見習い庭師トマと新米菓子職人ブルーノ 第二十三話
レアルへ向かう汽車が行く。
サリエルは二等車の席に居た。また四人席の他の乗客が全て喫煙者で煙たかったが、席は指定で動けなかった。
通路側の席から、サリエルは新聞を手にしたまま車窓を見つめる。
カトラスブルグが遠ざかって行く……
時刻は十時過ぎ……お嬢様はどうしただろうか。サリエルはそう考えてしまう自分に気づき、密かに首を振る。
自分にはもうエレーヌの側仕えを続ける資格は無い。
思えば、自分こそ。長い、長い間、エレーヌに甘え続けていたのだと思う。
そしてどこかで、この幸せがいつまでも続けばいいと思っていた。そこにいつもエレーヌが居る幸せに、ずっと溺れていたのだ。
自分が居なくなったら、エレーヌはどうなるだろう。
エレーヌは優しいので、自分が居ると自分にばかり構ってくれるので、他の友達が出来ない。自分が居なければ、エレーヌにも他の友達が沢山出来るだろう。
それから……自分の事は自分でするようになって、子供みたいな悪戯や遊びはしなくなって、もっと御洒落や恋を楽しむ素敵なレディになる……きっといい事ばかりだ。
「皆様、車内改札に御協力下さい」
サリエルの乗る二号車の入り口に、車掌が現れる。サリエルは自分のポケットを確認する……大丈夫。切符はある。
車掌は一席ずつ切符を確認しながらやって来る……まだ暫くかかるだろう。サリエルは新聞のクロスワードパズルに目を戻す。
『他者から憎まれる役回りで物語を導く、高貴な身分の女性。主に王子の婚約者として登場し、後に婚約破棄され断罪される』
何だろう。高貴な身分なのに他者から憎まれる役とは、矛盾しているようなしてないような。
「ママ!かっこいいお姉ちゃんが居る!」
どこかの席で、男の子の声がする……まさか男装の自分を見て言っているのか?いやいや、それは自意識過剰というもの……
サリエルはふと、車窓に目を移した。
カトラスブルグからレアル方面へ向かう、のどかな田園地帯を走る汽車を、一組の人馬が追い掛けていた。
騎乗の人物の姿は異様だった。黒いスローチハットに黒いアイマスク。そして黒い外套と見事な金髪を靡かせた、黒装束の……背の高い少女。
サリエルは一瞬で真っ青に青ざめ、座席から通路へと身を投げ出した。
「君?どうかしたのかね?」
向かいの席に座っていた紳士が、煙草をふかしながら、手を貸そうかとサリエルに手を伸ばす。紳士は車窓の外の景色に気づいていないらしい。
黒装束の少女は、少しずつ汽車を追い越しながら車内を探っていたが、前から二番目の客車まで来て、目当ての人物が居た事に気付くと……口元を歪ませ、牙を剥いて笑った。そして少しずつ馬を列車に近づけて行く。
「君!危ない!やめなさい!」
それに気づいた車掌が車内から叫ぶと。
「汽車を止めなさい!!」
黒装束の少女は懐から拳銃を引き抜き、空に向けた。
――ドン!!
「きゃあああ!!」
「何だ!?今のは発砲では!?」
「列車強盗だ!!列車強盗が出たぞ!!」
客車内はたちまち騒然となる。
「皆様!!席を立たないで下さい!!その場で姿勢を低くして下さい!!」
車掌が叫ぶ。殆どの乗客はその指示に従い、窓から顔を隠すべく屈んだが。
「助けてくれ!車掌が何とかしろ!」
「止めてええ!私は降りるわ!」
パニックを起こし、席を立ってしまう乗客も居た。
黒装束の少女は、汽車に止まる気が無いと知ると、馬を少しずつ汽車に寄せようとする。しかし、鉄道の線路近くは道になっておらず、馬を走らせるのはかなり危険だった。
それでも少女は少し馬の行き足を落とし、馬を列車に近づける。
たちまち列車と馬の速度差が逆転し、列車の方がどんどん先に行く。三号車、四号車……列車はどんどん騎乗の少女を突き放して行く。
列車と少女の距離は一メートル程……少女は、どうにか加速出来そうな地面のある短い場所を見つけると、馬を加速させつつ、曲乗りのようにその背中に足の裏を乗せた。次の瞬間。
「危ないぞ!?」
特等の六号車の乗客が、窓から叫ぶ。
黒尽くめの少女は馬の背から飛び……六号車の最後尾、汽車の一番後ろの展望台の手摺りに、ぎりぎりで飛びついた。
「きゃあああ!?」
「だ、大丈夫か君!?」
展望台に居たカップルの客が叫ぶ。先程、少女が汽車を追い抜いて行くのを見た時には、笑顔で手を振ったのだが。まさか銃を発砲した上、展望台に飛びついて来られては、どう反応していいか解らない。
しかし黒装束の少女は他の乗客などには目もくれず、アイマスクで半分隠れた顔に邪悪な笑みを浮かべたまま……六号車の屋根の上によじ登る。
馬は列車から離れて行く。
乗客たちは銃声が恐ろしくもあったが……起きている事件に興味もあった。
窓から身を乗り出して屋根の上を見る者も居た。車両の連結部には人だかりが出来ていた。
黒装束の少女は屋根の上を走って行く。五号車、四号車、三号車……車両と車両の間を飛び越える黒装束の少女。
疾走する列車。先頭の機関車が吐き出す黒煙。たなびく少女の黒いマントと長い金髪。
三号車と二号車の間にも、野次馬はたくさん居た。その中には車掌も居た。
「皆さん!!席に戻って下さい!危険です!席に戻って!」
「そうよ!席に戻りなさい!!邪魔すれば容赦致しませんわ!!」
黒装束の少女は再び拳銃を取り出し、その辺りの草むらに向け発砲する。
――ドン!!ドン!!
