日焼けと心構え
今日で出航してから9日だ。タコの後にも、サメやらクラゲやら名状しがたい海生生物やらに襲われたが、人も船も無事にここまで来た。
襲っては来なかったけど、小山くらいある亀が悠々と泳いでいるのには衝撃だった。海が魔境すぎる。
とりあえず、今は平和だ。ありがたい。連続で襲われたら、さすがに身が持たないと思う。
そんな平穏に揺れる甲板の上で、日焼けで赤くなった腕を眺める。今日も良い天気だ。腕越しに見える太陽が眩しい。
「日焼け対策、全然考えてなかったなあ……」
露出している肌がピリピリする。吹き付ける潮風がちょっと痛い。
遮る物のない太陽光と海からの照り返しで肌は焼けたし、潮風を浴び続けた髪はギシギシしている。
お風呂に入りたい。たぶん、日焼けが痛すぎて悶えると思うけど。
海に出てからは、濡らした布で体を拭うくらいしか出来ていない。船上で水は貴重なのだ。
いや、厳密に言うと、何よりも魔力が貴重だ。船員たちには風か水の適性を持つ者が多い。やろうと思えば、魔術で水を出すことはできる。
だけど、船員たちの魔力は、操船時の身体強化や魔道具の操作、戦闘での魔術などに使われる。
なので、基本的に魔力は節約されているのだ。贅沢に水浴びなんかはしていられない。
そんな訳で、肌をざらつかせる潮の感触とは、もう少し付き合うしかない。
「まあ、もう少しだしねえ……」
呟きながら、横に置いておいた木製の皿に手を伸ばす。載っているのは拳サイズの真っ白な身だ。
先日のタコの足である。それを海水で茹でて、適当に切ったやつだ。オレのおやつである。
手掴みで口に運ぶ。ガブリと頬張ると、濃いタコの味が口に広がる。弾力が物凄い。その強靭な筋肉繊維に歯を立てながら、よく噛んで咀嚼していく。
噛むほどに味が出て来る。塩とタコの旨味がいい。美味い。でも、このタコを食べるのはオレだけだ。
「美味いのになあ」
残念ながら他の船員たちは食べないのだ。元々、タコを食べる習慣がないらしい。勿体ない。美味しいのに。
タコの足の大部分は、オレ1人ではどう頑張っても消費しきれないので、船の冷蔵室に保管させてもらっている。
船の上じゃなければ、いくらでもタコ料理を作るんだけどな。食材も燃料も限られている船の上で、勝手な振る舞いをする訳にもいかない。
まあ、陸に着いたら、何か作るとしよう。どんな料理がいいだろうか。
「う~ん……」
「……なに唸ってるんですか?」
急に聞こえた若い声に振り向く。
「ああ、ジャス君。休憩?タコ食べる?」
よく日に焼けた少年が、不審そうな目でオレを見ていた。
「休憩ですけど、それはいらないです」
「それは残念」
美味しいのにね。
ジャス君のオレに対する評価は、カルロスさんが連れて来た、何かヤバい人で固まってしまったらしい。
ちょっと引き気味の目が痛い。このままだとあれなので、少し評価を上げてもらおうか。小物入れをゴソゴソと探る。あった。
「じゃあ、代わりにこれどうぞ。オレ特製のドライフルーツ」
「っ!ありがとうございます」
ジャス君が素直にドライフルーツを受け取る。若者らしく、甘い物は好きらしい。
そのまま食べられるし、甘くて美味しいし、栄養補給にもなるし、ドライフルーツは素晴らしい。
しかも、変人だと思われても、少年が近寄ってきてくれるしね。
お互いに、違う食べ物を噛み締めながら、無言で海を眺める。オレより先に食べ終わったジャス君が疑問の声を上げる。
「それで、さっきは何で唸ってたんですか?」
「うん?ああ、陸に着いたら、タコをどうやって料理しようかなあって。とりあえず、保存のために燻製にしてみたいんだけど、どう思う?」
タコ燻、美味しそうだよね。でも、船の上でやったら、たぶん怒られるよね。
船員さん達も、白く張った帆から燻製のいい匂いがしたら、微妙な気分になると思う。うん、駄目だな。
だから陸に着いたら、燻製に使えそうな木の枝でも拾ってやってみたい。
「いや、知りませんよ……」
ジャス君の態度が素っ気ない。そもそもタコに興味がないようだ。しょうがないか。食文化の違いと言うやつだろう。
オレは好きなんだけどなあ、タコ。
刺身で食べてもいい。タコしゃぶもいいなあ。唐揚げもいいよ。そういえば、タコ焼きも6年食べてないのか。帰ったら、タコ焼き用の鉄板、頼んでみるかなあ。
でも、やっぱり炊き込みご飯かなあ。タコの味と色を吸ったご飯。ああ、いいな。美味そう。
ショウガをたっぷり入れたら完璧。あ~、久しぶりに食べたい!
そんなオレの内心の考えを遮るように、ジャス君が口を開いた。
「……もうすぐ、前に船を沈めた海域に入るんですけど、コーサクさんは気にならないんですか?」
ふむ?
横を向けば、ジャス君は浮かない顔。呑気にタコ足を齧っているオレに不満そうだ。
ジャス君は初回の航海に参加していない。だから、まだ見ぬ脅威に落ち着かないのかもしれない。さて、どう答えようか。
「う~ん、気になってはいるよ。というか、たぶんオレが一番脅威を実感してる」
「はあ……?」
少し前から、体が震えそうなくらいの魔力を感じている。氷龍と同規模の天災じみた魔力だ。
まだまだ距離があるのに、それが分かる。これはオレにしか理解できない感覚だ。
うん、普通に怖い。向こうに敵意があれば、海の藻屑になるしかないね。
「まあ、それでも何とかするつもりだし。それに、カルロスさんもいるからね。すごい人だよ、カルロスさんは」
「カルロスさんがすごいのは、みんな知ってますけど」
ジャス君の目には、カルロスさんへの疑いが一切ない。すごいな。
「じゃあ、カルロスさんと、他の先輩たちと、後はカルロスさんの目を信じるといいよ」
「はあ……」
ジャス君が分かったような、分からないような顔をする。
「はは、とりあえず、カルロスさんを信じて動けばいいさ」
「それは、言われなくもそうしますよ」
少し憮然とした声で、ジャス君が言う。煙に巻かれたと思っているようだ。いいね。真っすぐだ。
誰かを疑いなく信じて突き進めるというのは、とても得難い資質だと思う。船の上という、生死を共にする間柄なら特にだ。
ジャス君は大丈夫そうだな。
後は、オレが成すべきことを成すだけだ。まあ、正確には、オレとボムが、だけど。
何とか、海の管理者たる鯨を説得したいと思う。
それでも駄目な場合は、カルロスさんが何とかしてくれるはずだ。
緊急時は、積んでいる燃料用の魔石を全て消費する勢いで、結界と操水の魔道具を使用して海域を全力で離脱することになっている。
初めから逃げる心構えをしていれば何とか出来るとの、頼もしい言葉をカルロスさんから貰ってもいる。
だから、気負わずに、落ち着いて行くとしよう。オレの役目はもうすぐそこだ。




