矛盾する想い
ウェイブ商会からの帰り道。カルロスさんからの頼み事について考えながら歩く。
「むう……」
喉から出た唸り声が、春の陽気に消えていく。
カルロスさんには、少し考えさせて欲しいと伝えて来た。だけど、悩む時間はそう多くはない。
夏になり、気温が上がると、海は荒れるらしいのだ。
カルロスさんは、その前に2回目の航海に挑みたいと言っていた。だから、受けるのか、断るのか、早く決める必要がある。
……断った方がいい、とは思う。
オレはロゼの傍にいたい。いるべきだと思う。少なくとも、子供が産まれるまではそうするべきだ。
逃げ場のない海上では、常に命の危険がある。帰りの保証がない場所には行けない。自分の身を危険に晒さないで欲しいと、ロゼに釘を刺されたのは最近の話だ。
「だけど……」
一方で、カルロスさんに手を貸したいと思うオレがいる。
カルロスさんの、愚直に夢を追う姿は眩しい。目的だけを見据えて進む姿勢は尊敬する。
そして、その姿に協力しようとする者は多い。
だが、同時に、批判を受けてもいる。叶わない夢を捨てれば、もっと商会を大きく出来ただろうと。
無駄なことに拘らなければ、より多くの利益を手に入れられただろうと、影で囁かれることがある。
ああ、そして、それは、オレにとっては他人事ではない。
「たまに言われるからな」
見たこともない穀物を追うような、馬鹿な真似は止めた方がいいと。もっと賢く立ち回るべきだと。
完全な善意から、そう言われることがある。
まあ、知ってはいる。オレの外からの評価は、優秀な魔道具職人であると同時に、在りもしない物を求める狂人だ。
「それでも、諦めるのは無理なんだよなあ……」
夢を諦めれば、きっと楽に生きられる。ロゼと産まれる子供と一緒に、穏やかに過ごせる。
理性的に考えるのなら、それは正しい選択なんだろう。
それでも、オレの心は叫ぶのだ。もう一度だけでも、お米を食べたいと。20年間、オレの体を作ってくれた穀物を、あの懐かしい味を口にしたいと、心は訴える。
もう二度と帰れない故郷の味を、忘れたくないと心が叫ぶ。
だから、カルロスさんの意思に引っ張られる。夢を追う姿に目が引かれる。自分の姿を重ねてしまう。勝手な親近感だ。きっと、他から見れば不合理でしかない。
それでも、夢を叶えて欲しいと、手助けをしたいと思ってしまう。
そして何より、カルロスさんの夢はオレの目的に繋がっているかもしれないのだ。
「困った……」
心は矛盾だらけだ。行きたい理由と、行きたくない理由。正反対の言い訳が、頭の中でぐるぐると回っている。
「はあ……」
1人で考えていても、答えはまとまりそうにない。
帰って、ロゼと話し合おう。オレ達は、お互いが、お互いのものだ。もう1人ではない。ちゃんと話して、相談するとしよう。
そんな訳で、家に帰り、カルロスさんとの会話と、オレの気持ちをロゼに伝えてみた。
いつも通りにソファに並んで座りながら、ロゼの表情を見る。オレの言葉を聞いたロゼは、思案顔で目を閉じている。
その柔らかな唇が開いた。
「難しい、な」
ポツリと呟いて、ロゼが目を開ける。オレの好きな空色の瞳が、こちらを見つめてくる。眉を寄せて、少し困ったような表情だ。
「私は、コウに傍にいて欲しいと思う。危険があるのなら、行って欲しくはない」
……それなら、それでいい。ロゼがいて欲しいと思うのなら、オレはその通りにしたいと思う。
そう言おうとしたオレの言葉を、ロゼが止める。細い手が、オレの顔へと伸びる。
「でも……私は、コウを縛りたい訳ではないんだ」
オレの頬を軽く撫でた手が、そのまま髪へと伸びる。ロゼの指先が、柔らかくオレの髪をもてあそぶ。
