鯨
揺れる甲板の上で目を閉じる。太陽の光は温かいのに手足が冷たい。
体が震える。感じる強大な魔力と責任重大な役割に、恐怖と緊張が足元から上がってくる。
その怯えを吐き出して、自分のリズムを取り戻すように深呼吸をする。
「ふう~……」
目を開ける。視界いっぱいの深く青い海。その上で、6隻の船が揺れていた。オレが乗る船を中心に、5隻の船が囲んでいる。互いの距離はかなり近い。
太陽の光を反射する海面は見通せないが、その先に、確実に管理者たる鯨がいるのが分かる。その非常識な魔力を感じる。
「コーサク、準備はいいか?」
話し掛けてきたのはカルロスさん。その隻眼には、オレへの期待が浮かんでいる。
その問いに、少しの強がりを含んだ笑みで答える。
「ええ、大丈夫です。いつでもいいですよ」
いつだって、やれることをやるだけだ。
オレの答えに、カルロスさんは不敵に笑う。
「そうか。それなら進むとしよう。ガイ!結界を張れ!」
「了解!」
カルロスさんの指示に船の技師が応える。数瞬後に、オレの感覚が魔力を捉えた。船の中心に設置された、特級の魔石が唸りを上げる。
魔力が走る。周りを囲む5隻へと魔力の経路が繋がる。各船に搭載された魔道具たちが、お互いに連結される。
もし魔力が可視化できれば、その姿は五芒星に見えるだろう。
そして、繋がった魔道具たちが、その機能を発揮する。
魔力による壁が、集合した船たちを包み込む。出来上がったそれは、オレ的に名付けるのなら『六連結防壁:船用結界』だろうか。
その結界の完成を確認したカルロスさんが、大きく息を吸い込んだ。
「全船、前進!!誰も見たことがない場所に、俺たちが一番乗りだ!!行くぞぉ!!」
「「「「「おうっ!!」」」」」
6隻の船が走り出す。未踏の地へ向けて、脇目も振らずに突き進む。
船に乗っている全員が、楽しそうに笑っていた。誰も彼もが無邪気な笑みだ。
「なあ、コーサク。俺の船の奴らは、いい馬鹿ばかりだろう?」
唇を吊り上げて、カルロスさんが嬉しそうに笑う。ここでは馬鹿が褒め言葉らしい。
「はは、そうですね。頼もしい限りですよ」
ああ、本心だ。夢を追う者たちは、素晴らしい馬鹿である。
そして、オレも馬鹿だ。知っている。ずっと分かっている。それでも、止まれないのだから救えない。
開き直った思考に、自然と笑みがこぼれる。さあ、オレの仕事をしよう。
――ボム、起きろ。オレ達の出番だ。
オレの声に、魔核に眠る精霊が応える。
『おはよう。僕の宿主よ。ふふふ。今日も君の感情は心地良いねえ』
オレの精霊もご機嫌のようだ。何よりである。
ふわりと、ボムが姿を現す。オレだけに見る魔力の歪んだ人型。衝撃を押し込んだような異形だ。
そして、ボムが姿を現すと同時に、海底から上昇してくる魔力を感じた。
『来たねえ』
龍種と同等の魔力を持つ巨体が海面を目指して上がってくる。膨大な量の海水を押し退けて、だ。
「カルロスさん、来ます!」
「総員、揺れに備えろ!!落ちるなよ!!」
「「「「「おうっ!!」」」」」
カルロスさんの指示により、全員が揺れに備える。
そして、その巨体が姿を見せた。
前方の海面が一瞬黒く染まり、爆発したように割れた。火山の噴火のような勢いで、膨大な水が弾き飛ぶ。
現れた余波だけで、見上げる程の大波が発生した。壁のような波が、船を守る結界へと押し寄せる。
「ぐ……っ!」
水の重い衝突音が響く。激しく揺れる船に、ひたすら手すりに摑まることしかできない。
無理矢理顔を上げれば、頭上の結界の上を流れていく大量の海水が見えた。その光景に顔が引き攣る。
「もうちょっと、気を遣って登場して欲しいもんだ……!」
絶対的な強者に、オレらの気持ちは分かんねえんだろうけどなあ!
ぐわんぐわんと揺れる船の上で何とかバランスを取り、出現した相手を見る。
デカい。黒い。馬鹿デカい。
小山のような頭部を海上に出し、悠々とこちらを観察している。小さ目の船くらいある黒い目に、背中がぞわぞわする。
ちょっと、いや、かなり怖い。目、デカくね?
