近づいたら頷いてくれた。良かった。
「―――」
後ろに付いて来たオレを確認して男の人が走り出した。
「ちょ、はや!」
オレも慌てて走る。運動靴で良かった!前を走る男の人を追いかける。
走った先でオレはどこに着くのだろうか?早く家に帰りたい。
「はっ、はっ、はっ、はっ、うそ、はあっ、だろ!?」
速すぎる!
オレも足が遅い訳じゃないのに、どんどん前を走る背中が遠ざかる。
「はあっ、なんだ、よ、はっ、はっ、あの走り、はっ」
走り方がおかしい。兎を抱えているにも係わらず、1歩1歩が大きくて軽やかだ。走るというより、飛び跳ねるような動きをしている。
なんだよあれ!いつから人は重力に勝てるようになった!?
やべえ、ここままだと見失う!
「―――――?」
オレが遅れていることに猟師さん(仮)が気づいたらしい。不思議そうな顔でこちらを振り返っている。ついでにスピードも落としてくれた。ありがとうございます!
「――――」
「い、行きます!」
何を言っているかはさっぱりだけど、目の前の人がオレの命綱だ。必死に後ろを追いかける。森の中に置いていかれたら絶望的だ。
「はっ、はっ、はっ、はっ、キツい!」
で、これあと何kmくらい走るんですか?