たまにロゼがする行為。何故か、ロゼはオレの髪を触るのが好きらしい。
「コウが何より自分の身を優先するのなら、行ってもいいと思う。応援したいとも思う。だが、それと同時に、このままずっと隣にいて欲しいとも思ってしまう」
ロゼが困ったように笑う。
「……それは、きっと当たり前のことだと思うよ」
愛しい人の隣にいたいと思うのは、当然の気持ちだ。オレもそうしたい。
「そうかもしれないな。ふふふ。心というのは、難しいものだな。私もまだまだ未熟だ」
そう言って、ロゼがオレに身を預けて来る。その、2人分の重さを抱きしめる。
「ふふ。コウと一緒になってから、私の中には新しい感情ばかりだ。こんな自分がいたのかと、驚いてばかりだよ」
抱きしめた腕が音を感じる。ロゼの声が体に響く。腕の中で、ロゼがオレを見上げた。
「行ってもいいよ、コウ。私はちゃんと待っているから」
ああ、ロゼは強いな。オレよりも余程心が強い。どんなに信じていても、オレにはきっとただ待っていることはできない。
「だけど……どんなに無茶をしてもいい。必ず帰ってきて」
「……うん。約束する。どんなことがあったって、絶対に君の元に帰ってくるよ」
オレの言葉にロゼが微笑む。オレを安心させるような、そんな微笑みだ。
「ふふふ。それなら安心だ。コウは勝手に無茶をするが、約束を破ったことはないからな」
……勝手に無茶をしたことは……いや、最近は結構あるな。
「ふふふふ」
オレの顔を見てロゼが笑う。その振動を体で感じながら、オレは答えを決めた。
その後、ロゼを抱きしめつつ、しばらくのんびりとしていると、庭で遊んでいたタローが戻って来た。
最近は、自分で扉を開けることを覚えたので、自由に家を出入りしている。
玄関を見て尻尾を振っているので、誰か来たようだ。
ロゼに声を掛けて、玄関に向かう。またリックだろうか。
玄関へ歩いていくと、控えめなノック音が聞こえる。リックじゃなさそうだ。誰だろうか。
「はーい。今開けまーす」
声を掛けて扉を開ける。
「ええと……こんにちは?」
……知らない女性が立っていた。思わず、疑問符つきの挨拶が出る。
「ええ、こんにちは」
綺麗な女性だ。会ったことはないはずなのに、既視感がある。
そして、1人ではなかった。女性の後ろに控えるように、もう1人女性がいる。そちらは、見た覚えがある。
見たのは最近。お義父さんであるデュークさんと会ったとき。そのときの護衛の1人。名前は確か……ミザさんだ。
そこまで考えて、目の前の女性に視線を戻す。
当てにならないオレの目には、30歳くらいに見える女性だ。見覚えのある顔の輪郭。濃い緑色の瞳。
そして、赤みのある金髪を背中まで伸ばしている。
そこまで把握したところで、女性が口を開く。どこか聞き覚えのある響きが言葉を紡ぐ。
「ふふふ。貴方がコーサクさんで良いのかしら。あの人の言った通り、本当に目も髪も黒いのね」
「ええ、はい……そうですが」
見覚えのある表情で笑いながら、目の前の女性が挨拶をする。
「私はロザリー。今はお忍びだから、ただのロザリーよ」
……お忍びの人は、お忍びって言ったら駄目じゃない?
「ふふ。私の娘はいるかしら?」
目の前で愛らしく首を傾げる女性の言葉に、頭が混乱する。娘に当たる人物は、オレの家には1人しかいない。
背後から足音がする。いつの間にかいなくなっていたタローが、ロゼを呼んで来たようだ。
オレの後ろからロゼの驚いた声が響く。
「お母様!?」
「ふふふ。ロゼッタちゃん、久しぶり」
ロゼの姉妹にしか見えないこの女性は、オレにとっての義母であるらしい。