「うわああ!!」「撃ったぞ!撃った!」
「きゃあああ!?」「どいて!!どいて!!」
押し合いながら逃げ散る野次馬。その中で車掌だけはその場に踏み止まっていた。
「こ、こ、ここは通しません!」
二号車と三号車の連結部に飛び降りて来た少女の前に、車掌は気丈にも立ちはだかる。
「おどきなさい!」
「お断りします!」
「遊びでやってんじゃないのよ!!」
「わっ、私もですっ!」
黒装束の少女は拳銃を突きつけて脅すが、車掌も引かない。
「どくのよ!!」
少女は拳銃の台尻で車掌の頭を叩く。
その動きは激しかったが、かなりの手加減が効いていて、衝撃は軽かった。
ああ、ここまですれば自分の面目は立っただろう。この乱暴者がそう配慮してくれたのだと考えた車掌は、気絶したフリをして倒れた。
黒装束の少女はずかずかと二号車に侵入した。乗客達は声を殺し、通路からなるべく離れる。
そんな中、通路に倒れている人物が一人だけ居た。サリエルである。
黒装束の少女は。サリエルに近づいて行き……身を屈め、その胸倉を掴んだ。
「残念ですわね……貴女の計画はここまでですわ。さっさと立ちなさい」
黒装束の少女は言った。
「お…お嬢様…」
サリエルが真っ青な顔で震えながら呟くと、黒装束は拳銃をサリエルのこめかみに突きつけ、顔を近づけ……とびきり邪悪に、歯を剥いて笑う。
「この程度の事でアンタと私の腐れ縁が切れるとでもお思いでしたの?甘いですわ、蜂蜜より甘いですわ」
アイマスクの奥で、黒装束の少女の、狼犬のような青灰色の瞳が輝く。
胸倉を掴んで無理やり立たせたサリエルのこめかみを銃身で押しながら、黒装束の少女は一号車との連結部の方へと歩いて行く。
サリエルは少女のなすがままになって押されて行く。その表情は幽霊のように青く、その目は全ての景色を見る事を拒否するように固く閉じられていた。
「アンタがちゃんと歩かないと、私何を撃つか解りませんわよ?目を開けてちゃんと歩きなさいよ!」
黒装束の少女が苛立って叫びながら、銃の台尻でサリエルの頭を小突く。客席のどこかで誰かが言った。
「お、おい、あんまり酷い事すんなよ!」
他の席からも。
「そうだそうだ!」「そんな事して恥ずかしくないの!?」
「人質を放せよ!」「諦めて銃を捨てろー」
人々が野次る最中、一瞬、車内がパッと眩しく光輝く……そして次の瞬間。
――ドン!!
少女は空いていた窓の外めがけ発砲した。車内がたちまち静まる。
ようやく連結部まで来ると、黒装束の少女が言った。
「屋根に登りなさい」
ここに居た野次馬は、先程の発砲で蜘蛛の子を散らすように逃げて行き、誰も居なくなっていた。
サリエルは震えながら答える。
「お嬢様……これは違いますわ……」
「何の話よ」
「これは悪役令嬢ではなく……ただの悪役ですわ……」
「いいから登りなさい!早くしないと川についてしまいますわ!そこを過ぎたら機関車を乗っ取って無理やり列車を止めますわよ!?」
「ただ今登ります……」
サリエルは観念して、二号車の屋根によじ登る。黒装束の少女も続く。
「少し煙が邪魔だわ、念の為後ろの車両に移ろうかしら」
「お嬢様、今ならまだ罪も軽く出来るかもしれませんわ……私と一緒に投降していただけませんか……」
「お黙り!!ああもう、川が近づいて来たじゃない!!」
汽車はやがて、大きな川を越える鉄橋へと差し掛かる。
「さあ行くわよ」
「嘘ですわ……こんなの現実ではありませんわ……」
「ちゃんと飛びなさいよ!?じゃないと一足先に地獄行きになりますわよ!?」
「どうせ……飛んだ先も地獄ですわ……」
黒装束の少女と、インバネスコート姿のサリエルは、疾走する列車の屋根の上から、鉄橋の高欄を飛び越え、五メートル下の水面へと落下した。