『うん。やっぱり管理者だね。話は出来るよ』
オレの内心に関係なく、ボムが話し掛けてくる。この恐怖心は伝わっていないらしい。
いや、まあ、怖くても行くんですけど。
「ふうう……。よし!カルロスさん、行って来ます!」
「ああ、頼んだ」
カルロスさんは、揺れる船の上で仁王立ちだ。かっけえ。
さて、行くとしよう。カルロスさんの信頼に応えよう。そのために、船の舳先へと歩きつつ、魔道具を起動する。
「魔道具使うの久しぶりだなあ。『防壁』展開っと」
燃料用の魔石から魔力を引き出して、半透明な足場が空中に生まれる。
舳先から、その足場に飛び乗る。あとはこのまま空を進むだけだ。
「じゃあ、ボム。行くか」
『そうだね』
そうして、オレは魔力の足場の上を走り出した。
たまに風に押されつつ、空中を駆ける。傍目にはオレ1人。オレの主観ではボムと2人。1人じゃなくて良かったと思う。
1人だと心細過ぎるくらいに、目の前の鯨の魔力は膨大だ。これだと、他の人は近づくのも辛いだろう。
濃すぎる魔力に調子を崩すと思う。
ボートで来なくて良かったな。たぶん、漕ぐ人が倒れてた。単身で出て来て正解だ。
少しずつ、黒い巨体が近づく。
それにしても、迫力がすごい。体の大部分は海の中なので良く分からないが、全長1キロメートルとかありそう。
やばい。存在感が半端ない。
「悪龍とは比べ物にならないな……」
『あの龍は意識がなかったからね』
そういうものらしい。悪龍は魔力こそ多かったが、動きは鈍いし、知性も感じなかった。
だけど、目の前の鯨は違う。その巨大な瞳には、確かに知性の輝きが見える。
戦った場合、勝てそうな気がしない。海に潜られた時点でどうしようもないし。
そんなことを考えている内に、鯨の前に着いた。具体的に言うと、その馬鹿デカい黒い目の前まで来た。
さて、自分よりデカい目に見つめらたら、どう感じると思う?
「めっちゃ怖え……」
超怖え。オレの生き物としての本能が、やめとけよって騒いでいる。さっきから、鳥肌が止まらない。
足、ガクガクなんだけど。
そんなオレに構わずに、ボムが呑気に手を振り始めた。
『やあ、こんにちは。元気~?』
フレンドリー……。え、大丈夫?こちらの方、超年上じゃない?ため口でOK?
ボムの言葉に、鯨の瞳孔が細かく動いた。そして、触れられそうな程の魔力が吹き付ける。
自然と顔が引き攣った。これ、怒ってない?
『良く来たな、若き精霊とその宿主よ。だって。怒ってないよ』
セーフ……?なら、大丈夫か。ボム、ここを通っていいか聞いてくれ。
『分かった。ねえ、向こうの陸地に行きたいんだけど、通ってもいいかい?』
再び魔力が吹く。これで駄目だって言われたら帰るしかないんだけど。果たしてどうなるか。
『うん、ふんふんふん。分かった』
顔も表情も見えないが、ボムが頷いている。何て?
『我は管理者。ただ世界の均衡を保つのみ。姿を見せたのは、海を往く者への興味のためだ。人が星の子として在る限り、我が危害を加えることはない。己が生を謳歌するといい。だって』
「あ~……通っていいってことだよな?」
『そうだね』
通行の許可は貰えた。でも、危害を加えないって言われても、船は沈んでるんだけど。もう、スケールが違う感じ?体を動かしたら勝手に沈んだみたいな認識なの?
『うん、分かった。じゃあね』
鯨に向かって、ボムが再び手を振る。
「何だって?」
『帰るって』
そのボムの言葉と同時に、巨体が動き出した。急な動きに風が巻き起こる。
そして、当然、巨体が潜り始めれば波が立つ。出て来た時よりはマシだが、それでも大きな波が発生した。
まだ、オレが近くにいるのに。
「もう少し気を遣ってくれよ!『防壁:結界』!」
沈んでいく巨体と、襲ってくる波に向かって叫ぶ。結界が展開した瞬間に、大波がぶつかってきた。
結界が軋む。ガンガン減っていく魔石の魔力に、冷や汗が止まらない。
『お~、すごいねえ』
まるで海の中にいるような光景に、ボムが呑気に声を上げる。残念ながら、オレにはそんな余裕はない。
それでも、何とかなった。波は収まり、結界から海水が流れ落ちていく。水滴が太陽光を反射して眩しい。
「はあ~……緊張した。ボム、ありがとう」
『どういたしまして』
鯨の姿はもう見えない。遥か海の底へ潜っている。もう、二度と合わないことを祈りたい。
……帰りに、また出て来たりしないよな?
嫌な未来予想を振り払う。船の正体が分かったなら、もう来ないだろう。ただの興味だって言ってたし。
さて、オレも船に戻るとしよう。
行きと同じように、防壁の足場を走って戻ると、船は大盛り上がりだった。
船に降りると、船員たちに囲まれて、体をバンバン叩かれる。
「すげえな、アンタ!!」
「良くやってくれた!!」
「これで陸まで行けるぜ!!」
「変な奴だと思ってて悪かったな!!」
「え、ちょ、いた、いや、本当に痛い」
揉みくちゃにしてくるむさ苦しい男達の押し退けて、何とか離脱する。いや、マジでいてえ。
背中赤くなってるよ、これ。
そんな、体の痛みに悶えているオレの前に、カルロスさんが歩いて来た。
「コーサク、良くやってくれた」
「ええ、何とか。でも、たぶんオレがいなくても通れましたよ。ただ、こっちが気になっただけみたいなんで。大波の対策だけで行けたと思います」
オレ、あんまりいらなかったな。
「はっはっは、何を言っているんだ」
カルロスさんが笑う。
「“たぶん行ける”が“確実に行ける”になったんだ。それだけで、十分過ぎる働きに決まってる」
片目を細めて、笑みを作る。男らしい笑みに、黒い眼帯が良く似合っていた。格好いいっすね。
「……なら、良かったです」
オレの笑みを見届けて、カルロスさんが声を張る。
「総員、配置に着け!!全船、前進!!」
「「「「「おうっ!!」」」」」
一つの生き物のように、船員たちが動き回る。当たり前のように船は進み始める。目指す先は、未踏の陸地。
さて、いったい何があるだろうか。
陸地が近づく。豊かな木々と、綺麗な砂浜が見える。当然ながら、港はない。
「全船、停止!!」
かなり手前で船が止まる。帆は畳まれ、ジャラジャラと錨が降ろされた。
あまり浅いところまで船で入ると、座礁して出られなくなるらしい。ここからはボートで陸まで行くとのことだ。
カルロスさんが、その人選をしていた。その場所へ近づくと、隻眼と目が合う。
「コーサクは行くか?」
「ええ、もちろん。けっこう役に立ちますよ」
「それなら一緒に来い」
カルロスさんに手招きされ、10人くらいが乗れるボートへ降りる。小さいので揺れが酷い。慌てて腰を下ろした。
素人が突っ立っていても邪魔だろう。
そして、オレの隣に来たのはカルロスさんだ。
「……カルロスさんも行くんですか?」
何があるのか分からないのに。危なくない?
「当然だろう?」
カルロスさんがニヤリと笑う。当然らしい。その隻眼には、純粋な好奇心が浮かんでいる。
「よし、行くぞ!」
ボートが進む。乗っているのは8人だ。まずは様子見である。
4人の船員たちが、ボートを漕ぐ。強化した腕力により、ボートは勢いよく陸に向かって進んで行った。
10分ほどで陸地に到着。ボートは砂浜に押し上げて、流されないようにした。当然、オレ以外の人が。
8人で砂浜を歩く。柔らかい砂に顔を出している貝殻は、見たことがないものが多い。
目線を上げれば、砂浜の奥には濃い森林。見た感じ、何もいないように見える。ああ、見た目だけは。
「あ~、カルロスさん。何かいます」
「そうか。魔物か?」
オレたちを窺う魔力に集中する。この感じは、魔物じゃなくて――
ヒュンッ、と何かが飛んでくる。オレ達の前方の砂に、乾いた音を立てて突き刺さったのは。
「矢ですね……」
「矢だな」
どう見ても矢だ。
オレ達がその矢を見たのと同時に、魔力が動く。そして、木々の後ろから、ぞろぞろと顔を出したのは。
「原住民の方ですかねえ」
「そのようだ」
何だかカラフルな衣装を身に纏った方々だ。30人くらい?手には剣とか槍。あと弓。だいぶ警戒されている。
その内の1人、一番大きな魔力を持っている人が前に出てきた。ゴツい男の人だ。強そう。その人が口を開く。
「――!――――!――!」
何語かなあ、これ。
「……コーサク、何て言ったか分かるか?」
「いえ、すみません。分からないです。でも、こういうときは、言葉が分からなくても、敵意がないことを頑張って伝えるもんじゃないですか?オレは昔そうしました」
ルヴィに初めて会ったときとか。
「そうか……。それなら、やってみるとしよう」
カルロスさんが、両手を上げて口を開く。
「あ~、俺たちに戦う意思はない。どうか冷静に話を聞いてくれ」
「――!」
ヒュン、ドス。
再び足元に刺さる矢。カルロスさんの隻眼がオレを見る。
「……駄目なときもあります」
「……それはそうだろうな」
諦めて、全員で黙って両手を上げることにした。
さて、どうなるんだろうか。




